02 薄紅恋詩
中学3年生になったある日、私は街で式睦を見かけた。
小学校入学以来会っていなくても私にはわかった。
不良っぽくなっていたが、何処をどう見ても彼は式睦だ。
「式睦君っ!」
私は彼の名を呼んで駆け寄った。
しかし、彼の方は何の反応も示さなかった。
「誰だ、お前」
「えっ…………」
「東中の鬼崎 櫻子じゃないっスか。すっげぇ美人なのに誰にも靡かないことで有名な……。もしかして頭のオンナだったんですか?」
式睦君の手下らしい不良少年が下品な笑いを浮かべながら言う。
しかし、式睦君は私の名前が出てさえも無反応だった。
「鬼崎 櫻子? 知らねぇな。さっさと帰れよ。それとも俺たちと遊ぶか? メスの悦びでも俺らが教えてやろうか?」
式睦君も、手下の不良少年と同じく下品な笑い声を浮かべながら言った。
その時だった。
「櫻子ちゃん」
光輝が私の手を引っ張った。
「説明するから、とりあえず帰ろう」
「何だよ光輝、お前のオンナかよ。お前のオンナにしちゃ上品な美人じゃねぇか」
「うるせぇよ式睦。どう勘繰ってくれても構わねぇが、櫻子ちゃんには絶対に手を出すなよ。手下にも言い聞かせとけ。櫻子ちゃんに何かあったらタダじゃおかねぇ」
「へぇへぇ。オンナが絡むと怖いねぇ」
「茶化すな。櫻子ちゃん、行こう」
一言も口を挟めないまま、私は光輝に連れられて式睦の元を離れた。
私の家の前。
光輝は頭を下げた。
「どうして、光輝君が頭を下げるの?」
「櫻子ちゃんに嘘を吐いて、隠し事をして、傷つけたから」
「…………とりあえず、入って。お父様もお母様も今日はいないから」
父親は会社社長。
母親は日本舞踊の師範。
そんな私の家は和風だがかなり広く大きかった。
居間で光輝にお茶を出すと、光輝はまた頭を下げた。
「式睦君は、いつこっちに返ってきたの?」
「小学6年の時だ」
私は唇を噛んだ。
ダメだ。
今怒ってはいけない。
冷静にならなければ。
「何故私に教えてくれなかったの?」
「それは……」
「事故も嘘?」
「…………いや、事故は本当だ」
光輝は覚悟を決めたように、顔を上げた。
「式睦は事故で記憶を失った。アイツには事故に合う前の記憶がない。櫻子ちゃんのことも、忘れちまったんだ……アイツ」
「忘れた……」
悲鳴を、絶叫を、必死に喉奥に押し込める。
「私の手紙は……」
「おばさんが大事に取っておいてあるって。ただ、式睦に見せるかどうかは悩んで、結局見せなかったらしい」
「私が、幼かったから?」
「…………あぁ。櫻子ちゃんの方も、小学校に入る前の初恋の相手なんて、すぐに忘れるだろうと」
どうして。
どうして大人はいつも勝手に決めつけるのか。
まだ私は式睦を想っているし、恋慕の業火にずっと苛まれ続けているというのに。
「でも、こうなるなら櫻子ちゃんにはちゃんと説明しておくべきだった……ごめん」
光輝は再び頭を下げる。
「お父様と、お母様は……」
「知ってた。事故のことも、記憶を失ったことも、俺のおふくろが櫻子ちゃんのお父さんとお母さんにはちゃんと話したし、式睦が戻ってきたことも電話で…………」
「お父様も、お母様も、隠していたのね。私の味方なんて一人もいなかった。皆、味方のフリをして、初恋に恋い焦がれる私を嘲笑っていたのね」
「違う! 櫻子ちゃん、落ち着いて……」
「帰って! もう2度と私の元に現れないで!」
光輝は迷ったようだが、ゆっくりと立ち上がった。
「櫻子ちゃん、他の大人は知らない。でも俺は、君の傷が癒えることを祈って……」
「帰って!」
私は叫ぶことで光輝の言葉を封殺する。
光輝は何度か躊躇った後、玄関に足を運んだ。
その夜。
いつも式睦に会えることを祈る時間。
私は、手首を切った。
もう、この世界の、誰も彼もが信じられない。
いっそ眠ってしまいたい。
だから、手首を…………。




