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第四話 教授の年賀状

犬上家に嫁いで半年が経った。

世の中は、師走の慌ただしい時期。総合病院の医者も例外ではない。

総合病院の性質上、風邪の患者が、とか、インフルエンザの予防接種が、という事はないが、秋の職場検診なんかで異常を指摘された人達が、今年の汚れは今年のうちにと、精密検査を受けに殺到するのだ。

 一方その頃、医者の嫁も忙しい。お歳暮のお礼状は誰が決めたのか、それが慣例とばかりに手書きで書かなければならない、今更ながら、ペン字練習帳で美文字の練習もする。また年賀状の宛名の印刷(これは印刷で許されるそうだ)も私にとっては膨大だ。

「先生、以前送られてきた年賀状ってありますか」

未だ、夫のことを先生と呼ぶのは、本人たちがそれを気に入ってるからだ。

「本棚の中のお菓子の缶に入ってるよ、それみてやっておいてね」

と言って、しらっと仕事に行ってしまう。しかし、前の奥さんがそつなくこなしていたのかと想像すると、女としては負けるわけにはいかないのだ。

 さて、2003年とだけ書いてあるその缶を開けると、およそ500枚はあるであろう年賀状たちが上下も表裏もバラバラで入っていた。それを一枚一枚確認しながら、このために犬上先生が私に買ってくれたノートパソコンに住所録を打ち込んでいく。

 その中で気になる1枚を見つけた。それは、須賀俊彦(すがとしひこ)という送り主からだ。なぜ気になったかというと、宛名の「犬上」が「犬神」と間違えているのだ。私も「犬上つばめ」になった以上、名前を間違えられるのは、気持ちがいいわけではない。(とはいっても、これは嫁ぐ前の年賀状なのだが)本棚を見上げ、

2002年と書かれた缶の箱を見つけた。その中にも年賀状が入っており、一枚一枚確認していった。

 そこで、この缶を開けたことを少し後悔した。それは、宛名の犬上慶の横に前の奥さんの名前「夏子」と書かれていた。過去に嫉妬しても仕方のないことではあるが、いったいどういう人だったのだろうか。夏生まれなのか、綺麗な人だったのか、良妻と呼ばれるような人だったのかと、一方的に気になるのだ。何かどこにもぶつけられぬ思いに苛まれる…。そんな時、

「あっ、こいつ」

と、思わずひとり言。また須賀俊彦は「犬上」を「犬神」に間違えているのだ。前の奥さんへの嫉妬心も気持ちばかりこの須賀俊彦にのせて、倍腹がたった。

 宛名の入力も終わり、犬上先生も帰ってきて、少し遅めの夕飯を食べながら、

「ねぇ、須賀俊彦って何者?ダメな奴だよ、年賀状の宛名いつも間違えてるもん。これじゃ、本当に犬神家の一族って思ってるんじゃね?」

と、今日発見したこと、そして名前を間違えるなんて失礼だとの思いを熱く伝えた。

でも、犬上先生は、それを以前から承知していたように淡々と、

「それは、大学の教授だよ。須賀教授が僕をこの病院に移動させたんだよ、部長としてね。それに名前の間違えは最初からなんだ。多分最初の宛名入力が間違ってるから、ずっとそのままなんだよ、きっと」

と、腹が立ってる様子が全くない。

 私だけこの見たことも会ったこともない須賀俊彦という人に腹立たしく感じているのが、私の人間としての幼さ、未熟さなのかと自分自身感じるほど、犬上先生はこのことについてなんとも思っていなかった。一人熱くなってそう思っていた自分にバツが悪く、この話の落とし所を見失ってしまった。

「でも、つばめちゃんが正しいんだよ。そういう事、宛名ってホントは大事だよね」

犬上先生はそう言って私の頭を撫でた。この瞬間に私の気持ちを察してくれたんだと、嬉しかった。それと同時に、彼にとっては私はまだ幼稚に思われているのだと少しだけ傷ついた。


「明けましておめでとうございます」

元日の職員宿舎には雪が積もっていた。この日は犬上が雪搔き当番なのだ。こういう職員宿舎では雪搔きをはじめ、ゴミ置き場の清掃などが当番制で行われる。犬上先生は絶対にそれをやる事はない、私にやらせるのだ。

階段横の小さな共同物置には雪搔きスコップが置いてある。そこからキレイめのスコップを取り出し、せっせと雪掻きを始めた。

「おはようございます。犬上さん?、2階の池田です、はじめまして」

池田さんのご主人は、犬上先生と同じ科の3診の医師。総合病院では、同じ科に診察室が複数ある場合、1診が部長、2診が副部長、3診がその下の先生、とういふうに決まっている。池田医師は、いわば犬上の部下である。しかし犬上夫婦が10歳離れた年の差婚ということもあり、この目の前の池田さんより私の方が若いのである。

「おはようございます、明けましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいします」

新年早々とのことあって丁寧に挨拶すると、

「いえいえ、犬上部長先生の奥様にそんなにご丁寧に挨拶されては恐縮しちゃいます」

池田さんは、どこか嫌味臭さのある言い方で、そう言った。

「おはようございます!」

ジャージ姿の髪の長い女が私と池田さんの間を破って、その髪を結いながら慌ただしそうに挨拶して、元旦の病院に向かって走って行った。

「お産かしら?ね」

池田さん曰く、このジャージの女は産婦人科の部長、松川先生とのことだ。美人は美人なのだが、どこか勇ましさが見える、女からみてカッコいいと言える女だ。


「松川先生って、カッコいい女だね」

雪搔きを終えて部屋にもどり、ひとりぬくぬくと寛いでいる犬上先生に些かムカつきながらも、数分前に会ったカッコいい女について聞いてみた。

「あぁ、松川ぁ?、あの人僕の部活の先輩」

「なんか雰囲気ある女だね、なんかひとりでラーメン屋のカウンターでマシマシのチャーシュー麺食べれそう」

「つばめちゃんは、いつも例えが面白いね。でも正解。その通りの人だよ。茶道部部長、それで僕が次の部長」

犬上先生が茶道部に所属していたことに、驚き失笑しながらも、あのカッコいい女と意外なところで繋がっていることの方が驚きだ。しかし、犬上先生曰く、地方の総合病院は同大学出身の医者が大半を占め、部活が一緒だの、バイトが一緒だの、が多いそうだ。医者の世界は狭いのだ。


「年賀状届いたよ、つばめちゃんはお店屋さんからの年賀状ばっかりだね、友達とかいないの?」

と、私を小馬鹿にして笑った。

「ほら、つばめちゃん、見て」

と私に手渡して見せたのは須賀俊彦からの年賀状だった。犬上先生は何故かニヤニヤしながら私の顔を覗いた。

「おいっ、また犬上のカミの字が神になってる。私は絶対にこいつは嫌いだ」

鼻息荒く、言い放った。それを聞いてまた犬上先生は笑った。教授に対しそんなことを言いのける私をみてどこかスカッとしている様子だった。

「ところで先生も雪搔きしてくださいよ」

「つばめちゃん、内科部長はそんなことしないんだよ。カッコ悪いでしょ」

と、急に真顔になり亭主関白な一面を見せた犬上先生であった。


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