嫌童児
「童は嫌いだ」
継実は落ち着きのない少年を見てそう、吐き捨てた。扇子の端から覗く長い黒髪を垂らす整った男の顔を見ると心底嫌そうなのが見てとれる。
師匠の叱責を受け七、八歳ほどの少年が姿勢を正し直立した。
「すみません師匠、ですが弟子は明後日が待ちきれないのです」
恥ずかしそうに、それでも心の高ぶりを抑えきれずに口角を上げる弟子に向いに座るよう扇子を動かした。
「紫陽、私はその様な弟子は好まぬ」
冷涼な雰囲気を放つ彼は椀を持ち、静かに茶を飲み自らを模範として見せ、紫陽も彼に習った。
しかし弟子の心は明後日の催事に思いを馳せていた。
彼らが身を置く修僧界には八つになる弟子の成長を祝い、そして健やかに育つよう願う風習があり、その晩の卓には豪華な料理が並べられる。つまり明後日で彼は八つを迎え、今までで一番の誕生日になるのだ。紫陽のような普段礼儀をわきまえる弟子であっても三日前から浮足立つには、じゅうぶん特別な行事であった。
次の日、継実は果物と木の板を抱えて僧堂に戻った。その熟れてみずみずしい果物は僧堂にいる幼子の霊のための供物だ。そして木の板のように見えた物は、表面が平らに削られている卒塔婆。
彼が戻ったときには昼を過ぎていたが紫陽の姿はなく、部屋の四方を囲む仏壇の風ぐるまがゆっくり回っているだけだった。入り口をくぐり左端にある四角い座卓に供物と板を置き、紫陽については、また外でそわそわしているのだろうと気にも留めず、卒塔婆造りに勤しんだ。
「師匠!」
突然、少年の声が静寂を破り継実が呼び声に沿って振り向く。彼の予想は大方合っていた。
声は僧堂の奥の法宝や霊剣、衣服などを保管する奥間から聞こえ、声の主である紫陽が暖簾を片手で持ち上げて入ってきた。
彼を見て継実は冷水を浴びたかのように背筋が一瞬にして凍った。
外にいると思っていた彼が部屋の奥から出てきたからではない。
師匠の視線が自分の衣服に集まっているのを知ってか知らでか彼は袖の端を掴み両腕を広げて言った。
「師匠!これは明日着る晴れ着ですか?」
彼の弾んだ声とは対照的に輝きで満ちた目に映る継実の顔は青くなり、絞り出すように言った。
「なぜ、それを…着ている…?」
紫陽は恥ずかしそうに言った。
「明日が待ちきれなくて…試しに着てみたのです」
八つになった弟子は晴れ着を着るのが習わしだ。その晴れ着には霊力が宿り、着た者の心身を浄化し保護する役割がある。修行僧にとって八歳は立派な大人であり一つの区切りでもある。そのためその日からその晴れ着を法衣として身につけることになるのだ。
もちろん目上の者が下のものに贈り、紫陽にとっては師匠である継実に認めてもらったという何よりの証だ。
継実は手元の平板に視線を移し淡々と言った。
「それを着るのは明日からだろう。それに奥間には大切な法宝だけでなく、危険な物も置いてあるのだから勝手に入るなと何度も言っただろう。言いつけも守れないのか、戻してきなさい」
彼の言い分はもっともだ。しかし紫陽は行楽に思いを馳せる子供のように明日が楽しみで仕方なく、誰がどう見ても幸せに満ちていた。
彼は法衣を着たまま落ち着きなく、継実が座る座卓の周りを歩いた。風ぐるまも「カラカラ」と祝福するように音を立てている。
突然、一周したあたりで彼はぴたりと立ち止まった。
「師匠、体が痛いのです」
継実は彼がその言葉を発するのを分かっていたかのように言った。
「言っただろう、奥間には危険なものがあると。早くその法衣を脱ぎなさい」
この僧堂には邪を清める法衣もあれば、取り扱いに用心しなければならない法衣も置いてある。
「痛くて動けません、師匠脱がしてください」
彼は先程までとは打って変わって体が鉛のように固くなり、皮膚は少し炎症を起こし首元まで腫れていた。
薄手の中衣を着ているが法衣の内側に塗られた毒が染み込み、首などは毒を織り交ぜた繊維が直接肌に触れ毒がまわった。
「師匠…お手をお貸しください」
首が腫れすでに喋りづらい掠れた声でなんとか師匠に手を伸ばす。
「自分のことは自分でやりなさい。お前は師匠の手を煩わせるのか。そこいらの子供のようなことを言いよって、だから私は子供が嫌いなのだ」
