03、ジュキエーレ出生の秘密
アンジェねえちゃんは風魔法を解くと、何食わぬ顔で家の前の坂道に着地した。
「ただいまー」
木製の玄関扉を押し開けると、あたたかい夕飯の香りがふわりとぼくを包み込む。
「おお、ジュキ! 母ちゃんから聞いたぞ」
部屋の中から父ちゃんが、満面の笑みを浮かべて現れた。大きな手で、ぼくの頭をぐりぐりと撫で回す。
「かわいくなりやがって。俺の子とは思えねえ美少女っぷりだ」
ガハハと大声で笑うと、軽々とぼくを抱き上げた。そのまま部屋の中を大股で歩いて、ぼくを食堂の椅子に座らせた。
キッチンでは母ちゃんがお鍋をかけ回している。
「ジュキちゃん、おねえちゃんと屋台巡り、楽しかった?」
母ちゃんの優しい声を聞いた途端、ぼくは泣き出しそうになった。ねえちゃんと見て回ったフェスティバルマーケットも、大道芸人のおじいさんが見せていた人形劇も、いじめっ子たちに投げつけられた言葉のせいで遠い過去みたいだ。
父ちゃんが中庭の共同井戸に水を汲みに行くとき、ぼくはスカートの裾をひるがえして、そのあとを追いかけた。
「ねえ父ちゃん、ジュキは誰の子なの?」
「はぁ?」
振り返った父ちゃんは、あんぐりと口を開けた。
「何言ってるのよ、ジュキちゃん!」
すぐに反応したのはねえちゃんだった。
「ジュキちゃんは、父さんと母さんの子に決まってるでしょ! 私、ジュキちゃんが生まれた日のこと、覚えてるんだから」
ぼくより五歳年上のねえちゃんは早口で、村が一面の銀世界へと変わった奇跡の夜に、ぼくが生まれたのだとまくし立てた。
「お産婆さんが産湯で洗った小さな小さなジュキちゃんを、母さんが抱き上げたの私、見てたもん!」
「でもぼくだけこんな鱗が生えてみっともない姿なのに……」
井戸の前で立ち止まったぼくは、石畳のすきまから生えている雑草に視線を落とした。ツインテールがふわっと、こめかみのあたりにかかった。
「なっ」
追いかけて来たねえちゃんの顔色が変わった。
「何言ってるのよ! ジュキちゃんの鱗はなめらかで、真珠みたい。すっごく綺麗なのに! おめめは大粒のエメラルドだし、長いまつ毛は銀細工のよう!」
並べ立てて、ぼくを抱きしめた。
「私の弟は全身宝石みたいだわ!」
「そうよ」
ねえちゃんが必死で訴える声が聞こえたのか、キッチンにつながる小さな木戸が開いて、お料理をしていた母ちゃんがエプロンで手を拭きながら出てきた。
「ジュキちゃんは母さんの宝物だもの。それに母さん、ジュキちゃんの声も大好きなの。鈴を鳴らしたみたいで、本当にかわいいわ」
母ちゃんの優しい声音が、ぼくの心をそっと包み込んでくれる。
「ジュキ、そろそろお前の出生の秘密について話さなけりゃな」
父ちゃんは井戸から手を離して、ぼくの両脇をしっかりつかむと抱き上げた。夕方の空が近くなって、まわりの煙突からお夕飯の匂いが漂ってくる。
「お前の姿は先祖返りなんだよ」
「せんぞがえり?」
初めて聞く言葉だった。
「そうだ。だから確かに、竜人族の父ちゃんとセイレーン族の母ちゃんの子なんだ」
父ちゃんはぼくを片腕で抱き、もう一方の手で水桶を持ち上げて部屋に入った。
「父ちゃんの遠い遠いご先祖様が白竜だってのは知ってるだろう?」
「うん」
村の人たちはみんなそれぞれ、うちは赤竜だ、うちはナントカ竜だって自慢げに話してるもんね。
「父ちゃんの白竜ってのは、とびきりすごいんでしょ?」
「水の精霊王様が白竜だったって言われているからな」
父ちゃんは色褪せたソファにドカッと腰を下ろすと、膝の上にぼくを座らせた。
「ジュキは先祖返りした姿で生まれたから、白竜の鬣みたいな銀髪に、真珠のような鱗を持ってるんだ」
父ちゃんは日焼けした大きな手で、ぼくの手に生えた水掻きをムニムニさわりながら、
「水掻きはセイレーン族由来かもな。でもこの透明な鉤爪は白竜様のものだろうよ」
「先祖返りっていいことなの?」
みんなと同じ姿に生まれたかったよ……
