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なんかムカついた

翌週に入社してくる新入社員の研修担当を軽く言いつけられ、慧太は頭を抱えた。

営業の仕事を3日間で説明しろ。同行営業にも連れて行け。

どこの部署に配属になるかは決定していない、先月まで学生だった人間を、である。

自分の新人研修って、どうだったんだっけ。

慌てて1年前の資料を引っ張りだし、読み直す。

簡単な流れとシステムのフローチャートのみで、自分の文字の書き込みが少々。

「野口さん、この資料のデータ、あります?」

「ランチ1回、デザート付き。でも、これだけだと口頭の説明がずいぶん必要だよ。できる?」

胸を張ってできます、と答えられないところが辛い。

前年の研修担当は山口で、よどみない口調で板書を交えて説明された。

流通は瑞穂だったが、幼い見かけには似合わない、テキパキとした口調が印象的だった。

他の部署も、内容は覚えてなくても頼りないと思った記憶は、ない。

口頭での研修を減らす方向で、慧太は無理矢理の資料作成をはじめた。

七転八倒の末、ちょっと遅くなってしまったと思いながら会社を出ようとすると、帰り支度を済ませた瑞穂が歩いてくるのが見えた。

「ちょうど良かった。ごはん奢らせてもらおうと思ってたの。今日、大丈夫?」

唐突に言われて、面食らう。

「なんで?」

「お礼、してなかったから。服のお金も払ってなかったし」

お礼なんていらないんだけど、教えてほしいことならあるかも。

「新人研修の資料内容、考えてくれる?」

入社年度が違うとはいえ同じ年の女の子にって、俺、情けなくないか?

「アドバイスしかできないけどね。ごはん食べながらにしよ。ダメ?」

小首をかしげた瑞穂は、どう見ても可愛らしい女の子だ。


「だから!設計事務所がスペックしたら業者指定してもらうんでしょ!それも!」

慧太のメモはあっと言う間に埋まっていった。勝てる気、まったくなし。

瑞穂はサワー一杯ですでに頬が赤くなっている。

「沢城、なんで営業の仕事内容まで把握してんの?」

「だって、先読まないと仕事にならないって指導されてるし」

「それって、佐藤流儀?」

あ、今、なんかムカついた。

「うん。情報多く入れとけば決断早いし、商品の動向の波読みやすいから」

尤もな話なのに、何故ムカつくのか。

「佐藤さんって、そんなに仕事早い?」

「うん。勘もいいし」

仕事の話の後ろに、佐藤が見え隠れする。

自分の女に何があったか気がつきもしない男が、そんなに大した男か。

慧太が少し険しい顔になったことに、瑞穂は気がつかなかった。

「流通って3人の部署じゃん。佐藤さんと沢城だけじゃないだろ。やっぱり、同じようにしてるわけ?」

「え?だって、彼は仕事する気ないみたいだし、商品も覚えてないから」

瑞穂は突然不機嫌な顔で喋り始めた慧太に、驚いた顔をして見せた。

「それで沢城にだけ流儀教え込むっておかしな話じゃない?」

まずい。腹が立ってきた。しかも理不尽だ。

少なくとも、今助けてもらってる立場で言っていいことじゃない。

「沢城だけが直系で仕事引き継いでも、次に続けらんないじゃん。個人的に仕事してる訳じゃないだろ」

仕事をわかってないヤツが言う台詞じゃない。止まれ、俺。

「だって、それでも覚えないと流通滞るし、佐藤さんが困るし」

佐藤さんが困るし。

何かの引き金のような言葉になった。


「超、困ったのは沢城じゃないの?」

自分でも驚くくらい低い声が出て、慧太は自分の言葉にうろたえる。

けれど、勢いが止まらない。

「言っとくけど、バレバレだから」

何が、と聞き返した瑞穂の視線が僅かに泳ぐ。

「例の相手、佐藤さんだろ。なんで本人に言わなかったわけ?」

問い詰めて、どうする。俺には何の関係もないのに。

違うよ、と否定した瑞穂の声には、力がなかった。

俯いた顔が、左右に揺れる。

出してしまった言葉に煽られ、慧太は自分の意思ではないような問い方になった。

「なんで沢城だけが背負い込まなきゃならないわけ?向こうにだって責任あるだろうが。まして既婚者だろ」

言葉を止めたのは、瑞穂がテーブルの上に肘をついた姿勢で、手の中に顔を埋めたからだ。

やばい、泣かせた。

途端に、言い過ぎたと思ってしまうのは、慧太の気弱さか。

瑞穂はしばらくその姿勢のまま固まっていたが、急に顔を上げた。

そして、勘定書きを掴んでレジへ歩いて行く。

慧太はテーブルに出したペンや手帳を慌ててしまい、後を追った。

勘定を済ませて振り向いた瑞穂の顔は、あきらかに混乱していた。

「いらんこと言った?」

慧太の問いに、瑞穂はコクンと首だけで頷いた。

「でも、いい。ちょっと落ち着いて考えていい?」

沈んだ声の瑞穂と一緒に慧太は歩き始めた。


霊南坂から六本木1丁目に抜ける通称「桜坂」は、3月の半ばから近くのホテルのフェアに合わせてライトアップされているが、まだ1分ほどの桜に見物客はおらず、人通りは極端に少ない。

慧太の肩よりも低い位置で、更に俯きながらの瑞穂の声はひどく聞き取りにくかった。

「みんな、知ってるの?」

第一声は、それだ。

「沢城と佐藤さんが付き合ってるのは結構いっぱい気がついてるし、噂にもなってる。こないだの件は、言ってないけど」

誰かが聞いているわけでもないのに声をひそめてしまうのは、タブーに触れている気がするからだろうか。

そうだよね、気がつくよね、と瑞穂は呟くように言い、深い溜息をついた。

「佐藤さんに、申し訳ないな」

は?今、なんて言った?

慧太は自分の耳を疑って、唖然とした顔になった。

「申し訳ながるのは向こうじゃない?若い女に手、出してるんだから」

「そうやって言われるから、申し訳ないの。佐藤さんだけがワルモノみたいに」

瑞穂はゆっくり慧太と視線を合わせた。

「私から好きになって、私が誘ったの。彼は、それに乗っただけ」

意外なほど強い口調に、つい気遅れした。

でも、と慧太の内から声がする。

何か間違っていないか、それ?


自動販売機で缶コーヒーを買って手を暖めながら、慧太は頭を整理した。

確かに、合意ならばどちらかの責任という訳じゃない。

どちらかが悪いと断定されることに反発するのは、理解できる。

だから逆に、どちらかが余計にリスキーである理由にはならない。

つまり、やっぱりそれは。

「・・・おかしいだろ、それ」

自分の語彙の少なさが、呪わしい。

慧太を見上げる瑞穂の瞳は、意思の強そうな口元とは裏腹に透明だ。

「ここまで甘えて喋っちゃって、ごめん。津田君しか知らないことが、あるからかな」

私も誰かに喋りたかったのかも、そう言って、瑞穂は心細そうに笑った。

「でもね津田君、間違ってるよ。佐藤さんにはもう、例の件はバレた。私の考えなんて、机上の空論」

「気がつかれなかったら、本当に言わないつもりだった?」

「できれば一生、誰にも言わないつもりだった。津田君にはバレてたけど、ちゃんと言わないでいてくれたし」

また、迷子みたいな顔。

見た目の幼さと、やっていることのアンバランス。

なんか、本当にとんでもないことに首突っ込んだ気がする。

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