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6.伝えられなかったこと

ここまででひとまず第一章完、でしょうか。

章分けしてませんけど。


ところで、この世界の女性の下着は、デコルテは少し余計に開いてますが、フリルたっぷり、かつ、くるぶしくらいまでの長さです。

 店への借金の残りを数える。

 手持ちの小金と合わせれば、間もなく返しおおせるはずだ。

 「サラ。あらごめん、お楽しみ中だったのね」

 部屋の戸を開けた女将が言う。

 帳簿を付ける姿を見て、お楽しみもないものだが、実際楽しいから仕方がない。

 私は、お金が、大好きだ。

 「あんた、これからどうするの?」

 後ろ手に戸を閉めて、私の向かいに座ると、帳簿を覗き込んだ。

 「足を洗えそう?」

 私の借金の額は、女将が一番よく知っている。もうすぐというのも当然承知だ。

 「……あんた、このところ、客付きも悪くないし、若い子たちも懐いてるし、うちとしては残ってほしいところだけど」

 なんと、突然の高評価。

 「マイラ姐さんの手伝いをしながら、絵の仕事をさせてもらう、なんて……」

 都合のいいことを言いながら、上目遣いに女将を見る。

 女将経由で、まとまった絵の仕事を貰ったのだ。今はまだ衣食住を賄うことはできないが、住処だけでも確保できれば、なんとかなるのではないか。ごっそり天引きされて、借金で縛られることになっても、体を売るよりは技術を売る方がましな気がする。

 「あの男は、何か言ってるの?」

 さすがは海千山千の女将だ。容赦なく核心に斬り込んで来た。

 この様子では、あの男ってどの男、なんてとぼけても無駄だ。

 「何も」

 たった三度客として来ただけの男に、先の話なんかされるわけがない。

 すると、女将が唸りだした。

 「あんた、どうせあの男と切れたら、今まで以上にカッスカスになって、客も離れちゃうんでしょ」

 「ひどいこと言うわね。その通りよ」

 そう、自分でも分かっている。いや、来ないと断言されてはいないものの、もうとっくにカスカスだ。絵が無かったら、どうにかなっていた。

 仏頂面の私に、女将が笑った。

 「でも、好きな男がいると、他の男に触られるのも嫌になっちゃうのよねえ」

 それも、おっしゃる通りです。失恋から立ち直るまでは商売が辛い。

 「そういう時、相手が金のかかる男だと、頑張れるんだけど……あれ、相当持ってるわよね」

 女将が手でお金のサインを出す。

 「私のために、すっごく無理してくれたのかもよ?」

 それは無いと分かっている。

 オレンジは伝手が無ければまず手に入らない。写本も、とてつもなく贅沢な品だ。

 どれも、見栄やはったりで手に入るようなものではなかった。

 だからこそ、この程度の女と長く関わるとも思えない。

 「また来るかどうかも分かりゃしないわよ」

 肩をすくめて笑って見せる。最後に来てから、もう一月以上経つ。今日で三十八日目って数えているのは内緒だ。あんまり写本ばかりに夢中だったから、呆れられてしまったのかもしれない。

 「一度くらいは来るわよ」

 そう言って、女将は私の額をぺちんと叩いた。

 「今日来るそうだから、しっかりお金使わせてよ」

 それを聞いた途端に、目に入る何もかもが、鮮やかな色に染まった気がした。


  *


 久々に会うアルトゥロは、相変わらずの黒装束に、相変わらずの馬鹿げた仮面を付けていた。

 部屋の内鍵を掛けると、アルトゥロは仮面を外す。端正な顔に、翳りが見えた。疲れているのかもしれない。

 一方の私も、何も言えないのだった。何を言ったらいいのか分からない。

 久しぶりとか、元気だったかとか、会いたかったとか。

 可愛くない? 素っ気ない? 重い?

