01、病弱な少年、女の子の服を着せられる
プロローグ
異界の神々は世界をひとつ、創造した。魔神を封じるために。
神々はこの地に、火・空気・水・大地を司る四大精霊王を遣わし、深海の底に魔神を沈めさせた。
果てしない時の流れの中で、四大精霊王は魔神の復活を阻み続けていた。
しかし千二百年前、魔神に取り憑かれた一人の巫女が、水の精霊王を封じてしまう――
01、病弱な少年、女の子の服を着せられる
『目覚めよ、清らかなる魂よ』
誰かがぼくに話しかけている。
『そなたは我が力を受け継ぎし者』
誰?
『妾は水の精霊王である白竜じゃ。そなたの遠い祖先――』
これは夢?
朝日がまぶしい。
そうだ、今日は精霊祭のマーケットを見に行く日!
ぼくは飛び起きた。
いそいそと毛布から這い出して、ベッド下に並べてある布の靴を履く。
窓を開けると透き通った日差しと共に、肌を刺す冬の風が舞い込んできた。
「くちゅんっ!」
くしゃみが出て身震いしたぼくは、壁に掛かっているガウンに手を伸ばした。
「ジュキちゃん、起きたの?」
廊下から母ちゃんの声がした。
いけない。くしゃみしてるの聞かれちゃったかも! お風邪ひいたと思われたら、お祭りに行かせてもらえなくなっちゃう!
ぼくは慌てて鼻をすすった。
「あらあら、お鼻が出るの?」
部屋の扉が開いて、洗濯かごを持った母ちゃんが入ってきた。
「具合が悪いなら寝てなきゃだめよ」
「やだよ!」
ぼくは食い気味に叫んだ。おとといようやく熱が下がってベッドから解放されたんだ!
「ねえ今日、ねえちゃんと一緒にフェスティバルマーケット、行っていいでしょ?」
「具合が悪くないならね」
母ちゃんは心配そうにほほ笑んだ。
「母ちゃん、約束してくれたじゃん! ジュキ、六歳になったから、ねえちゃんと二人で出かけていいって!」
必死で訴えるぼくを、母ちゃんは困ったように見下ろす。
「ぼく、苦い魔法薬だって飲むから!」
長いスカートにすがるぼくの柔らかい髪を撫でながら、母ちゃんは何か考え事をしているようだ。
「どうしたの?」
不安になって見上げると、
「実は――」
母ちゃんはためらいがちに話し始めた。
「魔法薬屋のおばあさんに、どうすればジュキちゃんの体が強くなるか訊いたのよ」
「ほんとっ!? どうすればいいの!?」
息せき切って尋ねると、母ちゃんは意を決したように口を開いた。
「おばあさんによると、病魔っていう悪い精霊さんは、小さな男の子を狙うんですって」
「女の子は平気なの?」
「そういう言い伝えがあって、男の子を守るために女の子の格好をさせていた時代もあったそうよ」
ぼくがびっくりして黙っていると、
「魔法薬屋のおばあさん、言ってたわ。ジュキちゃんはかわいいから、おねえちゃんの服を着れば女の子にしか見えないでしょ? きっと悪い精霊さんをだませるって」
「女の子の格好すれば、精霊祭に行ける?」
母ちゃんは少し考えてから、
「試してみる?」
とぼくに訊いた。
一年に一回しかない精霊祭だもん。ぼくは心を決めてうなずいた。
半刻後―― ぼくはねえちゃんのおさがりのワンピースを着せられて、古い姿見の前に立ち尽くしていた。
「ぼく、女の子みたい……」
肩まで伸びた銀髪は耳の上で二つ結びにされ、ピンクのリボンが胸までたれている。
「よかった。思った通り似合うわね」
母ちゃんの手が優しくぼくの髪をすべったとき、下の階からバタバタとせわしない足音が聞こえた。アンジェリカねえちゃんが魔法の先生のところから帰ってきたのだ。
「たっだいまーっ!」
