52.こけら落としの夜に(カミラ視点)
筆者は演劇の内情を知りません。わりと適当です。この異世界ではこういう感じなんだということで、ご容赦ください。
親愛なるビアンカお嬢様
お久しぶりです。
今、私はさるお屋敷にお仕えしております。
新しい旦那様と奥様は、私の素性をご存じです。
ですが、私が罪人の縁者であることが、ご迷惑とならぬよう、旦那様のお名前を隠し、教会留めでお手紙を差し上げる無礼、お許しください。
堅苦しいことを書きましたが、普段は楽しく暮らしています。
どうか、安心してください。
では、お約束通り、王都に着いてからのことを、お話しします。
お屋敷を出て、馬車で七日。到着した王都は、雪が降っていました。
大雪だというのに、大勢の人がいました。
見るものが全て目新しくて、私も雪の中を歩き回りました。そうしたら、迷子になってしまったのです。
困っていたら、マルタさんというおばさんが、声をかけてくれました。でも、マルタさんはちょうど用事があったので、近所に住んでいるサラさんという女の絵描きさんのところへ私を預けて行ってくれました。
寒いなかをずっと歩いていたので、私は風邪をひいて寝込んでしまいました。でももうすっかり元気です。
寝込んでいる間に、サラさんが私のお仕事も探してくれました。そうして紹介してもらったのが、今のお屋敷です。
最初に申し上げた理由で、詳しいことはお話しできないのですが、皆さんとても親切にしてくださってます。
今度のお休みには、マルタさんと一緒にお芝居を見に行くことになっています。
サラさんがお仕事をしている劇場の切符を、二枚譲ってもらったのです。
お芝居というと、以前、お嬢様のお供で観せていただいた、『竜と三本の薔薇』を思い出します。
本当に、本当に面白かったです。
あれから、まだ一年も経っていないのですね。
けれど、お目にかかれない間にも、お嬢様は素敵な淑女になられたことでしょう。
再来年、社交デビューされるお嬢様に、王都の皆様が見惚れるのが、目に浮かぶようです。
私も楽しみにしておりますから、お勉強もしっかりなさってくださいね。
それから、お体を大切になさってください。。
いつでもお嬢様のお幸せをお祈りしております。
カミラ
*
今日は早く目が覚めてしまいました。
いよいよ新劇場のこけら落としの日なのです。
アカシア通りのあの部屋に、奥様は昨夜から泊まり込んでおいでです。こちらへのお帰りは、終演後、今夜遅くのご予定です。
ですから、今日の私は休日です。
しかも、奥様から、新劇場の招待券を二枚いただきました。本当に私がいただいて構わないのか心配でしたが、「絵師のサラ」さんが貰った券ですから、お屋敷の他の方が持っているのはおかしいのだそうです。招待券のもう一枚で、マルタさんが一緒に来てくれるそうです。
お芝居も楽しみですが、マルタさんにお目にかかれるのも、とても楽しみです。
出かける前に、カテリーナさんと約束を繰り返しました。
一つ、大公家の名前は出さないこと。
一つ、奥様のことは、「サラさん」とお呼びすること。
一つ、「サラさん」の身の回りのこと、特にパトロンについては、知らないふりをすること。
間違えた時のごまかし方もきちんと決めて、私はエステルさんに連れられて、アカシア通りのお部屋へ向かいます。
「いらっしゃい、カミラ」
出迎えて下さった奥様は、新しいペン画を頼まれたのだそうです。絵を描く時の、汚れても良いというお召し物を着ておられました。絵本に出てくる異教徒のように、頭に布をぐるぐる巻いています。
お話に聞いた、東方風のドレスというのを拝見したかったのに。
私がそう言ったら、作業を再開した奥様は、汚しそうだから今日は着られないとおっしゃいました。
「水銀、ちょっと出してあげて」
