腹芸のできない男
「あ?あいつ、頑ななのは仕事だけだぜ?他は結構天然だし」
とは、山口の瑞穂に対する評価である。同期である分、親しいらしい。
「なに?気になる?」
ちっちゃくて可愛いけど、この間はずいぶんあれこれ言ってなかったか?と笑われて、慧太は慌てた。
「そういう方面の興味じゃないっす!」
全力で否定である。
「ま、女の子たちは仕事もプライベートもごっちゃだし、確かに浮いてるよな」
同行営業の帰りの営業車の中は、他に聞く人もいないので、社内の噂話にはもってこいだ。
沢城は、佐藤さんの仕事の流儀きっちり引き継いだついでに、考え方まで感化されちゃったからな、と続き、だからって人との付き合い方云々って、言える立場じゃないだろ?と終わった。
「山口さんて、オトナですねー」
「学生時代は踏み込んでた部分に踏み込まなくなったことが、成長したってことなんだったらね」
山口は、少しだけ含みを残して話を切り上げた。
「津田君、これ、特注かかってないよ!」
珍しく慌てた瑞穂が慧太の発注依頼書を持って早足で来たのは、外国人向けの賃貸マンションへの納入日の一週間前のことだ。
「私も気がつかなかったのが悪い、ごめん。リモコンが日本語表記だよ!」
見ると、確かに慧太の発注には、英語表記の指定がない。
「物件が確定した時に、気をつけようと思ってたのに!ごめん!」
瑞穂が手を合わせるのを、慧太は不思議に眺めていた。
俺の不注意まで自分のミスにしちゃうのって、責任感ありすぎじゃない?
それとも、今までそんな風に自分の守備範囲外まで目を向けてたってことか。
「俺のミスでしょ?あやまんないでよ。竣工までに時間あるし」
感謝を込めたつもりで頭に手を置くと、膨れた顔で睨まれた。
「私がチビだからって、気安く頭触んないでくれる?それ、すっごくコンプレックス刺激されるから」
「そうゆうもん?」
「津田君みたいに、おっきい人にはわかんない!」
そう言いながら、瑞穂は背伸びして肩を反らした。そうすれば少しは大きく見えるとでも言うように。
慧太の身長は、182cmだ。おそらく瑞穂は150cmそこそこ。瑞穂の頭は慧太の肩にも届かない。
頑ななのは仕事だけ、そうかも。
現場フォロー頼むね、と去っていく瑞穂を見るともなく見ていると、事務の野口に声を掛けられた。
「何見惚れてんのよ!津田君みたいに背が高い人って、沢城みたいに小さい子がいい訳?」
「見惚れてねーし。でも、真逆のものが気になるっていうのはあるかな。視界が違うし」
「沢城、仕事関係なきゃ結構イイ奴だし、面白いんだけどねー」
その後、少し声が低くなった。
「でも、沢城はやめときなよ。なんせ敵は佐藤さんだから」
秘密めかした口調に、どういう意味かと聞き返すと、バカにしたような返事が返ってきた。
「男って鈍い。気がつかないの?」
気がつかないって、何が。って、今の言い方は、まさしくそれだろ。
いや、だって佐藤課長は既婚者だし、並んでたって親子に見えるし。
って言うか、沢城ってそんなタイプか?
