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王子に婚約破棄された令嬢が、王妃に返り咲くまで【コミカライズ】

作者: 歩芽川ゆい

婚約破棄ものです。百合要素が出てきます。

悪役令嬢もいます。

ザマア要素もふりかけて。


ではどうぞお進みください

「グラングスト侯爵家、フェルメッツァ嬢! あなたとの婚約を、今、この時この場をもって破棄する!」

「はい?」


 トゥムルトゥオーソ王国 ステッソ王子はそう言い放った。


 ここは王宮のステッソ王子の執務室。執務室と言ってもとても広い。少人数でだがゆったりとダンス出来る程度には広い。南の面には大きなガラス窓があるが、その他の壁一面には書類と本で埋まっている。

 それらの内容をステッソ王子が全て把握しているかどうかはまた別の話だが、執務に必要な物はすべてそろっているはずだ。

 


 言われたフェルメッツア嬢は、口元をおもむろに広げた扇子で隠しながらステッソ王子を見つめた。


 ステッソ王子はガラス窓を背にした執務机の手前に、机に腰を掛けるような形で腕を組んでいる。その脇には侍従のアルフィーノが控えている。彼はフェルメッツァの弟でもあるが、彼女と目を合わせようともせず、無表情を貫いている。

 ステッソはニヤリとフェルメッツア嬢を見ながら、その右手を広げた。


「あなたは幼い頃からの俺の婚約者だ。そして私には国のために王妃にふさわしい女性と結婚する義務がある」

「はあ、まあそうですわね」

「あなたが王妃教育を頑張ってきてくれているのは知っている。しかしあなたよりもより王妃にふさわしい能力の持ち主と出会ってしまったのだ」

「何をおっしゃっているのですか?」


 フェルメッツアは不快そうに少しだけ眉をひそめた。ステッソはわざとらしくため息を吐く。そして机の隅に立っていた令嬢を手のひらで示した。


「こちらはアッベッリメント・スピランテ嬢だ。王立高等学校の首席で、王立大学への推薦入学も決まっている才女だ。私は彼女と結婚しようと思う」

「はい?」

「あなたも頑張っていたさ。それはよく知っている。しかしもともとの才能の違いというものがあるだろう。毎日遅くまで必死になって学んで、ようよう家庭教師から及第点を取れるかどうかのあなたと、庶民でありながら他の追随を許さぬ知識を持つ彼女。どちらが王妃にふさわしいかは一目瞭然だろう?」


 ステッソが左手を広げると、部屋の隅にいた女性がスススとその手に近寄って、その手を握った。

 思わずフェルメッツアの目が見開く。


「……ステッソ様、失礼ながら王妃教育というものは、学問だけではありませんことよ?」

「まあ! ステッソ様のおっしゃる通り、フェルメッツア様って、私が庶民だから意地悪を言うんですね!」

「ああ、スピランテ、かわいそうに……」


 ぎゅっと抱きしめ合う二人を見て、その瞬間にフェルメッツアは理解した。最近仲の良い女子生徒がいるとは噂には聞いていたが、この王子は抱きしめている女性に心奪われたというわけだ。



 ステッソとフェルメッツアは今年で19歳になる。この国は王政なので、次期国王候補のステッソ第1王子は幼い頃から帝王教育を受け、同時に将来一緒に国を支える王妃となる婚約者、フェルメッツァと共に成長してきた。

 貴族制をもつこの国では、貴族の子息令嬢はそれぞれの家で家庭教師による教育を受ける。その中でフェルメッツァは婚約者に決まった9歳の時から、王城でさらに日々厳しい教育を受けてきた。


 その王妃教育、そしてステッソの帝王教育も、もう少しで終わる所まで来ていた。現国王夫妻がまだまだ元気で政治を司っているので、ステッソもフェルメッツァも猶予があった。そこで大学に進むか、見習いとして国王夫妻の手伝いをするか、その両方か。周りと相談しながら考えている最中だった。


 その少し前の事だが、ステッソが王立高等学校へ見学に行ってみないかとフェルメッツァを誘ってきたことがある。高等学校は基本的に庶民が通うものだが、現国王が教育に力を入れており、中でも王立高等学校は生徒の2/3が王立大学に進むほどだ。特に能力別に分けられている英才クラスでの授業内容は、下手な貴族が学ぶ内容よりも難しいという。ステッソはそれらを体験してみたいと言うのだ。


「庶民との触れ合いも、将来国を治めるにあたって大切なものだと思うんだ。さらには僕たちの部下候補もいるかもしれないし。彼らがどんな講義を受けているのかも見てみたいしね」


 それにはフェルメッツァも同意見だった。そこで関係各所に連絡し、許可を取り、二人と、友人の貴族令息数人と共に高等学校へ体験入学に行った。


 そこでの授業は、卒業後に職業に就くための読み書き計算が主だったが、特待生のいる英才クラスは大学進学者用で、確かに貴族並かそれ以上の講義内容だった。なるほど国の研究者と呼ばれる者たちが多く輩出されているわけだ、とフェルメッツァは感心した。


 その時の生徒たちとの触れ合いに色々と感銘も受けたが、フェルメッツァが高等学校へ行ったのはその1回だけだ。

 授業内容は確かに面白かったが、やはり庶民とは感覚が違う。普段貴族の中でしか暮らしていないと、庶民の賑やかさが耳に痛い。ちょっとしたマナーの違いに戸惑うこともある。今までも慈善事業などで触れ合ったことはあるが、もっと小さな子供や、事前にマナーなど教えてもらったであろう大人ばかりだったので、こんなに遠慮のない賑やかさではなかった。

 なるほど庶民の学生生活とはこういうものなのかと認識したし、しかしここに交ざって講義を受けようとは思わず、学びたければ家庭教師に頼める内容だったので、それ以来は行ったことがない。


 だがステッソは甚く感銘を受けただけでなく、非常に興味を持ったらしい。その後も賛同した友人たちと何度も高等学校へ足を運んでいた。そのたびにフェルメッツアにも声は掛けてもらっていたが、忙しかったのもあって断っていた。


 初回に行った時、学校長に高等学校創立以来の秀才だと女子生徒を紹介された記憶がある。素朴な感じで、しかし自信に満ち溢れた眼差しでこちらを見ていたはずだ。高位貴族や王族相手に、そんな目で直視してくる者は少ないので、おやと思ったものだ。


