第二話 山鳥の湯呑み
「あ、まいど、いらっしゃい。生ビールでいいかぃ?」
「あぁ、お願い」
「あいよ、ハイ、生ビール!」
カウンターの奥の1番端、テレビが1番よく見える特等席。焼き鳥山鳥のこの席に座ったのは、この店を「オレ史上1番の焼き鳥屋」と豪語する、西田だ。
「楽天勝ってる?」
「今日は、ダメ、初回でやられたよ」
と、この店の大将と慣れた感じで話してる。
「はい盛り合わせ」
大将の大きな体格からは想像しがたい、実に繊細な焼き鳥の盛り合わせである。
「あー、やっぱり美味いなぁ。」
思わず、西田の声が漏れてしまう。
楽天戦も終わる頃
「お客さん。この店、今月いっぱいで閉めるのさ、これ貰っていってよ」
と、大将が西田に湯呑みを渡した。
「20年前ぐらいに作ったんだけど、倉庫片付けてたら見つかってね、常連さんに配ってるの」
毛筆で山鳥って大きく書いてあるオリジナル湯呑みだ。
「えっ、大将いくつだっけ?」
と相変わらず、悪気もなく年を聞く西田。
「もう70、年金もらってるよ、体もしんどいし、母ちゃんもそろそろ休ませてやりてえからさ」
と、厨房の奥の方を指差して言った。
「そっかぁ、なんか寂しくなるね〜、この店がなくなると…」
と言いながら、ポケットから、裸の1万円札を出しカウンターに置いた。
「7200円のおつりね」
大将は両手で丁寧に手渡しした。
「閉店前にまた来るよ」
「あいよ、よろしくね、ありがと」
それから数日経って、
「あら〜、いらっしゃい、西ちゃん」
ピンク髪のカオリちゃんがテンション上げぎみで西田を迎え、席に案内した。
西田の後ろには犬上先生もいた。
「つばめちゃんも行って!」
と、ママに肩を叩かれた。
「いらっしゃいませ、つばめです、ご一緒よろしいですか」
と、一息で発声し、相手の返答は聞かぬままいつもの背もたれのないヘルプの椅子に座った。
「つばめさん、犬上先生の隣に座りなよ」
っと、おせっかいなピンク髪の一言に、急に犬上先生を意識してしまい、少し緊張しながら
「お隣 よろしいですか?」
「よろしいですよ」
と、そっと自分のカバンを寄せてくれた。犬上先生はそのカバンの中から小さな箱を取り出し、私に手渡した。無口だったはずの先生が、
「今日、山鳥に行ってきてさ、これ貰ったんだ」
と、話かけた。箱の中には山鳥の湯呑みが入っていた。
「今日で閉めるんだってね、山鳥。あんなに美味いのに残念だね」
「はい、でもまあ、父も母も、もう年なんで」
と、あくまでも年老いた両親のに体力的なものという体裁をとってているが、実際は父親がつくった借金で山鳥の内状はここ数年は火の車だったのだ。でもこの町で40年以上やってきた両親を最後までカッコつけさせてやりたい、と思いで、借金の話はこれまで伏せていたのだ。
「つばめちゃん、今日は山鳥で犬上の送別会だったんだよ」
と西田が話した
「あら、送別会って、どちらに行かれるんですか?」
と犬上先生に聞いてみた
「隣町の県立病院だよ、全然近いから送別会の意味なんかないんだけどね」
「でも、今の病院…市民病院はお辞めになるんですよね、じゃ送別会でいいんじゃないですか?」
「市民病院のスタッフには先週送別会をしてもらったし、西田とは別に会う機会がなくなるわけでもないし、やっぱり送別会ってのはおかしいよ」
(そんなもん、どっちでもいいだろうが、とにかく西田は何かにつけて飲みたいだけなんだよ)
「それにしても、なんで市民病院辞めるんですか?」
「ああ、勤務医はね、所属している大学病院の教授の意向で転勤が決まるんだよ、言わば僕達は教授の将棋の駒なんだよ」
と悲観するわけでもなく、悪びれるわけでもなく、甘んじて将棋の駒になっている様子を語った。
「ね、みんなでさ、この後飲みに行こうよ、おしゃれなショットバーができたらしいんだ」
と西田がカオリちゃんと盛り上がった勢いで言った。
とにかくアフターで帰れるのは、嬉しい。4人で西田おすすめのショットバーに入った。
そこは、天井が高く、西洋風の図書館を思わせる雰囲気で床から天井までが棚になっていてハシゴがないと届かないところにまで、見たこともない洋酒の瓶が置いてある。
先にカオリちゃんがトイレに行ったので、西田と犬上先生は私を挟むようにしてカウンターに3人並んで座った。
「ドリカム結成ですね」
と、女1人男2人の構図にドリカムという発想に自分の時代遅れを感じたが
「つばめちゃん、面白いね」
と西田に褒められた。(ん?褒められた?)
