第六話:金色の雉、空を失った天の眼
一行が辿り着いたのは、雲海を見下ろす断崖絶壁、「天の回廊」でした。
かつてお静が忍びの里にいた頃、彼女の「目」となって戦場を俯瞰し、数多の窮地を救った霊鳥の血筋。しかし、主が里を抜けた後、残されたその鳥は、裏切り者を出した一族として里の呪詛を一身に受け、黒き「凶鳥」へと成り果てていたのです。
「主よ、上空に異質な気配。……これは、お静様の……?」
吹雪が低く唸り、巌が桃太郎を庇うように一歩前へ出ました。
空を裂いて現れたのは、本来の美しい金色を呪いの黒い霧で塗りつぶされた、巨大な雉「陽炎」でした。その瞳は濁り、もはや敵と味方の区別さえつかないほどに狂気に染まっています。
「キィィィィッ……! お静、お静はどこだ……! 私を置いて、独りだけ平穏を掴んだ裏切り者……!」
陽炎は空から真空の刃を雨のように降らせました。
それは、お静が教えた暗殺術の応用。桃太郎は不殺の杖で弾き飛ばしますが、空飛ぶ敵には剛造の「剛」だけでは届きません。
「巌、僕を投げて!」
「おう! 任せろ、若!」
巌が桃太郎を両手で受け止め、文字通り弾丸のような速度で空へと放り投げました。
空中、逃げ場のない場所で、陽炎が黒い翼を広げ、桃太郎を切り裂こうと旋回します。しかし、桃太郎の体は空中でふわりと不自然に静止しました。
お静直伝の極意――『空蝉の術』。
空気の僅かな流れを捉え、自分の体重を無へと変換し、一瞬だけ重力から解き放たれる秘技。
「陽炎……お婆さんは、君を捨てたんじゃない。君を、戦いから解放したかったんだよ」
「嘘だ! 私には空で戦うことしか教えなかったくせに……!」
桃太郎は空中を「歩く」ように動き、陽炎の背中にそっと着地しました。
怒り狂う陽炎は、桃太郎を振り落とそうと急降下と急上昇を繰り返します。しかし、桃太郎は暴れる彼女を、ただ優しく抱きしめました。
「お婆さんはいつも言っていたよ。『陽炎がいてくれたから、私は一度も孤独ではなかった』って。……お婆さんが里を抜けたのは、君に、呪いではない本当の空を飛んでほしかったからなんだ」
桃太郎は、自らの中に蓄えた二人の愛の気を、陽炎の翼へと流し込みました。
剛造の「温かな生命力」と、お静の「冷徹なまでの鎮静」。
その二つが混ざり合い、陽炎の羽根を覆っていた黒い呪詛が、夜明けの霧のように晴れていきました。
「……ああ……この温もり……お静様の……」
陽炎の黒い羽根が剥がれ落ち、中から朝焼けのような金色の羽毛が輝き出しました。
彼女は狂気から覚め、静かに、優雅に地上へと舞い降りました。
地上に降り立った陽炎は、その気高い頭を桃太郎の膝元に預けました。
「若き主よ。……私は、自分の寂しさを憎しみにすり替えておりました。あのお方が、私を想っていてくださったことも知らずに」
「もう大丈夫だよ、陽炎。これからは、お婆さんのためじゃなく、僕と一緒に、新しい世界を見るために飛んでほしい」
桃太郎は、三つ目の団子を陽炎に差し出しました。
それを食べた陽炎は、かつてお静が「最高の相棒」と称えた、澄み渡るような視力を完全に取り戻しました。
「……見えますわ。鬼ヶ島の奥、悲しみに囚われたままの者たちの魂が。……主様、私をあなたの『天の眼』としてお使いください」
こうして、神速の「吹雪」、剛腕の「巌」、天眼の「陽炎」が揃いました。
それは、お爺さんとお婆さんが過去に置いてきた「痛み」を、桃太郎が「絆」へと変えた瞬間でもありました。
三匹の獣は、桃太郎の背中に、自分たちがかつて仕えた伝説の二人さえ超える、圧倒的な「器」の広さを感じていました。
いよいよ一行は、荒れ狂う海を越え、すべての因縁が渦巻く「鬼ヶ島」へと向かいます。




