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ショートストーリー創作工房 1~5  作者: クリエーター・たつちゃん
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ショートストーリー創作工房 1~5

目次

1.数学の神様たち

2.木霊(こだま)の願い

3.笑い記念日

4.総理大臣の「座」の重さ

5.庭木たちの帰郷


1. 数学の神様たち

「おい、お前。何を悩んでいるのだ」

 突然、声がした。

「おォー、誰?」

 男はきょろきょろと声の主を探した。

「ここだ。本棚の上段の隅っこだ」

 そこには中学生、高校生のときに使った数学の教科書が並んでいた。

「『改訂版 新編 数学I』だ」と、また声がした。

 男は、きょとんとした顔で手にとりペラペラと捲った。

「私は、数学Iの神様だ」

「そんな神様がいるのか?」

 思わず、訊き返していた。

「目の前にいるのだ」

 男は、またペラペラとページを捲った。

「見えない」

「当然だ。私は神様なのだから。そんなことよりも何を悩んでいる?」

「あんたに話しても……不可能だ」

「おい、神様に不可能の3文字はない」

「……?」

「どうした? 相談にのってやってもいいぞ。算数で悩んでいるんだろ? 大学生になっても……へっ」

「なぜ分かるのだ?」

「神様は何でもお見通しだ。お前さんとは高校1年生のときからの付き合いだ」

「そうだな、数学Iなら。……経済学の課題を解いているのだけれども」

「解けない。お前には難しい。はっはっはっ」

「笑わなくてもいいだろ」

「これは失礼した。で、課題を見せてくれ」

 男は課題を教科書にかざした。

「なるほど。どこまで解いた? いや、解けたのか?」

「利潤関数までは作れた。その後が……」

「どれ、ノートを見せろ。ふん」

 男はノートをかざした。

「2次関数、しかも原点を通り上に凸だ。答えは頂点の座標だ。2次式の平方完成を使えばすぐに解ける」

 数学Iの神様は「72ページを開けてみろ。そこに公式が出ている。習ったはずだ。当てはめて解いてみろ」と促した。

 男は慌てて捲り、ノートに計算した。

「生産量は6、利潤は800」

「よし。正解だ」

「すげえー! やっぱ神様だな」

「超簡単だ。なぜなら私は数学Iの神様だから。あはっはっはっ」

「ちょっと待った! そんな公式はすぐに忘れてしまう。別の解き方を身につけるべきだ」という声が本棚の上段から降ってきた。

「誰だ!」男の目は本棚に吸い付いた。

「来たかー。数学IIの神め!」数学Iの神様が叫んだ。

「そこの大学生よ。私は数学IIの神様だ。この問題は高校2年生のときに習った微分を使えば、もっと簡単に解ける。微分は、私の158ページから179ページで習ったはずだ」

 男は本棚から『改訂版 新編 数学II』を手にとり、ペラペラと捲り「はあ」とため息を洩らした。

「はあ、ってか? 経済学を習得するには微分は必須だぞ。頻繁に使うだろ」

「はあ」男は、また気の抜けた返事をした。

「微分の意味は分かるのか?」

「……?」

「理解していないんだな。微分とはグラフ上のある点における接線の傾きを求めることだ。よこ軸の変数の変化がたて軸の変数に与える効果の大きさを測るのだ。それだけが分かっていればいい。その問題は傾きがゼロとなる頂点の座標が答えだから、その2次関数を微分してゼロとおき、解いてみろ」

 男は、もじもじしている。

「そうかァ。163ページを開けろ。公式が出ている。へっ」

 男はページを開き、ノートに計算した。

「生産量は6」

「よし。それを利潤関数に代入しろ」

「利潤は800です」

「さっきと同じ答えになっただろ。平方完成を使うよりも簡単だっただろ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! これじゃ、数学Iの神様としてのプライドが傷つけられたって感じだな」数学Iの神様は怒気を帯びた声で言った。

