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5.蝶々さんのオンとオフ

蝶々さん視点。前半カタカナ固有名詞多数。 要約:貴族ろくなことしねえな。蝶々もう嫌。羽化しよ・・・

男主人公は話題に出てくるだけです。伏線回(自分で言った)なので、我慢して読んでいただけるとありがたいです。


 わたしはオルフィア。

 卵から孵ったばかり、生まれたての蝶々よ。

 つまり芋虫だろうって?

 意地悪ね。

 でも、おっしゃる通り。

 わたしは、一生のほとんどの時間を、芋虫として這いまわるんだわ。

 けれど、時が来たら、美しい蝶に生まれ変わって、花や風と恋をするのよ。そして、美しいまま死んで、また卵から生まれるの。

 羽化してからの短い恋の季節のために、わたしは生きて、死ぬのだわ。


 「クルドス男爵。ロレンゾ・オルフィス・クルドス男爵」


 いけないいけない。今のわたしは芋虫だったわ。

 ここは王宮の国王陛下の秘書室。うかうかしてたら踏みつぶされちゃう。


 「失礼いたしました、伯爵」

 目の前の方はわたしの上司。ソレス伯爵ジャコモ様。陛下の秘書室長をなさっている。お若い頃から陛下のお傍におられた、腹心中の腹心よ。

 わたしよりずっとお若いのに、おつむが半分くらい禿げていて、お腹もでっぷりしていて、黄金虫に似ていらっしゃるわ。人の好さそうなお顔をしておられるけど、かなりの切れ者。甘く見てると、火傷するわよ。

 「お疲れのようだね。ちょっと休憩しないか」

 伯爵がおっしゃる。これは、密談のお誘い。みんなに内緒でこき使っちゃうぞ、って意味。

 「お心遣い恐れ入ります」

 これは、分かってるなら休ませてよ、って意味。ま、働くんだけどね。わたしからも報告すべきことはあるし。


 わたしたちは中庭のガゼボで向かい合った。手回しよく、お茶の準備もしてある。風はかぐわしく、お花も綺麗。お仕事でなければ最高なのに。


 「アルベルト殿下が養子に出されることが内定した」

 早速伯爵がおっしゃる。

 アルベルト殿下は、側妃様がお産みになった第二王子。まだ十二才だけど、神童と呼ばれているわ。側妃様は、ソレス伯爵の妹君で、陛下の幼馴染でもある方。

 一方、王妃陛下がお産みになった第一王子。こちらはごく普通の秀才って感じ。そして、王妃陛下のご実家は我が国の西隣、ガドマールの王家。

 お仕えする側としては、正直、神童より秀才の方が付き合いやすいんだけど。両派の宮廷内の力関係は微妙ね。

 ともあれ、まだ第二王子が幼いうちに、揉め事の芽は摘んでおきたいというところかしら。

 「それで、御養子先はどちらに」

 「ガレー大公家だ」

 なんてこと。

 伯爵が苦い顔をしているわ。そうよね。わたしも同じ顔をしてると思うもの。

 だって、摘み取った揉め事の芽を、よそのお家に植えなおしてお水と肥料を上げるようなものだわ。

 普通は、男子のいない高位貴族の家に、跡取りとして入るものよ。

 ガレー大公家は我が国の貴族筆頭、王家に準じる家よ。大公本人は、先々代のカルロ六世陛下のお孫様で、陛下からは従弟に当たるお方。位は十分。お子様もいらっしゃらない。でも、ご本人がまだ二十五才なのよ。しかも、独身でいらっしゃる。これからご結婚されるでしょうし、お子様もお生まれになるでしょう。けれど、大公の御実子は家督を継ぐことができない。

 加えて、陛下のお子をお迎えになる以上、お子が成人したら家督を譲るのが不文律。アルベルト殿下が十八才で成人を迎えられるとき、大公は三十一才。まだまだこれからってとこ。

 これは、揉めるわ。揉めちゃうわ。

 王家と大公家、ソレス伯爵家がそれぞれぎくしゃくすることになるわね。加えて、大公の奥方の座を本気で狙っていた家があれば、そこも参加決定。大公家と縁続きの有力貴族は、黙っていてくれるかしら。

 いやだ、大公の叔母君が、第一王子殿下の婚約者の母君じゃない。宰相閣下の奥方も、大公の叔母君。

 もう、いやだわ、こんなの。

 わたしはただの蝶々だもの、揉め事はごめんよ。

 ほんと、陛下ったら怖いお方。

 ともあれ、ガレー大公とその周辺の動きから、目が離せないわね。

 ソレス伯爵家のことは、伯爵が自分で見といたら良いわ。


 「私からもよろしいでしょうか」

 「頼む」

 伯爵は鷹揚に頷かれたわ。

 「フルディス派のネゴデクス教会へ通う若い貴族が増えております」

 教会の会派はいくつもあるの。

 フルディス派は、禁欲とか苦行とか大好きな、ちょっと極端な宗派。すぐ異端異端ってキャンキャン吠えるの。

 はっきり言って、大っ嫌いだわ。

 こんなわたしだって、神様の被造物よ。

 それを勝手に罪人呼ばわりする方が、よほど異端じゃないかしら?