そこにカオリちゃんが戻り西田の隣に座った。西田はカオリちゃんを本気で口説きにかかろうと、やや緊張している様子だったので、見ざる言わざる聞かざるの、モンキー体制をとってあげる事にした。
一杯目のスプモーニを飲み干したあたりで、
「つばめちゃんは、明日土曜日はお休みなの?」
って犬上先生が聞いてきた。
「私は公務員と一緒で土日休みなんで。」
「もし、用事がなければ引っ越しのお手伝いのバイトしない?昼はお蕎麦ご馳走するよ」
って、犬上先生の部屋の引っ越しを手伝うという意外な誘いを受けた。休みの日に予定などないので、
「いいですよ、時給は高いですよ」
「わかりました、覚悟します」
まんまと翌日会う約束をする一方で、西田はカオリちゃんを口説く前に、酔いが回ってあえなく撃沈。
知らないうちに犬上先生が会計を済ませ
「おい、西田帰るぞ、じゃ、つばめちゃん明日ね」
「ごちそうさまでした、西ちゃんバイバーイ」
そう言って西田と先生を乗せたタクシーを見送った。
「じゃ、つばめさんおつかれ様でした」
「あれ、カオリちゃん、タクシー一緒に乗ってく?」
「いえ、彼氏が迎えにくるんで 大丈夫です」
(やっぱり、カオリちゃんはピンクの小悪魔だ。怖いなぁ、敵に回さない方がいいな)
翌日、
「おはようございます」
「道に迷わなかった?さ、どうぞ」
と、私に一人暮らしの男の部屋に入る事を躊躇う隙も与えず、部屋の中に招かれた。
そこは男1人には広すぎる3LDKという、なんとまあ、さすがお医者さんですねとその空間に驚いた。ひと通り部屋を物色すると、ところどころに気になる箇所があった。「オンナの気配」である。よく見るとカーテンも花柄、玄関マットも可愛いキャラクター、トイレカバーもピンク調、何やら怪しい。しかし、私が怪しむのもおかしいわけなのだが、なんか複雑な気持ちだ。
「色々、女っぽい趣味ですね」
と、聞いてしまった
「ああ、前の奥さんのものだよ」
(あ、そうだった。離婚したって言ってたな)
3LDKの広すぎる部屋に家具はほとんどなく、小さなテレビと、この部屋には似つかわしくない安っぽいちゃぶ台と、先生が使ってる畳まれた布団が部屋の隅に置いてあるだけ。引っ越しの荷造りといえば、書斎らしき部屋の山積みの本ぐらいで、ほとんど前の奥さんが持っていってしまったようだ。
そんなわけで、引っ越しの荷造りもあっという間に終盤を迎え、近所の蕎麦屋に連れて行ってもらった
「つばめちゃん、何食べる?」
「私、じゃあ、この天おろしで」
とメニューを指差して言った。
「すみませーん、鴨ざると、天おろしで」
と犬上先生が注文した。その直後に
「ねぇ、天おろしってどういうやつ?」
って、本気で不思議そうな顔して聞いてきた
「ここの蕎麦屋さんは初めてなのであれですが、冷たいおそばの上に天ぷらと大根おろしが乗っかってて、その上に冷たいたれをぶっかけて食べるやつです、私好きで、天おろしがあれば、どこのお店でも天おろしを頼みます」
犬上先生はどこか関心したように頷いて聞いていた。
「はい、天おろしと鴨ざるです」
「わーい、天おろしだあ、いただきます」
犬上先生はそう言う私の顔ではなく、天おろしをじっと見つめている、
「ひとくち食べてみますか」
「えっ、いいの?」
その言葉を待っていたかのような顔をして自分の鴨ざるを私の方に差し出した。
「天おろしって初めて食べたよ、すごい美味しいね、なぜ今までここに来てたのにコレに出会えなかったんだろう、悔しいな。ほんと美味しいね」
と、夢中で天おろしを食べていた。はしゃいでるその顔と天おろしを知らない犬上先生が微笑ましく、
「美味しいでしょ?先生、そのまま天おろしどうぞ。私、鴨ざる食べますから」
と、鴨ざるを食べ始めた。
「えっいいの?でもなんか申し訳ないなぁ」
って言いながらも、このまま天おろしを食べれる喜びが顔からあふれ出ていた。
「ごちそうさまでした。ここの鴨ざる絶品ですね、美味しかったです」
「つばめちゃんごめんね、つばめちゃんの天おろしだったのに、でもほんと美味しいかった」
犬上先生はまた、三つ折りにした5000円札を手渡し
「はい、バイト代。明日もし、つばめちゃんが暇なら、明日もお願いできる?」
「いいですよ、また蕎麦ごちそうして下さい、明日は天おろし食べますから」
「もちろんいいよ、僕も天おろし注文するから、もうつばめちゃんのは取らないよ」
段ボール箱8個。男の一人暮らしは荷物が少ない。
荷造りも全部終わり、部屋を掃除して、2日連チャンの蕎麦屋で2人で天おろしを食べ、再び犬上先生の部屋に戻り、部屋の掃除の続きをしていると、
「つばめちゃん、出かけるよ」
と、私を車に乗せ、無口なまま40分ぐらい。もともと無口な人だが、ついさっきまで一緒に蕎麦食べてたのに、狭い車内でも、距離感を感じるような沈黙。不思議な人だ。
「ここが僕の次の職場だよ、ここの2階が外来で、8階が僕の科の病棟」
車を停めると、そこは県内では1番大きい県立中央病院、そこの駐車場で病院の建物に指差して私に教えた。
「さて、降りてみて」
駐車場に車を止め、病院の建物に沿って歩くと、奥の方に職員宿舎があった。
「つばめちゃん、こっち」
4階建の宿舎の階段を登っていくと、4階の角部屋。先生がポケットから鍵を出して玄関の扉を開けた。
「さ、どうぞ」
また私に躊躇う隙も与えず、中に招いた。
築15年の職員宿舎は意外にも綺麗で3LDKとまた、一人暮らしの先生にとっては広すぎると感じた。
「前より少し狭くなっちゃうね」
と残念がる先生
「でも、一人暮らしなら、これだと逆に広すぎませんか」
「うーん…」
先生は少し沈黙した。少し気まずい空気になったことを察し、
「車で来れる距離なので、またお店に遊びに来て下さいね」
と、社交辞令的な言葉を唐突に挟んだ。
「つばめちゃん、僕とここで一緒に暮らさない?」
備え付けのダイニングテーブルの上には山鳥の湯呑みが置いてあった。