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娼婦サラの画帖  作者: 鳥井小鈴


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65.死者たちはざわめく

いつもより余計に*が付いているところ(後半3分の1くらい)から、火事場の描写となります。

苦手な方は避けてください。

・多分いろいろ間違ってるけど、死体がたくさん出てきます

・サラ視点には戻りません

・読み飛ばしても本筋には影響ありません

・だったらどうして書いたのか、と訊かれると答えに窮します

 アドリエンヌを見送り、部屋に戻ると、アストルに出迎えられた。


 「貴方、聖セレーナ聖堂へ行ったんじゃないの?」

 「ああ、あれは影だよ。フェリシアもね」


 答えて、アストルは私を抱きしめる。

 あの美少女は、フェリシア嬢というのか。


 「ん? どうかした?」


 アストルが訊ねる。多分私は今変な顔をしているのだ。


 「あの子がアドリエンヌにカーテシーをした時ね。何と言うのかしら、その、感じ入るものがあったのだけど、影だったのね」

 「あー、うん。でも、影は自分が影だと知らないからね、フェリシアがすることしかしないよ」


 アストルが説明してくれた。

 少し安心する。あの子の感謝が偽物だったとしても、アドリエンヌは気にもしないのだろうけど。


 「時間が惜しかったからね、フェリシアが僕に会いに来てすぐに、魔法陣から直接送り込んだ。あそこは、うちのものだから、いろいろ融通が利くんだ」


 言いながら、アストルは私の顔じゅうにキスをする。


 「好きだよ、サラ」

 「私もよ」


 私も言葉とキスを返すけど、なぜこのタイミングでキスなのかが分からない。


 「ねえ。どうかしたの?」

 「これから、嫌なことをする。その前に、生きてるって良いものだと思いたくてね」


 剣呑な回答が返って来た。

 嫌なことについては、深く追求されたくはなさそうだ。


 「奥の空き部屋、あそこを使うよ。何か聞こえても気にしないでくれ。……聞き耳は立てても良い。でも、僕が出て行くまで、絶対に扉は開けるな。壊すのも無し。もちろん、水銀を立たせておくから、やれるものなら、ってところだけどね」