卓を挟んだ左向かいに仰向けで倒れている紫陽には目もくれず、それとも見たくない心の表れか、扇子を仰ぎ幼霊のための卒塔婆にお教を書き続ける。
「師匠が子供を嫌いなら…あの日なぜ私めを助けてくださったのですか?ねぇ師匠、覚えておりますか?あの日はひどい雨でした…」
──地名も無いような村の一本の木の下で幼子が蹲っていた。顔はやつれ、破れた布の合間からは浮き出た肋が見え、全身も泥と垢で汚れていた。
当時の紫陽は親に捨てられ孤児となった、まだ四つの子供であった。
貧しい村には孤児に構うほど余裕を持った人はおらず、雨の中出稼ぎに行く人々の足音だけが聞こえる。誰も足を止めはしない。朦朧とした意識の中で雨音と往来の足音がかすかに聞こえ、人の気配とともに一人の足音が耳元で止まった。
男は真っ白な法衣に袈裟を着けた修行僧の姿をしており、雨の中に佇み孤児を持ち上げる姿はまさに情け深い仏のようで、一瞬人々の歩みが遅くなる。早く孤児を連れて出てってくれという、村人たちの救いの手を見たかのような視線を浴びつつ継実は言った。
「私は駄々をこね泣きじゃくる子も、汚れを知らぬ子も嫌いだ。今日からお前は、誰かが手を差し伸べるまで待ち続ける馬鹿な子供ではなく、私の弟子として一人の大人になりなさい」
そう言って土砂降りの雨に打たれて項垂れる紫陽花を見つめた。
──紫陽の体は火に焼かれたかのように熱を持ち、熱を逃がすように肌を冷たい床に張り付ける。
「子供のようなことをしてすみません。明日が楽しみで、子供のようにはしゃいでしまいました…罰は受けます…脱がしてくれませんか?師匠、苦しくて…死にそうです」
継実は黙って聞いていたが卒塔婆に字を書き終え、腰を上げた。それを見て紫陽は淡い期待に満ちた目で彼を見つめたが、師匠が己のために腰を上げたのではないと分かり、紫陽の目は曇った。
継実は墨が乾ききっていない、香りの新しい卒塔婆を墓に建て、幼霊たちの墓には人数分の卒塔婆がやっと揃った。余った一つは端に寄せ、彼は棒と真っ赤な和紙を持ち、腰を下ろして風ぐるまを作り始めた。
それでもめげずに紫陽は話を少し変えて口を開いた。
「この法衣の毒はとても強いですね。師匠はお強いので、かのような毒衣を作り邪物に対処されるのですか?」
まだ半時間しか経っていなかったが経皮毒だけで激しい痛みが伴い赤い痣ができていた。等級の高い邪物に対する強力な毒だということが分かる。
「師しょ…」
彼の言葉が落ちる前に継実が遮った。
「紫陽、私は幼霊を弔う僧堂の僧侶で霊力の高い武器や霊符を持っている。またお前の師匠でもあり日々村の者たちを守るため邪物を退治している。つまりお前は高貴な私の弟子だ。なのになぜ毒衣を見分けられぬのか?」
彼は一息で、しかし落ち着いて聞いた。
やっと口を開いた彼を見るため頭を少し上げて紫陽は弟子らしく落ち着いて言った。
「私めは師匠ほどの霊力もなく毒衣を見分けられず着てしまったのです」
言い終わるのと同時に継実が言った。
「確かにお前に正邪の判断がつかぬのもおかしくはない。しかし奥間には多くの衣服が置いてある。なぜその中から毒衣を引き当てたのか?本当に正邪の見分けがつかなかったのか?」
「師匠、この世には偶然がございます。己が望んだものを求めるほど、意に反した物が引き寄せられるのです」
これは実に道理にかなっている。しかし継実はまた口を開いた。
「確かに偶然はある。それなら仕方のないことだが私はその毒衣を端の目立たぬ棚に閉まっておいた。目立つところにある霊服や普通の法衣と同じ場所に混じっていたのなら弟子が偶然掴むのもなんらおかしくはない。しかしお前は明日着る晴れ着を探していたのだろう?目立つ場所に目立つ柄の法衣が目の前にあったはずだ」
本来用意された晴れ着は鶯色の布に細かい刺繍が施された華やかさを感じさせる、まさに晴れ着らしい法衣だ。それに比べて彼が着ている毒衣は白無地で明らかに探していた物と違う。
継実はここまで風ぐるまを作る手を止めておらず、今も黙々と手を動かし続けている。
紫陽は頭を床に下ろし、苦しみに耐えるしかない。
お昼の生暖かい風が吹き、風ぐるまの音だけが小さな僧堂に鳴り響く。
