手負いのうさぎ・後 【マークス】
暴行を連想させる描写があります。ご注意ください。
応接室でゴソゴソと音がする。何やらボソボソと話し声も。やっぱりここに居たか。
「フレリア?」
こちらの声が小さかったのか、人の気配はあるのに返事がない。
「……フレリア?何して…る、の?」
扉の隙間から金桃色の髪が見える。不思議なのはそれが床に見えた事だ。
まさか本当に倒れてるんじゃ……急いで部屋に足を進めると、大好きな娘が床に転がっている。とてもぞんざいに、まるで壊れた玩具が捨てられているかのように。
その目は濁っていて、鼻から血を流し、服は無惨に破られていた。
信じられない事に、その上に太った醜い男が裸で跨りながら汚い尻を動かしている。
あまりの凄惨な光景に声も出せず動けない。どうして宝石のように美しい娘がこんな目に遭ってるんだ?
声を出さねばと口を開けても、喉がカラカラに乾いて呼吸さえも上手く出来ない。
固まったままでいると、男が彼女の太ももをベタベタと撫で上げる。本能でその白い足を見てしまった自分にも強烈な憎悪が湧いて、俺は目を見開く。
その瞬間。
彼女の目に光が戻った気がした。そして急に彼女は美しい腕を男に回して、これは同意の上の行為だと匂わせながら、相手に続きをねだる。
そんな訳がない。どう見たってこの場面は完全に凌辱のそれだ。
引き攣った表情で大人の表情を繕うけれど、いつも彼女を見守っていた自分に、そんな様子は作り物だとすぐにバレる。どうしてそんな嘘を吐くのか。理由が思いつかず、こちらも益々混乱する。
その時、豚野郎が彼女の胸を荒々しく鷲掴み、血と涎にまみれた口を寄せた。
殺そう。
プツリと自分の中の糸が切れた音が聞こえた。だけど、今の体格差ではまだ大人には勝てない。悔しい、悔しい。
妙に冷えた頭で何か武器的なものがあったか考える。炊事場に調理用のナイフならあるだろうか?
彼女があっちへ行けと手をヒラヒラ振るのを見て、ようやく体が動いてくれた。彼女の振る指先が震えていて、彼女の本心に恐怖を見つけたからだ。すぐ、助けなければ。
踵を返して炊事場へ向かう。早く助けなければ。早く、早く。そう思って棚を触っている時に、ジェナ達の声が遠くから聞こえた。
確かジェナは今日フレリアの弟妹と一緒に出掛けていて、夕方には帰ると言っていた。まだ日が落ちていないから、どうやら予定が早く済んだらしい。
しかし、このまま応接室に行ったら、とんでもない事になってしまう。弟妹にもあの景色を見せる訳にはいかない。
急いで声の方に駆ける。
「おかえり。街は楽しかった?」
「あらマークス。ええ、とても。悪戯っ子達も今日は大人しくしてくれていたわよ」
ウィンクしながらジェナが二人に向かって微笑む。
ジェナが話終わる前から、フレリアに良く似た幼い二人は街での出来事を、ああだこうだとお喋りする。
「あら?フレリア様はお昼を召し上がってないの?」
食べかけのパンを見てジェナが言う。
「あ!フレリア、今日は少し体調が悪いみたいだよ。あまり食べられていないから、僕が部屋にそれ運ぶよ」
慌てて言うと、ジェナは一瞬訝しげな顔をしたけれど、すぐに残っていた昼食と街で買って来たフルーツを乗せて渡してくれた。
「マークスが届けた方がフレリア様は喜ぶでしょうね。じゃあ私は夕食の準備があるから、悪いけどお願いね」
「うん。大丈夫だよ」
軽食を預かり廊下に出ると、音を立てないように急いで応接室へ向かう。
しかし、そこにフレリアも男爵も居なかった。煙のように消えてしまったかと思ったが、よく見ると床には赤い染みがあり、さっきの出来事が夢ではないと教えてくれる。
自室に連れ込まれた可能性も考えて、次にフレリアの部屋へ向かうと、馬車の音が遠くで聞こえた。どうやらあの糞野郎は帰ったらしい。
とにかくフレリアの無事を確認したくて、そっと部屋の扉を開けると、毛布にくるまって寝ているフレリアがいた。
声を掛けようか迷ったが、毛布が正しく上下しているのを確認して、静かに部屋を出る。
それから、フレリアは"特訓"に呼びに来なくなり、自室で取り憑かれたように勉強に励むようになった。