可愛くねえ女
「望んでいない妊娠」を扱います。
トラウマのある方は、ご覧にならないでください。
キャビネットに向かいカタログを選んでいた時、後ろからいきなり、ファイルで思いきり頭を叩かれた。
「何すんだ!刺すぞコラ!」
振り向いた津田慧太の目線の30㎝下から、落ち着いた声がした。
「刺すって、何で?」
ハズミで出た言葉に、もともと意味などあろうはずはなく、慧太は既に答えに詰まった。
「えーっと、ナイフ?」
「なんで疑問形よ?今、持ってる訳?」
「いや、持ってない」
見下ろした形なのに、すでに負ける予感充分である。
「ところで、この搬入日は何の冗談でしょうか」
言い訳なんか聞かない、と言わんばかりの迫力で慧太を見上げているのは、流通管理部門の沢城瑞穂である。
ふたりが在籍しているのは、空調設備の販売及び設計施工会社で、慧太は営業部門に所属している。
同じ年齢だが、社歴は大学を一浪した慧太よりも、短大卒入社の瑞穂の方が3年長い。
だから、入社して僅か1年の慧太が瑞穂に敵うわけなどないのだ。
「現場の工程が急に変更になって、明日どうしてもって言われたんだけど」
弁解口調になる自分が、悔しい。
「在庫と入荷日確認したの?これ、明日メーカーから入荷予定だから、無理」
瑞穂はばっさりとそう言うと、自分のブースに戻ろうとした。
「ちょっと待った!現場が止まっちゃうよ。手順が狂うし、なんとかしてよ」
懇願口調になってしまうのは、致し方ない。現場よりも社内の方が頭は下げやすい。
「この伝票、朝イチ指定になってるけど?午前中に入荷したって、持って行けるのは午後」
言い捨てて、また歩き出そうとする瑞穂の前に先回りする。
「メーカーに引取に行けない?」
そう言うと、瑞穂は本格的に迷惑そうな顔をした。
「午後になってから、チャーター便確保できると思う?どこの経費で?営業?この物件の利益率いくつ?」
一息に言いきると、口調をいきなり変えた。
「確認ミスで手配できないって、現場に行って頭下げんのよ!段取り変更してもらうのも営業サイドの仕事でしょ!」
今度はとりつくしまもなく、自分のデスクに向かう瑞穂を黙って見送った。
ちくしょう、また負けた。
慧太はがっくりと項垂れて、現場に頭を下げに行くため、外出の支度をした。
営業鞄を持ったと同時に、瑞穂の声がとんだ。
「午後の搬入でもいいんなら、配車が終わる前に連絡してよ!じゃないと、午後も無理!」
なんの捨て台詞だよ、と思ったが、圧倒的に向こうが正論である。
可愛くねえ女。
建築途中の店舗の現場でペコペコ頭を下げて、早く言ってくれなくちゃだの、段取り組直さなきゃだのと嫌味交じりの苦情を言われ、どうにか午後搬入の承認を取った後に、慧太は会社に連絡を入れた。
配車の時間はオーバーだが、ギリギリ予定をねじ込める時間である。
流通管理部に電話を繋いでもらうと、佐藤という課長が電話を取った。
人が良さそうな顔とは裏腹に、常に苦虫を噛み潰したような口調で喋る、口うるさい男である。
俺、このおっさんも苦手なんだよな、と思いながら翌日午後の搬入予定を頼むと、すぐ返事が戻ってきた。
「それ、沢城がもう手配とってた。明日、入荷次第に出発できる」
横に確認する気配があり、14時頃には到着予定だ、と付け加えられる。
「当日にトラック手配するより、待機させて変更のほうがマシだから。覚えとけ」
それだけ言うと、いきなり電話を切られた。愛想がないこと、この上ない。
「流通のヤツら、なんであんなにエラそうなんですかねー!」
ちょっとメシでも、と仕事帰りに寄った居酒屋で、慧太は3年先輩の山口に愚痴をこぼしていた。
「ヤツらって、佐藤さんと沢城だろ?まあ、実質あの二人で業務まわしてるしな」
もうひとり、中堅どころの年齢の男がいるはずだが、あまり話にのぼることはない。
山口の言うところでは、佐藤のクセが強すぎてついていけない、とのことだ。
沢城が入るまでに、何人も泣きながら会社を辞めたらしい、と山口は言った。