 その時には特には言葉を交わしていないからこんな女性だとは思わなかったが、なるほどステッソはこういう女性がお好みだったらしい。おおかた何度も高等学校へ足を運んでいたのも、彼女と会うためだったのだろう。もしそこに自分が一緒に行っていれば、もしかしたらこんな事態は避けられたのかもしれないが、今さら言っても仕方がない。


 ス、とフェルメッツアの目が細くなる。


「おい! フェルメッツア! 聞いているのか!」

「確認いたしますが、ステッソ様は、そのスピランテ嬢と結婚なさるから、わたくしと婚約破棄をなさるという事でよろしいのですね?」

「そうだ! 優秀な者が国母となるのは当然。だからあなたではなくスピランテ嬢と結婚する。不満に思うなら、自分の才能の無さと努力不足を後悔するがいい。私が何度学校へ一緒に行って勉強しようと誘っても、同行しなかった自分をな!」


 忙しかったと言っているだろうとフェルメッツアは思わず額に怒りマークが浮きそうになるが、王妃教育で鍛えた表情筋で変わらぬ微笑を浮かべる。

 それをべったりと抱き合った二人は、互いに顔を見合わせたり、フェルメッツアを見たりと忙しい。


「そこに婚約解消の同意書がある。そこにサインをしなさい。私のサインはすでに済んでいるから」


 ステッソが指さすのは、ソファテーブルに置かれた一枚の紙だった。フェルメッツアはちらりとそれを見た。


「あれは正式な書類ですか?」

「もちろんさ。私たちが婚約した時に、念のためにと制作した婚約解消用の書類だ」

「そうですか」


 フェルメッツァはそういうと、分かりましたとため息をつき、二人に近寄った。


「なんだ?」


 ステッソが眉をひそめて、スピランテを自分の後ろに庇う。そこまで口元を扇子で隠していたフェルメッツァはその扇子をパシンと閉じて、それをステッソに渡す。ステッソは反射的にそれを受け取り。


 「フンッ!」


 ベシン!!


 フェルメッツァはおもいきり、ステッソの左頬にその右こぶしを叩き込んだ。

 予期せぬことにステッソがそのまま右に吹っ飛び、後ろにいたスピランテが驚きでかたまっている、その右頬を左手の平手でおもいきり叩く。

 バシンとそれはそれは良い音がして、スピランテが右に吹っ飛んだ。


「王子に何をする!」と突っ込んできた護衛の懐に素早く入り込み、そのまま背負い投げで投げ飛ばした。さすがに近衛は不意を突かれたとはいえ受け身を取ったが、鎧がそれで食い込んだらしくギャッと悲鳴を上げた。


 そのままフェルメッツァは驚愕しているアルフィーノに近寄った。アルフィーノは姉を見て、覚悟を決めたように目を閉じ、歯を食いしばった。


 ゴス!


「ぐえっ!!」


 フェルメッツァはその腹におもいきり膝をたたき込んでやった。頬を叩かれると思い込んでいたアルフィーノは、予期せぬことに対応できず、腹を押さえてその場にうずくまる。


 残りの近衛2人は賢明にも動かなかった。フェルメッツアが制止したこともあるが、護衛としては失格だが、彼らはフェルメッツアをよく知っているので、これ以上の危害ははないと判断したのだ。

 4人がそれぞれ床に這いつくばり、うめき声をあげている中、フェルメッツァは優雅に歩いて、ソファに腰掛け、書類を一読し、書類の側に置いてあったペンで名前を書き入れた。

 

 そしてその書類を手に立ち上がり、まだ床に座り込んでいるステッソに近付いた。ステッソが殴られた左頬に手を当てながら、おびえたようにフェルメッツァを仰ぎ見る。


「な、なんのつもりだ……!」

「わたくしの10年を無に帰したのですから、むしろそのくらいで済んだことに感謝していただきたいですわ」

「感謝だと……」

「ひ、酷いわ、いきなり殴るなんて!」


 スピランテ嬢が涙目で訴える。その頬は手の形に赤くなっていて、思わず笑いを誘うが、フェルメッツァは表情一つ動かさなかった。


「平手でたたいただけですわよ。婚約者のいる男性を奪ったのですから、そのくらいの覚悟はできていたでしょう?」

「出来ているわけないじゃない! どこの貴族令嬢がいきなり暴力振るうと思うのよ!」

「庶民同士ならつかみ合いの喧嘩になると聞いたことがあります。叩かれたくらい、なんですか」

「こんなにおもいきり殴らなくたっていいじゃない!」

「それで国母の座が手に入るのですから、安いものでしょう?」


 フェルメッツァは身をかがめて、ステッソが落としていた扇子を拾うと、パサリと広げて口元を隠し、二人を見下ろした。


「婚約解消の書類にサインをいたしました。思い通りになって良かったですわね?」


 ぐぬぬ、と二人が唸っている間に、フェルメッツァは弟のもとに向かう。未だ腹を抱えてよだれを垂らしてうずくまっているアルフィーノに言い放った。


「あなたは家やわたくしへの報告を怠りましたね」

「う……ううっ……」

「簡単な報告すら出来ないなんて、将来の侍従が聞いて呆れるわ。」

「ね、姉さんよりも、彼女の方が国母にふさわしいと殿下がおっしゃるから……」

「おっしゃるから? だから報告せずにいたと?」

「事実、彼女の博識ぶりは、目を見張るものがあって……」

「あなたもわたくしよりも彼女の方がふさわしいと考えたのかしら」

「うぅぅ……」

「それで報告したら家やわたくしの反対にあって、彼らが結婚できなくなると困るから、報告しなかったというの?」

「……はい」


 腹を押さえ、時折呻きながら、アルフィーノは頷いた。


「愚かな。アルフィーノ、あなた、もう家には居場所はないと思いなさい。生涯殿下に尽くすのね」

「ま、待ってください姉さま、確かに僕は殿下の従者ですが、同時に侯爵家の跡取りです!」

「その座はわたくしのものとなりました。あなたは不必要です。荷物は近々送ってあげましょう。これ以降、家には一歩も入れませんから、そのつもりで」

「ね、姉さま!」

「お前にそんな権限があるわけがないだろう!」


 ようやく復活したらしいステッソが、よろよろと立ち上がりながら言った。フェルメッツァはアルフィーノの正面から退き、二人に対峙できる位置に立つ。


「ありますわよ。わたくしは侯爵家の第1子。わたくしは今まで殿下と婚約しておりましたから、アルフィーノが継承権を持っておりましたが、その婚約が解消された今、継承権は第1子のわたくしに移りました。ですので、この愚か者の処遇を決める権限があるのです」

