第二話:継承の十年、あるいは救いの歳月
桃から生まれた赤ん坊が、初めてその「力」を振るったのは、産声を上げた瞬間でした。
その泣き声は衝撃波となって庵の窓を震わせ、小さな拳が畳を叩けば、床板が容易く粉砕されました。普通なら絶望するような光景ですが、剛造とお静の瞳に宿ったのは、恐怖ではなく深い『共感』でした。
「……剛造さん、見ましたか。この子、力が溢れすぎて、自分でも痛くて泣いていますわ」
「ああ、お静。……かつての俺たちと同じだな。持ちすぎた力が、己の心を傷つけておる」
二人は、この「怪物」とも呼べる赤ん坊を育てるために、それぞれの技術のすべてを注ぎ込みました。
桃太郎の幼少期、庵の平穏は二人の『常時発動の技術』によって守られていました。
桃太郎が寝返りを打つたび、その衝撃で家が壊れないよう、お静は常に周囲に「気の糸」を張り巡らせ、振動を無へと逃がし続けました。剛造は、桃太郎が自分を抱き上げる手に力を込めるたび、自らの剛体術でその圧力を受け止め、赤ん坊が「自分の力で何かを壊した」という罪悪感を感じさせないよう、完璧に振る舞いました。
それは、夫妻にとってかつての殺戮の日々よりも過酷な修練でしたが、同時に『これまでの業を贖うための、最高の時間』でもありました。
「剛造さん。見てください、桃ちゃんが箸を持てるようになりましたわ」
「おお……。一膳も折らずに飯を食う。これほど誇らしいことはないな」
血に染まった人生の果てに、自分たちの技術が「誰かを殺すため」ではなく「一人の子供を健やかに育てるため」に使われている。その事実が、二人の荒んだ心をどれほど癒やしたか計り知れません。
桃太郎が十歳になった頃、彼はようやく自分の力が「普通」ではないことを自覚し始めます。二人はそれを機に、隠してきた「真実」を教え始めました。
「桃太郎よ。お前が今日、友達の肩を叩かなかったのは正しい」
剛造は、山奥の隠れ場で桃太郎に教えました。
「我らがお前に教えるのは、勝つための技ではない。お前という巨大な太陽が、周囲の草花を焼き尽くさないための『影』の作り方だ。……お前の力は、誰かを抱きしめるために、極限まで押し殺さねばならん」
お静もまた、桃太郎に「世界との距離感」を説きました。
「桃ちゃん。力とは責任です。あなたが普通に歩くことは、他の人にとっては嵐の中を歩くのと同じ。……だからこそ、あなたは誰よりも優しく、誰よりも静かに世界に触れなければなりません」
桃太郎は、二人が自分を守るために、どれほどの技術を費やして「普通のお爺さんとお婆さん」を演じてきたかを知りました。そして、彼自身もまた、その愛に応えるように「普通」を演じる術を磨いていきました。
村の人々から見れば、少し力の強い、けれど礼儀正しく、決して他者を傷つけない優しい少年。
だがその内実は、一瞬の油断で村を消滅させかねない力を、二人の愛と本人の自制心という「見えない鎖」で完璧に制御している状態でした。
「お爺さん、お婆さん。今日、村のみんなと橋を直したよ。……一本も釘を曲げずに、終わらせたんだ」
「ほっほ、そうか。それは天下を取るより難しい偉業じゃな」
囲炉裏を囲む三人の笑い声。それは、最強の者たちが、その最強を「殺す」ことで手に入れた、奇跡のような平穏でした。
桃太郎にとって、この庵は「自分が怪物でなくて済む場所」であり、夫妻にとって桃太郎は「自分たちの技術が最後に辿り着いた、慈悲の結晶」だったのです。




