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そうやって僕は明日を生きていくんだ。

作者: 犬三郎

 フィールドワーク


 ある土地に行って、対象を見て、聞いて、感じて、自分の中の考えを作っていくもの、だと僕は思う。

 僕は広島のフィールドワークに行くと決めた。それはある教室の、フィールドワークだった。僕はその教室に属していて、8月4日〜8月7日までの3泊4日で広島を旅して、広島の原爆の問題を考える。

 僕はフィールドワークに参加するのは去年の、福島以降2度目であり、福島のフィールドワークで人生観を変えられたら僕にとって、期待が大きいものだった。

 福島のフィールドワークで感じたことについては、『俺はお風呂に浸かっている。』を拝見して欲しい。

 8月4日、前日夜遅く、いっても10時までバイトで、夜の2時に寝床に入った。で、今日は5時30分に起きた。眠さはあまりなく、僕は自分のことを子供だなと思うほど、ワクワクしてしまってあまり深い睡眠はできなかった。僕は荷物が全部あるかと、最終チェックをして、集合場所へと向かった。集合場所に着く頃には集合時間の7時は過ぎてしまっており、慌てて車に乗車する。

 しかし、まだまだ出発しない雰囲気であったため、僕は一息ついて椅子に座る。今日から4日間、一緒にフィールドワークにいくのはもう知り合い同然の人達。僕は友人だと思ってはいるが、友人といえば怒る人もいるし、怒らない人もいる。各々、自分の考えを持って、この社会と人と向き合ってる人達だ。色々な思想があるから面倒臭い人達ともいえるし、そうはいっても僕も面倒臭い人間になってしまっている。

 そんな8人が集まった、フィールドワーク。先生とも呼ぶべきか分からない、これまた面倒な人と、ここではもう先生と呼ぶが、その先生と先生の友人が僕たちを引率してくれる。いざ出発、ここから長い移動時間始まった。

 各々が会話を始め、僕も隣の人と喋っていく。だけど、今回僕はこのフィールドワークに参加する上で人間関係にとてつもなく悩まされていて、考えていた。『そうだ、ここで愚痴って考えよう』を拝見して頂ければ、僕の人間関係の悩みが分かると思う。

 ここで簡単に説明すると、僕は他人を気遣いすぎて、疲れる傾向がある。でも、この車に乗っている友人たちのことを僕は好きだし、関わりたい、けど僕は友人に気遣いすぎてしまってるが故に、友人たちは僕を「良い人」だと思っている。本当はそれを演じいるだけなのに。

 その悩みもあって、今回は「良い人」を演じず、自分を出そうと努力をして、いつもより自分でも感じるほどつんつんしていた。いや、普通ならつんつんなんてしていない部類に入るが、普段の僕の雰囲気が柔らかすぎて、つんつんしてしまってると思ってしまった。

 そんな僕の問題もありながら、8時間後。やっとのことで広島に着いた。広島名物、路面電車、広島の街並み。皆は路面電車を見て、騒いでいたが僕は騒がない。

 実をいうと僕は3年前に広島に旅行に来ていたからだ。だから、路面電車にも感動はしないし、懐かしいという気持ちですらあった。そして、試したいことがあった。3年前の僕は原発ドームにいって、ただ壊れた施設だなと、何も考えず、何も感じないで広島を過ごしてしまっていた。今の僕は、今回の広島で考えられ、感じられるのか。最早、使命感ともいえるべき足枷が僕を虐めていた。いや、そもそも何故僕はあの時に何かを感じられなかった理由が、社会学を学び始めてずっと疑問だった。その答え合わせをしようと、フィールドワークに参加した節もある。

 僕らは最初、広島城跡に赴いた。外は暑く、暑く、暑い、とにかく日差しと湿気が故郷と段違い。汗をじわったかき、広島城跡を探索した。ここは原爆が落とされる前、日本の首都の中枢だったという。軍備施設を整え、最高司令官の天皇も在籍し、中国を攻める、のにも適していた。軍の要であり、戦時中は東京よりも首都と呼べた。だから、原爆は東京ではなく、広島に落とされたのだ。僕は先生から説明を聞いて、とても不思議に感じた。僕はとても深い、闇の中に入った気がした。闇が深すぎて、掴めない。何も。どこから手をつけたらいいのか、どこから考えていけばいいのか。とても不思議な気分だった。その訳を掴めたのは2日目のフィールドワークだった。

 2日目は呉市の大和ミュージアムへと赴いた。

 そこはとても不快感を覚える場所だった。呉市全体が自衛隊を物凄く推していて、どこに行っても自衛隊に入ろう、自衛隊はいいところだという看板がある。大和ミュージアムにも入ったが、そこには戦艦の具体説明と、遠回し的に戦争はよかった、戦争があったからこそ今の私がある、戦死したこの人は賞賛されるべきだと、展示があり、入って30分もしないうちに不快感を覚えた。

 勿論、戦争に被害を受けて、苦しんだ人達の映像や、物もあった。あったはあったのだが、それはとてつもなく表層的で、僕は軍というものは素晴らしいところだと教えられているような気がした。

 僕は自衛隊を全否定しているわけではないが、側面的には自衛隊がいるからこそ戦争は起き続けるという暗示でもあると考えている。平和主義を謳っている日本には自衛隊なんて、必要とは思わないし、最近では憲法の改竄で、着々と軍を整えていくという意志を日本から感じられる。日本は今、歴史を繰り返そうとしている。そんな気が僕にはこの2日目のフィールドワークを通して感じられた。

 その日の夜、また友人らと自分たちが感じたことを喋っていく。そこで喋っていき、僕がそこで感じたのは、原爆の問題が風化しつつあるってことだったて気づいた。何故風化しているのか、それはまだ分からないが。明日のフィールドワークで分かる気がしていた。今日は8月6日、原爆が落とされた日。各国の偉い人たちも集まり、慰霊する日だ。なのに、今の世の中はいつ戦争が起きても不思議ではない。日本もそのうちの一国でもある。

