73.身内だけの気楽なお茶会(フェリシア視点)
近頃、マリア伯母様とアストル従兄様が揉めているのをよく見かける。
もちろん、大声を出したり、罵り合ったりはしてないわ。お上品に微笑みあって、でも、目が笑ってない。
もしかして、私のせいかしら。
こっそりお母様に訊いてみたけど、私が気にするようなことではないとおっしゃるばかり。でも、気にしないなんて無理だわ。だからしつこく食い下がってみたけど、私には早い、ですって。
なんとなく分かったわ。
きっと、あの女のことよ。
お母様の口から、穢れた女の話などさせられないわ。
分からないけど諦めました、ってふりをして、私、もう訊くのをやめたの。
あの女のことを思い出してみる。
と言っても、あまり覚えてない。
赤い髪に、緑の大きな目。人の良さそうな、あまり賢くなさそうな女。罪の女だもの、そりゃあ、賢いわけないわよね。
あの女の一体どこが、従兄様のお気に召したのかしら?
*
午後、アルベルト殿下を招いて、『身内だけの気楽なお茶会』があるの。
本当に気楽かどうかは分からないわ。でも、退屈なのは間違いないわね。いくら賢いとはいえ、十二才の男の子のご機嫌取りですもの。
王宮から殿下と馬車を連ねて、アストル従兄様がお帰りになったわ。
殿下をお迎えして、伯母様ったら、凄く嬉しそう。
王家にお家を乗っ取られるっていうのに、変なの。そりゃあ、罪の女の産んだ子供を跡取りにするよりはましなんでしょうけど。
一方で、従兄様は凄く渋い顔をなさってる。
陛下に無理やり養子を押し付けられたわけじゃないって、何度もおっしゃってたのはやっぱり嘘だったのね。
早速玄関先からサロンに場所を移して、お茶のテーブルを囲む。
どうして大公家の歴史なんて、つまらない話題を選ぶのかしら。
殿下の妙にはきはきした受け答えが、ちょっとむかつく。すごく興味持ってますーって、その顔やめなさいよ。
歴史なんか、終わった話じゃないの。そりゃあ、百年くらい前のことならね。まだ当事者を知ってる人が生きていたりするから、覚えておいた方が良いことも多いわ。社交の席で持ち出されることも多いもの。
でもね、今のお話は千年も前、この国の建国より以前の話よ。
魔法使いとか怪物とかが出てくるのだもの、お伽噺だわ。
バルディン帝国が瓦解した後、グラヴェ王国が建国されるまでのあれね。伝説の聖王ユリアスと七人のご立派な騎士が大活躍する話。
そりゃあ私だって、子供の頃には、乳母から寝物語に聞かされるのを楽しみにしていたわ。
メクヌス卿とお転婆なヤモジーナ姫のお話がお気に入りだったの。命と引き換えにテゴール卿を救ったセミルタ姫のお話は、悲しくて聞きたくなかった。しかも、テゴール卿ったら、あっさり別の人と結婚するのだもの。
今、お母様と伯母様が熱心に話しているのは、マルドリュス卿のこと。
最後にユリアス王の軍に参じた、七人のうちで一番若くて勇敢で正直で、多分一番お馬鹿な騎士。
最後の戦を終えたユリアス王と騎士たちの元に、光に包まれた聖セレーナが現れ、騎士たちに宝石を手渡すの。そうして、ユリアス王にはこの地に王城を建てるよう、騎士たちには宝石の輝く地を治めるようにと告げて姿を消す。すると、騎士たちの手から宝石が飛び去り、昼でも輝く星となって彼らを導いた。
子供でも知ってるお話だわ。
でも、お母様は嬉しそうに話してる。年を取ると同じ話を繰り返すって、こういうことなの?
