嫌われ者の令嬢、復讐を果たす。*
異世界もの詰め合わせ短編集を始めました。
気まぐれ更新です。
フォルネーゼ公爵家の令嬢、レターナ・フォルネーゼは、“貴族”だった。
プライドが高く、身分を重んじ、国や領地の民のことを第一に考える。
貴族であることの誇りを持っていて、貴族であることの義務を忘れることはなかった。
彼女は美しく、聡明であったが、表情の変化はなく、にこりともしない。冷え切った瞳は、皆を恐れさせた。
王家に次いで権力を持つフォルネーゼ公爵家は皆、己の感情や欲より、国の利益や民の利益を優先できる、そんな性格をしていた。
――――フォルネーゼ公爵家の一族は、優秀だが人間ではない。
それが、社交界でのフォルネーゼ公爵家の評価であった。
だから、レターナは、今目の前に広がる光景を理解することができず、端から見れば、必然だったと言わざるを得ないのかもしれない。
「レターナ・フォルネーゼ。貴様との婚約は解消させてもらう」
生徒会が主催する、月に一度の生徒のみが参加できるダンスパーティー。
その場に置いて、レターナの婚約者であるこの国の王太子、フィデリオ・ヴィドーが、婚約解消を証明する書類をレターナに突きつけた。
「……理由を伺ってもよろしいですか」
レターナは普段となんら変わりない抑揚のない声で、フィデリオに問いかける。
(まあ、理由はわかっているけど)
ちらり、とフィデリオの隣にいる女を見る。
ふわふわした雰囲気を持つ少女、アグネス・ヒューム。男爵家の娘であり、『慈悲深い』、『優しい』、『思いやりがある』。そんな評価をされるレターナの対極にいる少女だ。
そんな彼女は、男女問わずたくさんの人を虜にしていた。
今、レターナを取り囲んでいる彼ら彼女らも、アグネスに魅了された者たちだ。
(王太子に、騎士団長と宰相の息子、国防軍のトップの娘、公爵家の子息たちに、有力商会の跡取りまでいるのね)
馬鹿馬鹿しい、と言うのが、レターナの感想だった。
こんなに集めなくても、この学園でレターナに物を言えるのは、王太子であるフィデリオしかいない。
「貴様、心当たりがないと言うのか?!」
「パーティーという場で、大勢の人に囲まれ、いきなり婚約解消を突きつけられる。こんな風に、早急に、しかも礼儀も考慮しないで言われるほどのことの心当たりは、私にはありません」
それでも、婚約解消の書類があるというのは事実。それには、レターナの父であるフォルネーゼ公爵のサインも入っている。つまり、婚約解消に了承したということだ。
(お父様は、ついに殿下を見限ったのかしら?)
元々、フィデリオは感情的で、自分勝手なところがあった。王にふさわしいか、と言われたら、即答できないのが事実。
だが、人を惹きつけるカリスマ性はあったし、他の兄弟は十以上歳が下だった。
「アグネスにした嫌がらせ、忘れたとは言わせない」
「確かにしましたけど、それが何か?」
「なっ!」
思わぬ返しに、フィデリオを含めた全員が絶句する。
アグネスに嫌がらせをしたという事実を、ここまで堂々と認めるとは思ってもなかったのだ。
「嫌がらせ、というのは言葉の選び方を間違えていますわ。私が益のない“嫌がらせ”なんてするはずなでしょう。あれは嫌がらせではありません。そうですね、教育、と言う表現が正しいと思いますわ」
「教育、だと?!」
「ええ。だって、アグネス・ヒューム。彼女は口で注意しても、改善されないんですもの。他の方法をとるしかないでしょう?」
「私、何か注意されるようなことをしましたか?」
恐る恐る口を開いたアグネスを、呆れたように見つめるレターナ。
(自分はいじめられた悲劇のヒロインと思っているのでしょうね。田舎の男爵家の娘だし、貴族社会のルールに弱いのは仕方ないのかもしれないけれど、だからってこれは残念すぎる頭だわ)
「私は何回も注意してよ、アグネス・ヒューム。覚えていないということは、理解できていないと言うこと。あれほど言ったのに、あれほどのことをしたのに、まだわからないの? 残念だわ」
