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35.本と馬具、本 (アルベルト視点)

長くなりそうなので、2回に分けてみます。第二王子アルベルト視点。

 帰朝早々のメッセージは手短だった。

 「明日の午後のお茶をご一緒したい」というもの。

 叔父上は僕に腹を立ててはいないのだろうか。

 落ち着かない思いで、私は約束の時間を待つ。

 けれど、その刻限、叔父上は現れなかった。代わりに、大きな包みが届く。


 「会議が長引いているそうです」


 運び込まれた荷が解かれ、派手に装飾された馬具が現れる間に、私付きの侍従が告げた。

 遅れたことに他意は無いのだと、なだめられている気がする。卑屈さを見抜かれた。

 惨めさに自分では気づかぬ顔で、準備だけは整った茶器を前に、読みかけの本を手に取る。

 四百年前に書かれた、聖典の注釈書だ。面白くはないけれど、時間潰しにはなる。


 「やあ、邪魔するよ」

 「お邪魔します、兄上」


 数頁読み進んだところで、兄上とルキノが来た。

 私の卑屈に拍車をかける、王妃陛下腹の、私の兄と弟。

 私の気も知らず、二人分の茶器が追加されていく。


 「アストルはまだ来ていないのか」


 兄上が言う。

 どうしてここに来る予定だと知っているのだろう。


 「会議が長引いていると聞きました」

 「なんだ、つまらない」


 ルキノは頬を膨らます。


 「私もルキノも、旅の話が聞きたかったのだけどね」


 兄上も肩をすくめた。


 「会議の前に、土産を届けに北翼へ顔を出してくれたんだ。でも、時間が無いのですぐに行ってしまった」

 「アルベルト兄上のところでお茶の約束をしているというので、来ちゃいました」


 叔父上が予定を明かしたのは、二人がここへ来るのも予測してのことだろう。

 ちなみに、北翼は王妃殿下、それにリナルド兄上とルキノの住まいだ。側妃である母上と、私を含むその子供たちは、この西翼で暮らしている。

 本来なら北翼にいなければいけない父上は、西翼に、それも母上の部屋だけに入り浸っていた。


 「ガドマールのことなら、王妃陛下の方がお詳しいでしょう」


 何しろ王妃陛下は、かの国の王女なのだから。

 そう言うと、二人は同時に、そっくりな目くばせを送って来た。


 「母上のお話なら、アルベルト兄上だって、何度も聞いてるじゃないですか」


 ルキノが言う通り、王妃陛下のお話は、かの国の宮廷の日常ばかりだ。

 殿下がお話してくれるガドマール宮中の日常は、驚くほど頻繁で、豪華で、多彩な、儀礼で満たされていた。聞くだけでもぞっとするような窮屈さだ。

 けれど合間に語られた、空の青さや、雨や花の気配を包む風の香りが、南の国への憧れをかきたてる。


 「ほら、王女というのは、王子よりずっと不自由なものだからね。城の外のことは、歴史とか地理とか、教師でも教えられるようなことしか、母上も知らないのではないかな」


 見たことの無いものは話せないと、兄上も言う。

 確かに、同じ側妃腹でも、姉妹より私の方が王宮の外へ出る機会を貰っている。

 けれど、王妃陛下ご本人が、自国自慢のような話を避けているということもあると思う。

 聡明で、優しい方なのだ。

 側妃腹の私にも、お心を割いてくださる。実の両親に顧みられない私にさえ。

 私も、王妃陛下のお子であれば良かったのに。


 「ところで、アルベルトが読んでいるのは、ギルデウスの注釈集かい?」


 兄上が、私の手元の本に目を止めた。


 「原語版か。さすがだね。私もベルデン先生に薦められたのだが、ベランジオン語訳でも、二頁ごとに居眠りしてしまう」


 兄上はそう言って、屈託なく笑う。


 兄上に張り合って手に取ったと言ったら、この人はどんな顔をするのだろう。貴方より優秀だとひけらかすために、わざわざ大陸共通語で書かれた本を選んだと。

 いや、分かっている。

 「お前にも可愛いところがある」なんて、笑って流してしまうのだ。

 学識でなら、五つ年上のこの人とも、十分張り合える。

 でも、人としての器の大きさでは、何年たったところで追いつけないだろう。

 こんなことだから、父上は私に見向きもしない。


 「それにしても、お前はずいぶん読み進んでいるね。面白いかい?」

 「興味深くはありますが、大地が平たかった時代に書かれたものですから。神の御業について、今ほど明らかになっていたら、ギルデウスがどのように注釈をしたかの方が気になります」