 彼が何を考えているのか分からないけど、馬鹿みたいに、二人、困り顔で見つめあう。

 嬉しいのに。どうしたらいいんだろう。ええと。

 とりあえず、首に抱き着いてキスをする。

 焦がれる気持ちのまま、強引に、深く、長く。

 大丈夫、これは仕事のうちだから、重くないよ。……多分。

 アルトゥロの両腕が、最初はそっと、すぐに力を込めて私を抱きしめてくれた。キスの主導権も奪われる。角度を変えながら、何度も何度も口づける。

 嬉しくて嬉しくて、何も考えられない。

 気が付いたら、ベッドに運ばれていた。転がって抱き合って、笑いあう。子供か。

 「サラ」

 大好きな低い声が私を呼ぶ。私を見下ろす、夜空の色をした瞳も大好き。

 「君に会いたかった」

 「私も。私も、会いたかった」

 黒髪に指を挿し入れ、指の間を滑らせる。アルトゥロは心地よさげに目を細めた。可愛いので、胸に抱きこんで髪を弄ぶ。

 「……会えない間に、何か、変わったことは無かった?」

 緩み切った声で、訊かれた。

 「あのね、絵の仕事を貰えるようになったの」

 女将を通しているから、店のみんなに知られているけど、本当はこの人に一番に聞いて欲しかった。

 最初は、記者の不始末に乗じてもぎ取った、ベナルジテ通信こと色街ガイドの、小さな挿絵。それから、挿絵用に描いたものを蝶々さんがとても気に入って買ってくれたこと。それが自信になって、王都の名所を描いて、都の外から来たお客さんにあげるようになったこと。次には、この界隈の顔役の耳に入って、今度の仕事になる。

 「……それでね、色んな店の女の子の絵を描いて、版画にして売ることになったの。この辺りを仕切ってるウベルト親方が依頼元で、うちの女将を通して受けてるから、ただ同然で絵だけ持っていかれるなんてことにはならないわ」

 「凄いな」

 感心してもらえたので、良い気になって、一枚だけ仕上がっている原画を見てもらう。画帖ではなく、別扱いにしてしまっておいたものだ。

 「『ルビカの破戒』か。こんな色っぽい場面だったっけ」

 「描き方次第ね。一昨年の勅撰展覧会で、ジュールド画伯とクローチェ画伯が対照的なルビカを描いて揉めたんでしょ? ジュールド画伯の方は、夫を寝かしつけてた表現があからさまで、クローチェ画伯のルビカはきっちり着込んでるけど、モデルが高級娼婦のベル」

 「さすがにお詳しい」

 茶化されてしまった。

 「新聞で見ただけよ」

 勅撰展は、招待状無しでは入れないのだ。

 「ともかく、芸術作品のふりをしてるけど、娼婦の売り込みの絵だもの」

 ルビカの物語は、古代神話の挿話の一つ。正体を隠した太陽神の妻となったルビカという娘は、夫の素性を疑い出す。そして、夫が寝ている隙に、見てはいけないと言われた箱を開けてしまう。人の目には眩すぎる光が溢れ、娘は視力を失う。それから何やかんやで丸く収まる話だ。

 「このモデルは、二月くらい前にうちに来たヴァイオレットって妓なの」

 画面の中央で、申し訳程度に体に布を絡ませたヴァイオレットが、豪奢な小箱を開けようとしている。隅には背を向けて寝ている男。画面下のリボンに、大陸公用語とベランジオン語とで『ルビカの破戒』とタイトルを入れてある。店と妓の名は、画家の署名のように小さく入れることになっていた。私の名と版元の名は入れない。

 とにかく淫蕩な雰囲気を大切にしつつ、ヴァイオレットの可愛いところ、くりくりした瞳のあどけなさや、唇の柔らかさ、無邪気さ、浅はかさ、華奢な手足のみずみずしさなんかを表現しようとした。目標は、見た人が触りたくなる絵。