「今はそうでも、あなたはすぐに結婚して家を出るのだろうが」

「殿下はアホですか?」

「なんだと!」

「殿下との婚約を解消されたわたくしが、今後、結婚出来るとでも?」

「出来るだろう? 新しい婚約者を探せばいいのだから」

「まあこの婚約解消が、殿下の浮気が原因である、いわゆる殿下の不貞であるということで、確かにわたくしの傷は最低限で済みますが、侯爵家の婿に迎えるにふさわしい同年代の子息は、すでに皆、婚約者がおります。わたくしはお二人と違って婚約者のいる方を奪おうとは思いません」

「な、なんだその無礼な言い方は!」

「事実でしょう?」

「酷いわ! 私が庶民だと思って、馬鹿にしているのでしょう!」


 スピランテ嬢が果敢に食って掛かるが、フェルメッツァにしてみたら、馬鹿にしているのはどちらかと言いたくなる。だがそれはぐっとこらえた。


「なんにせよ、わたくしは殿下との婚約を解消しました。ところで殿下」

「な、なんだ!」

「この書類、よくお読みになりました?」

「婚約当時に専門家が作ったのだから、改めて読む必要などないだろう」


 その答えに、フェルメッツァは扇子に隠してため息をついた。これだからこの王子の補佐となる自分が、必要以上に苦労してきたのだ。


「そうですか。でも署名したと言う事は、これに同意したことになりますが、よろしいのですよね?」

「もちろんだ」

「そうですか、では」


 フェルメッツァはツカツカとステッソの横を堂々と通りすぎ、未だ床の上のスピランテが後ずさるのも目もくれず、扉へと向かった。そこで控えていた侍女に、書類を渡して提出するように言って、彼女が外に出たのを確認してから、室内に振り返った。


「殿下、今までお世話になりました」

「あ、ああ」

「婚約解消の書類に基づき、殿下とスピランテさんには慰謝料を請求いたしますので、宜しくお願いいたします」

「は?」

「え、ナニソレ!?」


 二人が呆けた顔をするのを、面白く思いながらもフェルメッツァは無表情のままで告げる。


「あの書類にきちんと書いてありましたわよ。婚約してから結婚するまでの間に、どちらかの不貞により婚約を解消する場合、不貞を働いた側、この場合は殿下ですわね、が、わたくしに1000万ノータを、婚約年数分払うと」

「は??」

「婚約期間10年ですから、1億ノータですわね。わたくしも悪魔ではありませんから、3回の分割で良いですわよ。そのうえ3年以内に全額支払えば利子もつけないであげましょう。ただし3年を過ぎたら年に10%の利息が発生しますからお気をつけあそばせ?」

「な、な、な」

「それとお相手にも請求すると書いてあります。スピランテさん、あなたが庶民で良かったですわね。『相手が貴族以外』という条件に当てはまるので、あなたには1千万ノータのみの請求ですから」

「いいいいいいいいいいっせんまん!? 冗談じゃないわ、払えるわけないじゃない!」

「たった一千万で国母となれるのならば安いものではありませんか。皇太子妃になれば毎年の予算も付きますから、そこからお支払いいただければいいのですし」

「この、守銭奴! そんなだから殿下にフラれるのよ!」

「これは当然の権利です。あなたは私の10年を無に帰したのですから。あの書類にきちんと書いてありましたでしょう? お二人ともそれに同意したからこそ、私に婚約破棄を迫ったのでしょうから、今更何をおっしゃっているのやら」

「そ、そんなの私は聞いてないわ! ちょっと殿下、どういう事なんですか! 署名さえさせれば別れられるっておっしゃっていたじゃない!」

「あの書類には、そんな事は書いていなかった! フェルメッツァが嫌がらせに嘘をついているんだ!」

「あ、なるほど!」

「違いますわよ。殿下、あの書類になんと書いてあったか、復唱していただけますか?」

「だから、婚約時に交わした条件で、婚約を解消すると!」

「そうですわね。その婚約時に交わした条件は覚えておいでですか?」

「……」


 ステッソは答えられなかった。確かに条件の文字があったが、その条件そのものはあの書類に書いていなかったことに今さら気が付いた。そして未だに腹を押さえて床に座っているアルフィーノをにらみつけると、彼は青ざめた顔をブンブンと横に振った。


「アルフィーノ!」

「婚約時の書類は、国王様が保管しております。しかし婚約を解消する書類だけは父の部屋にありましたから、それをお持ちしただけです、そう事前にご説明したでしょう!?」


 一応ステッソは事前に国王に、婚約を考え直したい旨を打診してある。だが迂闊な事はするなと睨まれ怒られて終わった。あんな優秀なフェルメッツァに何の不満があるのかと。

 だから彼女よりも優秀な人材を見付けたとも伝えたが、その程度では婚約は解消できないと言われてしまった。もちろん書類を渡してもらう事も出来なかったので、アルフィーノに何とかして書類を貰ってこいと言いつけておいたのだ。


 アルフィーノは姉が婚約した当時はまだ幼かったが、それでも父親が『これは万一の時の大切な書類だ』と神妙な顔で机の奥に仕舞っていたのを覚えていた。だから父親が不在の時に書斎から持ち出しただけだ。その時に確かに『条件』と書かれていたのを見たが、それ以外の書類はなかったし、ステッソも「これがあればいい」と言ったのだ。


「そ、そんな条件、口から出まかせだろう!」

「いいえ、わたくしの将来にかかわることですから、条件の書かれた書類は、国王様とわたくしとで保管しております」

「な、なにぃ!? ……そんなの無効だ! 書類を返せ!」

「もう国王に提出した頃でしょうね」

「止めさせろ!」


 ステッソが外に出て行こうとするのを、扉の前に立つフェルメッツァが立ちはだかって阻止する。

先ほど殴り飛ばしたのが効いたのか、近寄れないらしく右往左往する様がおかしい。



 婚約を交わした当時、念のためにと婚約を解消した場合の条件も設定された。本来は当事者であるステッソとフェルメッツァが管理するはずだったが、二人共まだ幼いからと、原本を国王が、写しを侯爵家が保管することになった。だがそれらを当時幼かったアルフィーノは知らなかった。そののちにフェルメッツァが社交界デビューしたのを機に、父親から渡されてフェルメッツァが保管している。

