おてんばうさぎ 【マークス】
「ほら、ご挨拶なさい」
叔母のジェナに促され、慣れないお辞儀をする。母さんが流行り病で死んでしまい、父も行方知れずだった身寄りのない俺を引き取ってくれたジェナ叔母さん。今日は彼女の勤め先であるアリアストリ邸に来ている。
この家の主人であるアリアストリ伯爵が、自分の境遇を不憫に思い、伯爵家の子ども達と一緒に学べば良いと家庭教師つけて下さった。
身寄りもなければ学もない自分には大変有難い申し出で、ジェナと二人で喜び、今日はその初日だ。
「まぁジェナ!私、本物の天使を初めて見たわ!」
そう言って顔を覗き込む薄い金桃色の髪を持つ少女は、何故か自分の美しさには鈍感なようで、先程からしきりにこちらの顔をペタペタ触る。
あまりの近距離で目を輝かせるものだから、こちらの頬も赤くなる。すると目の前の美しい少女は「まぁ!赤らむ顔まで天使だわ!信じられない!美しすぎるわ!!」と言って、更に顔をペタペタと触るのだった。
フレリア嬢は大らか、とジェナから聞いてはいたが、これはその度をちょっと越しているような気がする…。
自分はずっと母さんと二人で暮らしていて、近い年頃の子と遊ぶ機会が少なかったから、彼女のスキンシップにどう反応するのが正解か分からない。
「マークスというのね?何て儚げな美しさなのかしら…。ジェナから聞いたのだけど、貴方、体が弱いのよね?大丈夫、私がずっと守ってあげるから、これから仲良くしましょう!」
ニッコリと笑ってから、利発で美しい娘はこちらに抱き付く。
確かに自分は体が弱く、季節の変わり目にはいつも熱を出してしまう軟弱者で、青白い顔と細い身体だったけれど、まさか女の子に"守ってあげる"と言われるなんて。あまりの勢いに思わず面食らう。
そんなこちらの戸惑いにはおかまいなしに、彼女は宣言通り全力で自分を守りに毎日登場するのだった。
「さぁマークス!今日も特訓よ!」
少女は毎日やって来た。毎日毎日、すぐにへばってしまう自分を見て「ほら頑張るのよ!」だとか「まだまだいけるわ!」とか言いながら、こちらよりよっぽど木登りや水遊びを楽しんでいた。
その激しさについていけず、こちらが熱を出して寝込んでいると、「昨日無理させ過ぎちゃったかしら…」と泣きそうな顔でベッドの横にやってくる。
大きな瞳いっぱいに涙を溜めて「早く元気になってね。治してあげられなくてゴメンね」とずっと横でメソメソと泣く彼女の頭をゆっくりと撫でると、それだけで体は辛いはずなのに、心がポカポカと温かくなって、すぐに治りそうな気がしていた事を彼女は知らない。
気付けば幾つかの季節が巡って、いつも少女が目一杯遊ぶのを、自分が近くから見守るのが常になってきた。
その時には、こちらの体も少しずつ大きくなって、風邪も随分とひかなくなっていた。けれど少女の中で自分はいつまでも"儚い天使"に見えるらしく、何かある度に目の前に立って手を広げるのだ。
少女の心が手折られてしまったのは、それから少し経ってからの事である。