64★私の彼、女の子だと思われてるから安心だわ【レモ視点】
(レモネッラ視点)
皇后劇場に向かう馬車の中、ちっとも変わらない車窓の景色にやきもきして、私は窓から顔を出した。
「馬車が渋滞してるのかしら」
「お馬さんが重体なの!?」
私のひとりごとに、とぼけた質問をしたのはもちろんユリア。面倒なので無視していると御者のおっちゃんが、
「お嬢様、皇帝一家のお乗りになった馬車が到着されたようで、道を開けているんでございやすよ」
と教えてくれる。
車内で師匠が、
「劇場の開演前ですから皆さん同時に乗りつけますしね」
と付け足した。
「馬車がいっぱいなのー」
きょろきょろと物珍しそうに見回すユリアの言う通り、私たちの左右も前後も馬車で埋め尽くされている。
魔力燈が立ち並ぶ帝都の美しい街並みが見えなくなって落胆していたら、となりの馬車から貴婦人方の会話が聞こえてきた。
「ねえあなた聞きまして? 今夜の主演女性歌手はわずか十四歳の少女ですって!」
師匠の耳にも入ったらしく、私たちの向かいでちょっと首をかしげる。
「ジュキくんって十六歳でしたよね?」
小声で確認する師匠に、
「そうよ。噂なんてあてにならないものね」
「ジュキくんって少女なの?」
すっとぼけた質問は安定のユリア。
「少年――実年齢からいえば青年かしら」
「やっぱり男の子だよね! 今度目で見て確認しよう」
「えっ、どこを!?」
発言の詳細を問いつめる前に、またとなりの馬車から話し声が聞こえた。
「あまりに美しくて日常生活に支障をきたすから、普段は男装して過ごしているとか」
それ、私が口から出まかせ言った嘘情報じゃないの! ジュキごめん……
「男に取り囲まれて道も歩けないんですって」
うわさって本当に尾ひれがつくのね。
「美声に美貌まで持っているなんて、うらやましいわぁ」
「ついでに若さも」
「私だって十年前は若かったわよ!」
「あら二十年前の間違えじゃなくて?」
丸聞こえの会話に私たちが苦笑しているとも知らず、貴婦人方はオホホホホと声をそろえて笑っている。
皇帝一家の馬車がいなくなったのか列は進み、私たちもようやく劇場に到着した。
「わぁ、着飾った人たちがたくさん!」
劇場ロビーに足を踏み入れたユリアが歓声を上げる。
「貴族の方々の社交場ですからね」
はぐれないようにユリアの手を握った師匠に気付いて、帽子に羽飾りを差したご婦人がこちらへやってきた。
「セラフィーニさんお久しぶりですわ! そちらのかわいらしいお嬢様方は姪御さん?」
「いえいえ、元教え子ですよ」
「まあそうなの! 親子みたいですわよ」
ちらりと師匠の横顔を盗み見ると、まんざらでもない様子。
師団長の奥様ということで私たちも自己紹介をした。次から次へと師匠の知り合いが現れるので、私はそのたび王妃教育で叩き込まれた会話術と仕草を駆使して、「まあ本当に!」「なんて素晴らしいのでしょう!」「あら、存じ上げませんでしたわ!」などと脊髄反射で答えながら、耳だけはロビーにつどう人々の会話に向けていた。
曰く――
「わたくしオペラの台本を買いましたのよ。でもそこにもオルフェオ役の名前だけ載っていないんですの」
「実は皇后様の隠し子っていううわさもあるんですって!」
「えぇっ!? 女性同士でできますの!?」
皇后様ったら、男性にはもっぱら興味がないと信じられているのね。
「異界にいらっしゃる愛の神が同情して授けたとか?」
「まあ! 今日のオペラの筋書きみたい!」
とんでもない方向に話が進んでいて頭痛がするわ。
大体、頭痛の種はそれだけじゃないの。有力者のくせに普段、社交の場に姿を現さない師匠とコネを作りたい人々が私たちの周囲に輪を作っていて、これではまるで貴族たちの夜会だわ。
儀礼と社交の場が、私の目には欺瞞に満ちた空間に見えて、精神力をそがれるのだ。
「師匠、早く私たちの席に行きましょうよ」
作り笑顔の隙間で耳打ちすると、
「そうしましょうか」