 弟が持ち出した婚約解消の書類だけは、必要のないものだからと侯爵が渡さなかったし、フェルメッツァもそれでいいと思っていたものだ。

 だがフェルメッツァが全て保管していたとしても、家族なのだから、聞かれれば答えたであろうし、フェルメッツァが家にいない時に探されたら、同じように簡単に持ち出されていただろう。

 たとえそれで使用人に見つかっても、アルフィーノはステッソの従者なのだ。『殿下が必要ないから処分するように言われた。姉上には内密に』とでも言われたら、使用人はしたがっただろう。

 

 それでもばらばらに置いておいて良かった。

 さすがに条件を読まれたらステッソも解消する気にはならなかっただろうし、下手をしたらフェルメッツァ側にハニートラップを仕掛けて、フェルメッツァの有責にされたかもしれない。

 

 フェルメッツァは青くなる3人に、扇子の下でにんまりと笑ってから、表情を戻し、綺麗にカーテシーを披露した。


「それでは皆様ごきげんよう。もうお会いすることもないでしょう。お元気で」


 そう言って呆然とする人々を残し、フェルメッツァは堂々と退出していったのだった。



 ***


 部屋を出たフェルメッツァは出来るだけの早足で廊下を進んでいた。淑女として、皇太子の婚約者として、あり得ないはしたなさであるが、婚約解消の話が広まる前に王宮を出て、侯爵家に帰りたかったのだ。

 今のところはまだ元凶と国王しか知らないだろう。だが国王が書類を受理した瞬間から、側近たちによって情報が広められてしまう。

 どんな理由であろうと、いくらステッソが悪くても、婚約を破棄されるという不名誉を負ったフェルメッツァに好奇の目が向けられるのは避けられないのだ。誰かに見つからないように、ドレスの下に隠れた足は、すでに小走りになっていた。


 先ほどまでいた部屋は、王城の王室関係者の執務室が並ぶ2階の一角だ。ここを抜けて1階に降りれば、人混みに紛れることも出来るし、そうそう声を掛けてくる者もいまい。

 だがもう少しで階段、というところで、後ろから声がかかってしまったのだ。


「フェルメッツァ!」

「……はい」


 一瞬、周りに人がいない事を良いことに思い切り渋面を作ってしまったが、すぐに表情を戻し、切れていた息も根性で整えて優雅にくるりと振り向く。


「こっちへ来て、早く」

「……はい」


 過ぎ去っていた部屋の扉から半身を出して、手招きをしているのは、ステッソの妹のソノリーテだった。断れない相手に、フェルメッツァはこっそりとため息をついて、そそくさと部屋に入った。


 すぐにソノリーテはフェルメッツァの両手を掴んできた。


「今さっき、お父様から連絡があったわ。お兄様と婚約を解消したんですって?」

「流石にお耳が早いですわね。ええ、そうなのです」

「あの馬鹿兄様の浮気ですって?」

「……はい」

「お相手はどこの令嬢?」

「王立高等学校の女子生徒です。学校創立以来の才女とか」

「は? もしかして庶民なの?」

「はい」

「呆れた! あきれてものも言えないわ!!」


 ソノリーテは同じセリフを何度も繰り返しながら、部屋の中を歩き回った。


「私も創立以来の才女の話は聞いているわ。でもフェルメッツァよりも優秀とは思えない!」

「殿下には、私など足元にも及ばないほどの才女だと言われました」

「頭さえよければ何でも良いの? 違うでしょう! 確かに庶民が上に立つ国があっても良いわ。でもそれは今じゃない。もし国母に据えたいのなら、何年もかけて根回しをして、本人にも王妃教育を施して、そのうえで国民にも認められないといけないと、何故お兄様にはわからないのかしら」

「きっと創立以来の才女なら、王妃教育も簡単だと思っていらっしゃるのでしょう」

「あり得ない! あれはあなたが高位貴族だからこなせているんで、下位貴族だったら死に物狂い、貴族のマナーを全く知らない庶民には、不可能なものよ!」

「でもきっと、彼女なら習得可能なのでしょう」

「絶対無理! 私が確約する!」


 フェルメッツァの代わりにプンスコ怒ってくれるソノリーテに、フェルメッツァは苦笑した。


 この国は王政ではあるが、宰相以下大臣たちが取りまとめた議題を最終的に決定するのが国王である、という国だ。そしてこの大陸の他の国も、多くが同じような王政を取っている。


 とりわけこの国の隣にある大国は絶対君主制で、全ての権限が国王にある。その国が貴族制度を取っているため、貿易や取引には同じように貴族でなければ相手にもされない。

 大陸の離れた国では、民主制の国も出来つつあると聞く。だがそういう小国は隣の大国との取引は無いし、したくても門前払いを食らうと有名だ。

 だからこそこの国も貴族制度を維持してきているし、その頂点に立つ国王夫妻は、その立ち居振る舞いが何よりも重要となってくる。


 確かに庶民でも学べばマナーは身に付く。だが、生まれ育ちからくる身のこなしは簡単には変わらない。フェルメッツァが婚約者に選ばれているのも、この国の高位貴族の娘であり、生まれながらの高貴さを持っているからだ。そのうえさらに王妃教育を学んでいるのだ、このレベルの女性は、この国には王妃と王子の妹、ソノリーテくらいしかいない。


「あの馬鹿兄様にもそのくらいのことは分かっているはずなのに!」

「きっと、わたくしと違い、表情豊かな可愛らしい女性だから、惹かれたのでしょう」

「王妃が感情を表情に乗せたら、諸外国相手に取引なんて出来ないでしょう!」


 国同士の貿易などの取引は、化かし合い騙し合いの場だ。いかに自国に有利に話を進めるか。時には相手の言い分に乗ったような顔をしつつ、その条文で上手く自国有利に持っていくなど、日常茶飯事だ。今回の婚約破棄の書類のように。


