3.ガールズトーク(だらだら回)
飛ばしても大丈夫です。でも、読んでいただけたらとても嬉しいです。
明け方近くまで働くから、昼まで寝ていたって、私たちはいつも寝不足だ。
あまり売れていない私のようなのは、待ち時間にこっそり眠れるけど、売れっ子のイザベルやジュリエはそうもいかない。
昼食みたいな朝食の後、抱え妓の控室で私たちは少しだけ自由時間を過ごす。おしゃべりをする者、針仕事をする者、新聞を読む者もいる。
一番人気のイザベルは、文字の練習をしているが、寝落ち寸前だ。指導役として、ソファで隣に座る私は、ベナルジテ通信を気怠く、実に気怠く眺めている。
今号のベナルジテ通信には、ほんの隅っこにだけれど私の描いた絵が載っている。五枚描いたうちの三枚だけだけど。それでも。
私の! 描いた! 絵!
全身全霊で気怠い風を装っているけど、きっと頬が緩んでいる。
それはともかく、イザベルだ。
起こしてやるべきか、寝かしてやるべきか。
「寝かしちゃいなさいよ」
小さなケーキを手に、ジュリエが言う。
「平気、起きてる」
イザベルは顔を上げた。
「そんなんでやったって身につかないから、寝ちゃいなさいよ」
ジュリエが言うのは、確かに正しい。
「おいで」
私はイザベルを引き寄せ、膝枕してやる。
「読み書きなんかできたって、浮かび上がれるわけでなし」
言いながら、反対側にジュリエが座って、私にもたれた。
彼女は裕福な家で育ったから、良い教育を受けている。二番人気で、売り上げも良い。でも、ここから脱け出す目途は立たない。
ジュリエは私にもたれたまま、ケーキを貪る。クリームのついた指をしゃぶる。
良家の娘とは思えない自堕落な姿だけど、肉付きの良い柔らかな体は、赤ちゃんのようで憎めない。でも私の服で指を拭くのは許さない。
イザベルはもう寝息を立てている。ジュリエも目を閉じている。
銀髪に華奢な体格のイザベルと、黒い巻き毛でぽっちゃりとしたジュリエは、いかにも対照的だ。二人同時に買う客の気持ちは、分かるけど分からない。
ふと顔を上げると、ナギが穏やかな表情でこちらを見ていた。隣でしなだれかかるディアナの体を、不穏な手つきで触っているのは、いつものことなので気にしないことにする。情のこもった触れ合いが欲しい時は、誰にだってあるものだから。
「ナギ、どうかした?」
訊ねても、ナギはちょっと笑うだけで、答えない。彼女の無口もいつものことだ。
私たちは、ナギの外側しか知らない。
黒い髪、涼し気な黒い瞳。褐色の肌。薄い唇。背が高く、体つきは引き締まって、立ち居振舞いに隙が無い。異国の王子と言われたら信じてしまいそう。本人も分かっているから、わざと男装で客を取ったりする。それから、女が好き。そうして、底抜けに優しい。
ナギがどこでどんな風に生まれ育ったかとか、どうしてこんなところにいるかとか、そういうことは誰も知らない。でも、何も支障はない。
「ほら、御覧なさい。ただ甘えたい時はサラに、女として自信が欲しい時はナギに頼るんです」
馬鹿を言いながら、アドリエンヌが、泣きはらした目をした新入りを連れて入ってきた。
「よして。信じちゃうでしょ」
私はたしなめたが、ナギはキスを投げた。格好いいな!
「悪いけど、サラの隣はふさがってるから」
ジュリエが目を開けて言う。
「は? 別に甘えたくなんかないし」
新入りことヴァイオレットは、一人掛けのソファに座る。
「先月の売り上げは、上から、イザベル、ジュリエ、ナギ、サラ、ディアナ、わたくし。貴女もお励みなさい」
店の最古参にして不動の最下位、アドリエンヌがおっとりと言う。
元々ナギとは抜きつ抜かれつだったのだが、最近負けが込んで来た。年齢のこともあるので、ちょっと心配なところだ。
アドリエンヌはなぜか特別扱いなので、一緒にしてはいけない。彼女より売り上げのある妓が、これまで何人も転売されたのに、彼女だけはずっとここにいるのだ。
「サラ、あれはどうなの? オレンジの」
「ああ、残念仮面」
ディアナの問いを受けたのはジュリエだった。
「ぜひとも詳しく」
勢いよく起き上がり、私を見上げる。なぜかヴァイオレットも立ち上がって、ジュリエを押しのけてソファに座ると、私にしがみついて体重を預けてきた。仕方ないので頭を撫でてやる。このまま話題が流れますように。
「ジュリエ。お客様をそんな風に呼ぶものではありません」
アドリエンヌが叱る。
「で、どうなの」
ディアナは身を乗り出した。隣でナギが苦笑している。
「あたし、オレンジなんて初めて食べた。イザベルもそうだったよね」
ディアナが言うと、呼ばれたと思ってか、イザベルが身動ぎする。どうやら、ディアナはずいぶんオレンジが気に入ったらしい。もう何日も経つのに、まだ言っている。
「貰い物って言ってたわよ。それに、どう、って……まだ、二回来ただけだし。馴染っていうなら、もっとまめに来てくれるお客さんもいるし……」
つい口ごもってしまった。ディアナの勢いに気圧されているのだ。
「これは、はまってますなあ」
ジュリエがにやつく。
「そんなこと無いって」
否定したら、余計ににやにやされた。
「どうなの? あの仮面とると、どうなってるの?」
詮索するものではないと、アドリエンヌが言ってくれたが、そんなことで収まりはしなかった。
「何で仮面なんかしてるの?」
「不細工?」
「暑くないの?」
「傷がある?」
「――知らない。見てないわよ」
自分で言ったが、そんなわけあるか。
「何それ?」
「外さないの?」
「仮面の下も仮面よ」
めちゃくちゃだ。
ナギが、とても可哀そうなものを見る目で私を見ている。それに、アドリエンヌまで。
何というか、素敵だと、言いたくなかっただけなのだ。理由? 知るものか。
でも、彼を描いた画帖は隠してしまおうと思う。
こうして私もうろたえているうちに、ジュリエとディアナは可笑しな方に盛り上がっている。
「サラ。お金貸してって言われても、渡しちゃ駄目よ? 今までお金をかけてくれたし、お金持ちだからすぐ返してくれるだろうって、そんなことないからね? 初歩のやり口だからね?」
ディアナの言葉がやけに重い。
「貴女も気を付けてよ」
言い返すが、軽く受け流された。いや、どう考えても、立派なヒモを抱えてるディアナの方が心配だと思うのだけど。
憮然としていたら、女将が入ってきた。
「サラ。あんた、例の泊りの客が入ったからね。念入りに準備しなさい」
途端に、いつの間にか起きていたイザベルが、指笛を吹いた。
うるさい、おばか。
本当に、なんて間の悪い男だろう。
大体、娼婦を買うのに、先触れなんかする者があるか。高級娼婦でも相手にしているつもりか。
とりあえず、私は自分の部屋に逃げ込むことにした。
最後まで読んでくださってありがとうございます。