「プライドもへったくれもない。解きやすい方法を使うべきだ。そのために数学はある」数学IIの神様はこう反論した。

「私は、この男の学力からして、平方完成を使うべきだ、と言いたい」

「いつでもあんたの公式は使えんよ。3次関数だったら、どうする?」数学IIの神様のその声は嘲笑を含んでいた。

「う~~ん」数学Iの神様はただ唸るばかりでした。

「私の勝ちだ」数学IIの神様は強く言い切った。

 万事休すか、と思われたそのとき、数学Iの神様は、

「いや、経済学では3次関数であっても、微分をすれば、必ず、2次関数になる、その頂点の座標を問題とする限り、平方完成は使える」

 と反撃に出た。

 今度は、数学IIの神様がうつむき、黙考し始めた。ほどなく、

「確かに、3次関数も微分をすれば、2次関数になる。1変数であれば、平方完成や高校生レベルの微分でも解ける。が、ここが肝心だ。2変数になったら、どうするかな? 偏微分だぞ」と逆襲に転じた。

 これには数学Iの神様も答えに窮した。

「いずれにしろ、この男が自覚して取り組まないことには……」とここで言葉を切り、ふっと男を見る  

 と、男は顔を机に突っ伏して、寝ていた。

「バカモノ!!」思わず、数学Iの神様は怒鳴った。

「いくら教えても、この(ざま)だ!!」数学IIの神様も怒声を浴びせた。

 その声に、顔を上げた男は、数学IIを手に取り、「179ページにどっちを使ってもいいというコラムがある」と、言い放った。

 それを聞いた神様たちは、

「だから~、1変数の2次関数なら、どちらも使える」

「2変数になれば、使えない」

 と、自分たちの口論が何も理解されなかったことを悔いた。(了)