アグネス・ヒュームは、貴族社会の秩序を保っているルールを全く知らず、無礼な行為を繰り返していた。
身分の上の者に気軽に話しかけてはいけなかったり、婚約者を持つ異性とふたりきりでいたり。そういう貴族社会では当たり前のルールを彼女は犯した。
そういう態度に好感を持つ者もいれば、逆に不快感を示す者もいる。要するに、アグネスの取り巻きが好感を持った者であり、レターナのように注意や彼らの言うところの嫌がらせをするのが不快感を示した者だった。
「……でも、おかしいと思うんです。皆、同じ人間ですよ」
「しかし、そのルールがこの国を支えてきたルールです。貴女の我儘で破って良い物ではありませんわ」
「そうはいっても、嫌がらせはやり過ぎだろう」
アグネスを援護するように誰かが言った。その声にそうだそうだ、と賛同の声が大きくなる。
「黙りなさい」
そんな中、レターナの静かな声が通る。その声が持つ雰囲気に、皆が一斉に口を閉じる。
「だから言っているでしょう? 嫌がらせではありません。教育ですわ。それに、仮に嫌がらせだとしても、アグネス・ヒュームに文句を言える権利も、訴えて勝てる力もありませんわ。あなた方も同じですよ? 私、顔を覚えるのは得意ですの。
…………身分をわきまえなさい?」
レターナは相変わらず無表情だったが、何故だか冷たく笑っているような錯覚を覚えた。
アグネスの取り巻きたちは、ひっ、と声を漏し、うつむく。
レターナの言葉に反論したのは、長年共にいて、その空気感に慣れているフィデリオだった。
「だが、婚約解消はもう決定事項だ」
「ええ、それは了承していますわ。それについては何の反論もございません」
「ああ、それともう一つ」
そう言って、フィデリオは書類をもう一枚レターナに差し出す。
不思議に思いながらレターナは受け取るが、その内容を見たときに、少しだけ目が見開いた。
「レターナ・フォルネーゼ。貴様、それだけの罪を犯していたんだな」
「…………」
フィデリオが差し出したのは、レターナの罪が書かれた書類――逮捕状のようなものだった。もっとも、全て冤罪だが。
だが、王族の作成した書類だ。冤罪でも、事実でも、レターナは罪人だ。
黙り、そして肩を震わせているレターナを見て、フィデリオは勝ち誇ったように笑う。
「…………ふふふふっ!」
だが、その余裕も長くは続かない。
レターナは泣いて肩を震わせていたのではない。笑っていたのだ。
「惚れた女のためならば、少しは使える男になれるのですね。見直しましたわ、殿下」
笑いながら、フィデリオを侮辱する言葉を吐く。
だが、それをとがめる者はいない。皆、笑っているレターナに驚いて、何も言えないのだ。
――――感情ひとつ見せないレターナ・フォルネーゼが笑っている?
「ここまでされてしまっては仕方ありませんわ。ですから私も、誠心誠意を持ってお応えしましょう」
レターナはにっこりと微笑んで、歩き出す。
アグネスを守るように立っていた騎士団長の息子の元に行き、「貴方、良い剣を持ってるのね。貸してくださらない?」と、言いながら剣を抜く。
何をするつもりだ。アグネスや殿下を刺す気か?!
皆がそんなことを思うものの、レターナの雰囲気に圧倒され、動くことも喋る事もできない。
レターナ・フォルネーゼには、命よりも大切なものがあった。
それは、己のプライドであり、公爵家であり、この国であった。
(私が罪人になってしまったら、公爵家に迷惑をかける。それに、こんな奴らに屈するなんて、私自身が許せないわ)
だから。
レターナは、その剣を躊躇うことなく、自分の喉に突き刺した。
びしゃり、と血吹雪が飛ぶ。近くにいた者の顔や服を、真っ赤に染めた。
「……ひゃああああああああああ」
誰かが叫んだ。そして、その恐怖は周りに伝染していく。
(ざまあみろ)
レターナ・フォルネーゼは薄れいく意識の中で、そんなことを思った。