58.絶世の性格ブス(フェリシア視点)
本文に書いてませんが、フェリシアは十五才です。
わたくしは、ダリオン公爵家が一女、フェリシア・ダリオンにございます。
それだけ。
だって、私に他に何があるの?
好きでこんな家に、こんな顔で生まれたわけではないわ。
婚約だって、前陛下とお父様が勝手に決めたの。
そりゃあ、リナルド様は良い方よ。私にはもったいないくらい、お優しくて、大らか。
お顔も素敵。金髪に青い瞳、笑っちゃうくらいに王子様らしい王子様。
でも、見た目なんて、最初だけだもの。
うちの肉団子親父、なんて言ったらお母様に叱られるわね。
若い頃のお父様の肖像を見てごらんなさいよ。本当に美しいんだから。
まあ、お祖母様の肖像ほどではないかしらね。お祖母様は、何しろ絶世の美女だったのですもの。そして、絶世の性格ブス。
そんなお祖母様に生き写しの私。違うのは、お母様似の瞳の色だけ。
そうよ、絶世の美少女なの、私。
嫌だけど、きっと性格もお祖母様にそっくりよ。
慈善のために孤児院に行くでしょ? 薄汚れた服の子供が駆け寄って来るじゃない。逃げ出したくなるの。
お母様は、垢まみれの子供の鼻をかんで差し上げるの。
私には無理。
垢と脂でべたべたに固まった髪を撫でてあげるのも無理。
抱き上げて、絵本を読んであげるのも無理。
本当は、孤児院の臭いも嫌。近づきたくもない。
屋敷に帰ってから最初にするのは、お風呂で念入りに体を洗うことよ。着ていた物も、洗濯させるわ。
慈善に行かなくて良いなら、私の香油や乳液にかかるお金を寄付してあげるわよ。
みんなその方が嬉しいんじゃないかしらね。
でも、慈善に励むのは、貴族の義務だとみんなが言うわ。
誰のおかげで贅沢できるのかって。
王室に嫁ぐのだから、下々を知らなくてはって。
まして、王妃になるのだからって。
そんなの、私が望んだわけではないわ。
だけどね、私、性格ブスだから。
正直に嫌って言う勇気もないの。
汚い、来ないで、って思いながら、優しいふりをして、子供たちに笑いかけるの。
手だって繋ぐの。帰りの馬車で念入りに拭くけどね。
近頃では、ずいぶん上手にできるようになってきたわ。
こういうの、偽善者って呼ぶのよ。
*
「お嬢様がお越しです」
部屋の前で大袈裟に声を上げて、侍女が扉を開く。
注文していたドレスの試着をしろって言うの。
扉に入ると、衝立の向こうでは、もうお母様が試着を始めていたわ。
社交シーズンが始める直前に急に流行り出した、東方風の薄絹のドレスよ。それも、ほんの十日ばかり前にお披露目された、最先端の形。
本当なら間に合わないのに、お父様が金貨を積んで、工房に仕立てをねじこんだんですって。
馬鹿みたい。
でも、着心地は悪くないわ。
ドレスの色は明るい青。刺繍は金色を基調にしてる。
コルセットで締め上げないのは、凄く楽。スカートがあまり広がらないのも、かさばらなくて良いわね。
元々のドレスは、コルセットの代わりに、袖の無い革の上着で体の線を整えるのですって。けれど、革の上着は夜会ではマナー違反になるから、刺繍で埋め尽くした絹の上着に替えてあるわ。
そうして、何より特徴的なのは、袖とスカート部分ね。複雑に折りたたみ、重ね合わせた薄絹でできていて、一挙手一投足に、さらさら揺れるの。控えめな光沢があるから、シャンデリアの光を浴びたら、星を散りばめたみたいになりそう。
元のドレスでは、髪にはターバンを巻くんですって。でも、それではやり過ぎになりそうだから、リボンと一緒に髪を編み上げるそうよ。
綺麗なドレス、それも、流行の最先端。見栄っ張りの性格ブスとしては、やっぱり気分が良いわ。
鏡の前で、くるりと回ってみる。
重なり合った絹が、さざ波みたい。
綺麗。
「お似合いでございますよ。もちろん、何をお召しになってもお綺麗でございますが」
工房の人が言う。
「まあ、お上手ですこと」
本当に似合ってるし、何を着たって私は綺麗。
でも、一応謙遜しておくの。
この人たち、本気で私を褒めているわけじゃないんだもの。金払いの良い客で、公爵令嬢で、第一王子の婚約者だから、おべっかを言ってるだけ。私が本当に綺麗なのは、たまたま。
*
私が美少女なのは、お父様が美男子だったから。
お父様が美男子だったのは、お祖母様が美女だったから。
お祖母様が美女だったのは、ひいお祖母様が美女だったから。
ひいお祖母様が美女だったのは、誰かに呪われたからじゃないかしらね。お気の毒なエレーヌ。
エレーヌちゃんは、子供の頃はエルトー帝国の伯爵令嬢だったんですって。
でも、ひいひいお祖父様だか、ひいひいひいお祖父様が何かやらかして、領地を失くし、ベランジオン王国の親類の元に身を寄せた。
それが、マデル侯爵家。実務に長けて、何人も宰相を輩出した名門。ルシア伯母様の嫁ぎ先。
エレーヌこそは完璧な美女だった。美しいばかりか、教養もあって、人柄も優しかったんですって。
持参金も何も無かったけど、幼いエレーヌとマデル家の嫡男ジョルジョは恋に落ちて、特に反対されることも無く婚約したの。
黄金の髪に、青みを帯びた緑の瞳。抜けるような白い肌に、薔薇色の頬。幸福なエレーヌ。
ところが、デビュタントの夜会で、国王がエレーヌに目を付けてしまった。
今の陛下の前の前の王様。リナルド様のひいお祖父様よ。
この国の王族は、一人の異性に異常に執着するって言われてる。その最初が、この人。
相愛だったエレーヌとジョルジョは、白い結婚を強要された。
そうして、名ばかりのマデル侯爵夫人は、五回妊娠したわ。そのうち四回男子を死産。唯一生き残ったのが、お祖母様、こと、絶世の性格ブス、マレーナ・マデル。エレーヌそっくりの顔に、国王と同じ黒髪で生まれてきてしまった。
こんな生まれじゃあ、性格ブスも仕方ないかもしれないわね。
次の執着野郎が、前の陛下。
執着されたのは、マデル侯爵令嬢。見た目だけはエレーヌそっくりのお祖母様。
物心ついた頃から、ずっと執着していたそうよ。
二人が異母姉弟ってことは公然の秘密だったわ。だから、前の陛下が自分の妃にと望んでも、許されなかった。もちろん、愛人だってありえない。
実の父親である前の前の陛下は、公爵家のうち、一番裕福な我が家に、お祖母様を送り込んだの。
けど、マレーナはとっても強かだった。
弟でも何でも、使えるものは使ったのよ。
白い愛人とでも言うの?