奥様がそうおっしゃると、すぐにエステルさんがドレスを着せたトルソーを運んできてくれました。
光沢のある柔らかそうな薄い絹地は、精妙に畳まれ、重ね合わされています。故郷の渓流の、複雑な水の動きを思いだしました。光を受けて、きっときらきら光るでしょう。夜会のシャンデリアの光を浴びたら、ドレスの中に小さな星を閉じ込めたみたいになるでしょうか。
「着てみたら、って言いたいところだけど、借り物だから我慢してね。コルセットで締め上げない分、凄く楽よ。
体形補正も兼ねているらしい革の胴着は、色鮮やかな花の刺繍で覆われています。革素材というのが、とても異国的です。でも、正式な夜会に、革素材はちょっと違和感がありますね。「絵師のサラさん」なら、そういう場に出席することもないのでしょうけど。
「本当は、胴着と同じ刺繍をした、絹のターバンが付くの」
奥様がおっしゃいます。
「これです」
エステルさんが薄い木箱を開けてくれました。
「長いので箱のままでお願いします」
「ええ、十分です」
ターバンの絹地は、ドレスと同じ黒ですが、もっと厚みがあってしっかりしています。
私はそっと広げ、また戻しました。
刺繍のどの部分を目立たせて巻くか、また、巻き方そのものも、侍女のセンスと手腕が問われそうです。
「……大変結構なものを拝見しました」
ため息交じりに言ったら、奥様に笑われました。
「前のお屋敷で、良いものは沢山見てるでしょう?」
「それは、そうなのですけど」
前の主家は、堅実なご家風でした。
主ご夫妻も、王都で過ごす社交シーズンには、最新流行を取り入れるものの、領内では良質の物を長く愛用することを好まれました。お召し物も例外ではありません。飽きの来ない、飾り気の無い物を、必要なだけ仕立てられるのです。
お子様方もデビューまでは領地で過ごされます。お嬢様付きの私も、当然、華やかに装った奥様を拝見することはありませんでした。
「以前お仕えしていたお嬢様が、デビューのドレスを楽しみになさっていて」
お嬢様にとっては、初めての華やかなドレスです。三年前に姉君様がデビューの準備を始められた頃から、ご自分のドレスのことを楽しみにされているのです。
「私が王都へ向かうとお伝えしたら、王都の流行を教えてって」
「そう。それでは、気になるわね」
奥様は、ペンを置いて、大きく伸びをなさいました。
それから、エステルさんに便箋を出してもらうと、チョークに持ち替えて、ドレスの絵を描いて下さいました。その横に、生地の重なり方が分かるよう、袖の部分を大きく描きます。
「……良かったらどうぞ」
描きあがった便箋を、奥様は私の方へ押しやります。
「ありがとうございます」
受け取ったところで、マルタさんが到着されました。
「カミラ、久しぶり。元気にしてた? ああ、良かった。すっかり顔色も良くなって」
挨拶もそこそこに、マルタさんは私を抱きしめました。
*
劇場の前には、人だかりがしていました。見たところ、ほとんどが平民です。皆さんそれぞれに着飾っていました。この中で、いかにもな労働着を着ているのは、うちの奥様くらいでしょう。
「こちらです」
馬車を降りたら、奥様とエステルさんが先導してくれました。
車止めに近いところに貴族用の豪奢な入り口があります。そのすぐ傍に目立たない扉があって、私たちはそこから中に入りました。
係の人が奥様と言葉を交わし、招待券を確認します。
「こっちよ」
外套を預け、階段を上がると、ロビーの横に出ました。また目立たない扉を開けると、ソファとテーブルがいくつか並んでいます。十人余りが過ごせる、待合室になっているのでした。
「時間になったら、係の人が迎えに来てくれるから、それまでお茶とお菓子はご自由に。でも、お手洗いが近くならないように気を付けてね。……ということで、私はもう行くわね」
奥様が部屋を出て行きます。