 「万全の布陣だこと」


 長く深いキスの後、腕を解いて、アストルは小部屋に籠ってしまった。


  *


 居間に戻って、息をつく。


 「見るなって言われると見たいわよね」


 エヴァが言った。


 「エヴァ?」


 驚いて私は声を上げる。


 「何?」


 うるさいと言わんばかりに、エヴァが訊き返す。


 「何って、貴女がいるから驚いたのよ」

 「慣れて」


 エヴァはあっさりと言う。


 「いや、私も随分慣れたつもりよ?」

 「まだまだだわ」


 何を言ってもいなされてしまう。

 何だこいつは。


 「どうして出てきたの?」


 私の問いに、エヴァは肩をすくめる。


 「兄さんが、姉さんのあれに呼ばれたから、私もついてきたの」

 「あれって何よ」

 「義兄さんって呼べば良いの?」

 「え」


 それは、気恥ずかしい。それに、愛人の分際で、おこがましいと言うか。

 私は返事に詰まってしまう。


 「まあ、どうでも良いんだけどね」


 手短に切って捨てられた。

 何なんだこいつは。


 「…………」


 気を取り直して、コーヒーでも飲むことにする。

 アストルにも届けてあげたいけど、今は駄目なのだろう。

 立ち上がって、小鍋を手に取る。さっきの豆かすは、水銀が片づけてくれたようだ。


 「私にも」


 エヴァが言った。


 「貴女、飲めるの?」

 「ええ」


 飲めるのか。

 感心していたら、奥の部屋から奇妙な声が聞こえてきた。

 声、だと思う。一人ではなく、とても大勢が、遠いところで怒鳴り、叫んでいるように聞こえる。


 「姉さん、手が止まってる」

 「あ。……あの声が気になっちゃって」


 水を入れた小鍋を、暖炉の火にかける。用を済ませてアストルが戻っても良いように、水は多めにした。


 「ああ、召喚された亡者の声よ」


 とんでもないことを、エヴァは、鳴く鳥の種類のように告げた。

 声はだんだん大きくなってくる。

 言葉は聞き取れない。けれど、彼らの訴えようとしていることは分かる。

 憎い。惨い。許せない。恐ろしい。酷い。悲しい。痛い。苦しい――。

 こんな声を間近で聞いて、アストルは大丈夫だろうか。離れていても恐怖に呑み込まれてしまいそうなのに。


 「姉さん?」


 エヴァが私の顔を覗き込む。


 「ごめん、ぼんやりしちゃった。亡者って、死んだ人よね」

 「そうよ。その召喚の手伝いのために、兄さんが呼ばれたの」


 エヴァはちょっと得意気だ。


 「貴女は?」

 「私は、私は――仕方ないじゃない。私はまだ死んだばかりなんだもの。あっちにいたら、引きずり込まれちゃいそうなんだもの」


 あんな声にエヴァが引きずり込まれるなんて駄目だ。


 「じゃあ仕方ないわよね。貴女に会えなくなるのは嫌だもの」

 「それを承知であんな男についてったくせに」


 それを言われると、返す言葉も無い。

 亡者たちの声は、さらに大きくなっている。

 下の階に響いていないだろうか。家主の仕業だから、どうか大目に見ていただきたい。


 「姉さん、お湯が沸いてるわ」


 声に気を取られて、鍋のことを忘れていた。声は大きくなって、エヴァの言葉も、口の動きでかろうじて察せられたくらいだ。

 コーヒーの粉を入れて、また火にかける。

 ちょうど同じ頃に、亡者たちは一斉に吠え、そして静まりかえった。


 「終わったみたいね」


 エヴァが呟いた。

 すると、間もなく、居間の扉も開いて、アストルが飛び込んで来た。


 「サラ」


 アストルは、私をきつく抱きしめた。


 「お疲れ様」


 抱き返して、髪を撫でる。でも、そうしていたのは、ほんのわずかな時間だった。


 「さあ、今度こそ出かける」


 言い残して、アストルはあっさりと出て行ってしまった。

 彼の立場を考えたら、じっとしている閑など無いのだろうけど。


 「姉さん、コーヒー」


 エヴァが言う。


 「あいつの分は、僕が貰うから」


 カスパル兄さんも言う。

 しまった。

 兄さんがあの部屋にいたと聞いていたのに、兄さんの分を用意していない。

 誠にもって申し訳ないことをした。

 反省しながら、コーヒーを注ぐ。

 たっぷり砂糖を入れたコーヒーを一口飲み、兄さんは長い長い溜息をついた。


 「兄さんもお疲れ様」


 私が声をかけると、兄さんは小さく頷いた。


  *


 アストルと兄さんがしたのは、今夜の公爵邸の死者の召喚だった。

 部屋いっぱいに書き上げた魔法陣の中に、無残な姿の死者がひしめき合い、苦痛と怨嗟の声を上げる。

 このうちから、フェリシア嬢の名誉を守るために働く魂を選び出すのだ。

 命を失った肉体に宿り、断末魔の苦痛に耐える、それだけでも容易なことではない。その上で、フェリシア嬢に都合のいい偽証をする。辻褄を合わせ、不測の事態にも対応できなければならない。

 選ばれたのは、最年長の侍女だ。

 公爵夫人の少女時代から仕え、フェリシア嬢の婚約に合わせて、令嬢の侍女に転じた人。


 「ひどい話さ。仮にも同僚だろうに、屋敷の使用人を、皆殺しにしようとした」


 兄さんが呻く。

 皆殺しと言ったら、洗濯女も、庭師も逃がしはしなかったのだろう。

 公爵家の使用人と言ったら、どれほどいるのだろう。小ぢんまりとした大公家別邸でさえ、三十人を超えるのだ。公爵一家が四人というから、単純に倍だとしても六十人。

 それほどの人数を殺す理由は何だ? フェリシア嬢を売り飛ばすため?


