27.オーレリアは侮れない(カテリーナ視点)
カテリーナは前大公の妃殿下の侍女です。
ローザさんが部屋を出て行くと、私は長い長い溜息をつきました。
あの人にも困ったものです。
私が奥様のお傍を離れて、別邸でお勤めすることになったと知って、代わってくれと言い出しました。
別邸での私のお役は、家政婦長です。女性使用人を束ねるには、私では役者不足ですが、他にいませんでした。『奥様』との顔合わせの時と同じ、消去法の結果なのです。
けれど、いくら理詰めで説得しても、ローザさんは諦めてくれませんでした。
彼女の目的は、旦那様でしょう。別邸でお世話する立場になれば、奥様付きの今より、お傍に近づけると思ったようです。
とはいえ、彼女はお屋敷勤め三年目の十九才。いくら屋敷の規模が小さくても、また、たとえ『奥様』のことが無かったとしても、家政婦長は手に余ることでしょう。
私は指の腹でこめかみを押しました。その間にも溜息が漏れます。
別邸の準備は、遅々として進んでいません。いえ、建物の工事は順調なのです。問題は、ローザさんのことも含めて、中で働く人の方でした。
大公家の体面を保つためには、『奥様』については秘密厳守となります。そのためには、忠誠心の強い、大公家生え抜きの人を連れて行きたいところです。ところが、そういう人は気位が高く、『奥様』に従ってくれるかどうか。『奥様』の傍近くに仕える人ほど、『奥様』を拒否しそうなのです。
「カテリーナさん、よろしいでしょうか」
ノックと共に訊ねるのは、オーレリアさんです。
どうぞと答えたら、小さなタルトを沢山持ってきてくれました。
「大奥様からいただいたので、ご一緒させていただきたくて」
私がお茶の支度をする間に、オーレリアさんは柔らかな声で言います。
彼女は十六才。私と同じ子爵家の出で、こちらのお屋敷には、十才の時から奥様付きの侍女の一人として勤めています。奥様を大奥様と呼び間違える癖は、その頃から直っていません。
旦那様の母君なのだから、大奥様でも良いようではあります。ただ、旦那様が家督を継がれたのが子供の頃のことでしたから、当時は奥様とお呼びするほうが自然だったのです。旦那様がご結婚なさらないので、奥様の呼び名も改まらないままで来てしまいました。
そうして、幼い侍女が呼び名を間違えるくらいのことに、目くじらを立てる人もこのお屋敷にはありませんでしたし。
ともあれ、素直な人柄に加え、年に見合わない気働きで、彼女は奥様に重宝されてきました。時々ませた口をきくのを面白がられて、旦那様からも可愛がられています。
「別邸のことでお悩みですか?」
オーレリアさんが訊ねます。
「ええ。……貴女が来てくれれば良かったのだけど」
「だって、お嫁に行ってみたかったのですもの」
残念ながら、彼女は来年の春に、侯爵家へ嫁ぐことに決まっています。
「ローザさんは連れて行けませんものね」
林檎のタルトを口へ運びながら、オーレリアさんは言いました。
『奥様』のことは何も話していないのですが、察しているのでしょう。
元々、オーレリアさんが受けた縁談は、ローザさんに持ち込まれたものなのです。
このお屋敷の侍女は、私も含め、持参金が用意できず、結婚を諦めた人ばかり。それが結婚していくのは、大公家との縁が、持参金以上の価値を持つからでしょう。奥様主催のお茶会に、領地の産品を使っていただくだけでも、随分な宣伝効果があるのです。
加えて、ローザさんは憂い顔の美人ですから、奥様の元には今までもいくつもお話が来ていたようです。けれど、彼女は決して首を縦には振りませんでした。今回は、旦那様がじきじきに持ち込んだ話でしたが、それでも頷きません。
お相手は、侯爵家の跡取りでニ十才。旦那様は、ご友人のサロンで引き合わされたとのこと。顔立ち、能力、人柄とも申し分ないけれど、二十才にして既に髪が薄い、とはオーレリアさんの評です。ご本人がひどく気に病んでいたので、これまでなかなか縁談がまとまらなかったのでしょう。
ともあれ、ローザさんがにべもなく断ったところに、オーレリアさんは自分から手を挙げました。先方も、ローザさんでなくてはというわけではなかったようです。実家の爵位は下ですが、年も若く、結婚に前向きなオーレリアさんと、無事話はまとまりました。
「それにしても、ローザさん、旦那様のどこがお好きなんでしょうねえ?」
オーレリアさんは首をひねります。