 今日は朝早くに慰霊碑でお参りをして、大久野島、うさぎ島、毒ガス島とよばれる島へいった。そこへ戦時中、どうやって毒ガスが作られたのか、どんな被害があったのかと、戦争の怖さを強く強く感じた。その上で、戦争なんて得などない。得があるのは国の上層な人達だけで、僕たち国民だけが被害あっていくんだって改めて気づいた。

 大久野島から帰ったあと、僕達は灯篭流しをみにいった。

 川の近くいけばいくほど、人でごった返しになっていて、僕は灯篭流しちらっとみて、気持ち悪くなった。フラフラとしながら、そこから離れて座り込んだ。

 なんで気持ち悪くなったのか。それは灯篭流しは元々、死者たちを弔うものなのに、ある人は観光気分、ある人はお祭り気分、ある人は本当に悲しんで、ある人は感動していて、ある人は、ある人は。そして、全員が携帯を握って、写真を撮って、満足気に帰っていく。

 僕はそうじゃないだろ、これは死者を弔うものであって、貴方たちが満足するものでは無いんだって思ったんだ。

 貴方たちの、自己満足じゃん。この灯篭流しはもうイベントであって、本当の灯篭流しではなくなってしまったのではないか。今まで見てきた戦争の惨状と、使者たちの気持ちを本当に多少なり理解した僕は、死者の気持ちとこの大衆の気持ちを対象化して、気持ち悪くなったんだ。

 また、僕自身も思わず写真を撮ってしまっていたため、更に自分にも気持ち悪さが出てしまい、具合が悪くなった。

 僕は3日経ってきづいた。確信に変わった。原爆の問題は風化しているって。70年以上前のことで、被害にあった場所は観光スポットになっていて、各国の偉い人達は原爆の問題を考えてますよという表向きだけ、しかも70年以上の前の問題は、変化したこの世の問題に繋がることが少ない。繋がったとしても戦争のことであり、戦争はもう起きてしまう世の中。

 もう、意味ないじゃんって思ったんだ。広島に原爆ドームがある理由も、全てが意味ないって。これから僕は色々な問題を考えていきたいけど、どうせ10年後20年後、その問題はもう風化して、普遍的な問題になってるかもしれない。とてつもなく許せない気持ちと、やるせない気持ちが錯綜して、僕は考える。考えて、考えて、原爆の問題を忘れないのが僕のできる事なんだって、分かった気がした。僕の中で、何故3年前に何も感じなかったのか答え合わせができた気もしたんだ、僕は風化した問題を見たからこそ、何も感じられなかったんだ。表層的な部分しか理解出来なかったから、戦争などもう起きないだろうと楽観的思考だったから。

 4日目、フィールドワーク最終日。僕達は広島記念資料館へと赴いた。最後の答え合わせな気持ちで僕達は資料館に入って、音声ガイドと共に資料館をみていた。そんな時、僕の友人がいきなり倒れた。僕の3メートル後ろにいた友人は、後ろ向きに倒れて、頭を展示物の角にぶつけて、血を流して倒れた。

 僕はたまたま背後を見ていて、倒れる瞬間を目撃した。一瞬、一瞥したものだからまさか友人ではないと思って、でも服装が似ていたと、ザワつく館内の人をおしのけて、近づく。そこには友人が苦しそうに倒れていて、館内をみていた職業、消防員の方2人が手当をしてくれていた。僕はただ見ていることしか出来なくて、先生も近くにいたものだから、先生は慌てて近づき、名前を連呼する。5分後曖昧な意識の中から朧気に意識を取り戻した友人は、救急隊に運ばれて、先生と一緒に病院に向かった。

 僕は唖然として、そして騒ぎに気づいて、近づいてきたもう1人の友人も凄くショックを受けていて、泣き始めた。

 僕とその子は休憩室に行き、その子はずっと泣いていて、不安感に押しつぶされそうになっていた。僕も物凄く辛かったけどその時だけは自分を騙して、得意な仮面を被って平気なフリを演じて、その子を慰めた。


 その日の帰り、僕は人間関係についてまた考えた。僕は「良い人」を演じていて、本当の僕を見せてない。見せたら見せたで、周りからつんつんしてるねとフィールドワーク中に言われたし、そこでいつも「良い人」を演じてる僕が、皆の中の僕なんだとショックを受けた。またそれで悩んでいたが、今回のことでなんてしょぼい事で悩んでいるんだと感じてしまった。

 僕は今日、人は本当にいつ亡くなってもおかしくないと感じた。友人の頭の当たりどころが悪かったら、友人は死んでいたし、もう会えなかったかもしれない。もし死んでしまったら僕は本当に後悔すると思う。僕は本当の自分を友人にみせられずに、友達になってしまったっていた。そんな僕に悲しむ道理はない。なせなら、一緒に活動してきたものも全て側面的には偽物だったからだ。偽物の関係性で一緒に過ごしたからだ。僕はこれからこんな人付き合いをしたら後悔して生きていく。今日そう思ったんだ。


 今回のフィールドワーク。去年の福島のフィールドワークとはやはり違った見方で、そして違う出来事で自分が変わった。今回のフィールドワークは僕を変えてくれた気がした。

 僕はこれを書いている車の中で2つの事を祈る。


 1つは戦争が起きないことを


 1つは友人とまた会えて、本当の自分を見せることを


 そうやって僕は明日を生きていくんだ。闇に飲み込まれても、考えて、目的を作って、クソッタレた世界を突き進んで。

 この短い人生の最後を見失わないように。





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