宵待月
月が昼間に輝けないように、僕も日の当たる所では暮らせない。
だから僕は、スクライディにいるんだ。
「あのね、ずぅっと気になってたんだけど……」
「No.2のあの変な術って何?」
じぃーという音が聞こえそうなくらいにこっちを見つめる目が4つ。
右から夢、そして雄。
よく分からないけど、二人が言ってる‘あの変な術’って、あれかな?
「えっと、もしかして魔道のこと?」
ふーん、変とか思われてたんだ。
確かに人間業じゃないけど、慧とか柚遊とかに比べたらマトモだと思うんだけど。
なんたって、タイムマシンにメドゥーサだしね。
でも、やっぱりポピュラーじゃないらしい。
現に夢は
「まどー? 漢字変換できないぃ。ぐすん。ねー、どーゆー意味ー?」
とか言ってるし。
というか、ぐすんって言葉に出すものなの?
ま、別にいいけど。
「意味って、だから僕の術の名前、でしょ?」
「むうぅ。意味わかんないぃぃ」
あ、危ない。
このまま行くと、いつもの「病気」が発症するかも。
さすがに雄と二人じゃ対処しきれないし。
かといってここで止めても逆効果だし……。
どうしようか、と雄と顔を見合わせたその時、天の声が。
「魔法の道、で魔道。……知りたいなら教えるよ、夢」
夢を止められる唯一のモノ――霞だ。
いつのまに来ていたのか、ドアにもたれかかって夢を見ている。
暴走少女に話しかけている所を見ると、大分立ち直った……のかな。
「えぇぇ? マホーの道ってことわぁ~、魔法なの??」
「少し違うけど、多分ほぼ同じでいいと思う」
まぁ、その少しの違いというのが、僕の今を作っているんだけどね。
霞の返答に、声には出さず、頭の中でそう呟く。
「へぇ、魔法と魔道って違うんだ」
タイムリーな雄の言葉に、少しドキリとした。
「えぇぇ? 雄、魔道を知ってんの!? ずるいー!」
「いーや、俺が知ってんのは魔法。妖怪に見せてもらったことあんだよ」
妖怪、ねぇ。
今のご時世、そうそう妖怪なんて現れない。
現れても僕らの仕事に引っかかることは万に一つもないし。
きっと生きてた頃の話なんだろう。
「あ、夢」
そういえば、と思い出したように霞が言った。
「んー? なぁに?」
「創造主が呼んでた」
「うわぁぁ。そういえば夢ちゃんてば、創造主からお仕事頼まれてたんだったぁ!!」
今更ながら、夢は不思議な人種だと思う。
なんというか、このハイテンションぶりとか。
「じゃーさっ…雄もついて来てよぉ」
こういう間の読み方とか。
「ったく……。あーそだ、霞。そろそろ慧が帰ってくっから、迎えよろしくな」
「じゃあごゆっくりぃ♪」
ぱたぱた、いやばたばたと足音が遠ざかる。
部屋には、僕と霞が取り残された。
そういえば、霞と二人になるのは、この間のあの仕事以来。
あの仕事――僕らに深い傷を負わせたあの事件の発端。
「ねぇ、No.2」
ポツリと霞の呟く声が聞こえた。
「これも……ここで二人になったのも、シナリオ通りなのかな」
見ていてとても痛々しい。
事情を知っているから、なおさら。
「霞。忘れたほうが良いよ」
我ながら残酷な物言いだと思う。
けれど、これはあくまで仕事なんだ。
「和哉にしても、明花にしても、基にしても」
脳裏に浮かぶのは、ついこの間終えた仕事のターゲットの、友人たちの顔。
「もう、僕らのことは覚えていないんだよ」
天城澪と天城夏世。
二人の咎人はもうこの世にはいない。
それと同じく、僕らが演じた二つの入れ物も消え去った。
「シナリオ通りなんだよ。僕らには、ソレを操る能力も、ましてや資格もない」
静かに諭すように言う。
そんなことしても無駄なのは、よく分かっているけれど。
2分くらい経って、また霞が口を開く。
「で、も……。だって、仕方ないよ。No.2にもあるでしょ? 忘れられない仕事が…」
「あるよ。だけど……」
僕が初仕事を忘れられないのは、その子に恋したからじゃない。
あの桜が、あったから。
あの桜の木の下で、自分の不幸を呪い息絶えたあの日を思い出すから。
「僕の場合は、過去の自分に触れるからって、その程度……っ?」
ズキンと、古傷が痛む。
痛い。苦しい。これは
「っ!!」
失った右目が、呪いを発する。
『ワスレルナ』
ルストナニアダルの呪縛が、蘇る。
『ワシガ――…… ……――カンシゃすルンだな」
最期と最初と。
揺れるベッドと、夜桜と。
混ざり合った映像が脳裏を駆け巡る。
ぼやけていた場面が鮮明に映し出される。
眼前には、丸い月と葉をつけた桜の木が見える。
そう、あの日は満月だった。
刻一刻と時が流れ、それでもまだ日が暮れない夏空の下。
夏といえども、夜になれば体が冷えるのは必須で、それでも夜が待ち遠しかった。
それはまるで月の様で。
バカみたいな仲間意識が芽生えて、死んだら月になれるかな、なんて考えたりした。
そんな時だった。
「濃が助けてやろう、感謝するんだな」
真っ黒な布に身を包んだお世辞にも綺麗とはいえないお姉さんが、手を差し出していた。
僕はその黒い服に誘われるように、自分の右手をそっとその手に重ねた。
その手が引かれたのを感じ取ったところで、全てが闇に包まれた。
次に目覚めた時に見えたのは、大きなベッドだった。
呆けて見ていると、目の前に湯気を吐き出すコップが出てきた。