「師匠、確かに私は自らこの毒衣を選び取りました」
継実は三つ目の風ぐるまを作り終え、四つ目に取り掛かろうとしていたが弟子の発した言葉を聞いて手を止める。
紫陽は「師匠」と今までとなんら変わらず呼び、長い沈黙の後冷たく言った。
「この毒衣を脱がしては下さらないのですね」
彼は仰向けのまま手足どころか頭も動かせず、それでも視線だけは継実を見ようと努力しているようだった。
継実は扇子で彼の視線を遮り、その扇子を掴む左手には力がこもっている。
「なぜ…それを着たのか?」
彼はやっとこの弟子の理解できない行動について尋ねた。紫陽も彼が本当に理解していないことを口調から読み取れた。だからこそ、から笑いをした後一段と声を張り上げて言った。
「なぜか?そんなの分かっているでしょう?これは師匠が私のために作った最初の晴れ着です。あなたは本来この毒衣を私に着せるおつもりだった。そうでしょう??」
継実は首を絞められたかのように声が出せなかった。紫陽は再び言った。
「師匠、毒衣を脱ぎたいです。手を貸して下さい」
熱を含んだ声は力強く、縋るように一言一言ゆっくりと言った。
「私は…子供が服を脱ぐのを手伝ったりはしないし弟子をそのような手の掛かる弱い子に育てた覚えはない…」
彼は拳を握りしめ元々白い手が一段と青白くなっていく。
「私は子供が…嫌いだ…」
この言葉はとても小さく風ぐるまの音にかき消され、自分にしか聞こえなかったかもしれない。
「ししょう、ほんとに…本当に、師匠は子供が嫌いなのでしょうか…?」
彼は優しい声で言ったが、継実はすでにその問に痺れを切らし、抑えられない怒りは扇子をへし折った。彼が思い切り扇子を壊し、思い切り壁に投げつける様は、子供の癇癪のソレと重なる。
彼は紫陽を睨みつけやっと紫陽の視線が彼と交わった。しかし継実は紫陽に視線を向けながら別の人を見ているように目は虚ろに光っていた。
──十数年前、土砂降りの雨の中かつての紫陽と同じように一人の孤児がボロ屋の軒下で座って、目の前の行き交う人々を眺めていた。紫陽と同じように惨めな姿で人とは呼べない見た目をしていたが、そのような姿になっても空腹には抗えないようだ。
継実は前方の道に駆け寄り、暫く《しばらく》踏ん切りがつかずにうろうろしていたがやっと口を開いた。
「お腹が空いています!ご飯を下さい…!」
人々は立ち止まらない。彼は雨音で聞こえないのではと考え、再び大声で言った。幼き日の彼は恐ろしいほどに純粋で、汚れを知らない阿呆なのだ。
「誰かご飯を下さい!お腹が背中とくっつきそうだ!!」
少年の正直な言葉に人々の中には吹き出して笑いそうな者もいたが、全員が各々の歩みを進めた。継実のような小さくて貧弱な体は大人の波に飲まれた。その間ずっと声を張り上げて懇願していたが、たらい回しにされた挙句道路脇に投げ出された時には口が開いていても声は出ていなかった。彼は尻もちをついて泥水に浸かった。仕方なく元いた場所に蹲り、空腹を誤魔化すため眠りについた。
目を覚ますと消えない飢餓感と周りの視線に気づいた。彼が目を覚ました後も人々は周りを壁のように囲み、彼は好奇の目に刺された。
雨の中、誰も聞く耳を持たない人々に孤児が必死に叫ぶ姿は憐れであった。しかしそれ以上にとても可笑しく、考えるほど笑いがこみ上げてくる。
彼の周りには奇異な目と野次馬の足が次々と向かい、通りすがりの村人の興味も集めたが救いの手は一つだって集まらない。継実はまだ八歳だった。
しかし、幸か不幸か。
このような目にあって同じような孤児を救いたいという野心が芽生え、どんな苦難が襲っても心は折れなかった。彼は十歳の時、仏門派に入り、十代の内に徳を積み、二十歳でこの小さな民間の僧堂を建て、かつての願いである孤児を救っては育てていき、すでに三十人の弟子がいた。
今までの弟子と同じように紫陽も七つになるまで育てた。
人々の目には彼が本当の仏に見えただろう。
幼い頃に苦労をしたというのに自立し成長し、さらには同じような境遇の子を救うという信念を成し遂げた。結局は同じ経験をした者にしかその人の気持ちを理解できない。孤児の苦痛を孤児以外に誰が理解できるのか?
