63.夜は続く(フェリシア視点)
「大事な商品を、傷つけられては困りますよ」
私が目を覚ましたのは、見覚えのない部屋だったわ。
絨毯の上に寝ていたの。体中が痛い。起きようとしたのに、動けなくて、それから、衝撃。また痛み。
何が起きたのか分からない。声も出ない。動けないのは、縛られているから?
口を塞がれていると気づいた頃、大人の女の声で、そう言われたの。
大事な商品? 傷つけるって、さっきの?
「この娘には、これからたーんと、稼いでもらわなくてはいけませんからね」
この娘って、私のことよね。
稼ぐ? 私が? 稼ぐって、お金を貰うことよね?
私、働いたことなんか無いわ。
貴族の娘だもの、お金を自分で持ったことも無い。
いつだって、侍女が……侍女?
気を失う前のことを思いだしたわ。
屋敷に曲者が入って来たの。
警備の騎士のジャコモは、曲者の仲間だった。
部屋に押し入られて……みんな、私を守ろうとして……。
三人とも無事かしら。
せめて命だけは。
お父様も、ご無事かしら。クリスティアノも、みんな、みんな。
「それにしても、良いもの着てるじゃないか。売ったらいい金になるねえ。どうせ、もう服なんか着る暇無いからねえ」
声の主が、下卑た笑い声を立てる。
「若様方、この娘、生娘でございますか?」
別の女の人の声が言う。
「きき、生娘っ? 知らん。いや、恐ろしい毒婦だぞだ、清いわけがあるか」
若い男の声が答えた。
「構いませんわ、この器量ですもの。初物でなくたって、お殿様はお許しくださいますわ」
別の女の人が言う。この人は最初の二人より若そう。
そう思っていたら、女の人が屈みこんで、私の顔を覗き込んだ。
青灰色の瞳と、滑らかな金髪の、綺麗な人。アントニアと同じくらいの年頃だわ。でも、どうして下着姿なのかしら。
「安心なさい。お殿様が、お勤めの楽しさをしっかり教えてくださいますわ」
「そうそう。お殿様のお相手を一晩務めたら、どんな貞淑な貴婦人も、獣みたいになっちまうからねえ」
女の人たちは言う。
分かって来た。
ここは娼館で、私は売られてしまったんだわ。
体が震えだす。
お勤め? お殿様って、獣って。
分からない。
考えがまとまらない。
怖い。
嫌。
お母様、お父様。
助けて。
「さ、商談はおしまい。若様方も、遊んでお行きですよねえ」
最初の女の声が、そう言う。
「馬鹿を言うな、汚らわしい」
最初とは違う男の声だ。女の引き留める声には答えず、複数の気配が部屋を出て行く。
「さあ、縄を解いておやり。せっかくの綺麗な肌に、痕がついちまうからね」
最初の女の人が言った。
すぐに若い人が猿轡を外してくれた。もう一人の人は、腕を縛り上げる縄を解いてくれた。
起こされて、ソファに座らせてもらう。
でも、助けてもらえるわけじゃない。もっと恐ろしいことをさせられるのだわ。
震えが止まらない。
神様。
「苦しかったでしょう。もう心配ありませんわ」
「嫌……」
それしか言えなかった。
若い人が、静かにと言うように、唇の前で指を立てる。
「大丈夫です。誘拐されたお嬢さんに、お客を取らせたりしません。うちはね、ちゃーんと、お上から鑑札をいただいて、法律に則って営業してますからね」
小声でそう告げたのは、最初の声の人だった。お母様より少し年上かしら。この人ともう一人の人は、ちゃんと服を着ているわね。
「お嬢様のご様子を見ればね、客を取らせるよりも、お家へお返しして、お礼金でもいただいた方が、手っ取り早い儲けになると、誰にでも分かりますよ」
「娼婦の管理ってのはね、意外と厄介でしてねえ。右から左に、入った分だけ、すぐ出てっちゃうんです」
二人目の声の主が言う。この人が一番年上みたい。
「さあ、急ぎましょう。誘拐が表ざたになる前に、お嬢様をお帰ししなくては。お嬢様。このようなところでご家名を口になさりたくないのは、重々承知しております。信頼できる使用人の実家でもご存じでしたら、そこまでお送り致しますわ」
若い人が言った。
私、助かるの?
リナルド様にも、また会えるの?
待って。
リナルド様は、関係無いわよね?
私は賊のことを思いだしてしまった。
屋敷の警備の騎士が、曲者の仲間だったのだもの。他にも仲間がいたかもしれない。
未来の王妃の座を欲しがっている人は他にもいるわ。
リナルド様が、その座を授けたがってる人もいるかもしれない。
私はみんなの邪魔者で、ダリオン家は嫌われてる。
誰が信じられるの?
