47.サロンとかつら
いちゃいちゃ打ち合わせしてるだけです。
劇場を出て、アカシア通りの部屋に帰る。
見慣れた室内に、ついほっとしてしまった。この部屋より、別邸に安心するような日が来るのだろうか。
少し絵を描いてから、冬の短い日が落ちた後で、辻馬車を拾って別邸に戻った。
*
着替えを済ませ、夕食の席に着く。
「お疲れ様」
それほどのことはしていないのに、アストルがねぎらいの言葉をかけてくれる。
「貴方もお疲れ様」
「僕はそれほどのことはしていないかな」
私が考えていたのと同じことを言うから、つい笑ってしまった。
「ん?」
目で促されて、思った通りを説明する。アストルも笑った。
それから、今日の出来事を話し合う。
アストルは、大学の研究所で、新しい薔薇を見せてもらったこと。王宮の会議で、大臣の耳毛に気づいてしまったこと。第二王子にシアノス語を習いたいとねだられていること。自分も出来ないから、私に教えて欲しいとも。
一方の私は、店の外に貼った絵を、誰かが持ち去った話。役者絵の検分、新しい仕事を控えること、それから、目新しいドレスと、侯爵夫人のサロンのこと。
「サロンには気乗りしない?」
「ええ。知った顔に会うかもしれないと思ったら、気が気じゃないわ。でも、私に会ってしまった人の方が、ずっと落ち着かないでしょうね」
この街で私が知っている上流人士と言えば、娼館のお客ばかりだ。
私が娼婦であったことは、今更無かったことにはできない。どんな浅ましい女だと知られても、身から出た錆。ただ惨めなだけ。惨めなのには、慣れている。
私が命に代えても知られたくない、実家とアストルのことは、お客は知らない。
逆に言うと、お客に何を暴露されても、私が失うものは無い。お客からすれば、一方的に私に弱みを握られていることになる。
少なくとも、娼婦を買ったという不品行。甚だしい人は、妻にも明かせない特殊な性癖。
「侯爵夫人は、相手の秘密は切り札として取っておけというの」
「そりゃあね」
アストルは苦笑している。
「君の父上は、容赦しろと教えたかい?」
「……いいえ。時機と加減を見極めろと」
私は甘過ぎるらしい。
こんなことでは、身を持ち崩していなくても、アストルの正妻は務まらなかったかもしれない。
*
「それで、どうしようかしら。人前に出るには、私は肚が座ってないわ」
食事を終え、私室に場所を移す。人払いをして、長椅子で彼に凭れて、私は訊ねた。
「君のしたいようにしてごらん」
アストルは言う。
「『アルラウネ』のサロンだろう。僕も友達に誘われて、三回、いや、四回だな、顔を出したことがある。学者とか芸術家みたいな平民の常連もいて、格式は低いけど、上位貴族も招待されたがる、人気のあるサロンだよ。行けば興味深い人に会えるかもしれない。もちろん、気が進まないなら、無理に行くことは無い」
アルラウネというのは、コルトー侯爵夫人の高級娼婦時代の渾名だ。侯爵夫人に納まっても、その名は忘れてもらえないらしい。
「何なら、君が行く日に僕も顔を出そうか? 友達はあそこの常連でね、一緒に行こうと誘われているんだ」
何か困ったことがあれば、さりげなく助け舟を出してくれるつもりだろうか。
そう思っていたら、彼にも利があるらしい。
「輸入品の売り込みもさせてもらおうかな。あそこで上手くやれば、社交界中に流行る」
私一人のために来てもらうのは申し訳ないけど、他にも用があってのことなら遠慮しなくても良いだろうか。
でも。
「貴方のこと、知らん顔できるかしら? 顔に出ちゃいそうで心配」
大勢の人がいる中で、アストルのことばかり見てしまいそうだ。それも、でれでれと、締まりのない顔で。
それとも、そんなことになっても、大公殿下にのぼせ上った身の程知らず、で片づけてもらえるだろうか。
「僕も、顔に出るかもしれない。大変だ。妻を迎えたばかりなのに、パトロン付きの女に一目惚れしてしまった」
アストルは笑い、私の頬にキスをする。
「大変。貴方の奥さんは嫉妬深いわよ。人に取られるくらいなら、貴方を刺しちゃうかも」
「君のパトロンも怖いよ。屋敷の奥に閉じ込めて、二度と外に出さないくらいのことはするね」
「構わないわ。ずっと絵を描いていられるのだもの。彼、忙しい人なんだけど、モデルをしてくれるかしら?」
「無理だね。絵を描いてる君は、とても可愛いのに、じっとしてたらキスもできない」
馬鹿なことを言い合ううち、長椅子から抱えあげられてベッドに運ばれる。
人払いをしておいてよかった。
新しい主人が色惚けしてるなんて、カミラが気の毒過ぎる。
*
夜半に目が覚めた。
水を飲みたくて、ベッドから脱け出す。
「ぎゃっ」
思わず奇声を上げてしまった。
床についたはずの足に、何かもしゃっとした物が触れたのだ。
恐る恐る足元を見ると、毛むくじゃらの生き物――ではない、かつらだ。
「どうした?」
「……ごめんなさい、かつらを踏んでびっくりしただけ」
借り物のかつらにも、起こしてしまったアストルにも、悪いことをしてしまった。
「あ。いつの間に床に落としたんだろう」
笑いながら言って、アストルは体を起こす。
すっかり目が覚めてしまったようだ。私もだけど。
「……かつらといえばね、さっき話した友達。かつらを集めてるんだ」
コルトー夫人のサロンの常連の人か。
「愉快な奴でね。若禿げなんだけど、それを面白がっているようで、よく変なかつらをかぶって現れるんだ。鳥の巣そっくりなかつらをかぶってると思ったら、後ろからウズラの細工物を捧げ持った侍従がついてくるんだ。本人の頭の上には、よくできた雛の細工まで載ってたよ」
さすがはアストルの友人だ。
楽し気に話すアストルにも、水を差しだす。受け取って、アストルは一息に飲み乾した。
「ある時は、何もかぶらずに現れたと思ったら、助平には見えないかつらだと言いだしたり」
「見えなかったのね?」
「訊かなくたって、君が一番よく知ってる」
器を片づけて戻ると、アストルの腕に抱きこまれる。
「紹介はしないけど、アルヴィーゼにも、少しは安心してもらえるかな。僕が独り身でいるのを、とても心配していたから」
「そうね。紹介したら余計に心配されるでしょうけど」
「それは無いよ。あいつが心配しているのは、うちの後継のことではなくて、僕本人のことだから。よほど寂しそうに見えたのかね、僕の気に入りそうな女がいるから紹介させろとまで言っていたくらいだ」
たとえ愛人であっても、お友達の紹介なら、表立って連れ歩ける相手なのだろう。貴族の未亡人だろうか。
何にしても羨ましい話だ。
「僕には君がいるから、奴ももう一安心だ」
額に口づけが落とされる。
「お休み、奥さん」
「お休みなさい、旦那様」
囁き合って、私たちは目を閉じた。
読んでくださってありがとうございます。