中にはホットミルクが入っていた。
そのコップの持ち主を見ると、机を挟んだ向こう側の安楽椅子に腰掛け、こちらを楽しそうに眺めていた。
「え? え? うっ……ううう……!?」
「さてと、濃はルストナニアダル。職業は黒魔女だよ」
壊れたレコードのように「う」を繰り返す僕を気にもかけず、自己紹介をし出す。
「いや、浮いてるっ!!」
礼儀とか、そんな事を考える余裕すらなかった。
ただ目の前の摩訶不思議な現象を解明したかった。
けれど、そんな科学的思考は一言で片付けられた。
「黒魔女だからの」
そして、怪しげにニタリと笑った。
「少年。この術、手に入れてみたくはないか?」
魅惑的な言葉と、一飯の恩に騙された。
そう言えば聞こえは悪いけれど、なかなかいい生活だったと思う。
父親がどっかの女にほだされ、多額の借金を残して自殺。
夫の浮気と死を同時に知った母親は精神を病み、僕を道ずれに無理心中を図った。
そこで不幸にも生き残ってしまい、行く当てもなく彷徨っていた身としては、住む家と三食があるだけでありがたかった。
家族3人揃って仲睦まじかった頃を除けば、一番幸せな時期だったのだろうと今になって感じる。
例え大きな代価を払っていても、確かに僕は幸福を感じていた。
確かに僕は、愛されていた。
それが突如として終わりを迎えるということ。
一人前の魔道師となった僕には、簡単に推測できた。
年を追うごとに、ルストナニアダルか、生気が感じられくなっていた。
それは確定した未来。
僕はまた、独りになる。
そしてある夏の日。
葉桜が夏風に揺られる頃。
ベッドに横たわる師は、最期の時を迎えつつあった。
「樹……」
弱々しい声で名前が呼ばれた。
「どう、しましたか?」
形だけは礼儀を払い座っていた椅子から立ち上がり、答えた。
ルストナニアダルも、もう自分は終わりだと悟っているのだと思った。
確かに悟っていたのだろう。
僕を助けたその時から。
「濃が……」
もう殆ど開いていない目は虚空を見つめ、自由に動かない口を微かに動かした。
僕はただ、最期の言葉を待った。
何を言われても悲しまない自信があった。
そう思い込んでいた。
「お前を、助け……たのだ」
「はい。承知しています」
「そうでは、な……い。お前、は、死んでいた」
「忘、れるな…………濃が、助け、た……のだ。……感謝、し……な」
――お前は死んでいた。
頭の中でその言葉が幾度となく反芻し、そして、やっと理解した。
まさにその瞬間に息絶えた、この世で最も慕い信頼していた師が、自分に呪縛をかけていたのだ。
呪縛は、死を止める唯一の手段。
術者の全てを代価に、悪魔と取引する不老不死の術。
かけられた者の背後に常に闇が付き纏う、禁断の術。
その字の通り『呪い縛る』ための、憎悪が篭った術。
気付かなかったのだ。
自分が桜の木の下で息絶えたことに。
自分がこの数年間、年をとっていないことに。
自分が師匠に裏切られ、見捨てられていたことに。
見慣れた廃屋が地獄に見えた。
師はまだベッドに横たわっている。
埋葬する気にもなれなかった。
ずっと、ただその場に座り込んでいた。
あのときと同じ様に。
そしてその場に創造主が現れた時、天使が来たのだと本気で思った。
その天使が差し出した提案を、スクライディに入るという話を、二つ返事で受け入れた。
けれどある意味で、それは正しかったのかもしれない。
時に逆らう呪縛から解放される方法は、それ一つしか存在しない。
今も創造主の傍にいると、大分楽になる。
その少年の中身が闇に染まりきっているとしても、天上人であることに変わりはない。
光に近付けば、背負った闇は浄化される。
ただ、時たま発作のように襲ってくる。
「今のように?」
急に現実に引き戻される。
「……そうだね」
どこからが記憶で、どこからが話したところか曖昧だけれど、おそらく大丈夫だろう。
霞だから。
信頼できるということも、無きにしも非ず。
けれど、それ以上に『樹』を知っているから。
人間の魔道師だった頃の僕を。
「右目を、押さえていた」
唐突に切り出されて、考えが中断される。
霞はいいづらそうに少し伏し目がちになって、口を開く。
「ねぇ、№2。もしかして、さ」
もしかしてと言うとき、人は大抵確信を持っている、と聞いたことがある。
僕らは人じゃないモノだけれど、そんなことを関係ない。
「目を引き換えに魔道を……? つまり、代価は右目なの?」
「……ご名答」
ふと、雄がさっき言った言葉を思い出す。
『へぇ、魔法と魔道って違うんだ』
魔道は月のようだ、とルストナニアダルはよく言っていた。
魔法が太陽で、その光を受け取るために代価を差し出す。
そして光を反射して輝く。
ただ昼は太陽の光が強すぎて、魔法の存在が強すぎて、表には出てこられない。
反対に無法者がはこびる闇の時間には、その悪行を助けるように照らし出す。
魔道師や黒魔女は夜を好む。
だからルストナニアダルは僕に声をかけたのだ。
夜が待ち遠しくて仕方なくて、自ら輝けるほど強くなくて、月のような同じ空気を纏っていたから。
魔道に興味を持つことを、分かっていたから。
いきなり長くなった感が否めない5話です。
これからはこの長さが平均的なので(笑)どうぞお付き合いくださいませ。