2. 木霊(こだま)の願い

 どこからか「ひぇーん、ひぇーん」と尾を引いて、泣き叫ぶ音が聞こえてきた。音は木々たちの悲鳴であった。重機を使って庭木が抜かれていたのである。

 その音を聞きつけて、近くにある木々の生い茂る公園から緑色の服を着た男が出てきた。ゆっくりと重機に近づき、作業員へ大声をかけた。

「なぜ、庭木たちを抜くのですか!?」

 作業員はびっくりしてすぐにエンジンを止めて、めんどう臭そうに説明した。

「新たにこの土地を買って住む方が家を新築するのに、庭木はじゃまなので、すべて根こそぎ抜くよう頼まれましてね」

 緑色の服を着た男は問い詰めるよう、また訊いた。

「耳を澄ませば、抜かれる庭木たちの泣き叫ぶ声が聞こえませんか」

「……いいえ?」

「私には、はっきりと聞こえます。聞こうとしないから聞こえないのです」

 緑色の服を着た男は口を尖らせて力強く言った。

 作業員は目尻に笑みを浮かべ左耳に手を当て、声を聞く仕草をしてみせた。

 緑色の服を着た男は茶化(ちゃか)されたと思い、怪訝な目をして、さらに訊いた。

「抜かれた後、庭木たちはどうされますか」

「細かく切って、ゴミ収集日に出されて、きっと燃やされるんでしょう」

 作業員は多少の親切心に加えて、差し出した右手のグーを2回パーに開いて「ボワ~ボワ~っと」と冗談を込めて答えた。

「別の庭に移植してもらえませんか」

 緑色の服を着た男は語気を強めた。

「見てのとおり枝ぶりも見栄えも良くない。商品価値はないです。売れませんよ」

 作業員はサラッと言った。

「燃やすなんて、何てことをするのですか」緑色の服を着た男は、一呼吸おいて「それじゃ、森へ、生まれ故郷の森へ戻してやってください」と静かな口調で続けた。

 作業員は一瞬、ポカンとした表情をしたが、すぐに何かを察したふうに唇に笑みを作った(ややこしいヤツが来やがった)。

 その目に向かって、緑色の服を着た男は意を決した声で言った。

「あなたたちは自然を勝手に使い利益を受けるばかりで、自然に対して何もお返しをしない」

 この言葉の意味することが理解の域を超えていたのか、作業員は「はあ」と嘆息を洩らした。

「ここにいる庭木たちは好き好んでここに来たわけじゃない。あなたたちの都合で連れてこられたのですよ」と、緑色の服を着た男は言葉をつないだ。

 がしかし、埒が明かないと察した作業員が「じゃ、どうすれば……」となげやりに問う言葉を制し、緑色の服を着た男は「ですから、燃やさないで、移植するか祖先のいる森へ戻して欲しいのです」と繰り返した。

 この哀願する口調に、作業員はようやく緑色の服を着た男の素性を知ろうと訊いた。

「あんた? いったいどこの誰なの?」

 それには答えず、緑色の服を着た男は続けた。

「あなたたちはあるがままを楽しまない。ただ、意味もなくすべてを変えようとしている」

「そう言われても、根こそぎ抜くよう頼まれちゃったからな~」と、答える作業員の声は憫笑(びんしょう)を帯びていた。

 緑色の服を着た男はそれでもなお目に力を込めて言い返した。

「あなたたちは根をもたない。葉を茂らせることもできない。それでいて、すべてを手に入れようとしている」

「木の気持ちが分かる人間なんていませんよ」作業員は口元に明らかに失笑を浮かべていた。

 この言い草にカチンときた緑色の服を着た男は、

「いいですか。緑の葉っぱは、あなたたちが出すCO2を吸って、きれいな空気に変える清浄機の役割をしています。あなたたちが楽しんでいる秋の紅葉(こうよう)、その落葉は亡骸たちです」

 と、語気を強めて諭した。

「あァ、そんなことはどこかで聞いたことがあるような、ないような」

 作業員は顔を宙に向けてシラッと返した。早く作業を再開したいという素振りも見せた。

 その素振りに緑色の服を着た男は苛ついた声で続けた。

「あなたたちは自分の言葉でしか考えようとしない。そして、すべてを知っていると思っている」

 緑色の服を着た男は作業員を―爬虫類のような冷たい目で―キッと睨みつけた。

 作業員はその目力に怯え、思わず身体を反らしたが、すぐにニッと口元を歪めた。これ以上、説明しても時間の無駄だと判断し、視線を逸らし(だまんま)りを決め込んだ。

「大昔には、あなたたち人間も森の中に住んでいたのですよ」

 冷ややかに言い終ると、緑色の服を着た男は作業員をもう一度、睨みつけてから、(きびす)を返し、公園へと歩き始めた。作業員はその後ろ姿をしっかりと目で追っていた(変な野郎だぜ)。

 緑色の服を着た男が公園に近づくにつれて、木々たちは波打つようにその幹と枝を大きく揺らした。まるで主人の帰りを迎え入れる儀式のように。緑色の服を着た男は(けやき)の大木の前で立ち止まり、その幹に両手をかざした。すると、たちまち消えた。その瞬間、また木々たちはざわざわと大きく波打った。

 それをしっかりと見とどけた作業員は「ギャー! ワァオー!」と奇声を上げると、重機から飛び降り、何事か泣き喚き意味不明な声を撒き散らしながらどこかへ走り去った。(了)



3. 笑い記念日

 その日は「笑い記念日」だった。みんなが笑っていた。なぜ、笑っているのか。それは法律が作られたからだ。その日は笑わなければならない、と定められていたのだ。なぜ、この記念日が法定されたのか。それは笑いの効能にあった。笑いは血流と人間関係を良くし、交感神経を穏やかにするという研究結果が発表され、国民の健康を維持し、増え続ける医療費を抑制するという政策目的からであった。