 「でも、状況はいくらか分かった」


 兄さんが言う。


 最初は警備の騎士たちだった。

 勤務中、休憩中を問わず、一斉に襲われた。襲ったのは、同じく屋敷を警備する騎士たち。必ず一人に複数が斬りかかっていたという。

 これで屋敷は丸腰になった。


 それから公爵一家。

 公爵夫人は、夜会を早々に脱け出し、アストルの母君と一緒に聖セレーナ聖堂の終夜祈祷に参加していた。屋敷には帰っていない。

 屋敷に最初に帰宅したのは公爵本人。馴染みの高級娼婦のところへ出かける前に、屋敷で休息していた。

 次に公爵家の養子が帰宅。服装を改めるとすぐ、例の勉強会に出かけて行った。

 続いて、フェリシア嬢と侍女が帰宅。婚約者と掛け違いがあって、取り乱した様子だった。

 娘の様子に、公爵は外出を取りやめる。娘と過ごすため、従僕に呼びに行かせた。

 間もなく屋敷の騎士たちが、公爵を殺害。茶の支度をしていたメイドをはじめとして、通りかかる使用人らも次々に殺害。

 フェリシア嬢への伝言を済ませた従僕は、曲者との声を聞く。フェリシア嬢と侍女たちに警告し、彼は公爵のところへ急いだ。途中で、騎士たちに会い、彼らに殺害される。

 警告を受けたフェリシア嬢と侍女は、部屋に立て籠もろうとする。しかし、扉は破られ、フェリシア嬢は薬を嗅がされて気絶。侍女たちは抵抗の末、全員殺された。


 裏切者、と呼ぶのだろうか。

 彼らは騎士だけではなかったらしい。上級使用人のうちに、明らかに見逃された者がいたという。

 それから、外部から来た者。邸内に火薬を設置したのは彼らだったらしい。

 時間をおいて火薬が着火するように仕掛けをして、全員で屋敷を去った。残されたのは死者と、動くことも出来ない瀕死の重傷者。


 「ことの流れは分かったけど、理由が分からない」


 兄さんは首をひねる。


 「使用人たちは、総じて公爵一家を慕っているんだ。一人二人なら政敵に買収されることもあるだろうけど、そんな人数ではなかった。それに、入って一月も経たない見習いのメイドまで殺す必要はないだろう? 常識では考えられない」


 兄さんの言葉で、思い出した。


 「……昔、父さんに聞かされたわ。最も残酷なのは、自分を正義と信じる者だって」


 そういう相手と見たら、とにかく穏便に距離を取れと言われた。

 代金を踏み倒すのも、こちらの使いを死体にして返すのも、彼にとっては正義なのだから。


 「罪もない小娘も年寄りも殺して、女の子を娼館に売る正義って何よ」


 エヴァが吐き捨てる。


 「正義だったら、こそこそ逃げないで、堂々としていたら良いんだわ」


 全くもって、同感だ。


  *  *  *  *  *


 ダリオン公爵邸は今から四十年ほど前に建てられた。伝統を重んじる上位貴族の屋敷のうちでは、最も新しい建物である。

 後にカルロス五世様式と呼ばれることになる、デフォルメされた植物文様や曲線を多用した装飾的な建築は、前公爵夫人の好みから生まれたものだ。


 贅を尽くした屋敷は、今や煤に汚れ、見る影もない。

 石壁に施された優美なレリーフは、ところどころひび割れ、剥落している。屋根は爆風で大きく抜け、黄ばんだ煙を上げていた。ある窓では鎧戸が吹き飛び、ある窓は今も炎を吹き上げている。


 消火には時間がかかった。

 庭園の池や噴水の水では全く足りない。

 運河から水をくみ上げては運び、炎へと浴びせる。

 これを、当初は近隣の使用人が行っていた。やがて、王宮に知らせが廻ると、退役騎士からなる糸杉隊が担うことになる。

 彼らは、見物の民衆を解散させ、水汲みと放水の双方に専用の器具を設置した。安定した給水がされるようになって、ようやく本格的な消火が始まった。

 とはいえ、これから爆発するように仕掛けられた火薬が無いとは言えない。屋敷の中で消火活動ができるようになったのは、夜更けのことであった。

 すでに、公爵夫人と令嬢は、夫人の実家であるガレー大公邸に保護されている。当初安否の分からなかった養子も、ネゴデスク教会で勉強会に参加していることが判明した。


 老騎士たちが最初に目にしたのは、玄関ホールの惨状だった。

 タペストリーの燃えかすが、べったりと壁にへばりついている。焼けた絨毯は、放水を受けて黒い泥のようだ。天井はあちこち抜け落ちて、上階から落ちたらしい調度品が瓦礫となっていた。