「うるうるじっとり見つめられるの、旦那様、苦手だと思うんですけど。あれだけ見つめてて気が付かないんですかね」
これは手厳しい。
彼女の言う通り、閑さえあれば、ローザさんは旦那様を見つめています。大きな瞳を潤ませて、ありったけの情熱をこめて。
「……旦那様が、何かおっしゃってたのですか?」
「いいえ。でも、あれは違うんじゃないかと」
オーレリアさんがそう言うのはもっともです。でも。
「またそんなこと言って。ローザさんは伯爵令嬢ですよ。庶民ではあるまいし、他にどうしたら良いのです」
「真面目に働いて、目が合ったら笑顔で元気に挨拶では? 伯爵もそこは一緒かと」
元気に、はともかく、オーレリアさんは当然のことしか言っていません。そして、確かに、旦那様の姿が見えると、ローザさんの手は止まってしまうのです。
見つめるばかりで、挨拶は小声。旦那様が彼女の方を見ると、恥ずかしいのか、うつむいてしまいます。
おかげで、ローザさんから旦那様への恋心は、誰の目にも明らかになってしまいました。でも、それに応えるかどうかは、また別の話です。
「ところで、カテリーナさんは、奥様にはお会いになったのでしょう?」
彼女の言う奥様が、別邸の『奥様』だと理解するのに、少し時間がかかりました。
「何の話です? どなたかから、何かお聞きになったの?」
「旦那様の恋人をお迎えになるのでしょう?」
「そんなことをおっしゃったのはどなたです」
「追求なさるということは、やっぱりそうなのでしょう? ええとですね、恋をしておられると、旦那様がご自分でお認めになりました。夏くらいに。それからすぐ、別邸のお話が上がってきたので、そうかなあ、と」
オーレリアさんはサクランボのタルトに手を伸ばします。
私は愕然としていました。
奥様付きですから、旦那様の私的なことに気づかなくても、落ち度とは言えないのですが。でも、オーレリアさんが気づいていることに、私が気づいていなかったとは。
「旦那様は、私を子供と侮っておいでですもの」
そう言って、彼女は笑いました。
「もう子供ではないと、私、何度も旦那様に申し上げましたのに」
そう言って、大袈裟に肩をすくめるものですから、私も笑うよりありません。けれど、オーレリアさんは、突然真顔になりました。
「それで、教えていただきたいのですが、どうして、別邸の方と正式にご結婚なさらないのでしょう?」
オーレリアさんは、誰にも、実家にも婚家にも決して他言しないと誓い、問いを繰り返します。……彼女に話しても良いのでしょうか。
「……御身分が、低いのです」
これでは、答えたうちにも入らない気はします。けれど、オーレリアさんは目を瞠りました。
「御身分?」
「ええ。その……どこかの養女に入るのもはばかられるような……」
「それ、どういうことですか?」
彼女はひどく驚いています。
「ね、教えてください。どういうことなのです」
「……その、娼婦だった方なのです」
「奥様が?」
オーレリアさんの声は、悲鳴のようでした。
「どうして、どうしてそのようなことに」
「あの、貴女。あの方を知っているのですか?」
私は、取り乱しているオーレリアさんに訊ねました。彼女は、一度私と目を合わせてから、ゆっくりと首を振ります。
「いいえ。誓って、生まれてから今まで、一度だってお目にかかったことはありません。……すみません、カテリーナさん。その、旦那様がそういうところへ行って、そういう人と会っているのが信じられなくてですね」
淑女らしい笑みを浮かべようとしているのに、オーレリアさんは泣きださないのがやっとのようです。
「お出かけになる旦那様は、とても、とても楽しそうで、幸せな恋をされているとばかり、思いこんでしまったのです」
そういうことでしたか。
「一度会ったきりですが、娼婦と聞いて想像するような、強欲だったり、下品だったりするような方ではなさそうでしたよ。身の程もわきまえているようでしたし、旦那様に恥をかかせるようなことは無いと思います」
「当たり前です。そんな方、旦那様が好きになるわけないじゃありませんか」
確かに、それもそうですね。
「あ、もう、カテリーナさんも召し上がってくださいよ。私ばかり食べてるじゃありませんか」
オーレリアさんは、そう言ってタルトのお皿を私の方へ押し出すと、もう一度、『奥様』の印象を訊ねたのでした。
読んでくださってありがとうございます