 笑いは強制できるのか。とはいえ、笑う理由はいたって簡単に、どこででも見つけることができた。太った体型の友人を笑い者にしたり、逆ボタルのハゲ頭を笑ったり、総理大臣の下手糞な演説をこき下ろしたり、笑えないときはTVや劇場でお笑い番組、喜劇を観れば笑える。ときには、他人の不幸すら笑いを誘う。

 しかし、いつの世も無理を強いてくる社会的迎合に(あらが)い強固なくいを打ち込む輩はいる。誰もが笑みを浮かべ記念日を祝っているそんな中に1人だけ笑わない大男がいた。贔屓(ひいき)にしている野球チームが逆転勝ちをしようが、道端で500円玉を拾おうが、1週間の便秘の末、太いウンチをひり出そうが、赤ちゃんの天使の微笑みを見ようが、決して笑わなかった。大きな体躯に笑いは滑稽と思っているふしでもない。その記念日はいつにも増して、苦虫を噛み潰したような表情を崩さなかった。

 そんな大男に唯一の友人が声をかけた。

「作り笑いでもいいから、今日だけは笑顔を見せておかないと、逮捕されちゃうぞ」

 それでも大男は「バカげた笑顔など見せなくても、楽しく刺激のある毎日を過ごしている」と答えるばかりだった。

「ああ、そうかい」と、友人は怒鳴ってから「その頑固さにも僕は内心、笑っているよ」と失笑を洩らした。

 その日の午後。警察官が大男の家のドアをノックした。誰かが密告したのだ。

 ドアを開けると、警察官は笑みを浮かべて訊ねた。

「あなたが規則違反を犯しているという通報がありました。今日は法で定められた何の記念日なのか、ご存知ですよね」

「はい。承知しています」

「正直に答えてくれてありがとう」警察官は歯を見せて言うと、大男を裁判所へ連行した。

 裁判官は尋問の間スラスラと答える大男に対して終始(これは早く片が付く)、笑顔で応じた。その結果、大男は自発的笑止(しょうし)(ざい)で死刑を宣告された。

「刑の執行は3日後。ただし、そのときまでに大声を上げて笑えば、放免する。そうなれば当法廷も大変嬉しい」と伝え終ると、裁判官は目尻を下げて愛想笑いをした。

 死刑は公開の首吊り刑で、笑わなかった罪人を大衆の面前で笑い者にするという意図があった。大男は独房へ収監された。いつなんどき笑うかもしれないと、それを確認するために四六時中監守が独房の前に待機した。監守は「今からでもいいから、笑いなさい」と大男を諭した。ダジャレや下ネタからなる笑話を聞かせたが、大男はクスリとも笑わない。

「こんなバカげた法律に従ってたまるか。俺は絶対に笑わない。ふん」と鼻で笑い飛ばします。

 でも、これは裁判官が命じた笑いではありません。あくまでもノドチンコが見えるくらい大口を開けて笑わなければなりません。

 死刑の執行まで、あと一日というとき刑吏は首吊り用のロープの点検を独房の前で行います。何とか大男を救おうと、ロープを見せて死の恐怖を知らせようとしたのです。しかし大男は一向に動じることなく、その作業を平然と眺めるばかりでした。

 いよいよ死刑執行の日となりました。広場には大勢の野次馬たちが集まっています。この光景は国営テレビ放送局がライブ配信しています。多くの国民が仕事の手を止めて、モニターに見入っています。

目隠しをされ、後ろ手に手錠を掛けられた大男が両脇を刑吏にとられて、死刑台へと近づいていきます。  

 一瞬、広場は水を打ったようにシ~ンと静まりました。がすぐに、野次馬たちの罵声と公憤(こうふん)が飛び交いました。その声にも大男は耳を貸さず、1段、2段、3段、……と死刑台を上ります。