「いいことに決まってるじゃない!」
ねえちゃんが大きな声を出す。
「外見だけなんてことはないはずよ! 大きくなったら、きっと強ーい魔法が使えるようになるわ!」
ねえちゃんの言葉に、ぼくの胸が高鳴る。
すぐ横のキッチンでお料理をしていた母ちゃんが振り返った。
「ジュキちゃんが生まれた日、村のみんながとってもおめでたいことだからって、お祝いしてくれたわ」
なつかしそうに目を細める母ちゃんの横顔を、暖炉の火がオレンジ色に染める。
「次の日には旅の聖女様が村にいらっしゃって、ジュキちゃんを守る石を授けて下さったのよ」
「これよ!」
「きゃっ」
ねえちゃんが勢いよくワンピースをめくりあげたので、ぼくは小さな悲鳴をもらした。
「この変なの……」
ぼくは猫ちゃんみたいな爪で、冷たい瑠璃色の石をそっと叩いた。
「変じゃないわよ! 聖石って言うんだって!」
ねえちゃんが楽しそうだから、ぼくは黙っていた。どうしてか分からないけれど、この石を見ると嫌な感じがするんだ。とっても不安になるの。
「ありがたいものなのよ」
母ちゃんもほほ笑んでいるし、この石が怖いなんて言えないもん……
「そうだぞ、ジュキ。綺麗な瑠璃色の髪をした人族の聖女様が、わざわざこんな辺境の――彼らが亜人領なんて呼んでる地域まで来たんだ」
「じんぞく? あじんりょう?」
分からない言葉がいっぱい出てきて、ぼくは父ちゃんの膝の上で首をかしげた。
「そうだとも。遠い遠いところには、人族っていう弱っちいのがたくさん住んでるのさ」
父ちゃんはぼくを膝から下ろすと立ち上がり、テーブルの上のランプに火を入れた。
「ジュキたちとどう違うの?」
あたたかく照らし出す黄色い灯りの中で、ぼくは首をかしげた。
「見かけはそんなに変わんねえよ。でも人族の耳は小さくて丸っこい。あと犬歯――」
父ちゃんはぼくたちを振り返ると、自分の牙を親指で示した。
「ここの歯も、とがってねえんだ。人族は俺たちのことを亜人族なんて呼んでやがる」
「ジュキたち、竜人族じゃないの?」
「俺たち竜人族や獣人族を全部ひっくるめて、亜人族って呼んでるらしいな。父ちゃんは俺たちの自治領を出て、遠く人族の都まで冒険者として旅したのさ」
自慢げに胸を張った父ちゃんが、いつも以上に大きく見えた。
「自治領って――?」
ぼくが小声で呟くと、
「私たちの住んでいる多種族連合自治領のことよ。手習いのお師匠さんのところで習ったわ」
ねえちゃんがしたり顔で、勉強したことを披露する。
「あれ? この村、モンテドラゴーネって名前じゃなかった?」
「ヴァリアンティ自治領の中に各種族ごとの村や町があるのよ。ヴァリアンティ自治領自体はレジェンダリア帝国の一部。帝国は水の大陸の大部分を治めているの」
ねえちゃんが博識に見えて圧倒されたぼくは、何も言えなくなってしまった。
「ジュキちゃんも六歳になったんだから、手習い師匠様のところに通うといいわ」
「そうだな、ジュキ。文字も読めるようになるし、地理についても教えてくれるぞ」
「そうすると何かいいことあるの?」
ぼくの素朴な疑問に、父ちゃんはアッハッハと大声で笑った。
「文字を学べば魔術書を読めるようになって、魔法を使うときに便利だろ? 地理が分かれば、父ちゃんみたいに冒険者をやるのに役立つんだ」
「父ちゃんみたいになれるってこと!?」
ぼくは憧れのまなざしで、筋骨隆々とした父ちゃんを見上げた。でもねえちゃんは、ぼくのワンピースの裾を直しながら首を振った。
「ちっちゃくてかわいいジュキちゃんに、冒険者なんて似合わないわ」
ぼくはいつまでも小さいわけじゃない。父ちゃんみたいにたくましい男になるんだ。
「ぼく、手習いのおししょさんとこ行くよ!」
宣言すると、お料理中の母ちゃんが振り返ってほほ笑んだ。
「母さんも、ジュキちゃんがお勉強するのは賛成よ」
次回、ジュキエーレの固有ギフトが目覚めていくきっかけとなる出会いがあります。