「それで、お兄様たちは婚約破棄の条件を呑んだのね?」

「条件を理解されてはいませんでしたが、署名されていたので、気が付かれる前にわたくしも署名して国王に提出いたしました」

「よくやったわ、フェルメッツァ! でもそれだけじゃあ気持ちが収まらないわね……」

「その点もご心配なく。ステッソ様の頬にこぶしを、相手の女性に平手を、弟にはおなかに膝を食らわせましたから」


 ソノリーテはきょとんとして、それからコロコロと笑った。


「流石フェルメッツァね! 警備には止められなかったの?」

「近衛が一人、向かってきたので投げ飛ばしました」

「何と言う事。その場に立ち会いたかったわ!」


 ソノリーテが喝采を上げる。この部屋には他にメイドや護衛の女性騎士がいるが、全員がうんうんと頷いている。


 フェルメッツァはホッとした。あの部屋では周りが全員敵だったが、ここでは全員が味方をしてくれる。それだけで心が軽くなり、我慢してきた涙があふれて来そうになった。


「護身術も身に付けているフェルメッツァだもの、相手が油断していれば男性だって投げ飛ばせるわよね」

「柔術をこんな形で試せるとは思ってもおりませんでした」


 二人は顔を合わせてふふふと笑う。


 王妃教育の中には、護身術も含まれていた。これがフェルメッツァが一番苦労した点だった。

 もちろん婚約者でも警備は付く。皇太子妃になり王妃になればもちろん鉄壁の守りが付いてくれる。だがそれでも、いつ何時襲われるか分からない。それが国王と王妃というものだ。矢などで遠くから射られたら防ぎようはないが、暴漢ならば対処が出来るかもしれない。

 まさか皇太子妃や王妃が反撃してくるとは思わないから、相手がひるんでいるうちに逃げ出すきっかけが生まれる。逃げられなくても時間を稼げる。そのための訓練を、婚約者に決定したあの日から、ずっと続けていたのだ。

 高位貴族として生まれたフェルメッツァにとって、人を投げ飛ばすなど論外であった。相手の胸倉を掴むという行動すら、フェルメッツァには難しいくらいだった。だが自分と、誰よりもステッソを守るためと必死に毎日練習をした。


 受け身というものの練習に、何層にも重ねたじゅうたんの上に何度も体を打ち付けた。練習用の古くなった豪華なドレスに身を包んで、相手の懐に素早く入るための動きを必死に練習した。しかもそうとは見せずに相手に近付くために、ドレスの中の足だけを素早く動かし、表情や上半身はそのままという特訓もした。先ほどの早足はその副産物だ。

 投げ飛ばすのはよほどタイミングが合わないと出来ない。だから人体の急所、しかも女性の力で一撃で相手をひるませる場所を攻撃する練習もイヤと言うほど繰り返した。

 令嬢にあるまじき事に、体のあちこちに痣が出来たし、手や足にタコも出来た。ドレスの下で見えないところには擦り傷も毎日作った。

 その訓練で体が痛くても、必須講義は待ってくれない。歴史に語学に算術に経済学、地理、そして国内、国外の重要人物の名前はもちろん家族全員の詳細と顔まで覚えて、乗馬に楽器演奏にダンス、そしてお茶会の主催まで。そのうえでマナーもみっちり叩き込まされるのだ。

 遊ぶ暇もなかった。それでもステッソを支えて、その横に立つために頑張ったのだ。


 それを一瞬にして無に帰された。怒らないわけがない。悲しくないわけがない。


 たぶん、スピランテは本当に才女なのだろう。だが高等学部の講義内容は、フェルメッツァが受けている講義と大きな違いはなかった。確かに算術は高度な事をやっているようだったが、それ以外は変わらない。それに高等学校には乗馬や楽器、ダンスにお茶会などはないのだ。


 10年という時間があったから、1日の講義科目は3科目程度で済んだし、毎日練習のいる楽器と柔術以外は週に2~3度などの実習だ。だがスピランテはこれから短期間でそれらを学ばなければならない。柔術と楽器は省いたとしても、ダンスや茶会のマナー、主催など必須で、しかしそれらは一朝一夕で身に付くものではない。


 彼女はこれからフェルメッツァに多大な慰謝料を払いつつ、王妃教育に打ち込まないといけないのだ。

 そしてステッソは、フェルメッツァが受けている講義内容は知っているはずだった。その頻度やむずかしさがどの程度なのかは知らなかったかもしれない。フェルメッツァもステッソの講義内容や進度などあまり知らないのだから、それは良い。だが毎日お茶休憩とお昼休憩以外は忙しく過ごしている彼女を、知らないわけがないのだ。


 10年。言葉で言えば短いが、実際にはとても長い年月だった。それも全てこの国とステッソのために掛けた時間だ。だから婚約を解消するにあたって、それがステッソ側、しかもステッソの不貞となったら、莫大な慰謝料が発生することになっていた。

 もちろんフェルメッツァが不貞を働いた場合の刑罰も決められていた。侯爵令嬢の身分はく奪に、国外追放だ。賠償金も発生する。ステッソの半額。年間500万ノータだ。さらには侯爵家自体も降格される。降格しても伯爵ですむだろうが、娘の不貞など、家が管理できなかったことが問題視され、結局は貴族社会からはじき出される未来しかない。


 もちろんフェルメッツァはステッソを裏切ることなどないし、考えたこともなかった。自分はステッソにすべてを捧げるのだからと。

 だから保険のようなものだった。互いに裏切ったら大変な事になるぞという。それが現実に必要になるとは。


 俯いたフェルメッツァをソノリーテがそっと抱き寄せた。肩に顔をうずめるように。


「あなたの努力は、この私が知っているわ。あなたの素晴らしさも才能も全て知っている」

「ソノリーテ様……」

「こんなに優秀でこんなに一途な人を捨てるなんて、兄様は見る目がないのよ」

「……」


 そんな風に言われて背中を優しく擦られたら、がまんの限界に来ている涙がこぼれてしまう。それでも泣いてたまるか、とフェルメッツァは気合で涙を止めた。

 涙を流す、止める。それすらも厳しい訓練があり、流す方はいつどこでも出来るようになった。王妃の涙にはそれほどの価値があるのだ。

 止める方も難しいが、流す前ならば何とでも出来る。他国の使いにどれだけ罵声を浴びせられようと、侮辱されようと、表情を変えない訓練を、ずっとしてきたのだ。

 だから泣いてよい状況でも、簡単には泣けなくなっている。


「良いのよ泣いて。こんな大変な事があったのだもの。感情だって振り切れて当然よ。あんな馬鹿兄様でもフェルメッツァは愛してくれていたのだもの。裏切られたら悲しいし怒っていいのよ」