 上りきると、ロープを大男の屈強な首にかける刑吏の手がぎこちなく揺れています。広場は、また時の流れが止まりました。そのときです。「愚策(ぐさく)は止めろ! 止めろ!」という野次馬たちの連呼が起こりました。お茶の間のテレビの前でも同じ怒号が起こっていました。刑吏はその声におを手から離した。手から離した。状況を察した大男は「どうした? 死刑だろ。なあ」と口元に不適な笑みを浮かべて問うた。

「できん。できんのだ! こんな愚作のために尊い命を……できん」刑吏の声はもだえ、唸るように聞こえた。

 次の瞬間、大男は口を空に向けて「あはっはっはっ」と、ノドチンコを開陳して笑った。

「パチパチ。良かったなあ。これで放免だ」と刑吏は弾んだ声をかけ、大男の目隠しと手錠を解いてやった。

 その日をもって押し付けの「笑い記念日」は廃止された。大男はいついかなるときも笑顔を絶やさなかった。自由に笑えるようになったからだ。(了)



4. 総理大臣の「座」の重さ

 官房長官はしきりに鼻糞(はなくそ)をほじくっている総理に声をかけた。

「およそ7年8カ月、チンタラチンタラとよくやってこられましたねぇ」

総理は自製のアベコベマスクを顎に掛けたまま、「仕事の話? 国会が閉会中なのだから、のんびり休ませてよ~」と毒づき、指先に視線を落とした。

 長官も時間を持て余していた。

「私も暇なものですから」

「うん。国民はもはや政治に大きな関心を寄せていないからね。それに私が切れ目なく出す改革のスローガンがいいからだよ」指先に付いた汚物をどう処理するか、思案げに長官を見た。

「スローガン。最初に、『3本の矢』をぶち上げて、うまく日銀を丸め込んで……」と言いつつ、ポケットよりティッシュを1枚出して、総理に手渡した。

 受け取ると、総理は汚物をそれに包んで、長官に差し出した。

「そうそう、私は毛利(もうり)地所(じしょ)の出身だから、郷里の故事に倣ってねぇ」

 長官はさっと首を動かし、ゴミ箱を見つけて、そこへ包みを投げたが、外れた。総理が気づかないことをいいことに、長官は話の流れに乗った。

「次が『女性活躍社会』。女心をぐっと引き寄せる戦略でした」

「初老の魅力だよ。ふっふっふっ」

「次は大きく出て、『1億総活躍社会』。なんと戦時中の1億総……に似せて」

「そう。自衛隊を……、早く憲法を改正して……」

「次は『働き方改革』でした。ワークライフバランスなんて言葉が定着しそうでした。サラリーマンの歓心を一気に惹こうと」

「そうだよ。国の財政は彼らの源泉徴収税に頼っているからねぇ」

「最近、出したのが『人づくり革命』。これも語尾が力強いですね~」

「改革とくれば、次は革命だよ。いい響きだ」

「(次は総理の命日か)これだけ間髪を入れずに出すと、国民も失望する間がありません」

「歓心も持続しない。そこを狙っているのさ。ところで、君。私の大好きな言葉を忘れちゃいませんか?」

「えっ? もう出尽くしていませんか? ……まさか、あれですか?」

「あれだよ。へっへっへっ」

「メル友・ヤマ掛け、梅を観る会、ケンケン玉庁長官……」

「やっ、やめなさい。思い出したくもない。違う。もっとこう心の琴線に触れる」

「失念しました。長期政権からくる気の弛みで……」

「『美しい日本。そんなに急いでどこへ行く』だよ」

「はあ~、ありましたねぇ。忘却とは……。それにしても政権奪取時に掲げた物価の2%上昇、プライマリーバランスの黒字化も絶望的ですが。今となっては懐かしいホラたち」長官は呆れたげに視線を天井へ向けた。

「君ねぇ、何年、この業界で食っているの? 政治はねぇ、うまくいかないときは『道半ば』という言葉でごまかすのだよ。もっともこのテクニックを身に付けるには年季がかかる。へっ」