師匠は立ち寝しかけたユリアを引っ張って、人々の輪からするりと抜けた。
「元教え子の子爵令息がゆずってくれたボックス席なんです」
「チケット買ってたのにくれたのぉ?」
宮殿のような大階段をのぼりながら、ユリアが師匠のローブを引っ張る。
「いえいえ、市民の皆さんはチケットを買って平土間席に入りますが、貴族たちはボックス席の年間契約という形で、劇場運営に出資しているんですよ」
師匠の言葉を引き継いで私が補足する。
「そ。音楽に目のない皇后様が影の実力者でしょ?」
上質なじゅうたんが敷かれた廊下を歩きながら、
「ボックス席を所有してない貴族なんて、芸術を理解しない野蛮人と見なされて、社交界で居場所がなくなるんですって」
「ほえ~。うちのパパみたいに筋トレが趣味の貴族は大変だねぇ」
ボックス席にいたる木の扉が並ぶ廊下を歩きながら、ユリアが他人事のように言った。
人によっては生きづらいと思うのよね、帝都って。耳が不自由だった第一皇子が孤立した理由も分からなくはない。
師匠はわずかに苦笑しながら、
「まあでも貴族の方々は、ボックス席にお客さんを招いて接待するなど使い道もありますから」
「あら、お金に困っている貴族は、裕福な商人に有料で貸し出すって聞いたわよ?」
私の言葉に師匠の笑みは、明確に苦いものとなった。
「ええ、まあ。表向きは今日の私たちのように、友人へのプレゼントってことにしているみたいですがね」
「お師匠様、お金払ったのぉ?」
ユリアがずけずけと質問すると、
「いいえ、純粋な好意でゆずってくれたのです。でも観劇後はすぐに便箋三枚以上の感想を書いて送らなければなりませんが」
「お師匠様なのにレポート課題だぁ」
オペラに興味はないが、世間話のためにネタを仕入れておきたいのだろう。そんなことに恩師を利用するとは、とんでもない元教え子だ。
師匠が劇場の係員に席番号を伝えると、
「二階一番ですね。こちらになります」
豪華な廊下の突き当りまで案内された。一番ボックスということはつまり一番前――もっとも舞台に近い席かしら?
「1」と彫られた金属プレートが光る木の扉をあける。狭くて短い廊下はうす暗く、布張りの壁には上着をかけられるようウォールフックが並んでいる。私はずんずんと進んで、ふかふかの椅子の前まで歩き――
「ここ、ほとんど舞台の上じゃない!」
手すりから思わず身を乗り出した。一応、緞帳より客席側ではあるものの、オーケストラピットより舞台に近いかも知れない。
ユリアも私の横から舞台を見下ろして笑った。
「横から観る感じだね~」
「初日ということで皆さん、なかなか席をゆずってくれませんでしてね」
師匠が言い訳する。そういえば以前、師匠の知り合いの席で観劇したときは、もっと舞台から遠かったけれど正面から見られた覚えがある。
劇場内を見回すと明かりが灯され、各ボックス席から着飾った人々がのぞき、オーディションのために訪れたときとは比べようもなく華やかだった。
「あ、ジュキくんだぁ」
「えっ!?」
ユリアが指差したのは私たちがいるのとは反対側の舞台袖。幕の間からそろりと顔を出し、客の入りを確かめているようだ。すでに舞台衣装に着替えて、髪型も完成している模様。いつもの少年らしい雰囲気よりやや中性的に見えるのは、唇と頬にうっすら紅を刷いているせいかしら。
声の届かない距離がもどかしくて、胸がぎゅっと締め付けられる。
「あの古代風の衣装、きっと最初のシーン用だねぇ」
ユリアはいつもと変わらず、のんびりと話す。ざわめきの中にユリアの声を見つけたのか、ジュキがふとこちらを見上げた。少し驚いたように、ぱっと笑みが咲く。
「ジュキ―― がんばって、ね」
聞こえるはずもないのに、私は小声でつぶやいた。
優しい笑顔で私たちに手を振る彼がいとおしい。
私の胸は、まるで自分が舞台に立つかのように高鳴っていた。
次回「オペラ『オルフェオ』開幕」
ようやく始まりました~♪