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始まりってのは、こうだ

「明日、あいてない?」

金曜日の定時前に、佐藤に聞こえるところで声を掛けたのは、ある意味で挑発のつもりだった。

意味の飲み込めない様子の瑞穂が、慧太の顔を見返す。

まだ何もわかっていない新入社員が、あさっての方向を向きながら興味津々の顔をする。

「植物園とか、好き?」

「どういう意味?」

「そういう意味。予定あり?」

あるわけじゃないんだけど、と佐藤に目を走らせる瑞穂にすこし苛つく。

「9時に迎えに行く」

人前で女の子が要領を得ないうちに強引に話を進めるのは、学生時代から慧太の定番だ。

使う相手を間違えると、手ひどいフラれかたをするリスクも伴うのだが。

つまり、進歩していないとも言える。

去り際に佐藤の顔をちらりと見たが、普段から苦虫を噛み潰したような表情なので、変化がわからない。

真似できないだろ、所帯持ち。

惜しい気持があるんだったら、せいぜい悔しがっとけ!


高揚した気分が後押しして、帰宅後に父親に車を借りる話をするときも、やけに声高だった。

女の子と出かけること自体がとても久しぶりで、CDを選ぶのにもあれこれ迷う。

なるべく楽しく盛り上げたい。

辛いことなんて、思い出さないように。



9時すこし前に瑞穂のマンションに車を横付けすると、戸惑った顔の瑞穂が現れた。

会社にいるときより、ずいぶんカジュアルな服装なのが新鮮にも見え、一段と幼くも見える。

「ホントに来たんだね」

「嘘、ついてどうする。都合悪い?」

「なんで急に出かけようなんて言うの?」

「外で会ってみたかったから。イヤだった?」

強引に話を進めた分、イヤだと言われれば引くつもりはあった。

助手席を勧めると、まだ戸惑った顔のまま乗り込み、シートベルトをつけた。

「どこに行くの?」

「夢の島の植物園と思ってるんだけど。行ったことない?」

「ない。近場って案外と行かないものだね」

おお、いい感じ。

すこし固めの喋り方だけど、誰にも聞かせられない話をするより、ずっといい。


早い時間についたので、駐車場はまだ空いていた。

夢の島熱帯植物館までの芝生の中の道を、微妙な距離をとりながら歩く。

話題を次々変えて、お互いの興味を探っている感じが程良い緊張感だ。

女の子と知り合うって、こんな風だったよなと思い出す。

会社の中にいる時よりも、すこしやわらかい表情。

そうだよ、普通、始まりってのはこうだ。


湿気を帯びて少し息苦しい植物園の中に入り、熱帯の珍しい植物を見て歩く。

早い時間に動き始めたのは正解だったらしく、中はまだ混雑していない。

パンノキ、タビビトノキ、バナナ。不思議な形をした花々。

いちいちプレートを読み上げながら歩く。

池に浮かんでいるオオオニバスの前で、立ち止まった。

「沢城なら、乗っても沈まないのと違う?」

「どういう意味?」

「子供の体重なら大丈夫って書いてある」

上目遣いに膨れた顔が可愛い。なんだか馴染んできた感じがして、慧太は嬉しくなる。

一周して喫茶室で少し早目の昼食をとりながら、午後をどうするか考えることにする。

「初めてきた公園だから、ぐるっとまわってみたい」

瑞穂の意見を採用することにして、熱帯植物館の外に出た。


瑞穂は慧太が考えていたより、ずっと饒舌で笑い上戸だった。

好きな音楽が一致するとふたりで歓声をあげ、そのアーティストについて語り合ったりもした。

会社内の話には、けして触れないように注意しながらだったが、それでも充分に会話は成り立っている。

第五福竜丸の中で、こっそり髪に触ってみたりしたのだが、咎められたりはしなかった。

こんなに刺激的で穏やかな休日はそうそうあるものじゃない、と思えるくらい楽しい。


ペットボトルのお茶を手に芝生に並んで座る。

「津田君」

改まった声で瑞穂が呼んだ。

「ありがとう。明るい時間に出歩いてるのが本当に久しぶりで嬉しかった。感謝します」

身体だけを慧太の方に向けて、深々と頭を下げる。

照れくさくなった慧太は、瑞穂の下げた頭をそのまま上から潰して自分の膝に押し付けた。

「何すんの!」

半分笑いながら怒る瑞穂の顔を見下ろしたら、慧太は少し複雑な気分になった。

こういうヤツだったんだな。こんな顔も会社では見せないようにしてたのか。

「・・・こっちの方がいい」

「え?」

「いつもの沢城より、今日の沢城のほうがいいや」

あ、言っちゃった。

瑞穂はしばらく物思わしい風情だったが、ぱっと顔をあげて慧太を見上げた。

「私も、今日の方が私らしいと思う。忘れてた。ありがとう」

生真面目な表情だった。


閉園時間になったあと、ファミリーレストランで軽くお茶を飲み、行儀よくマンションの前まで送った。

夕食にも誘いたかったが、歩き疲れたらしい瑞穂が車の中でだるそうに見えたので、次の機会を待つことにする。

「また、一緒に遊べる?」

「うん、またね」

手を振った後、瑞穂が何かを言いかけた。

「何?」

「何でもない。ありがとう。またね」



翌週、慧太と瑞穂がデートしたらしいという話は、当然のように会社中に広まっていた。

気分は非常に微妙である。

学生の頃のようにうるさく詮索されない代わりに、興味津々の視線が痛い。

なるほど、瑞穂が遠巻きにされている理由がよくわかる。

融通の利かない性格の上に、話しかける内容に気を遣うくらいならと誰だって思う。

「一歩前進したんだって?」

そう話しかけてくれる山口の存在が妙にありがたい。

何も言わないで動向を窺われるくらいなら、玩具にされたほうがまだマシだ。

「で、済んだ?」

「何が!」

「今、おまえが頭に思い描いてること」

何を思い描いてると思われているやら。


おりしもその時、ファイルを抱いた瑞穂が山口の席にやって来た。

「山口さん、これ生産遅れそうなの。納入日の変更可能?」

えーっと渋い顔をした山口が工程表とにらめっこをする間、瑞穂は慧太の席にまわってきた。

「津田君、ミス少なくなったよね」

身に覚えがありすぎなので、慧太は素直に礼を言う。

「もう、ファイルで叩くこともないかな」

薄く笑った顔はすこし親しげで、土曜日に一緒にいた時間を思い出すには充分だった。


「沢城、津田とデートしたんだって?」

ひょいっと顔を上げた山口が話しかけた時の瑞穂の反応は、慧太にとって予測外だった。

「デートじゃないと思う。元気がないって津田君が誘ってくれたから」

と言いながら、ものすごいスピードで顔が赤くなって行く。

化粧っ気がない分、頬の色がリアルだ。

本人が自覚して顔が上げられなくなった様子が、とんでもなく可愛い。

「現場と打ち合わせしといて!」

逃げるように去っていく瑞穂の後姿を思わず目で追う。

「あーあ、見惚れちゃって。いや、今のは確かに可愛かったわ。ちょっと萌え系?」

ヒヤカシの言葉が頭の上を素通りしていった。


山口との同行営業の移動を営業車にするか電車にするか聞くと、人を食った返事が戻ってきた。

「車と電車のどっちが良いかって?そりゃ前と後でちがうでしょ」

「意味がわからないんですけど」

「車なら、合意がとれた時点で次の行動に移せる。いざとなれば車の中も可能」

「何の話です?」

「津田の頭の中」

玩具の方がマシだと思ったのは、取り消し。

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