 なんて、今は怒ってる場合じゃないわね。

 「アレウス師がネゴデクス教会へ移られたので、その影響かもしれません」

 「アレウス師は、ルイス派だっただろう」

 伯爵は難しい顔をされたわ。

 「それで、ネゴデクス教会へ通う、主だった者は?」

 「ダリオン公長男、と言ってもこれは養子ですな。タゴル候次男、レヴィ伯嫡男、バルド伯三男、クラン伯嫡男と次男と言ったところでしょうか」

 伯爵のお顔がますます難しいものになったわ。でも、元がのほほんとしているから、怖いっていうより、しわしわの情けない顔になるのよね。

 それはともかく。

 「ダリオン公にタゴル候か」

 ダリオン公の一人娘は、殿下の婚約者。タゴル候はダリオン公の義兄にあたるわ。

 他は、レヴィ伯がダリオン公の派閥に属するわね。後の二家と、省略しちゃった中堅・下位貴族の家は、属する派閥がバラバラ。満遍なく散ってるって感じよ。

 それから、ルイス派について補足。

 勤勉で研究熱心な学者集団って感じよ。俗世にはあまり興味ない感じね。神学の講義は公開するけど(聴講する庶民なんかいないわよ)、民衆相手の礼拝や祈祷はしないの。

 アレウス師はまだ若いけど、とても優秀な学僧って評判だったわ。リナルド第一王子殿下にも三年ほど御進講していたくらい。

 「移籍の理由はまだ分かりません。ただ、現在の説法の内容は、フルディス派の中でも激しいものです。集まっている者たちは、殿下との共通の話題を求めているだけかもしれませんが、若いだけに影響を受ける可能性もあります」

 「師の身辺を」

 「御意」

 もう、伯爵ったら。

 身辺を、じゃないわよ。簡単に言わないでほしいわ。あとね、もちろん調べ始めてますから。わたしの部下は優秀なんですからね。ぷんぷん。


 「もう一件」

 そう言ったら、伯爵は情けないお顔のまま頷いたわ。

 「レヴィ伯の密売の件、証拠が出ました。出どころは、先ほど名前の上がりました嫡男です」

 レヴィ伯の領内には、良質の岩塩鉱があるの。塩は全部政府の買い上げだから、ちょろまかすのは重罪よ。坑道を出た鉱夫は、身体検査を受けることになってるくらい。家で料理に使う分くらいは、多分お目こぼしがあると思うけど、組織的にやったら文字通り首が飛んじゃうわ。

 つまり、レヴィ伯は嫡男に首を切り落とされることになるの。

 「……アレウス師の影響か?」

 「それは何とも」

 分かるわけないじゃない。人の心の何が証明できるのかしら。

 それでも、物証は集められるだけ集めて、語れるだけのものを語って貰わなくちゃね。

 ますます忙しくなっちゃう。


  *


 今日は、早く上がることにするわ。

 そうして、家に帰る前に、叩き殺してもらうの。

 わたしのこと、ただの秘書官だと信じてるアリーチェとクローディアのもとに、重いものを持ち帰らないためにね。


 またあの妓に頼むことにしよう。

 〈フィオナの家〉の、赤毛の、自分から名乗りはしなかったけど、あれはネライザ半島出身の女ね。

 どこの娼館にも、ネライザ女を名乗る妓はいて、偽物も多いわ(だって、誰も困らないもの)。でも、あの妓は、見た目も性根も典型的なネライザ女じゃないかしら。

 ネライザ人は、陽気で人懐こくて、情が深くて間抜けで怠け者。ネライザ女は、柔らかな肌に、めりはりのある体つき。恋をするなら最高だけど、妻にはちょっと。妻にするなら、ちょっと頑固だけど透き通るような肌に慎ましくて聡明なベランジオンの女が一番。

 なんて、酔っ払いの定番小話。

 ついつい納得しそうになるけど、その国の、誰もかれもが同じ性格の訳ないじゃない。

 どこの国の女だったとしても、世界一の良妻はわたしのアリーチェに決まってるし。

 それはさておき。

 ネライザ人の「間抜けで怠け者」に騙されちゃ駄目。

 狭い半島の、小さな都市国家同士で内輪揉めしてるあの連中に、いまだに大陸の金融も物流も仕切られてるじゃない。海軍力も敵わない。

 平気で馬鹿のふりをできるのが、ネライザ人なんだわ。


  *


 さて。

 予定通り、赤毛のサラを指名して、部屋に入ったわ。彼女は途中で箒を用意して、わたしだけ部屋に通して、自分は箒がゴミだらけだったからって出てったわ。

 ほんと、そういうところよ、ネライザ女。

 お気遣いに甘えて着替えをするわ。

 テーブルの上には、ペンとインク、画帖。

 見るわよ、そりゃあ。置いてあるんだもの。仕事柄、こっそり見るのは巧いし。

 描かれていたのは、アレクトスの名所風景だったわ。大聖堂や、イワサ河畔の景色。アレクトスの住民だったら、誰でも見たことのある景色だわ。あら。同じ構図の絵が何枚もあるわね。それにしても、描かれたアレクトスは、なんて美しい街かしら。