階段を駆け上がってきたアンジェねえちゃんは、部屋をのぞいて歓声をあげた。
「きゃーっ、ジュキちゃんどうしたの!? かわいい!!」
元気いっぱいなねえちゃんに、母ちゃんがわけを話す。
「そうなんだぁ。でもいいじゃない、ジュキちゃん私よりワンピース似合ってるもん!」
ぼくは目を伏せて、両手でスカートの裾をギュッと握った。
「ジュキちゃんたら顔をあげて。チャームポイントのエメラルドの瞳が見えないわ」
アンジェねえちゃんは明るい笑い声をあげてぼくの前にひざまずくと、あたたかい両手でぼくの頬をはさんだ。
「お祭り、楽しみね!」
三人で昼食を取ってから、ぼくはいよいよねえちゃんに手を引かれて、精霊祭の屋台へ向かった。
女の子の格好で外を歩くのは恥ずかしいけれど、悪い精霊さんをだますためなんだ! 風邪をひかない強い男の子になれるんだと思えば、我慢もできる。
だが広場まで続く坂道ですれ違う村の人たちは、いちいち黄色い声をあげた。
「ジュキちゃん、お姫様みたいよ」
「まあ、かわいらしいお嬢さん!」
「すっかり美人姉妹ね!」
口々に誉めそやされても、なんて答えたらいいのか分からない。足元の石畳ばかり見ながら一心に歩いた。
だけど噴水広場にたどり着いたぼくは、服装のことなど忘れてしまった。
「見て! お店がいっぱい!」
いつもの見慣れた石畳は、屋台と人で埋め尽くされている。色とりどりの魔力燈が瞬いて眩暈がしそうだ。
「でもジュキちゃん、フェスティバルマーケットって面白いもの売ってないのよ」
ねえちゃんが大人びた口調で告げた通り、美術品を並べた骨董品屋台や魔道具屋、古着屋に古道具屋と、子供にはおよそ縁のない店が並んでいた。
「あっ、あそこで人形劇やってる!」
小さな子供たちに囲まれて、おじいさんが一人語りを披露していた。
「遥かなる昔、四柱の精霊王様が、深海の底に魔神を封じ込めました。我々竜人族は、水の精霊王たる白竜様が生み出した、竜たちの子孫なんじゃよ」
台の上では、鳥や馬や竜のぬいぐるみがふわふわと浮かんで動いていた。
「ねえちゃん、あのおじいさんが言ってるの、どういう意味?」
ぼくには言葉が難しくて、よく分からない。
「精霊教会の創世神話よ」
「ソーセージ……? あっ、ぬいぐるみが動いてるよ!」
「風魔法でしょ」
ねえちゃんは素っ気ないけれど、ぼくは食い入るように見つめていた。ぼくも魔法を使えるようになったら風を操って、ぬいぐるみさんたちに命を吹き込めるのかな?
無心になって人形劇を見つめていたぼくは、屋台の間をぬって子供たちが走ってくるのに気付かなかった。
「うわっ!」
突然ぶつかられて、よろめいたぼくを、
「ジュキちゃん!」
ねえちゃんが慌てて支えてくれた。
「ちょっとあんたたち、危ないじゃないの!」
ねえちゃんの怒鳴り声を無視して、子供たちは駆け抜けていく。
「急げ急げ!」
「教会広場に空飛ぶ回転木馬が来てるんだって!」
毛皮のコートを着たねえちゃんに支えられたぼくは、目をしばたいた。
「空飛ぶ回転木馬って何?」
「ジュキちゃんが生まれた年に来てたやつだわ!」
ねえちゃんも、ぼくの手を引いて走り出した。
「六年前は雪が降ったから、母さんに危ないって言われて遊びに行けなかったのよ!」
「雪って、真っ白くてお空から降ってくるっていう――」
ぼくは雪を見たことがなかった。
「そうよ! 私も六年前、生まれて初めて見たわ!」
スカートの裾をひるがえして石畳の道を駆け、息を切らせて教会広場に着くと、すでに子供たちが列を作っていた。
次回、ジュキたち姉弟は空飛ぶ回転木馬に乗れるのか?