「師匠は私の恩人でとても尊敬しております。あなたはいつも仰りました。『孤児だった自分だからこそ孤児の気持ちが分かる。だから孤児のお前は孤児を救いなさい』と」
これは事実だ。彼はこの教えを説き、そして自らの生きる理由でもあった。
「ですが師匠、私はこの教えだけは理解できないのです」
紫陽は少しの慈悲も感じさせない冷たさで、まるで自分が倫理にかけ離れたことを言っているとは思っていないように、淡々と言い放った。
「なぜ幼い頃に苦痛を経験したのに、大人になってまで苦労を負わなければならないのですか?私は救われた子供たちに幸せそうな笑顔を向けられるたびに耐えられなくなってしまう。そんな気がしてならないのです」
継実は「そんなことを…言うな…」と覇気はなくともハッキリと叱った。しかしその後は小さな声でブツブツと言い続けることしかできない。
────ガシャーン!
この時、皿が割れる音が耳を劈く。継実が卓をひっくり返したのだ。
継実は突然蹲りその両手には血が垂れ、彼がひっくり返した卓を見た紫陽は、それでも気にせず続けた。彼は毒衣を見せつけるように痛みに耐えながら体をくねらせた。
「そのお叱りは受け入れられません…なぜ師匠はこの毒衣を私のために作ってくださったのに、もう一つの美しい晴れ着をあとから作ったのですか?」
継実は床の木目に爪を這わせ気づかぬ内に引っ掻いており、爪は剥がれ血だまりに額を押し付けていた。
「私を殺したかった。…それでも師匠は私を殺めることを躊躇って、思いとどまってくださったのですよね」
彼は先程倫理に反することを言った弟子を再び咎めようとし口を開いたが、息を吸う音が漏れるだけで、すぐにそれすら聞こえなくなった。
彼は泣いていた。
嗚咽を漏らし目は血走って必死に声を出そうとする。
「紫陽、お前が言っていることはお前の人生を否定することだ。孤児だった私が孤児のお前を助けなければ息絶えていたかもしれない」
そんな脳裏に浮かんだ言葉は声にならずに消える。もちろんこんなこと言えるはずがなかった。
継実も心の底で
「なぜ苦痛を乗り越えた先にまた苦労を負わねばならないのか?」
と思っていたからだ。勝手に助けて、勝手に後悔する。身勝手で醜いこの感情。
そしてこんなにおぞましい感情を留めておくには器が足らなかった。二十数年の中で彼は何度も自問自答を繰り返し、自らの手を汚している。
彼は紫陽の八つの誕生日に向けて晴れ着を用意した。最初は毒を染み込ませた法衣に、これでもかというほど内側に毒も塗って、これを晴れ着として渡す気だった。今までと同じ単純な作業だ。何年も何年も繰り返してきた彼が間違いを起こすはずがない。
ただ少し、今回は躊躇していた自分がいたのだ。
なぜかは分からない。
だからずっと前から毒衣とともに惨めな気持ちを暗所に仕舞っていた。
隠した毒衣を見つけなければ、やっと弟子の八つの歳を迎えられていた。どうしてこうなったのか、継実にはもう何も解らない。
彼の孤児を救いたいという思いは消えたわけではなく、だから新しく華やかで霊力のこもった晴れ着を作り直し、皺にならないように表に出しておいた。
なんと滑稽なことか。傍から見れば理解しがたい狂人だ。救いたい、生きててほしいという気持ちと、死を切望する思いが両立することなどあるのだろうか?
