第1話 能力者特別対策室
この世界に超常の力と呼ばれるものが発見されたのは5年程前だった。万物を構成するものの一部として考えられたその力はルーンと呼ばれ、生物にも物質にも大気にすら存在した。
だが超常の力とは人知を超えた不可思議の力であってルーンだけでは超常の力と呼ぶには乏しかった。ではなぜルーンが超常の力と呼ばれるのか。
それはルーンを操作、干渉できる人間が現れたからだった。
体内にあるルーンを操作することで常人より遥かに高い身体能力を発揮することができ、大気や物質に存在するルーンに干渉することで常識では考えられないことが行える人間が数多く出現した。
ルーンを操作、干渉できる人間は魔術師の意を込めてソーサラーと呼ばれ、常人とは一線を隔てる存在となった。
ソーサラーの持つルーンへの操作、干渉の力はあらゆる分野に応用が利き常人では成し得ないことが可能だった。そのため専門家や科学者達はソーサラーを人類の進化系として高く評価し、世界から注目された。
しかしソーサラーが世間に溶け込むのは簡単なことではなかた。
常人には持たないものを持つソーサラーは世間から恐怖や嫉妬の対象となり、特にルーンがまだ解明されていない頃は人外の化け物として扱われ迫害されていた。
ルーンの詳細が解明されてからはその兆候は少しずつ解消されてきたが、それでも常人からは忌み嫌われ、ソーサラーという存在が定着した現在でも拭いきれていない。
更にソーサラーの中には常人よりも高い能力を持つことを悪い方向に利用し悪事や犯罪に手を染める者もいた。
ソーサラーが現れてから各地の犯罪は増加傾向にあり、今では殺人や強盗などの重罪に問われるものの多くがソーサラーによるものになっていた。
警視庁所属能力者特別対策室。ソーサラーの犯罪率増加によって政府が配置した対ソーサラー犯罪者組織。
そのメンバーである星野結衣は郊外にある3階建ての小さなビルの前に来ていた。
歳の頃は16歳といったところ。
ツインテールの髪に触れたら折れてしまいそうな細い体。ミニスカートからはすらりと白い足が伸びている。防寒のために上着を羽織ってはいるが、この時期には寒そうな格好だ。
「なんで私達が暴力団同士の抗争現場に来なきゃいけないんですか?」
ビルの中や外では鑑識班と思われる制服の人が現場の指紋採取や証拠品の押収に精を出している。その後ろで結衣は呟いた。
「仕事なのだから仕方ないでしょ」
こちらは三十代手前の女性だ。長いストレートの髪に切れ長の瞳。知的な雰囲気が感じられる。
この女性は能力者特別対策室の室長で青山綾乃。現場の指揮を取っている。結衣は綾乃の部下で対策室の主力メンバーである。
「でも私達が一般の暴力事件の現場を見ても何もわからないですよ」
結衣の言うとおり対策室のメンバーは綾乃を含め鑑識の技能や現場検証の知識は持ち合わせていない。今も形式上綾乃が指揮を取っているが実際に指示を出しているのは警察の人間だ。
更に現場にいる警察の人間は全て中年でほとんどが男性だ。
服装だけではなく綾乃と結衣はその中で浮いた存在に見える。
「そうね。私達では今のところ何もわからないわ。今のところはね」
「どういう意味ですか?」
「さあ?とりあえず中に入ってみましょう。何かわかったかもしれないわ」
綾乃は意味あり気な笑みを浮かべるとビルへ向かって歩き始める。結衣も慌てて後を追いかけた。
ビルへ入ると中はひどく荒れていた。まず扉らしき物がひしゃげて床に転がり、机や椅子なども壊れてバラバラになっている。
ビル内にはケガ人がいたようだが、綾乃達が来たときには既に救急車で病院に運ばれた後だった。
運ばれた人数は十三人。気絶しているか、ケガで動けないかのどちらかで死者はいない。
結衣は警察からの報告資料で確認した。資料には病院に運ばれた人の名前や素性が表になっていて結衣はそれを見て疑問を感じた。
「綾乃さん。病院に搬送された人のリストなんですけど全員下田組組員って書いてありますけど」
資料に書いてある名前の横の備考欄には全員下田組組員と書かれていた。他の組織名などは書かれていない。
「いいところに気が付いたわね。その通りよ。暴力団同士の抗争ならもう片方の組にもケガ人がいてもおかしくないわ。けど病院に 運び込まれたのはこのビルにいた組員だけ」
「大勢で一方的にこのビルを襲ったんでしょうか?」
「確かにそう考えるのが妥当ね。だけどまだ決め付けるのは早いわ」
綾乃はそう言って部屋の右奥に向かった。床に転がった椅子や机を避けつつ進む。ここでも鑑識班が指紋を取ったり証拠品を調べたりと熱心に仕事をしている。
部屋の右奥には鑑識班と同じようにしゃがみ込み何かを調べている人がいた。
鑑識班と違うのは年が結衣と同じくらいの少女で着ている服も鑑識班の制服とは違い私服だ。
「蓮菜。どう?何かわかった?」
綾乃は蓮菜と呼んだ少女の前で立ち止まった。この少女も対策室のメンバーで名前は早川蓮菜。小柄な身長で短めに切りそろえた髪が良く似合う女の子だった。