部屋の中には、親子らしい女性二人連れと、老夫婦が一組。
「なんだ、食べて良いのか」
「お父さん、お茶を飲みすぎちゃ駄目よ」
老夫婦が言い合いながら、壁際のテーブルからお茶とお菓子を持っていきます。
「私たちもいただきましょうか」
マルタさんが言いました。
そうして、お茶とお菓子をお喋りを楽しみながら、開場の時間を待ちます。その間にも、新しく人が入ってきて、ソファはみんな埋まりました。どうやら、皆さん、裏方さんも含めた、劇場の関係者から、招待券を貰った人たちのようです。
関係者全員でくじを引いて、何日の招待券か決めたようでした。関係者が大勢なので、残念ながら、外れの人もいたようです。その中で初日を引き当てた奥様は、大変な豪運と言えるでしょう。
「そういや、今日の券を当てた人同士で、教会に魔よけの祈祷をしてもらいに行ったそうよ。好事魔多しっていうものね」
マルタさんが笑います。
「ジェニアスもちゃんと参りましたか?」
最初からいた老夫婦の奥さんが、マルタさんに訊ねます。
「私はちょっと聞いただけだから、誰と誰が行ったかまでは……」
マルタさんが言うと、後から来たおばさんが、全員揃って出向いたと聞いたと教えてくれました。
「あらまあ、何だか微笑ましいわねえ」
「芝居は水物ですからね、験を担ぐ人が多いのよ」
おばさんが言います。
「役者じゃなくたってね、教会に行って、いけないことはありませんよ」
ジェニアスさんのお母さんが言います。
そうこうしているうちに、迎えの人が来ました。
*
招待席は、一階平土間の後ろ二列です。前方の、きらびやかに装った人々が埋め尽くす客席とは、手すりみたいにも見える柵で、区切られていました。
二階席の下に当たるので、舞台の上の方が切れています。それから、太い柱もあって、舞台上に見えないところが出来ていました。
見づらくて、お金を取りにくいから、そこに招待客を入れることにしたのでしょうか。
このうち前半分には、めかし込んだおじさんたちが座っていました。この人たちは、新聞記者や、評論家などなのだそうです。
私たちがお茶を飲んでいる間に、ロビーでは後援者を集めて、新劇場の前途を祝して乾杯をしたとのことでした。前半分のおじさんたちは、乾杯の方に参加していたようです。
さて、招待席の座面には、厚地の布でできた書類袋が置かれていました。劇場の名前入りです。
案内の人によると、招待客へのお土産なのだそうです。
開けてみると、奥様が描いていた、役者の肖像画一式と、それを綴じておくための表紙と紐、新劇場の開場を知らせる新聞号外が入っていました。
新聞は、目立つところにこの花冠座の紹介記事、下の方には、他の劇場の公演情報が並んでいます。そのうちの一つの惹句が目に飛び込んできました。
『あの義人の生涯を、感動の舞台化!!』
手が震えました。目に飛び込むはずです。伯父様の不正を美化して芝居にしたものだったのですから。
「ね、お嬢さん、これ、うちの息子なのよ」
隣から声をかけられました。待合室で会った老夫婦がいて、役者絵を見せてくれるのです。
「凄いですね」
私はちゃんと答えられたでしょうか。
「この子のお芝居を観るの、初めてなのよ。初めて招待してもらったの。もう、私、嬉しくてねえ、こんな立派な劇場で、息子の晴れ姿を見られるなんてねえ」
老婦人は、私の様子には気づいていないようです。私は呼吸を整えながら、お話に相槌を打ちます。
そのおかげか、だんだん落ち着いてきました。
やがて開演を告げる鐘が鳴り、ゆっくりと幕が上がっていきます。
*
幕が降りると、前半分のおじさんたちはすぐに帰ってしまいました。でも、私とマルタさんは、まだ泣いています。私たちだけではありません。客席のあちこちから、すすり泣きの声が聞こえるのですから。