結局は同じ境遇の人にしか分からない。
紫陽を拾ったとき彼は孤児だった自分を重ね、救いたいと思った。そして四歳の衰弱していた小さな命を一生懸命繋ぎ止めた。
五歳を迎える頃には元気になったが、それでもまだ小さかった彼は雛鳥のように継実について回った。六歳の彼は驚くほどの生命力を見せ、小さいながらも修行に励み優秀な師匠の力を着々と身につけた。今では七つの彼も、八歳になろうとしている。彼は次第に笑顔が増えていった。
継実は「子供は嫌いだ」と言いつつも彼を我が子のように育てた。
そんな日々の中で、彼には拭いきれない疑問があった。
「自分が六つの頃己が生きることを望んでくれた人はいただろうか?七つの頃慕う人がいただろうか?八つの頃笑えただろうか?」
大人になって幸せの渦中におり生き抜く力があったとしても、八つの頃の自分に手を差し伸べる人などいなかった過去に変わりはない。紫陽を拾ったとき彼は孤児の自分と重ねた。その孤児が八つになるというのなら、なぜ八つ頃の嘲笑われても必死に生きる自分と重ねないでいることができるだろうか?
紫陽は明日八歳を迎える。三日前から喜びを抑えられずに子供のようにはしゃぎ、そんな姿を見て継実は心から嬉しかった。
童の笑顔は眩しく、心を温める宝物だ。
刺すような雨に降られてこそ輝く、紫陽花のような強さが嫌いだったとしても。
八つの頃の自分がお腹を空かせ、泥水に浸かり生きるために笑いものになっていたとしても。
紫陽が拾われたのと同じように、手を差し伸べてくれる人が己にはいなかったとしても。
子供の笑顔を眺め、宝物だと感じた継実の思いは変わらない。
小さな僧堂に吹く風は止んだ。それでも風ぐるまは周り、彼らを導くかのように一段と激しく音を立てて回り続ける。
紫陽は感覚が麻痺し、痛いのか痒いのか苦しいのかも分からずただ首がただれて気道が塞がり、窒息するのを待つだけの状態だった。
ハクハクと口を動かし喉を鳴らした。
「師しょ…子供は、嫌い、ですか…?」
継実は応えない。
紫陽は首筋の血管に針が流れているような激痛に耐え首を左に向け、へばりついて乾いた眼球は「パキパキ」と音を立てながらも師匠を見つめた。
光のない彼の目にはただ蹲り、乱れた長い黒髪が遮り表情すら見えない師匠の姿が白黒で映った。
「ししょ…きらい、なのは…こどもじゃ…ないよ……。だって…ししょうは……やさしいもん…」
彼の声は空気が漏れた音のように静かで聞こえづらい。風ぐるまの音がさらに邪魔をする。それでも継実の耳には彼の声が聞こえた。
「黙れ!」
拳を叩きつけ、顔を挙げずに手探りで物を掴み無造作に壁に投げつけた。まるで三歳の子供が腹を立てて、手の届くすべてが気に食わず物を投げるのと同じだ。
「うるさい!うるさいっ!しらないっ!」
ぐずっては泣きわめく。まるで大っきらいな子供のように。
幾分かそうして、駄々っ子がやっと落ち着いたかと思うと立ち上がって紫陽の方にゆらゆらと歩き出した。
そのまま紫陽になだれ込むように跨り、彼の上半身を起こして青筋を立てて叫んだ。
「私が子供を嫌いじゃないなら、私はいったい何が嫌いなんだ!」
誰も応えない。
継実は彼の体を見て元の白かった肌に赤い痣が分布し火傷のようにただれ、腫れ上がった喉を捉えやっと彼がとっくに死んでいることに気がついた。
「カラカラ」「カラカラカラ」
小さな子どもたちが新たな遊び相手を見つけ、恥ずかしくも喜んでいるように激しく回り続ける。
小さな幼霊の僧堂の仏壇には三十一個目の墓が建てられた。一つ余っていた卒塔婆を立て、甘い果実が供えられ、とても大切にされているように見えた。
三十一個の風ぐるまは回り、寂しく僧堂に鳴り響く。