「マルドリュス卿の宝石は、一番遠くへ飛びましたの。七十七の昼と七十七の夜を、卿は旅して、ついに星の真下に辿り着きました。けれど、険しい山に囲まれたそこには、小さな泉があるばかり。疲れ切った卿は、泉の水を掬い、一口飲みました。その冷たさ、その甘さ。『我が封土は、なんと豊かか』――」
アルベルト殿下は、お行儀よく聞いてるわ。まるで初めて聞きますって顔よ。そんなわけ無いのに。
「卿が思わず声を上げた時、水面で何かが跳ねました。魚です。卿は早速釣り糸を垂らしました。すると程なく、小さな赤い魚がかかりました。食べるには小さすぎましたが、とても綺麗な魚でしたから、卿は思わず見入ってしまいます。するとどうでしょう。『助けてください、食べないでください』魚がそう言うではありませんか」
どうでしょうも何もありはしないわよ。
この後、魚は取引を申し出るの。名剣とか、名声とか、富とかをあげるって。でも、それはマルドリュス卿がもう持っている物だったり、必要ない物だったりする。だから、卿は断ってしまうの。
ほら。
誰でも知ってる話よ。お母様ったら、何を得意気にしているのかしら。
ふと気になって、伯母様と従兄様の様子を伺う。
どういうわけかしら、伯母様は楽しそうに聞いているわね。
一方、アストル従兄様は、相変わらず難しい顔をしておいでだわ。私も一緒に顰め面をしてやろうかしら。
「とうとう差し出せるものが無くなって、魚は涙を流しました。卿は魚のことが気の毒になりました。『そう泣くものではないよ。こんな小さなお前を食べたりするものか』卿はそう言って、魚を宥めます。『この地で、私は独りきりだ。どうか、話し相手になってくれないか』卿がそう言うと、『それならお安い御用です』と、魚が答えました」
そうして、魚は麗しのミルジューナ姫に姿を変えるのよね。もちろん、最後には卿と結婚するわ。
そういえば、もう何年も前のこと。
まだ小さかったルキノ殿下にこのお話を読んで差し上げた後よ。私だけに聞こえるように、リナルド殿下がおっしゃってた。
――マルドリュス卿は、大嘘つきだな。食べたりしないと言ったくせに。
どういうことか分からなくて、殿下に訊いたけれど教えてはいただけなかった。
人の姿となったのに、ミルジューナ姫は食べられてしまったのかと思ったの。
恐ろしくて、その夜は、騎士の鎧を身につけた殿下が、大きな真っ赤な魚を獣みたいに貪る夢を見たわ。
「小さな泉は見る間に大きな美しい湖に変わりました。湖の沖の島には、黄金と宝石で彩られた美しい都が煌めいています。卿はミルジューナ姫を妻に迎え、この都で末永く幸せに暮らしました。……これが、マルドリュス公国の始まりです。以来、公国は平和のうちに繁栄を続けました。けれど、四十二代目の大公の末の公子が当家へ婿入りして間もなく、地上から消えました」
そう。
なんだか突然消えたっていうのよね。いろいろな人が、こういうことだったのだろうって説を上げてる。異教徒の襲撃で全滅したとか、逃亡したとか。天罰説もあるわ。なんなら、最初からマルドリュス公国なんか無かったって言う人だっている。
でも、本当のことは分からない。もう二百年も前のことだもの。
そういう話が好きな人がいるのは分かるわ。アストル従兄様なんか、そっち側の人よね。
でも、私はどうでも良いと思ってる。だって、もう無いものは無いんだもの。
「以来、ガレー家の引退した当主が、マルドリュス大公を名乗ることになっております」
お母様は誇らしげ。私は呆然。
貴族の称号には、馬鹿馬鹿しいものがたくさんあるけど、これは最たるものだと思う。
「では、次は叔父上が名乗られるのですね」
アルベルト殿下が言う。
「さようでございます。六年後、殿下のご成人の時に、八十三年ぶりの復活となります」
伯母様も誇らしげだわ。
え? どういうこと?
私が知らないだけで、マルドリュス大公って、何か実質上の権益とか何かがあるの?
「聖王ユリアスの配下たるマルドリュス卿に連なる、名誉ある名の復活なのですね」
アルベルト殿下は感心してるって顔。
たった十二才とは思えない演技力ね。ダルビエ座の座長だって務まりそうよ。
「さようでございますとも、殿下。そうしていつか、殿下がこの名をお継ぎになるのです」
「王国よりも古い御名をいただくなど、おこがましいことです」
お母様が押し付けるのを、殿下は大真面目に辞退する。遠回しに要らないって言ってるのよね? 当然だわ。
「お従兄様にお子が出来たら、その子が引き継がれても良いのではありません?」
余計なことと承知で、私は口を挿んだ。
どうせ名前だけの爵位で、領地も湖だけ。そのくらい、あのぼやっとした女が産む子供にくれてやっても良いのではないかしら。従兄様の血は引いているのだし。
「何ということを」
「それは殿下がお決めになることだよ」
気色ばむお母様を制して、従兄様は、涼しい顔で言う。
「アストルも、馬鹿を言うものではありません」
伯母様が低い声を出す。
「フェリシア。覚えておきなさい。私たちにとっては、マルドリュスの名の方が、ガレーの名より重いのです」
「そう。いずれ分かります」
お母様も凄む。
「訳が分からないわよ、そんなの」
私は素直に返す。殿下みたいな演技派ではないもの。
「間もなく、そう、間もなく分かるよ。その話をしなくてはね」
従兄様は、長い溜息で息を継いだ。
「今日、フェリシアの輿入れについて、陛下からお言葉があったよ。我が家の娘として、予定通り立太子式に輿入れを行えとのことだ」
「ええっ」
真っ先に声を上げたのは、アルベルト殿下だったわ。
当事者である私は、正直、何を言って良いのかも分からずにいる。
「フェリシア様が、私の義姉上になられるということですか?」
「そうです」
本当に、リナルド殿下のお傍に上がることができるの?