「沢城は大丈夫なんですか?残業は多いみたいだけど」
「最初はずいぶん泣いてたぞ。今はプチ佐藤だけど。仕事のすすめ方も内容も、そっくりだし」
見た目が高校生みたいな沢城がしょっちゅう泣いてるから、同期としてずいぶん気にしたもんだ、と山口は笑った。
「それにしたってキツくないですか、あいつ?他に女の子、入れないんですかね?」
慧太が更に不満そうに言うと、山口は幾分真面目な顔つきになって答えた。
「流通が、できないことを迂闊にやってみます、なんて答えて、搬入できなかったら笑い事じゃ済まない」
多少あたりがキツかろうが、そこは織り込んどけよ、と続き、慧太はしぶしぶ言葉を引っ込めた。
他人に頼ればどうにかしてくれるかも、という考え方が甘いことは入社から一年近くたてば、学習済みである。
社内の若手には、目に見えない「派閥」がある。所謂「仲良しグループ」である。
100人足らずの小さな会社でも、学閥や役員閥でなく小さなグループが小分けになっている。
女の子には女の子の仲良しグループがあり、買物や旅行にせっせと出歩いているようだが、瑞穂はどこのグループにも属していないように見えた。
孤立しているという程ではないのだが、決まった誰かとランチに行ったり仕事中に給湯室で無駄なおしゃべりに興じていることがないのである。
宴会でのノリはけして悪くないのだが、小柄で化粧っけも薄く、笑った顔に媚も浮かない瑞穂を、慧太はひそかに「処女じゃないのか」と思っていたりする。
入社したばかりの頃、好みの外見の女の子がいると嬉しく思っていたのだが、仕事上のやりとりをするようになってから、それはさっぱり失せてしまった。
あれ、と慧太が思ったのは、ほんの些細なやりとりだった。
帰りが少し遅くなり、何人かでちょっと一杯やってこうか、と相談しながら会社を出ようとすると、流通管理部がまだ残っていることに気がついた同僚が、沢城さんも一緒にどう?と声を掛けたのだ。
瑞穂は一瞬迷うような顔をして、それから佐藤に行っていい?と確認した。
「仕事片付いてんなら行けば?お疲れ」
パソコンに目を向けたまま佐藤が左手を振ると、瑞穂はやけに物悲しそうな顔をした。
帰っていい、と言われて解放された顔にはとても見えない。
「じゃ、お先に失礼します」
支度してくるね、とロッカールームに向かう瑞穂の背中を、佐藤が片目で追っている。
妙な感じ。なんだか、残業の続きしたかったみたいだな。
「沢城さーん、佐藤さんと毎日仕事してて大変じゃない?うるさいし、ワンマンだし」
同僚が悪口を促すと、瑞穂は少しのアルコールで赤くなった顔で答えた。
「佐藤さん、決断早くて頼りになるし、いいかげんな仕事しなければ、丁寧で優しいよ?」
そのかわり、不注意や思い込みで失敗した時は容赦ないけど、と続けた。
「えーっ!優しい?俺、容赦ないの部分しか知らねー!」
慧太が思わず声をあげると、他の同僚から、常に見通しが甘いからだと有難くもない言葉を貰った。
「でもさー、女の子相手の時は、もうちょっと気を遣って話して欲しいよね」
営業部の紅一点、営業事務の野口は長い髪を指でくるくると巻きながら話す。
瑞穂はちょっと顔を引き締めて、ぴしゃりと言った。
「会社の仕事として動いてる以上、性別は関係ないと思う。女だからって気を遣ってもらえるなんて、甘すぎるんじゃない?だから頼りにならないって言われるんだし」
どういう意味、と気色ばむ野口との間に、まあまあと山口が割って入った。
「酒の席でそんな話したって、楽しくないだろ?沢城も野口も。沢城、ムキになんなよ」
やっぱり可愛くねえと思い、その後なるほど、と慧太は納得した。瑞穂が仲良しグループに入れない原因。
瑞穂は持論を口に出して言ってしまい、たいていの場合が正論である。
相手が自分の非を認めたくない場合、それはとてもウザい。
馴れ合いのグチのこぼしあいの中では、浮いてしまうだろう。
損な性分だな、こいつ。
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