考えなくちゃ。しっかりするのよ。
狼狽えるうちに、頭に変なかつらを乗せられ、仮面と付け髭をつけられる。外套を脱がされ、男物の外套を着せられた。いつの間にか脱げていた靴の代わりに、歩きやすそうな靴も履かせてもらった。若い人が、下着の上に男物の服を着て、その上に私の外套を着る。
「さあ」
若い人が、なれなれしく私の腰を抱いた。
「とにかく貴族街へ向かいましょう。行先は歩きながら考えてもかまいません。今は、とにかく時間が大事です」
「後からフランツを付けるからね。気を付けてお行き」
最初の人が言う。
「あの。聖セレーナ聖堂へ、連れて行ってください」
悩むまでもなく、行先はすぐに決まった。
あそこなら、お母様がいらっしゃる。
お母様のご実家が建てた聖堂だから、きっと私たちを助けてくれる。
「アドリエンヌ。裏から出るよ」
年上の人が、若い人に言い、部屋から出て行く。
「必ず無事にお送りしますわ」
アドリエンヌと呼ばれた若い人が微笑む。
この人たちを信じて良いのか分からない。
縛られていたせいかしら、足がふらふらする。
けど、私を守ろうとしたみんなのためにも、しっかりしなくては。
*
外には、雪がちらついている。
広がる街並みは、大通りのそれとも、慰問で行く貧民街のそれとも違っていた。
色とりどりのランプが、狭くて、曲がりくねった通りを照らしている。そこを、変な格好をした人が大勢歩いているわ。
何の臭いかしら、何だか臭い。
「一本飲んだら、朝まで元気っ。旦那、どうだい」
「可愛い子ちゃんが大サービス」
「追加料金無し、銀貨一枚ポッキリだ」
あちこちで大声を上げる人がいる。
「足元にお気をつけて」
アドリエンヌが囁いた。
そのはずで、道の隅で、吐いている人がいる。いやだ汚い。
でも、誰も助けようとしていないわ。
「あの。病気の人がいるわ」
「心配要りません。お酒を呑み過ぎただけですわ」
アドリエンヌの囁きは、笑っているみたいだった。それから急に引き締まる。
「この人出では、馬車を拾えないかもしれませんわね」
だとしたら、歩くのかしら。
ここから聖セレーナ聖堂までどのくらいあるの?
少し歩いたら、急に道が開けた。
道の両端に、みんなが台を置いて、いろいろ並べているわ。これが屋台なのかしら?
おかしなかつらや、仮面を着けた人たちが、台を覗き込んだり、歩きながら何か食べたりしている。
庶民は星祭をこんな風に過ごすのね。
初めて見たわ。
これなら、私やアドリエンヌも、変な格好をしていた方が目立たなくて良いわよね。
でも、祭ももう終わりなのかしら。台の上の品物を片づけている人も少なくない。
通りすがりの人の声が耳に飛び込んで来た。
「花火の火薬が爆発したんじゃないかって」
「河の花火が、どうして貴族街で爆発するんだよ」
花火ですって?
うちの花火のこと?
爆発?
「ちょいと、大丈夫かい?」
周りに聞かせるように、アドリエンヌが言う。
「だから呑み過ぎだよって言ったじゃないか」
ああ、私、足が止まってたのね。
「でも、爆発したのは花火の殿様のお屋敷だっていうぞ」
「それだって、花火をお屋敷に持ち帰ったりはしないだろうよ」
また体が震えている。上手に歩けない。
「ねえ、お兄さんたち、花火がどうかしたのかい?」
アドリエンヌが話してる人たちに声をかけてくれた。
聞かなくちゃ。ちゃんと、聞かなくちゃ。
「ああ。花火をあげて下さる殿様のお屋敷が、大火事だってよ」
「火の勢いが凄まじい上、次々に爆発してるから、消防の連中も近づけないって話だ」
「まあ怖い。お屋敷の皆さんはちゃんと逃げられたのかしら。あらいやだ、貴族街で火事と言ったら、河畔はもう、祭どころじゃあないね?」
「そりゃあそうさ」
…………。
賊が火をつけたんだわ。
どうしよう。火が回ったら、みんな死んでしまう。
騎士二人がかりで斬り伏せられたアントニア。剣の柄で殴られて倒れたジュリア。私に覆いかぶさって守ってくれたアイダ。
膝ががくがくするの。
これでは歩けないわ。
お母様のところに、早く行かなくちゃいけないのに。