 めちゃくちゃに頑張ったのだ。

 私も、ヴァイオレットも。

 現在、ナギからは合格点を貰っている。

 「あと、四枚あるんだけど、その分のモデルは、よその店の妓をウベルト親方が選んでおいてくれるって。まあ、まずはこれで採用してもらえるかどうかなんだけど」

 その後は、版元の腕頼りだ。そうして、評判が良ければ他の妓も描かせてもらえる。

 「君は凄いよ」

 アルトゥロが返してくれた原画を、またしまい込む。ベッドの上に戻ると、抱きすくめられた。

 「君は、本当に僕の思い通りにならないんだなあ」

 そう言って、アルトゥロは長いため息をついた。

 「どうしたの?」

 「いや。君は本当に凄いと思っただけだよ。……ねえ、サラ。これからしばらく会えなくなる」

 どう返事をしていいのか分からない。

 はしゃいでいた気持ちが、一瞬でしぼんでしまった。

 とりあえず、泣きそうな顔は隠さなくてはいけないので、彼の胸に顔を埋める。

 「ねえ、しばらくって、いつまで?」

 また一月も待たされたらどうしよう。それより、しばらくと言って二度と現れないことだって考えられる。今はそんなつもりでなくても、時間をおいたら冷静になってしまうことは、十分考えられる。

 ついつい嫌な想像ばかりしてしまう。

 「少なくとも、一月は戻れない。下手をすると二月でも、三月でも」

 とにかく、泣いてはいけない。

 「一月と三月はずいぶん違うわよ?」

 「違うねえ」

 アルトゥロは苦笑いした。

 「僕だって、本当は一日も離れたくない」

 だったら、ここから連れ出してほしい。でも、それは口にしてはいけないことだ。

 「でも、君には、絵の仕事があるだろう。あと四枚仕上げるのにどのくらいかかる? 僕を待つくらいあっという間じゃないのか?」

 痛いところを突かれた。絵より大事と言い切れない自分が憎たらしい。

 「否定できないわ。できないけど、でも、それとこれとは別なの」

 駄々をこねる口を、唇でふさがれる。

 ここで丸め込まれるのが、ちょうどいい落としどころなのだ。きっと。


  *


 一緒にいられる時くらい愛しさだけ貪れば良いのに、寂しいとか、不安だとか、要らない気持ちに邪魔をされる。

 溺れきれないまま、私たちは朝を迎えた。

 「まあね、三か月くらい、過ぎてみればあっという間よね」

 どうにか軽々しく言って、キスをする。

 「サラ」

 アルトゥロが小さなガラス瓶を私の手に握らせた。

 「香水?」

 中の液体は、彼の瞳と同じ、深い藍色だ。時折何かが小さく光るのが見える。

 「香水とは少し違うんだけど、でも、まあ、香水かな」

 アルトゥロは自分でも首を傾げた。

 「眠る時、蓋を開けて、枕元に置いてくれたら、君の夢の中に会いに行くよ」

 「初めて会った時だったら、ただの冗談だと思ったのに」

 今は信じてしまっている。

 「ただし、必ず独りの時に使って。それから、毎日使ったりしては駄目だよ。夢の中から帰れなくなるからね」

 そう言って、彼は小壜を鍵付きの櫃にしまわせた。

 「十日に九日くらいなら良い?」

 「十日に一回だね」

 酷いことを言いながら、アルトゥロは笑い、そしてすぐ真顔になった。

 「それから、お使いを頼みたい」

 掌に、今度は四角い金属が置かれた。神聖金貨だ。

 金の含有量は大したこと無いけど、価値は大金貨五枚分を教会が保証している。通し番号の刻印付き。守護の祈祷がされているが、その効果は謎。

 家出してから初めて見た。

 「お使いって」

 稀覯書でも買わせるつもりだろうか。ああいうものを扱う店は、一見客を嫌う。まして私のようなのが出向いて、相手にしてもらえるだろうか。

 考えていたら、抱き締められた。

 「僕の可愛い人を時々買い切ってくれ。君を思い出す時は、僕が買い切ってるところだと思い込むようにするから。頼む」

 ああ、愛されている。

 辛いのは私だけではないのだ。

 嬉しくて嬉しくて、でも、もうすぐ離れなくてはいけない。

 名残りを惜しんで、何度もキスを繰り返して、彼を送り出した。


 そうして、大変なことに気づいた。


 私の借金が、残り僅かだって、彼に伝えてない。

ご覧いただきありがとうございます。

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