02、ぼくだけ魔法が使えない
スカートの裾をひるがえして石畳の道を駆け、息を切らせて教会広場に着くと、すでに子供たちが列を作っていた。広場の中央には、精霊教会の鐘楼と同じくらい高い棒が立ち、その周りを木馬が飛び回っている。
「すごい!」
ぼくは息を呑んだ。
「お馬さんに乗って、お空を飛べるんだ!」
木馬にはそれぞれ色の異なる鞍が乗せられ、暮れゆく空の下でぼんやりと輝いていた。ゆらりゆらりと上下に波打ちながら、空高く飛翔してゆく。一番星まで届きそうだ。
アンジェねえちゃんと一緒に並んでいると、程なくしてぼくたちの番が来た。
「二人とも浮遊の風魔法は使えるかにゃ?」
猫耳の生えた獣人族のおじちゃんが、当たり前のように尋ねた。ほかの街から来たひとなんだろう。聞き慣れない語尾は、方言のようだ。
「浮遊の風魔法?」
ぼくが首をかしげると、ねえちゃんが手のひらを口に当てて、
「あっ」
と小さな声をあげた。
「ごめんね、ジュキちゃん」
ねえちゃんは眉尻を下げて、申し訳なさそうにぼくを見た。
「この遊具、魔法の使える子しか遊べないみたい」
目の前が真っ暗になった。みんな楽しそうに空を翔けているのに……!
「二人とも魔法が使えにゃいのかい?」
猫耳のおじちゃんは目を丸くしている。
「いいえ、私は使えます」
言うなリねえちゃんは、指を絡ませて印を結んだ。
「聞け、風の精。汝が大いなる才にて、低き力の柵凌ぎ、我運び給え」
ねえちゃんの周りに風が起こる。
「空揚翼」
紫がかった銀髪を夕風になびかせて、ねえちゃんはふわりと宙に浮かんだ。
「上出来にゃ。今降りてきた橙色の木馬に乗って」
おじちゃんは、上下に弾みながら下降してきた馬を指差した。
「じゃ、行ってくるわね。ジュキちゃんはここで待っていて」
ねえちゃんは踊る心を抑えられない様子で、木馬に向かって走って行った。
「お嬢ちゃんは、魔法を使えるようになったらにゃ」
ぼくお嬢ちゃんじゃないもん、男の子だもん――とは言えずにうつむく。ぼくはコートの下からのぞくスカートに視線を落とした。
「あの子、魔法が使えないんだって」
「変なの。赤ちゃんみたい」
うしろに並ぶ子供たちが噂している。背中から槍で刺されたような気分だ。
どうしてぼくだけ魔法が使えないんだろう? ぼくより小さい子が、猫耳のおじちゃんの前で浮かんで見せ、次々と木馬にまたがってゆくのに。
「なあ、あの白髪のガキ、アルジェントさんちの子じゃね?」
自分の苗字を言われて、ぼくはハッとした。
「なんでスカート履いてるんだ?」
逃げ出したいのに、石畳に縫い留められたように両足が動かない。
「弱っちいから、ついに女になったんだ!」
近所の悪ガキが走って来て、ぼくのスカートをめくった。
「うわっ、太腿に鱗生えてるぜ、こいつ!」
一番見られたくないところを指摘されて、ぼくの心臓は跳ね上がった。必死でスカートを押さえていたら、悪ガキたちに囲まれてしまった。
「どこまで生えてるんだろうな?」
「おいら知ってるよ! 夏に見たんだ。両手足、鱗生えてんの!」
「顔以外全部なのか?」
違う。手足だけだもん……
「全部脱がせて確かめてみようぜ!」
体の大きな赤い髪の子が、ぼくのマフラーをつかんだ。
「化け物の服を剥ぎ取れー!」
ぼくは息苦しくなって、手袋を嵌めた両手で尖った耳をふさいだ。耳の形はみんなと同じ。小さな牙が生えているのも一緒。でも手袋は母さんが編んでくれた特製なんだ。ぼくの手には水掻きと鉤爪が生えていて、ねえちゃんのお古は嵌められないから。
「こいつ、おいらたちと同じ竜人族なのか?」
「違うだろ。どっかで拾われてきた化け物だよ!」
怒鳴り声が矢のように降り注ぐ。ぼくが何をしたって言うの!? 嗚咽を漏らさないように必死でこらえていると、
「ジュキちゃんをいじめるなー!」
空からねえちゃんの声が降ってきた。思わず見上げると、天高く舞い上がった木馬の上から風魔法を操って、ねえちゃんが急降下してくるところだった。
「弟溺愛姉キーック!!」
変な必殺技名を叫んで、ねえちゃんが赤髪のいじめっ子に飛び蹴りを食らわせる。ブーツを履いた右足が、いじめっ子の背中にめり込んだ。
「ごふっ!」
図体の大きな赤髪が、石畳に両手をついて倒れこむ。
「着地成功!」
いじめっ子の上に降り立ったねえちゃんは、今度は黒髪の少年へ右の拳を突き出した。
「弟ラブラブパーンチ!!」
呪文なのかな? また聞いたことのない技名を叫んで、ねえちゃんが少年の顔面を思いっきり殴った。
「ぐふっ!」
あっさり倒れる少年。しかし起き上がった赤髪が、野生の獣を思わせる怒声で吠えた。
「貴様ぁっ!」
「たぁっ!」
ねえちゃんの膝が少年の股間にクリーンヒットしたとき、
「大変だ! 子供たちが喧嘩しているぞ!」
大人たちが気付いて、こちらへ走って来た。
「やばっ、逃げるわよ!」
ねえちゃんは呆気にとられていたぼくを抱きしめると、
「風纏颯迅!」
高速で呪文を唱え、あっという間に飛翔した。
「ひゃっ、高い!」
ぼくはねえちゃんの腕にしがみつく。
「ふふっ、空飛ぶ回転木馬の代わりに、夕焼けの空をお散歩しましょ!」
ねえちゃんはウインクすると、スピードを上げて屋根の上を飛んだ。足元を飛ぶオレンジ色の煉瓦屋根が、どんどん後ろへ消えてゆく。
「魔法が使えたら、ねえちゃんを守れたのに」
ねえちゃんに抱えられて逃げるなんて、男として情けない。
「使えるはずなんだけどなあ」
ねえちゃんの何気ない言葉に、ぼくは首をかしげた。
「どういう意味?」
「あ、ジュキちゃん。見て、海がきらめいてる」
なぜかねえちゃんは話を変えた。ぼくたちの村は、海に面してそそり立つ急斜面に築かれているから、海が見えるのだ。黄金色から宵闇へとグラデーションを描く空の下、焔の色に染まった海をじっと見つめながら、ぼくは決意した。
今日こそ父ちゃんたちに尋ねよう。どうしてぼくだけみんなと違う姿なのか、魔法が使えないのか。今まで母ちゃんたちがあまりに自然に、まるでぼくの姿に気付かないかのように接するから、訊けずにきてしまった。
だけどやっぱり、ぼくの家族は何か隠しているんだ!
次回、主人公が普通じゃない姿をしている理由と、胸に嵌められた石の由来が分かります!