慧太の頭の中に、めまぐるしく言葉が駆け巡ったが、誰かに確認するわけにもいかない。
とんでもない情報を耳に入れたようで意味もなくあたりを見回したりもしたが、しばらくしてから、俺には関係ないことだし、とやっと落ち着いた。
自分のデスクに戻り、パソコンを開いて資料の作成をはじめると、瑞穂が横に立った。
「さっきのリモコンの件なんだけどね」
そう言いながら、手近な椅子を引き寄せる。
ちょっと待ってくれよ。あんな話聞いた後じゃ、まじまじと顔、見ちゃうじゃないか。
俺、そうやって秘密で何かして平静な顔してるの、苦手なんだよ。
しどろもどろで打ち合わせを終えて、瑞穂が席を立つと、グループ席の向かい側から
野口が慧太の方を見て、口の動きだけで「バカ」と言った。
その後すぐに立ち上がって、慧太のデスクまでやって来た。
「津田君みたいに顔に出るヤツに、教えた私がバカだったわ。ごめん、忘れて。
それからね、本人は気がつかれてると思ってないんだから、絶対に本人に言わないでよ」
「いくらなんでも、本人に確認するほどバカじゃないんだけど。でも、みんな知ってるの?」
「あんまり気がついてる人はいないかも。沢城ってセージュンな感じだし、おじさんたちは知らないんじゃない?」
他の営業が何人か帰社してきて、野口はそそくさと自分のデスクに戻っていった。
言われて見れば、そんな節はあるような気がする。
3人の部署でふたりだけ残業をしていることもそうだし、気難しい佐藤とケンカ腰の打ち合わせをしても怯んだ様子もなく、上司相手に瑞穂は堂々と渡り合っている。
上司と仲が良いんだなくらいに思っていた、一緒に会社から出て行く光景も、そう言われれば確かに他の部署ではお目にかからない。
20歳近く歳が離れていることと、両方ともそんなことに縁が遠いように見えるのが隠れ蓑になっているのだ。
しかし、なんであんなに草臥れかけたおっさんと?沢城なら、いくらでも相手がいるだろうに。
慧太は衝撃の消えやらぬ頭を大きく振った。
「野口さん、頼みます!搬入計画、打ち合わせてきてください!」
なんで、と聞かれて慧太は言葉に詰まった。
答えは、流通管理部が直視できないから、と情けない理由である。言える訳がない。
「津田君って、バカ?誰が好き好んであんなに感じの悪い部署で打ち合わせしたいと思う?」
ふう、と溜息交じりに資料を突き返され、ねじ込むように見上げられた。
「津田君がフリンしてる訳じゃないでしょ。営業が、知らないフリの腹芸ひとつできなくてどうする!」
しょうがないわねぇ世慣れないお子様は、と続けた野口も、年齢は慧太よりひとつ上なだけだ。
不倫、ねぇ。身近にあるものなんだな。
「あのね津田君、来月には新入社員が入ってくるんだよ。慣例だと君が研修担当だから、しっかりしてよね」
野口はあっさり言いきると、自分の席に戻ってしまった。
俺みたいな単細胞に、余計なこと聞かせたくせに。腹芸だって?細胞増えたって、できない。
俺は、内緒だの秘密だのに滅法弱い。何かが喉に詰まっているように感じてしまう。
それは、子供っぽいってことなんだろうか。
しぶしぶ覗いたパーテーションの中にいたのは、瑞穂一人だった。
キャビネットの上段に置かれている資料が必要らしく、危なっかしく回転椅子の上に立っている。
「危ねーな、とってやるよ」
と声をかけると、回転椅子に立った形のまま、慧太の声の方に振り向いた。
瑞穂の小さな悲鳴と、慧太の手が前に差し出されたのは、どちらが早かっただろう。
かろうじて転落せずに慧太に抱え込まれた瑞穂の下で、回転椅子は横を向いて倒れた。
両脇に手をいれた「たかいたかい」の体勢で、椅子を避けて降ろされた瑞穂は、すでに膨れていた。
「あんなことしてるときに、無用心に声、かけないでくれる?」
あきらかな八つ当たりだ。
「ありがとうが先に出るってもんじゃない?落ちたら、腕折ってたよ」
「今まで、落ちたことないもん。って言うか、今、咄嗟に胸つかんだでしょ」
「別に選んでつかんだんじゃないだろ!手が届かないところにあるもんなら、届くヤツに頼めばいいのに」
「だって、ふたりとも会議だし」
そんなやりとりをしながら、慧太の指にはまだ、瑞穂の胸の感触が残っている。
女の胸、どれくらい触ってなかったっけ。
そう思った瞬間、佐藤が瑞穂を組み敷いている図をリアルに連想してしまい、うげっ、と小さく溜息を漏らした。
これではまともな打ち合わせなどできるはずがない。
出直すことにして、慧太は自分の部署に引き上げた。
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