04 薄紅恋詩
「怪我はない?」
ついさっきまでスライムだった長身の男が膝を折った。
僕に目線を合わせて、威圧感を与えないように話す。
「…………慣れてるの?」
「ん?」
「子供相手」
「あぁ。お兄さんは美容師……えぇと、理髪店の店主だったからね、生前」
生前?
訳がわからなくて首を傾げると、長身の男が苦笑する。
「お兄さん、一度死んでるの。この人間の姿は死ぬ前の姿で、今のお兄さんの本当の姿はさっきのスライムなの。スライムとして生まれる前の記憶があるから、こんな風に人間の姿になれるんだ」
金色の目をした長身の男性は人当たりの良い笑みを浮かべながら、そう口にする。
「人間だった頃のお兄さんは、髪型を整える仕事をしていたの。お客さんには小さな子供もいたから、確かに……慣れてるかもしれないね」
サラリと流れるように語る男。
こんな人間、マードック家にはいなかった。
僕に無関心な父親。
自分の言いたいことを押しつけて、僕の話を聞いてくれない母親。
叱責してばかりの次兄スヴェン。
黙して語らない妹シェリル。
いや、一人いた。
長兄アレクシス。
彼は僕の話を聞いてくれたが、彼もまたマードック家を追われてピンコット家に婿養子に入った。
魔術師の適正持ちだったが故に、マードック家の次期当主には相応しくないという理由で。
「貴方は……強いんですね」
獲物を前にした獣型の魔物をあっという間に退治してしまった。
腕を刃にしていたが、その捌き方は尋常じゃない。
「スライムは寿命が長いからね。こう見えてもお兄さん長生きなの。生まれたばっかの時は戦い方も変身の仕方もわからなくて、右往左往してたよ」
長身の男性の言葉を聞いて……初めて、涙が零れた。
魔物に襲われた時も、涙なんて出なかったのに。
「どうしたの? 何処か痛い? 怪我でもした?」
「…………なれますか?」
「…………?」
「僕も、お兄さんみたいに、強くなれますか?」
尋ねると、長身の男性はふわりと笑った。
「なれるなれる。何なら、お兄さんが特訓してあげようか?」
想像もしていなかった言葉だった。
「いいの……ですか?」
「もちろん」
長身の男性は、僕の頭を撫でる。
「しばらくは聖地に滞在する予定だから。その間は特訓してあげられるよ」
「聖地って……ティアニー家の、ですか?」
ティアニー家には僕のひとつ下の子供がいる。
そして、その子供が当主でもある。
何故なら、彼の両親が事故死してしまったからだ。
アッシュフィールド家の現当主が後見人となっているが、ティアニー家には寄りつかないとも聞く。
「そう。フィニスがまだ小さいからね。あの子がもう少し大きくなるまではラスティルに滞在しようと思ってるの。君はフィニスと歳も近いし、仲良くなってくれると嬉しいな」
フィニス・ティアニー。
死者を召喚するとも、死者の声を聞くとも噂される少年。
父も母も不気味がっていた。
…………でも。
「確かに、一度話してみたいかも」
今まで、僕の世界はマードック家の中で完結していた。
マードック家の外の誰かと話してみたい……そう、思った。
「歓迎するよ。フィニスもきっと喜ぶ」
長身の男性が笑う。
「スライムであるお兄さんに本当は名前なんて無いんだけど、前世の名前はソーシ・ユズキって言うんだ。皆にはその名前で呼んでもらってる」
「ソーシ・ユズキ」
「でもソーシってこの世界じゃ発音し辛いでしょ? ユズキでいいよ」
彼はきっと、人間には誰にでもそう告げるのだろう。
彼の言う通りにするのは何となく嫌だった。
彼の“特別”になりたかった。
だから、僕は首を横に振る。
「でも、ソーシがファーストネームでしょ? だったらソーシって呼ぶ。僕はノア・マードック。ノアって呼んで」
あの時の、颯志の嬉しそうな表情を今でも覚えている。
やはり、ファーストネームで呼ばれるのは嬉しかったのだろう。
後に、フィニスも“颯志”と呼んでるのを知って、少しガッカリするのだが。
けれど…………。
この出来事は、僕の喜びの始まりでもあり、そして苦しみの始まりでもあった。
長い、長い。
恋慕と言う名の喜びと、苦しみの。