思いを伝えることも許されない悲劇の恋人たちみたいに装って、目線一つで、陛下を従わせたそうよ。
たくさんの宝石を贈らせたりして、やりたい放題。
きっとマレーナは、前の陛下のことなんかなんとも思ってなかったんだわ。
マレーナがなんとも思ってなかったのは、実家のマデル侯爵家も同じ。
居心地の良い家ではなかったでしょうからね。
最初は、ダリオン公爵家とマデル侯爵家の分家同士の間の、ちょっとした揉め事。お祖母様は、前の陛下に介入させて、強引に公爵家側に有利に裁定させたの。
ここから、お祖母様のやりたい放題は激しくなったわ。
マデル侯爵家との間に、ありもしない揉め事を作っては、前の陛下に介入させるの。もちろん、毎回公爵家が勝ったわ。
それから、他の家にも次々と揉め事を吹っ掛ける。これにもやっぱり陛下が口を挿んだ。
マレーナが切なげに微笑むたび、ダリオン家は肥え太っていく。
気がついたら、王家とダリオン家は、貴族社会の中で敵視されるようになっていたわ。当たり前じゃない。馬鹿丸出し。
そんな中、お祖母様が、三十二才で病死。
前の陛下は、ダリオン家と他の貴族とを、和解させようと思ったのね。今更。
とりあえず、最初は、一番恨んでいそうなマデル家。
両家に婚姻を結ぼうとしたの。
マデル家には、男の子が一人きり。
一方マレーナには、二人の娘と、一人の息子がいたわ。
長女は侯爵家に嫁いだ後、次女も公爵家の嫡男と婚約していたの。どちらも前の陛下が強引に結んだ縁組よ。
残っているのは男の子二人。
そこで、選ばれてしまったのが、準王家ともいうべき、ガレー大公家の姉妹。
長女のマリア伯母様が、王弟を婿に迎えていたから、余計に都合が良かったんでしょう。
次女のルシア伯母様をマデル家に、三女のお母様をダリオン家に嫁がせると、三つの家がうまく繋がると思ったのね。
本当に馬鹿。
マデル家は、伯父様がけちで、母親べったり。伯母様には権限を与えなかった。我が家はお父様が浮気しまくり、散財しまくり。うるさいお母様には権限を与えなかった。
仲の良い姉妹は、仲良くお飾りにされてしまったの。
けど、夫の残念さが正反対だから、二人の関係も微妙にこじれちゃったみたい。
だって、お互いの愚痴が、自慢みたいに聞こえちゃうんだもの。
最悪だわ。
それでも、前の陛下は、まだまだ馬鹿を続けた。
マレーナそっくりの私を、リナルド様と婚約させたの。
ガレー家との縁組一つで、ダリオン家が許されたと思ったみたい。頭悪すぎ。
陛下が代替わりしても、私とリナルド様の婚約は続いている。
王宮に出向くと、いまだに魔女とか毒婦とか聞こえよがしに言われるわ。
それ、私じゃないし。
お祖母様と私の区別もつかないのかしらね。
馬鹿じゃないの?
そんなこと言った人を、笑って許すほど、毒婦ってお優しいの?
おめでたい人たちよね。
*
お母様のドレスは、ご自身の瞳の色と同じ深い藍色。
こちらはコルセットあり。先に始めていたのに、私より時間がかかっていたのは、きっとそのせいね。
ドレスのシルエットは、これまで通りの見慣れたものに近いわ。上着ではなく、身頃のところに、銀糸を基調にした刺繍がされているの。
スカート部分と袖の薄絹の複雑な細工は、こちらも同じ。
「お綺麗よ、お母様」
「フェリシア、貴女も」
お母様が褒めて下さる。
「ちょっと回ってごらんなさいな」
「嫌よ。だって、お母様がお召し替えなさってる間に、回ってみたもの」
「良いじゃない。もう一度」
お母様の言いなりに、私はくるりと回ってみる。
「素敵ね。揺れるときらきらして、夏の湖みたいだわ」
お母様は、私の向こうに、遠い思い出を見ている。
私の知らない、夏の湖。
きっと、美しくて幸福な記憶。
回って見せたりなんて、しなければ良かった。
私には、そんな幸福な記憶なんか無いのだもの。
読んでくださってありがとうございます。