「ソノリーテ様」


 優しく言われて、フェルメッツァは目を閉じた。その際一粒だけ涙が流れたが、それはソノリーテの優しさに対しての涙だった。

 不思議なほどに、ステッソへの思いはきれいさっぱり消え失せており、簡単に切り捨てられたことに悔しさはあるが、悲しいとは思わなかった。


 その涙がソノリーテのドレスに届く前に、フェルメッツァはそっと体を起こした。


「ありがとうございます。もう大丈夫です」

「そうなの?」


 顔を覗き込みながら、ソノリーテはそれでも離れてくれた。


「フェルメッツァ、これからどうするつもりか聞いても良い?」

「はい。侯爵家へ戻って、跡取りとして勉強しなおしたいと思います。将来的に婿が取れればいいですが、いなければ爵位の返上も考えます」

「アルフィーノは?」

「あれは切り捨てました。侯爵家には入れません」

「それが良いわね。兄様の側近という職もある事だし、別に困らないでしょう」

「愚か者ですけれどもね」

「兄様にぴったりだわ」


 そう言ったソノリーテに、フェルメッツァも笑顔を見せた。


「うーん、それにしてもフェルメッツァが王宮から去るのは勿体ないのよね」

「ありがとうございます、そのお言葉だけで、苦労が報われるというものです」

「いえ、お世辞ではなく。あなたのその知識と才能を、侯爵家だけの為に使うなんて、本当にもったいないわ」


 この国では、王族の婚約者を輩出した家は、政治には関わらないという決まりがある。政治に参加すればどうしても身内びいきが起きるし、王族に最も近しい貴族として、どうしても力が集まりやすくなる。だからフェルメッツァが婚約者に決まった時点で、侯爵家は自分の領地経営のみが仕事となった。おかげで領地経営に力を入れられる、と侯爵は笑っていたが、政治に関わらないと言う事は、今後も政治の中枢への復帰は難しくなる。だから婚約者になることを望まない家すらある。


 ソノリーテの言う通り、王妃教育を長年受けてきたフェルメッツァの知識は、領地経営のみの範囲を大きく超えている。とはいえすぐに政治へ復帰は無理だ。すでに役職は全員決まっており、彼らの誰かが大きな不正を行っているとか、家長が倒れて跡継ぎが幼過ぎて務まらない事態にでもならない限り、空きは出ない。


「せっかく学んだのですから、これらを生かして領地をよりよくしたいと思っております」

「フェルメッツァなら出来るわよ。でもそれにしても勿体無いわ……」


 ソノリーテは何事かを考え始めた。そろそろ帰りたい。ソノリーテに報告が来ていたくらいだ、貴族院たちにも伝わっているに違いない。同情の目で見られるのもイヤだ。そう思っていると、ソノリーテが不意に顔を上げて、にっこりと美しく笑った。


「決めたわ」

「……なにをですか?」


 ソノリーテは再びフェルメッツァの両手を取った。


「私と結婚しましょう」

「……どなたがですか?」

「いやあねえ、私とフェルメッツァに決まっているじゃない」

「わたしたちは女性同士ですが?」

「そうね? でも同性同士が結婚してはいけないという決まりは、この国にはないわ」

「確かにそうですけれども、その場合子供が出来ません。王族のソノリーテ様に世継ぎが出来ないのは、大問題かと」

「あら、男性と結婚したって、必ずしも世継ぎが出来るとは限らないわ」

「それはそうですけれども、女性同士では確実にできません」

「そんなの、養子を貰えば済むことよ」

「そ、それは、そうですけれど……」


 貴族の間では養子を貰うのは珍しくない。王族も確か先々代は養子だったはずだ。


「いいこと? 国として、優秀なあなたを手放したくない。10年という長い歳月、努力し続けてきた優秀なあなたを、簡単に手放すなんてとんでもない損失だわ。そして私にはまだ、婚約者はいない。だからあなたと結婚することに問題はない」

「……もしかして、ソノリーテ様は女性の方がお好きなんですか?」

「いいえ、別に? それに私も王族だから、どんな相手だろうと決められた婚姻にしたがうだけよ。そこに個人的感情なんてないわ。だけど、フェルメッツァなら別。ずっとあなたを見てきたし、一緒に学んだこともあるでしょう? あなたの人となりも考え方も、私は知っているわ。全然知らない誰かと結婚するよりも、フェルメッツァの方が良いわ」


 ダンスや楽器、護身術はソノリーテと共に受けたことがあるし、お茶会でテーブルマナーを一緒に学んだ。茶会での先生役は王妃だったし、護身術では互いに投げて投げ飛ばした。互いに本が好きで、図書館で互いのお薦めの本を読んで、語り合ったりもした。

 実際、この10年ステッソよりもソノリーテとの方が、親密だった。


「で、でも……」

「お父様とお母様なら心配ないわ。お二人ともフェルメッツァの事はよく知っているし、多分私と同意見だと思うわよ」

「でも、そうしたら侯爵家が……」

「弟にやらせればいいじゃない。もともとその予定だったのだから」

「それは……そうかもしれませんが」


 アルフィーノは領地経営なんて地味な作業は嫌だとごり押しして、ステッソの従者に納まった。秘書のようなそれなら政治には絡まないし、侯爵が引退するまでと時間制限を付けて、侯爵があちらこちらに根回しして何とか就いた役職だった。

 実際のところ、侯爵家の跡取りが使いっパシリのような事をさせられているのだから、悪い意味で身分不相応だと言えるものだ。

 

「兄様はやり方を間違えた。きっと王位継承権をはく奪されるわ。だから、私とフェルメッツァで、この国を豊かにしていきましょうよ」

「……でも」

「女王誕生となると、他国がナメてかかってくるわ。でもそこにフェルメッツァがいてくれたら、相手も侮れないと思うの。それに二人で国を治めたら無敵だと思わない?」

 