 私が答えると、兄上は大きく頷いた。


 「その答え、私も真似して構わないかい? ベルデン先生に講義の度に感想を聞かれて、そろそろごまかしきれないところなんだ」

 「どうぞどうぞ。お役に立てるなら何よりです」


 ベルデンは兄上付きの教師の一人だ。宗教ではなく、歴史学を教えているはずだが。

 ギルデウスの注釈集は、確かに名著と呼ばれてはいるけれど、しつこく感想を訊くほど強く薦めるような本でもないような気がする。

 くどいようだが、内容が古い。


 ――大地は海に囲まれ、海はその果てで滝となって、地獄へと注ぐ。

 ――人は、人からも大地からも必要以上を奪ってはならない。

 ――男女の愛は、神の祝福によって、初めて許される。


 聖カイウスが啓示を受けた時代には、みな 納得できただろう。

 農業も産業も、今ほど進んでいなかった。

 農業は今よりずっと非効率で、みなが一様に飢えていたようだ。貨幣も、都市の一部でしか使われていない。

 愛以外で戒律を破ることができたのは、王や貴族ら、ほんの一握りの人々だけだった。


 ――海もまた、地獄へと繋がる悪魔の領域。異教徒との交易は、魂を悪魔に売り渡す行為。

 ――蓄財は罪。貨幣は悪魔の玩具。利殖は悪魔の業。

 ――未婚男女の間の恋情は、悪魔の見せる幻。


 一方、ギルデウスの時代には、戒律を厳格に守るのは難しくなっていた。

 教会自らが、献金と称する利子を付けて、金を貸し付けていたくらいだ。

 ギルデウスは、それを腐敗と考えて、正そうとした。だから、彼の主張は過激で潔癖だ。実現させようとすれば、血を見たかもしれない。

 そして今、ギルデウスの当時より、「腐敗」は進んでいる。彼の著書は、ますます現実離れしてしまった。

 

 ベルデン自身が、ギルデウスの伝記でも書くつもりだろうか。ギルデウスが「王太子が最も尊敬する思想家」となれば、内容関係なしに伝記もさぞ売れるだろう。

 おそらく、来年に成年を迎えるのと同時に、兄上は立太子される。新王太子の名を借りて商売するには、良いタイミングだ。


 それにしても、読書の楽しみさえ利用されてしまうとは。王とはなんと窮屈なものだろう。

 こんな時ばかりは、臣籍降下させてもらうことが、とてもありがたく思える。


 「ねえ、アルベルト兄上。兄上も馬具を貰ったのですか?」


 本の話に退屈したルキノが、土産の馬具に目を止め、歩み寄る。


 「私も、ということは、お前宛のお土産も馬具だったのか」

 「そう。私のも馬具だった」


 ルキノの代わりに、兄上が答える。


 「ガドマールは、馬にも革製品にも定評がありますからね」


 金銀箔や、真珠母貝などで装飾された鞍は、南国の太陽を浴びたらギラギラ光りそうだ。


 「装飾にばかり目が行きそうになるけれど、造りも堅牢だよ。正直言って、この飾りが無かったら愛用できそうなのにね」


 兄上は苦笑する。


 「この飾り、外せないかなあ」

 「ルキノ、自分ので試してくれよ?」


 私が言うと、ルキノは慌てて手を引っ込めた。危ない。

 兄上やルキノは、文を疎かにはしないけれど、武の方を好む。良い馬具なら、飾っておくより使い込みたいだろう。


 「私は部屋の飾りにしておきたいんだ。キラキラで結構」

 「そう言わず、アルベルトも一緒に乗ろう。楽しいぞ、三人並んで馬具をキラキラさせて」

 「私はあなた方と違って地味だから、遠慮しておきます。お二人でキラキラしてください」


 私は冗談めかせて言ったけれど、本音だった。

 王妃陛下譲りの豪華な金髪に、父上譲りの鮮やかな青い瞳を持つ二人は、顔立ちまで両親の良いところを巧く寄せ集めた、華麗な美少年だ。ことに兄上は、私の知る男性で、最も美しい人だった。

 一方の私は、母譲りの濃い褐色の髪に、先祖の誰かから貰った濃い藍色の目をしている。そうまずい顔でもないと思っているけれど、どうにも華が無い。しかも、両親のどちらにも似ていない。歴代王族の肖像画と並ぶと、確かに王家の血を引く顔と分かるけど、その中の誰か一人に似ているという感じでもないのだ。


 「ええー。兄上も一緒にキラキラしましょうよ。あ、でも、アストルが、試す時は必ず大人しい馬で、腕利きの馬丁に立ち会わせるようにって」


 ルキノが食い下がった。

 と、ここでようやく、叔父上到着の先触れがあった。 

読んでくださってありがとうございます。

次回、なるべく早くアップできるように頑張ります。

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