私、幸せになっても良いの? みんなが死んでしまったのは、きっと私のせいだというのに。
「立太子式に婚礼もとなると、あと半年しかありませんよ」
「幸い、婚礼準備としてダリオン家が発注した物のほとんどは、まだ納品されていないようですからね。ダリオン家の出入り商人に発注内容を確認して、保留になっていた作業を再開してもらって……準備に抜けが無いか洗い出して……」
どうしよう。ねえ、どうしよう。
「あの、叔父上。王子が養子に入ったり、王妃を輩出したりしたら、ガレー家が強くなりすぎませんか?」
「表向きはそうですね。でも、フェリシアの嫁入り支度の費用を、うちが全部持つことになります。ダリオン家が十年以上かけて準備していた費用を、半年で放出するのですよ。財政面では大打撃です。回復には何年もかかるでしょうね」
「六年やそこらはかかりますか」
「ええ。まだ詳細な試算はしていませんが、かかるでしょうねえ。その間、我が家は名誉ある張りぼてですよ」
予知通りって、どなたが決めたのかしら。
リナルド殿下のお気持ちは、少しは入っているかしら。あの夜会以来、一度もお目にかかってないの。早く会いたいって、待てないって、思ってくださってるかしら。
「その、正式な申し入れではないし、今申し上げることではないかもしれないのですが。兄上がですね」
リナルド殿下が?
「私がこちらへ入ってから、フェリシア様と一つ屋根の下に過ごすのが、お気に召さないそうです。もちろん私だけではなく、叔父上も」
どういうこと?
もしかして、嫉妬してくださってるの? 少しは私のことを、その、好いてくださっているのかしら。
ああ、でも、いい気になっては駄目。
お母様を見ればわかるでしょう? 愛が擦り切れた後も、嫉妬はしていらした。
殿下のお心に、一度でも私への愛情が宿っていたかしら?
分からないわ。
「広いお屋敷で、ほんの数か月のことですから、一度もお目にかからないように過ごすことだってできると申し上げたのですが……」
「ははあ。なるほど。まあ、こればかりは理屈でどうこうなるものではないものですよ。それで、殿下は、どうすべきだと? フェリシアを王宮に引き取るおつもりですか?」
「いえ、具体的には何も。私が考えるに、王宮よりこちらの方が安全という気がします」
「ここなら、出入りする者の素性は、全て把握できていますからね。とはいえ、どうしたものでしょうな」
「未来の国王夫妻の間に、懸念事項があってはなりますまい。王家への輿入れですから、本邸からなさるのが筋。ですから、私も別邸に入りましょう」
「え?」
「あの、殿下。別邸は殿下のお住まいに相応しい場所ではありませんのよ?」
「相応しくなされば良いではありませんか。汚れを除くのです」
「まああ、除くとおっしゃいますが、殿下、そうたやすくは……」
「多少の経費はかかるかもしれませんが、汚れというのは、放置するほど落ちにくくなるものと聞きます」
「いや、承服しかねます。断固として承服しかねます」
……あら? みんな難しい顔になってるわ。
私がぼんやりしている間に、一体、何の話になったのかしら。
汚れ?
そう言えば、お屋敷の中に真っ黒に汚れた部屋があると、誰かが言っていた気がするわ。きっとその話ね。
掃除くらいで何をもめているのかしら。
お世話になっておいてこんなこと言いたくないけど、お母様も含めて、変なお家だわ。
読んでくださってありがとうございます。