芝居の元になったのは、聖典の、聖モルジータの伝説でした。娘である聖モルジータに、自身の愛人との結婚を強要しようとした、異教徒の女王ニーシアのおぞましい物語が、こんなに切ない話に書き換えられるなんて驚きです。
芝居の中では、愛人フォルテスは、元々、聖モルジータの婚約者ということになっていました。ニーシアもまた、先王である亡き夫を愛し続け、国の民と、我が子を思う有徳の女王です。捕虜であるランズ教徒の騎士、聖バロードに対しても、その高潔さに敬意を表し、牢に閉じ込めることも無く、丁重に扱っているのです。
そことが、奸臣デグノスの盛った惚れ薬と、偶然の悪戯で、ニーシアはフォルテスを愛してしまいます。聖モルジータは、デグノスに襲われたところを聖バロードに救われ、強く惹かれます。そして彼から神の教えを説かれ、正しい信仰に目覚めていくのです。
ニーシアとフォルテス、聖モルジータと聖バロードの、二組の恋人同士として幸せになれれば良かったのに。ニーシアとフォルテスも、神の教えにもっと耳を傾けていたら。
いくつもの誤解や掛け違いのせいで、フォルテスは聖バロードと決闘して敗れ、ニーシアは邪教の神殿で自ら命を絶ってしまうのです。
なんて悲しいのでしょう。
余韻も冷めないまま、私とマルタさんは客席を後にしました。
もちろん、お土産の袋は忘れません。
「この版画を見るたびに、思い出しちゃうわ」
マルタさんが言います。全く同感です。
また泣いてしまうかもしれません。
扉の外では、私たちのコートを持って、エステルさんが待っていてくれました。
「お芝居、凄く良かったわ。貴女は見なくて良かったの?」
マルタさんがエステルさんに訊ねます。
「奥様について、稽古を度々拝見しておりましたから」
エステルさんが答えます。
「それに、できましたら、もっと笑えるお芝居の時が良うございます」
「あら、貴女は喜劇が好きなの」
エステルさんが笑っているところは、見たこと無いような気がするのですが。
人は見かけによらない、ということでしょうか。
*
劇場の外へ出ると、冬の夜風が心地よく感じられました。みんなにこやかに話しながら歩いています。芝居にケチをつけている人もいますが、それでも何だか楽しそうです。
そこへ怒鳴り声がしました。
数人の身なりの良い若者たちが、代わる代わる喚き出したのです。
「神の教えを歪める者を許すな――」
「異教徒を讃え、神の教えを穢す花冠座を潰せ――」
道行く人々は、眉を顰めて通り過ぎていきます。
無視するだけで、喧嘩を売る人がいないのは、若者たちが貴族らしいからでしょうか。
「あの劇場には、悪魔が巣くっている。心ある者よ、花冠座を打ち壊せ」
そう怒鳴ったのは、テオドロ従兄様でした。家族や親せきの者を売って、一人のうのうと生きている従兄様。仕立ての良い、温かそうな外套をまとって。お仲間と目くばせを交わし、いかにも自分が正しいと言わんばかり。
芝居に夢中になって忘れていた、新聞を見た時の震えが、蘇ってきます。
目に浮かぶのは、広場に並べられた、父様、母様、兄様――。
「カミラ、どうかした?」
「私が抱えます」
言うが早いか、エステルさんが私を抱きかかえ、速足で歩きだしました。
「じゃあ、馬車を拾ってくるわ」
「いえ、奥様がまだ残っておられますから、あちらで休ませていただきましょう」
エステルさんがマルタさんを引き留めました。
「神を怖れよ――」
「穢れた者は、浄化の炎に焼き尽くされるぞ――」
従兄様の声が追ってきます。
目を閉じると、あの広場の光景が浮かんできてしまいます。
あれが、神様の望んだことだったというのでしょうか。
神様。
神様――。
二日目以降は、報道関係者席の分まで、劇場関係者側の招待客が入ります。
多分、招待券を転売した人もいます。
ともあれ、読んでいただきまして、ありがとうございます。