蓮菜は目を閉じて床に落ちている物に手をかざし、何かを調べているようだった。
かざした手の先には二つに折れた木刀が転がっている。
調べるというよりは目に見えないものを感じ取ろうとしていた。
そして何かがわかったようだ。手を引っ込めて目を開く。
「この木刀からルーンに干渉した痕跡が感じられます」
「そう。やっぱりね」
綾乃は予想が的中したような口調で言った。
蓮菜が言った痕跡とは物質中のルーンに干渉した際に残るものだ。
ルーンに干渉すれば、そこには通常では無いルーンの乱れが生じ、乱れは物体にそのまま残り痕跡となる。
更に物質中のルーンは干渉しない限り乱れることはないため、これは誰かがルーンに干渉したことになる。つまり、ここにはソーサラーがいたということだ。
そしてソーサラーがこの木刀のルーンに干渉したことは必然的にこの事件の犯人はソーサラーということになる。
つまり特別対策室が主体となってこの事件を担当できることになった。
翌日。能力者特別対策室本部で下田組事務所襲撃事件の捜査会議が行われた。会議といっても人数は3人。
昨日現場にいた綾乃、結衣、蓮菜だけだった。
そもそも対策室のメンバーは5人のみ。
対策室は創設からあまり時期が経っていないため、人員補充や活動資金が明確に定まっていない。
情報提供や状況に応じた人員の派遣はあるものの実質のメンバーは5人という部署だった。それは警察に属するソーサラーが少ないのが大きな要因で、対策室には高い能力を持ったソーサラーが必要になる。
というのもルーンの操作干渉を行うソーサラーの犯罪者に対抗するにはより高い能力を持つ者でなければならない。だから尚のこと人選は厳しくなってしまう。
又、ソーサラーの持つルーンへの操作干渉能力は訓練や経験では向上しにくいことが研究により分かっている。一人のソーサラーが操作干渉できるルーンの量は生まれた時にほぼ決定されており、訓練や経験によって多少は向上するがそれは微々たるものでありソーサラーの能力は先天的なものが大きく影響してしまう。
操作干渉を行う効率や速さは訓練によって変わってくるが、根本となる量は後天的に上昇する見込みは少ないということだ。
よって対策室に入りたくとも先天的に能力の低いソーサラーは除外されてしまうのである。
能力の低いソーサラーは犯人を逮捕するどころか自身の命を危うくし、場合によってはチーム全体の連携に関わってしまうからだ。
以上の理由により対策室は現在人員不足に悩まされていた。
綾乃は二人に事件の概要を説明し、容疑者について話し始めた。
「以上の物証と被害者の証言により今回の事件はソーサラーによる犯行であると断定しました」
三人の手元にはここ数日で集められた情報が載った書類がある。
ルーンの痕跡の状況や病院に搬送された者の証言など、書類にはソーサラーが犯人であるという決定的なものが多くある。
「では次に容疑者についての情報をお伝えします。おおまかな所から言うと高校生くらいの男であるとの線が強まっています」
結衣と蓮菜は動じなかった。男子高校生が容疑者だとしてもおかしくはない。二人はそう思った。
なぜならソーサラーの能力に年齢や性別は一切関係なく、高い能力を持った者であれば10歳に満たない子供が大の大人を打ち負かすのは容易なことだ。
加えて言えば対策室の実働メンバー(綾乃を除いた者メンバー)は全員が同等の年代でもある。中には中学生の者もいて全員が女の子でもある。
故に暴力団の事務所を半壊させた容疑者が男子高校生だとしても特別視するようなことではなかった。
「加えて、ここ最近起きたソーサラーによる犯行だと考えられる暴力事件については今回の事件と同一犯ではないかと考えられています」
ここ最近起きた事件とは下田組と同じような暴力団や非合法の組織が襲撃された事件のことだ。いずれもソーサラーの単独犯行と見なされている。
それらの事件については今まで警察が担っていたのだが、犯人がソーサラーという可能性が高くなったため今回の事件と一緒に対策室に依頼されたのだった。
綾乃は警察から提供された容疑者についての資料を二人に配った。
二人は無言で資料を睨み、内容を頭に叩き込んだ。
容疑者の似顔絵や背格好。服装の特徴など細かく記載されている。
「私達の仕事は犯人の特定と逮捕になるわけだけど、二人で充分よね?」
綾乃は笑顔で二人に言った。
「もちろんです!」
結衣は自身たっぷりの返事をした。蓮菜の方は無表情のままだが、気後れした様子はない。
通常この手の暴力事件にはもっと多くの人員が必要になるのだが、なにせ人手がないため自然と少ない人数になる。もっとも対策室は量より質で勝負のため、ソーサラー1人が相手なら多くても2人までしか動かさない。容疑者のソーサラーとしての能力は把握できていないが、結衣は自分が劣っているとは思っていない。
それだけ自分の能力に自身を持っており、それを裏付けるだけの結果を出してきた。
例えこの事件を1人で担当しろと言われても文句を言うつもりもなかった。
結衣と蓮菜は対策室本部を後にし、捜査を開始した。