 加えて、歴代の当主夫妻の肖像はひどいありさまだった。額縁が壊されていることから、念入りな破壊の上で焼かれたと知れる。

 怨恨という言葉が、騎士たちの胸に浮かんだ。

 敵の多い家だ。不思議は無い。

 そんなものよりおぞましかったのは、床の上の死者だった。みな焼け焦げ、ひどい者は爆発に巻き込まれたかして、生前の姿は定かではない。いずれも、ほとんど煤を吸い込んだ様子が無いことから、火が出た時にはすでに死んでいたと察せられた。


 「ギンネ派の洞窟を思い出すな」


 騎士の一人が呟く。

 異端とされ、破門された信者たちが、洞窟の要塞で集団自決した事件である。

 彼らは、罪深い肉体を捨て、清い魂だけとなって神のもとに向かおうとした。

 死者は老若男女、二百を優に超える。


 「人数は向こうが上だが……」


 別の騎士が頭を振る。

 奥へ進む者は、部屋の中に、廊下に、死者を見た。犯人は、とどめを刺したきり、放置したのだろう。


 「念入りなことだ」


 一人の生存者も無いことに舌打ちしたのは、隊士の一人である、フェルナンド・コルトー侯爵である。

 奥の一間へ進もうとしたが、窓からの放水に慌てて足を止めた。


 「乾いて足場が良くなるまで、お前はお茶でも飲んでたらどうだ?」


 杖を手放せない侯爵を、同行のフェルノ准男爵が冷やかす。コルトー侯爵は鼻を鳴らした。足を止めたまま、辺りを見回す。

 焼け焦げた壁、床。抜け落ちた天井からは、階上も同様に焼き尽くされているのが見える。


 「おい」


 コルトー侯爵は、長々と呼子を鳴らしてから、朋輩を振り返った。


 「二階で何か動いた」

 「飛蚊症だな」


 軽口は忘れず、フェルノ准男爵は目を凝らした。

 黒い塊が、床を這っている。髪も衣服も焼けただれて、年齢も性別すら区別できない。


 「梯子を持って来い。二階に生存者」


 駆け付ける騎士たちに、准男爵が声を張る。

 直ちに梯子が運ばれた。騎士たちが見守る中を、軍医でもあるアラシャ子爵が登って行く。

 <生存者>は、ほぼ全身を重い火傷に覆われているようだった。手足はねじれ、曲がっている。顔も焼けて、人相どころか、目鼻さえ定かでなくなっている。


 「おんしらず。ゆるさない」


 かすれた囁き声は、男の物とも女の物とも知れない。

 それでも、軍医ばかりか、階下で待つ一同は、その声をはっきり聞いた。


 「糸杉隊だ。手当をするぞ」


 手の施しようが無いのは、一目で分かった。生きていることが不思議な有様だ。それでも、アラシャ子爵は淡々と告げた。<生存者>はその声を聞きとれたらしい。子爵たちが敵ではないことが分かったようだった。


 「お嬢様と、奥様を、お守りください」


 この声も、全員がはっきりと耳にした。


 「聖、セレーナ、聖堂に。どうか、早く」

 「お二人ともご無事だ。今は夫人のご実家におられる」


 子爵が告げると、<生存者>は、ひゅぅ、と気の抜けた声を漏らした。


 「あんたは手当だ。ご婦人方のお世話の手が足りないからな、早く治さないと」


 冗談めかせて、アラシャ子爵は言う。だが、<生存者>はもう動かなかった。焼け爛れた首筋に指を当てても、脈は触れない。

 奇妙な形に曲がって固まった指が、小さく煌めいた。

 指環である。

 子爵が煤けたそれを拭おうとすると、指が折れ、指環だけが子爵の手に残った。

 女物の、値の張りそうなそれから察するに、この遺体は、侍女か家政婦長だったのであろう。

 指環をハンカチに包んで懐にしまうと、子爵は梯子を下りた。

読んでくださってありがとうございます。

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