第七話 Can you keep a secret?
「家を建てるなら、西の方角が吉」
占いや、スピリチュアルなどは全然興味のない私だが、星占術とやらの本を何気に読んだらそう書いてあった。信心深いタイプの人間では決してないが、初詣のおみくじについては吉だ、凶だは二の次で裏に書いてある「教え」を大事に心に留めている。
「家を建てるなら、西の方角が吉」
この言葉だけが、ずっと引っ掛かっているのだ。
「そろそろ、開業しませんか?」
と、犬上先生に切り出してみた。
「そうだね〜、もうそろそろ考えてみるかね〜」
と、少し曖昧な返事にも感じたが、早くこの社宅を出たい私は半ば強引に
「じゃ、開業を考えた時に、先ずは何処の門を叩けばいいんだい?」
と聞いた。
「やっぱり、建設屋さんが先かな。でも、開業の話は絶対に外に漏れてはいけないよ、つばめちゃん。Can you keep a secret?」
と、真剣な顔なのに急に英語で言ってきた犬上先生に
「Yes,yes,絶対yes」
と、答えた。
そうして後日、私達は以前インターホン越しに話した四つ葉ハウジングを訪ねた。
四つ葉ハウジングは全国でも有名なハウジング会社で、会社を訪ねると、うちにパンフレットを置いていった若い社員が対応してくれた。
「以前、うちの郵便受けにパンフレットを置いていってくれて…マイホームについて少し相談してみようかな、と思って」
と、私から先だって話した。
「ありがとうございます。それではこちらへどうぞ」
パーテーションで区切られている個室へ案内された。すぐに女性社員がきて、連絡先など書く紙を持ってきてそれに記載するようお願いされた。
犬上先生はスラスラとそれを書き、その女性社員に手渡した。10分ぐらい待たされただろうか、今度は少し偉そうな男が挨拶してきた。
「本日はご来店ありがとうございます、支店長の白石です」
急に偉い人が登場し、少し面食らった。
「県立病院の先生でらっしゃいますか?ご開業ですか?」
なるほど、医院開業だと支店長クラスが登場するのかと、納得したが、なぜ医者だと知られたのか不思議だった。
「なんで、医者だって分かったんですか?」
とそのお偉いさんに尋ねると
「先程書いていただいた連絡票に、職業医師って書かれていましたし、お勤め先が県立病院って書かれてましたので」
おい、犬上先生よー、そこはsecretではないんかい!と心の中で大きく突っ込んでみたが、当の犬上先生は淡々としていた。
それはそうと、白石支店長がとても良い印象の人だったのでこのまま四つ葉ハウジングにお願いする方向で話が進んでいった。
まずは、土地の選定。医院開業において、場所は何より大事だ。後日の打ち合わせでいくつか候補地を出してくれたが、どれも何かが違う気がする。
「つばめちゃん、僕はこの東地区の土地がいいと思うけど、どう?」
「うーん、良いかもね。」
とその場はそう答えたが、実は
「先生、笑わないで聞いて欲しいんだけど、家を建てるなら、西の方角が吉なんだよ。って本に書いてあったんだ」
犬上先生は一瞬呆れた顔をしたが、すぐに真顔で
「じゃ、西の方角にしよう」
と答えた。聞けば
「多額の借金をして開業するのに、たったひとつでも妥協したくない。万が一うまくいかなかった時に、あぁ、あの時西の方角にしなかったからだと、後悔したくない」
と言ってくれた。
次の打ち合わせの時、東地区の土地に決まりかけていたのに
「西の方でもう一度、土地を探してもらえますか?」
と犬上先生の鶴の一声
「わかりました、もう少し探してみます」
白石支店長も快くそう言ってくれた。
それから1か月ほど経って電話がなった
「西地区でまだ売りには出ていないのですが、いい物件が見つかりまして、お時間があるときに一緒に見に行きませんか」
と、白石支店長から電話をもらった。
後日、白石支店長が運転する車で西地区に向かう。
私は、この西地区の出身なので、その景色に懐かしく感じていたが