 いけない。着替えなくちゃ。

 ノックの音がした。

 「ちょっと待ってくれたまえ」

 急いで羽を身に着けて、毛布の蛹にくるまる。

 「入りたまえ」

 ちゃんと聞こえたかしら。心配だったけど、入りますねって声が聞こえた。扉の開閉、箒を置く音、女の足音。ベッドの周りを歩く気配があって、テーブルと椅子の物音が続き、静かになった。

 わたしもやっと安心して、蛹の中で力を抜いた。

 忘れるの。

 全部、全部。

 わたしの報告で、首が飛ぶ人がいる。その家族もただでは済まない。使用人は路頭に迷う。困窮して罪を犯す人も、娼婦に落ちる娘も出るわ。

 駄目。

 考えては駄目。

 恐れては駄目。

 見逃すわけにはいかないのだもの。

 私腹を肥やし、贅沢をするその金は、国のために使われるものだったのだもの。

 こうするしかなかったなんて、聞いては駄目。

 忘れるの。

 忘れるのよ。

 蛹の中で、とろとろに溶けて、忘れてしまうの。

 そうして、新しいわたしになるんだわ。

 何も知らない、花と風と恋するだけのわたし。

 そうよ。

 わたしは、なにも知らないの。

 責任? 忠誠? 正義?

 知らないわ。

 だって、わたしは蝶々なんだもの。


 羽化したら、わたしはお花畑にいたわ。

 女の人が、悲鳴を上げて箒を振り回すの。

 「いや、たすけて」

 わたしの足元で、お花が踏み散らされる。

 「いや、いやよ」

 しばらく逃げ惑ったけど、わたしは叩き落されてしまった。

 倒れた目の前に、お花が落ちてた。布で作った小さな造花。花びらが一枚はずれかけてるわ。可哀そうに、わたしとおそろいね。

 「このっ、このっ」

 もう逃げられないように、何度も箒が振り下ろされる。

 ああ、わたし、死んじゃうのね。

 そして、また生まれ変わるんだわ。

 ああ。


  *


 わたしが着替えてる間に、サラは後始末をしているわ。

 「あなた、その花は」

 「苦労して羽化されるんですもの、花が咲いていた方が良いと思ったんです。その方が、悲劇的でしょう?」

 以前わたしが言った台詞を借りて、サラは微笑む。

 これだからネライザ女は。

 「私が勝手にしましたから、お気に召さなかったらごめんなさい」

 「いいえ、嬉しいわ」

 散らばった花をわたしを殺した箒で集めるのは、どうかと思うけど。埃と混じってるじゃないの。

 「もう一つ良いかしら?」

 「どうぞ」

 「その画帖は何?」

 訊いたら、擽ったそうに笑った。

 「都の外からいらしたお客さんに、一枚差し上げてるんです。おかげさまで、ご好評いただいてます」

 「ただであげてるの?」

 だとしたら、とんだお馬鹿さんだわ。土産物屋の版画よりずっとよく描けてるのに、無料なんてね。そりゃあ、ご好評でしょうとも。

 「ええ。何枚でも描けますから。描いていると、気が紛れるし。――ごめんなさい、どうでもいいことを」

 そう言いながら、困ったような顔をしている。この妓ったら、なんて分かりやすく恋をしてるのかしら。きっと、今日の花も、気を紛らしがてら作ってくれたのね。

 「かまわないわ。わたしが訊いてるんだもの。それで、恋人に会えないのね?」

 「恋人ってほど、深い仲じゃないんです。私が勝手に好きなだけ。まめに来てくれたわけじゃないし、もう一月近く会ってないんです。もう二度と来てくれないかもしれない」

 あらあああ。

 「貴女も、一度蛹になったら良いんだわ。芋虫はね、蛹の中で一度溶けちゃうの。そうして、新しい生き物に生まれ変わって、何もかも忘れて蛹を出るのよ」

 「忘れたくない」

 あ、泣いちゃった。

 「……すみません、こんな、ご迷惑を」

 「言ってるでしょ。わたしが訊いたんだもの、良いの」

 わたしも少しだけ一緒に泣いた。

 生きてると時々泣きたくなるし、そういう時は泣いた方が良いのよ。だからわたしもこのチャンスを逃がさず泣いておくの。少しだけ、ね。

 「貴女のいい人は、この街の生まれね?」

 「確かめたことは無いけど、きっとそう」

 「道理で、貴女の描くこの街の景色は素敵だわ」

 そうして、また来ると約束して、わたしは店を出た。

 その時に、あまり花が増えてないことを祈ってるわ。

読みにくい回なのに、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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