 フェルメッツァはステッソと国を治めるために今まで生きてきた。それを捨てることなく、活かせるのならば。心が動く。


「わたくしたちでは子どもは出来ませんよ?」

「いいわよ~。まあ私とフェルの子供なら、かわいい決定だろうけど。ああ、それなら医療班に同性同士の子供の研究をさせましょう」


 にこにこと簡単に言うソノリーテに、フェルメッツァもつられて笑顔になってしまった。


 もともと好感は抱いていた。大切な友人だと思っていた。ソノリーテは第2子なので、王位継承権も第2位だ。だから帝王学も学んでいる。それはフェルメッツァの講義よりも幅広く、深い知識が必要となる。ステッソももちろん学んでいたが、成績的にはまじめなソノリーテの方が上だと聞いているし、実際に話をすると、ステッソよりもソノリーテの方が話が合う。

 

「わたしなら浮気とか絶対にしないし、フェルを誰よりも大切にするわよ。公式の場にはお揃いのドレスとかもいいし、私がパンツスタイルでも良いわ。一緒にデザインも考えましょうよ。私にはまだ帝王学が残っているから、それも一緒に受けられる講義は受けて、一緒に高めていきましょうよ」

「ソノリーテ様……」


 それは楽しそうだ。


「男女で子供を作るための結婚よりも、お互い楽しく高め合いながら暮らすなら、同性の方が気軽だし向いていると思うの。私たちの立場では政略結婚は仕方がないけれど、知らない男性に体を触られるくらいなら、同性でただ抱き合って寝るだけの白い結婚で良いと思うの。それってとても気楽で楽しいでしょう? あ、フェルが望むならそれ以上してもぜんぜん構わないわよ。そうしても良いと思えるくらいに、あなたの事は知っているし、大好きだもの」

「ソノリーテ様」

「毎日が楽しいお茶時間よ。ああもちろん執務は別だけれどね。あのチャランポランな兄様よりも、フェルと一緒に職務だってやった方が早く片付くし、話も早いわ。どうかしら?」

「わたくしもソノリーテ様と一緒にいるのは楽しいですわ。今まで一緒に講義も受けてきましたし、ダンスだってお互い男女両方のパートを踊ってきましたし。ソノリーテ様のピアノに合わせてわたくしのバイオリンを弾くのも大好きですわ」

「兄様のチェロは、音程が酷いからね。ハモっているんだかハズしているんだかわからないものね」

「前衛的すぎて極彩色が回って見えます」

「ふふふ、同感!」

「その点ソノリーテ様のピアノならば、優しい色が浮き上がってわたくしの色と混ざったり絡んだりで美しいですわ」

「それも同感! フェルのリボンのような音色、私もとても好きよ!」

「でも、わたくしはいましがた婚約を破棄されたばかりですし、王族の同性婚はあまり例もないですし……」

「先代国王の弟と近衛騎士とが男同士の結婚していたじゃない。問題ないわよ」

「でも、王位継承者ではありませんでしたわ」

「大丈夫よ。この国初の、女王と王妃になりましょう。お父様たちなら私が説得する」

「でも、スピランテ嬢が本当に優秀なら、やはりステッソ様が国王になられた方が、対外的にはよろしいかと」

「それにも考えがあるわ。私に任せて」


 そういってウインクをするソノリーテに、フェルメッツァは苦笑した。そして本当にそんな事が可能なら、そういう手もあるのかもと淡い期待を持っている自分に気が付いた。


「まあ、たしかに今すぐに私とフェルが結婚するわけにはいかないわ。まずは婚約からよ。すこしお芝居入れるけれど、それで大丈夫なはずよ」

「お芝居、ですか?」


 ソノリーテはにっこりと笑った。


「私がもともとフェル姉様を大好きだったことにするの。だけどフェルはお兄様の婚約者。一緒に講義を受けるだけでひっそりと満足していたのだけれど、そのお兄様が一方的に、何の落ち度もないフェルメッツァに婚約破棄を告げ、それに甚く傷ついているフェルを、私が慰め、思い切って告白!」

「わあ」

「単純だけど、こういう方がいけると思うの。ちょうどわたしには婚約者がいない。それは、フェルメッツァを諦められなくて、せめてお兄様と結婚するまでは一緒にいたいと切に願ったから……」

「そ、そうなのですか」

「いやあねえ、そういうお芝居よ。まあそんなに嘘は言っていないけれど」

「はい?」

「さて問題です。それでフェルとの婚約を願う私と、一方的にフェルを振って違う女と婚約しようという、賠償金まみれの兄様。どちらが国民の支持を得られるでしょうか」


 


***


 リンゴン、と王城の鐘が高らかに鳴る。良く晴れた穏やかな日、国民たちが熱狂して集まっている中、今日は次期国王と次期王妃の結婚式が行われていた。


 王城の大広間を使用しての結婚式は、二人共互いの色を使ったドレスを纏い、次期国王であるソノリーテが国王と入場した後に、次期王妃のフェルメッツァが侯爵と腕を組んでゆっくりと入場してきた。

 美しい二人が手を取っただけでも、美しすぎて周りからため息がこぼれる。


 二人は婚姻届けにそれぞれの名前を書き入れ、指輪を互いにはめ、フェルメッツァが膝を落としてソノリーテの指輪に口づけを落とし、ソノリーテは姿勢を戻したフェルメッツァの手を取り、立ったままで同じように指輪に口づけを落とす。

 それで婚姻の儀式はおしまいだ。広間から中央のじゅうたんを二人で手を取り合って、王城の外に出る。その間も聖楽隊による美しい歌と演奏、それに参加者たちからの拍手に包まれて、二人は微笑みながら移動した。


 そうして今日だけ解放されている王城の門の外には、大勢の国民が二人が出てくるのを待ち構えていて、二人の姿が見えた途端に、大きな歓声が沸き上がる。

 

 ソノリーテは風でなびくドレスを優雅に操りながら、隣のフェルメッツァを見た。


「ほら、言った通りでしょう? みんなが私たちを祝福してくれているわ」

「ええ、本当に……」


 二人が手を振ると、その歓声はさらに大きくなる。もはや地響きのようだ。


「でもこれからよ」

「ええ。これからが肝心ですわね」


 女王は珍しくないが、女王と王妃の組み合わせは、この国初だ。隣国でも聞いたことはない。もしかすると大陸初になるかもしれない。


「これから諸外国が私たちの力を見てやろうと、やってくるわ。いつも以上に厳しい目で見られる」

「ええ。でも大丈夫ですわ。わたしたちなら」


 フェルメッツァは、つないでいた手に力を入れた。ソノリーテが目を合わせて微笑む。


「そうね、私たちなら」

「なんでも話し合って、解決していきましょう」

「ええ! この国のために」


 二人は顔を見合わせて、美しく微笑みあい、正面を見て、国民に大きく手を振った。



**


 ステッソとスピランテは、婚約破棄の件すら根回しもせず、いきなりフェルメッツァにたたきつけていたこと、解消の条件も碌に把握していなかったことで、ステッソは国王に大目玉を食らった。