「なるほどォ。ごく最近の問題として新型コロナウイルスの感染者が東京都で急増しています」

「それは東京の問題でしょ。こっちは国政なのだからァ」

「しかし、全国各地にまで広がっていますが」

「先日もその対策で私の意見を聞きたいという野党が国会を開け開けとうるさくて~。突っぱねるのに大変だっただろ」

「国民は政治の放つ無責任な空気をもうとっくに察知しているようで、コロナ対策については政府を信用していないなんて……」

「そんなことで頭を悩ますよりもGOTOホーム、いやGOTOトラブル、いやいやGOTOトラベルだよ。国民には十分な自衛をして遊びに出て欲しい。旅行費用の大半を国がジャンジャン補助してあげるのだから」

「で、総理はどこかへ」

「私は恒例となった、それ、8月6日、9日、15日の原稿チェックがあるから。祖先の墓参りにすら帰省できない。何てこったァ」

「総理、それにはおよびません」

「えッ? チェックはしなくていいの? 漢字にルビを振ってもらわないと」

「いいんです。年号のみを書き換えて、後は接続詞と句読点の位置を変えるのみです」

「ほう。じゃ~、冒頭に昨年と以下同文という文言を必ず入れておいてよ。5秒で終わるから」

 こりゃダメだァ、長官は話題を変えます。

「ところで、総理、今回、コロナ対策で諸々の出費がかさみ国債発行、借入金などの借金が莫大な金額になってしまいました」

「君。自分の借金じゃないのだから~。それに君はあと何百年生きるつもりだい? そんな借金は後世の人間に回せばいいの。国民1人当たり10万円を給付したら喜んでくれたじゃないか。そのツケは当然、国民が払うんだよー。我々はいいところだけを見るんだ。君はそれができないからトップになれないのだぞ。私よりも歳を取っているくせに。ふん」

「はァ。でも、それでは責任逃れです」

「いいんだよ。給料分の意思決定をしておけば。私の任期切れも近いのだし。終わればね、すべて奇麗事ですむのよ。この世界は、仕事の実績よりも、総理の座にいたことが大事なのだよ」

「……?」

「歴史を紐解いてみてご覧。国民のために心から尽くした総理がいたかい? みんな自分の名前を歴史に残したいのさ」

「総理、無礼を承知で申しあげます。政治家の契約相手は国民ですよね。国民ファーストの精神が一番かと考えますが」

 長官は顔を強張らせて言った。

「ファースト? また、東京に戻ったぞ」

 総理はシラッと言い放った。(了)



5. 庭木たちの帰郷

「みんな。郷里へ帰ろう」

 年嵩(としかさ)のカラ松は幹を左右に振って周りの庭木たちに沈痛な声をかけた。

「そうですね。早く、決行しましょう」

 左隣にいるオンコは強い口調で答えた。

「モミジさん。どうですか」カラ松が促すと、「私も帰りたいです。3日後には、みんな根こそぎ抜かれて、焼却場へ運ばれて、燃やされるそうですから」と、モミジも声を小刻みに震わせて賛成した。


 ここは古民家のある庭。数日前のこと。老夫婦が死去後、古家と土地を相続した息子が家屋を壊し、更地にして売却するという話を不動産屋としていた。必ずしも、見栄えの良くない庭木たちには商品価値はないとのこと。他所へ移植されることもなく、抜いて裁断してゴミ焼却場で燃やすことに決めたようだ。


「いつ、動きますか」オンコはカラ松に問いかけた。

「2日後の真夜中にしょう。昼間は目立ちすぎる。人間は昼と夜とでは、我われを見ても受ける印象が違うらしい」カラ松は一息おいて自信たっぷりな声で「夜には畏怖を感じるそうだ」と答えた。