「西地区って、どこか「人里離れた」って感じがしますね」
と、犬上先生が言い出した。
西地区は、市街地から大きな跨線橋を超えるので、この跨線橋が「人里」から離れる境なのだろう、犬上先生にとっては。
「着きました、こちらです」
そこは、古びた工場跡地で、まだ売り物件として公開されていないが、近々売りに出るという。生活道路沿いだし、私が望んだ「西の方角」ってのもピッタリな土地だった。
「もう少し、いい土地探しましょうか?」
と聞かれたが、
「ここでお願いします」
と犬上先生は即決した。
帰りの車の中で、
「ずいぶん早く決めましたね」
と聞いてみたら、
「西の方角がいいって書いていたアノ本、僕も最後まで読んだんだよ。そしたら間口は南東向きが良いって書いてあってさ、正にあの土地の間口が南東向きだったんだよ。僕はね、あの土地に導かれたんだって感じたよ」
と、犬上先生は少し興奮気味に私に聞かせた。
私は「西の方角が吉」だけで、読み終えていなかった星占術の本を、犬上先生は私の知らないうちに読破していたこと、また、そういう占いの類を真に受けていたことに驚いた。
いよいよ設計が始まり青写真が見えてきたころ、
「さあ、一番難関な砦に向かうよ」
と、犬上先生が言った。私はそれが何なのかわからなかった。
「一番難関?何ですか?銀行ですか?」
「教授だよ、つばめちゃんが嫌いな須賀俊彦先生だよ」
「ん?あの年賀状の?」
年賀状の宛名の「犬上」を毎年「犬神」と間違えてくるアイツのことだった。
「何で教授?もう大学病院とは関係ないじゃん」
「大学病院勤務でなくても、大学の関連病院の医師の人事は全て教授が握っているのだよ。僕は教授の意向でここの内科部長をやっているんだよ、だから辞める時も教授の許可を取らなきゃダメなんだ」
「は?犬上の名前すら間違えるような教授に自分の人生握られているのかよ?ヤクザみたいだな医者の世界は」
「つばめちゃん、ヤクザは言い過ぎだけど、ホントこの世界は、教授の許可がなければ開業は難しいんだよ」
全然、納得なんかできなかったが、犬上先生を責めたとて解決するわけでもなく、一応この現実を汲んでみた。
次の週末、須賀教授にアポイントを取って、犬上先生は大学へと向かおうとしていた。
「やっぱり、私も行きます。いざとなったら、私が乗り込んでこの間違った年賀状を叩きつけてやるわ。」
犬上先生は大笑いしながら、私を車の助手席に乗せて出発した。お互い緊張のあまり移動中はほぼ無言だった。
大学に到着し、犬上先生は教授室に向かい、私は医学部附属病院の待合室に、他の患者に紛れて座って待った。時々鞄の中の、持ってきた年賀状を確認して、いつでも教授室に乗り込めるようアイドリングした。
しばらくすると犬上先生が私の肩を後ろからポンっと叩いた。
「どうだった?」
と聞くと
「ダメだった。大魔神のような形相で怒られたよ」
私は、腹が立ってあの年賀状を握って、手のひらの中でグチャっとしてやった。
「でもね、つばめちゃん、大丈夫だよ。「何を言われても自分の人生なので自分で決めさせていただきます、あばよ」って言ってきたから。ごめん、あばよは言ってなかったかな」
って、ニヤニヤしながら、私をなだめた。
「僕ね、教授に怒られるのは怖いけど、ダメだったって言ってつばめちゃんに怒られるほうがもっと怖いって思って…、怒った教授は怖かったけど、つばめちゃんに怒られたくないから頑張ったよ」
犬上先生は「一番難関な砦」を落せなかったことを気にも止めていない様子で、私の握っていた年賀状を取って、近くのゴミ箱に捨てた。
「さあ、いよいよ開業じゃ。つばめちゃん、ここからが大変だよ一緒に頑張ろ。ところで、このことは絶対内緒だよ、Can you keep a secret?」
何が内緒なのだろう?教授に怒られたことか、開業そのもののことなのかわからなかったが
「yes」
と、とりあえず答えておこう。