 何よりも考えなしに行動してしまったステッソは、国を背負うという立場を理解していないと国王は判断した。フェルメッツァよりも結婚したい相手が出来たのなら、穏便に事を進めるか、それこそフェルメッツァに不貞を働かせて、もしくはそのような状況を作って、彼女の有責として婚約解消するくらいの動きを見せて欲しかった。

 国同士や政治など、そういった駆け引きや相手を引き込んだり、時には脅して自国に有利に持って行かなければならない。それをただ直情的に動き、条件も把握していないなんて、とあきれるばかりだった。


 ステッソとスピランテは、さらにその場で別れるか結婚するかを迫られた。互いに後に引けなくなっていた二人は結婚を選んだ。賠償金があろうが、次期国王になればそのくらいの金は簡単に支払える。何よりも優秀なスピランテとなら、フェルメッツァよりも要領よく自分のフォローが出来るだろう。


 そう考えていたが甘かった。

 

 婚約解消の条件はそれだけではなかったのだ。フェルメッツァに非の無い状態での婚約解消は、どこまでもステッソに不利な条件が提示されていたのだ。それすら把握していなかったステッソに、国王が愛想をつかし、王位継承権のはく奪を告げた、まさにその時。


 ソノリーテがフェルメッツァを伴って現れ、泣き崩れるフェルメッツァを慰めながら、ソノリーテが国王にフェルメッツァとの結婚を提案した。


 その場にいた誰もが度肝を抜かれたが、このような形で婚約を解消されたフェルメッツァには幸せな将来はない、しかしこの優秀な女性を侯爵家に閉じ込めさせるのは勿体ない。

 ソノリーテは昔からフェルメッツァの美しさと人柄と、才能にほれ込み恋焦がれていた。フェルメッツァが弱っている所につけ込んだようで申し訳ないが、自分はこのチャンスを逃したくない。

 自分とフェルメッツァならこの国をさらに発展させられる自信もある。どうか婚姻を許してほしい、と片膝をついて国王に要求した。


 ソノリーテの狙い通り、フェルメッツァを手放したくなかった国王は、すぐには了承できないが、と言い、2年の期限を二人に言い渡した。その間に国民を納得させ、国の発展に少しでも寄与してみせよと。

 同時にソノリーテの提案で、ステッソたちにも同じ条件を言い渡した。彼らが勝ったら、王位継承権を戻し、次期国王と王妃であると正式に認めようと。


 そうしてしっかりと結果を残したのが、ソノリーテとフェルメッツァだった。


 ステッソは、この件とは別にフェルメッツァへの賠償金をスピランテの分まで一括で支払ったため、ステッソの貯金は、激減した。それでもフェルメッツァの助言通りに貯金と投資をしていたから多少残りの資金があったので、ステッソは安堵のため息をついた。

 

 だが納得しなかったのはスピランテだ。別に王妃になれなくても良かった。そんな責任重大な地位に就くのは正直嫌だった。自分だって、自分の立ち居振る舞いが貴族の足元にも及ばないなどと言う事は知っている。いくら訓練したって、所詮はうわべだけだ。フェルメッツァや本物の貴族に勝てるわけがない。だからステッソが王になれない、それ自体は構わなかった。


「だからって何で、こんな領地の端に飛ばされているのよ!」

「仕方がないだろう、これも婚約解消の条件の一つに入っていたんだから!」


『王族側の不貞の場合で、王位継承権を剥奪された場合には、侯爵家と顔を合わせないようにするために社交界からの追放及び、僻地への移動を要求する』


 この文面は婚約当時、侯爵家が要求して入れたものだった。互いにそんな事はあり得ないと思っていたが、万が一別れた時、フェルメッツァが王都で悲しい思いを少しでもしなくて済むようにと入れたものだった。これも穏便に解消していれば、ステッソの王位継承権が剥奪されることはなかったはずで、そうなれば発動しない条件だったのだが、ステッソの考えなしの行動で、見事に発動してしまったのだ。その上、「2年で領地繁栄に目に見える成果を」という勝負にも負けた。否応なしに二人は王都を追われてしまったのだ。


「こんな田舎じゃ、私が生まれ育ったところの方がましよ! 何もないじゃないの、畑と草原しか!!」

「農作物と酪農の地だから……」

「どこの弱小貴族よ! こんな事ならあなたに近付かなければよかった!」

「そ、そんな……」

「私は王国高等学校創立以来の、才女だったのよ! まじめに勉強して大学へ行っていたら、私は確実に官僚になれたわ! 高給を取りながら同じく高給取りの官僚と結婚して、そしたら王都で贅沢に楽しく暮らせるはずだったのに!!」

「降格されたけれど、私は侯爵なんだぞ、官僚よりはいい暮らしだって出来るはずだ」

「あなた、この2年で貯金なんて使い果たしたじゃない!」

「そ、それはなくなったけど、5年間は給付金がある。それで領地を発展させれば……」

「こんな田舎で何が出来るって言うのよーーー!!!」



 

 ステッソたちはこの地に追われた。ここから這い上がれるか、ここで終生を過ごすかは二人次第。二人ともその気になれば能力は高いのだが、大げんかを繰り返している毎日では、それも望めそうにない。

 家を追われ、この地での執事となったアルフィーノは、毎日二人に当たられながら、山のような仕事を必死にこなしているという。

 

 

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漫画読んでこっちも読みに来たけど漫画の方が近衛弱いのね
[良い点] 宗教関連でうるさく言われないなら、これはこれで有りかもしれませんね。 ただこれが、お家乗っ取りの悪しき先例となる可能性も無くは無いので、法制度はしっかりとしとかないとダメでしょうね。 娘の…
[一言] 侯爵の下は公爵ではありませんよ? 王族の下が公爵です。 ちなみに順番は以下 公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵 となります。
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