「なるほど、我われが出す葉音、葉陰が作る暗闇、確かに怖いかもしれませんね」と、モミジも同意を口にしてから、「カラ松さんはここに何年いましたか」と訊いてきた。

「この幹を見てくれ。およそ50年だよ。大枝は虫に喰われて、枯れかかっているけどな」と言って、小枝で大枝をさすった。

「50年ですかァ。私は35年くらいですね」と、オンコが返すと、「あんたがここに来たときのことはしっかりと覚えているよ。あまりにも小さかったので、成長できるのかと心配していたのだぞ」とカラ松は声を弾ませて、懐かしそうに話した。

「じゃ、私が一番若いのですね。今年で20年くらいですから」と、モミジも話しに入ってきた。

「そうそう。モミジちゃん」とカラ松が茶化すと、「もう、大人ですから」とモミジは笑みを含んだ不満げな声を洩らした。

「ところで、カラ松さんの郷里はどこですか」モミジが訊いた。

「ここから500キロほど北にある森だよ。まだ祖父母、父母、兄弟たちも健在だと思います。なにせ、手付かずの原始の森ですから」

「500キロですかァ。大変な旅になりますね」

「そういうモミジさんの郷里は?」

「私は、近いです。3つ東隣の山裾ですから。昔、炭鉱のあった町ですよ」

「あァ、そりゃ近くていい。で、オンコさんは?」

「私の郷里は、200キロほど南の温泉のある町です。農家の裏山ですね。春にはゼンマイとワラビが採れて、いいところですよ」

 と、3本は郷里を目蓋の裏に思い浮かべます。


「人間は身勝手だよな。われわれを必要として植えておいて、不要になれば抜いて燃やすなんて」とモミジが愚痴(ぐち)ります。

「そうだよね。金を出して植木屋から我われを買っておいて」オンコも続けます。

「分かっちゃいないのさ。自然との共生なんて言葉を使いたがるが、人間は自然から利益を受け取るばかりで、自然には何もお返しをしない」カラ松も加勢します。

「何もいらないから、我われ自然に手を加えない、足を踏み入れないで、そっと放っておいて欲しいですよ」モミジも本心を吐露します。

「そのとおり。不要ならば、燃やさないで、どこか別の場所へ移植して欲しいですよね。それも叶わないなら、せめて郷里へ戻して欲しい」オンコの声は大きくなります。

「自然に見放されちゃ、人間の未来も生命も危なっかしいだろうにねぇ。われわれの葉っぱは空気清浄機ですからね」モミジは最後の言葉を強調した。

黙って聞いていたカラ松は「人間の未来よりも自分たちの未来を優先しよう。みんな生命権を持っているのだから」と話をまとめた。

2日後の真夜中。

「じゃ、オンコさん、モミジさん。行くとしよう。君たちも道中、気を付けて。昼間は動かないこと。真夜中にのみ、次の林を目指して動くこと。危険を察知したら、周りの木々たちに同化すること。いいね。これが今生(こんじょう)の別れです。最後に、長年のご交情に深く感謝するよ。我が良き友たちよ。ありがとう」

 カラ松の挨拶が終わると、3本は互いに枝と枝とを絡ませがっちり握手した。それから、振り返ることなく、それぞれ北、東、南へとゆっくりと歩を進めた。

 歩き始めて2時間後、カラ松は木々のいる公園を通り抜けようとした。すると、前からフラフラと酔っ払いが歩いてきた。カラ松はすっと立ち止まり。周りの木々たちに同化した。酔っ払いは「土地を売って大金が手に入る~~。親の遺産で~~。へっへっへっ」とブツブツと呟きながら、カラ松に近づき、放尿をしようとした。街灯の灯りにぼんやりと浮かぶその顔を目を凝らして見ると、それは息子であった。カラ松は、思わず風に小枝が軋むときのようにギィーギィーという音を出した。その瞬間、腐りかけていた大枝がポキリと折れ、真下にいる息子の頭を直撃した。息子はウーッと唸ると、その場に倒れ、2度と起き上がることはなかった。カラ松はその横を、そ~っと過ぎて行った。(了)




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