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25.「会いたい」

 一仕事終わったので、寝台に転がって一休みする。

 寝そべったまま、借りている『博物誌』を開いた。我ながらだらしない。

 本の中では、筆者がミーズ山を越え、マルドラ湖に到着したところだ。


 ======


 マルドラ湖は、ミーズ山、ヨジゲ山、マープル山に囲まれた湖である。面積はアレクトスとほぼ等しい。

 古来、多くの詩の題材ともなった、景勝と伝説の地である。だが、交通の便の悪さから、現在では、ミーズ山側の湖畔に小集落を遺すのみとなった。


 集落の住民は、マルドリュス公国の遺民を名乗る。

 マルドリュス公国は、百年余り前まで栄華を誇っていたが、突然湖の底に沈んだと言われている。

 当時の交易記録などからも、公国の実在は確実視されている。しかし、湖に沈んだ途端、あらゆる公的な記録から、公国の痕跡は消えてしまった。

 峻険な山に囲まれた地の、繁栄の理由も定かではない。

 現地に伝わる伝説によれば、この地を治めた大公が、錬金術師を保護したため、無限の黄金がもたらされたからだという。

 公国の消滅後、黄金の遺物を求めて、多くの探索者が水中や湖の周辺を調べたが、砂金の一粒すら見つかってはいない。また、沈んでいるとされる都市の遺構も発見されていない。

 公国があったのは、マルドラ湖周辺ではなかったのではないかという説も、近年盛んに唱えられている。


 消滅の理由についても、多くの言い伝えがある。

 エイデス族の侵攻を受け、大公が水門を開いて公国に水を引き入れ、侵略者もろとも沈んだとするもの。

 錬金術師たちが禁忌を犯したため、神の怒りに触れて湖に沈んだとするもの。

 大公に献上された人魚の涙で、都市が沈んだというもの。あるいは、人魚を寵愛した大公が、歓心を買うために水門を開いたとするもの――


 =====


 真水を引かれても、人魚もこまるだろうに……


 寝室のドアをノックされて、私は自分が眠っていたことに気づいた。大丈夫、本を傷めてはいない。

 それにしても、どこまでが本の文章で、どこからが夢の中で捏造した文章だろう。


 「奥様、お手紙が届いています」


 ドアの外からの声に、慌てて入るように告げる。

 前回の手紙からちょうど五日目、アストルからの手紙が届く日なのだ。

 しかし、跳ね起きた私が見たのは、手紙を浮かべてするすると床を流れてくる、黒い水たまりだった。水たまりは勢いよく跳ねて、手紙を私の手に載せる。そうして、また床を流れ、ドアの下のわずかな隙間を抜けて出て行った。


 ドアを開けるのが面倒だったのだろうか?

 私のだらしなさがうつったのだったらどうしよう。


 一瞬反省したものの、私はすぐに気を取り直して、手紙を開封した。


 『大事な大事な僕のサラ』


 もっともっと大事な、私のアストル。


 『アレクトスで別れてから、じきに二か月になる。僕の仕事は、おそらく今が正念場だ――』


 彼は今、どこで何をしているのだろう?

 最初は、客と娼婦だったから、余計なことを訊けなかった。今は、国事に関わるらしいと知ったから、訊けない。外国人だから、なおさらだ。

 ともあれ、正念場というからには、これで何かの目途は立つのだろう。

 それきり、彼は仕事には触れていなかった。

 あとは、いつも通り。

 愛しいとか、会いたいとか。

 いや、いつも通りではないか。

 便箋三枚分の手紙の中に、「会いたい」が十四回。

 これは、相当追い込まれているのではないだろうか。


 今夜は、夢の中に会いに行こう。

 アストルのためだけではない。

 会いたいという彼の文字を見るたび、泣きたくなるのだ。


  *


 「サラ」


 魔法陣の中の男は、嬉しそうに私の名を呼んだ。


 「今回はぴったり十日だな」

 「手紙が、届いたから」


 見えない壁ぎりぎりまで寄って、彼の顔を覗き込む。やっぱりお疲れだ。


 「どうした?」


 不思議そうにアストルが訊ねる。


 「疲れてるなって。手紙を見て、心配になったの」


 そう言うと、彼は擽ったそうに笑う。


 「ありがとう。でも、あの手紙を書いたのは、この間会ったより前だよ」


 手紙が着くまで、発送されるまでにも、日数がかかる。彼はそう言った。


 「ごめんなさい。あんなに会いたがってくれてたのに、待たせてたのね」

 「……あんなにって?」

 「会いたいって十四回書いてあったわ」

 「数えるなよ」


 アストルは顔を背けた。こちらに向けられた耳が赤い。


 「もう遅いわ。でも、嬉しかった。疲れてそうで心配だったけど、会いたいのは私も同じだから」

 「うん。会いたいよ。君を抱きしめて、たくさんキスをしたい」


 どうにかアストルがこちらを向いてくれる。触れられないのを承知で、唇を重ねた。馬鹿げているのは承知の上だ。


 「……お互い、だんだん照れなくなってきたな」


 離れてから、アストルが呟く。多分照れ隠しだ。


 「そうだ、サラ。君からも手紙をありがとう。今日、二通目が届いたよ」


 アストルの眼差しが甘い。


 「そう、やっぱり随分時間がかかるのね」


 私はわざと実務的なことを口にする。手紙の内容には、どうか触れないで欲しい。甘ったるい言葉ばかり並べてしまって、恥ずかしいから。


 「かかるね。だから、もったいないけど、もうおしまいだよ」


 声も甘い。


 「明後日、こちらを発つからね。それから十日で、アレクトスに着く」

 「本当?」


 アストルが頷く。

 あと十二日。

 十二日で会える。


 「本当だよ。交渉は少し前に終わったんだけど、式典やら祝賀会やらがあってね。出たくないけど、一応交渉団の代表だから、放ったらかして帰るわけにもいかない」

 「……どこにいるか、訊いても良い?」

 「ガドマールだよ、奥さん」


 奥さん。

 遠慮しなくて良いと、言外に伝えてくれてるのだと分かっている。

 でも、好きな人の口から聞くと、ちょっとどうしていいのか分からなくなる。

 本当に、どうしたら良いんだろう。この人は私をどうする気なのか。


 「覚悟しろよ」


 アストルが囁く。

 悪戯っぽい、その声も好き。


 「いつ会えるか決まると、一日一日が凄まじく長いぞ」

 「…………」


 こいつめ。何てことを言うんだ。

読んでくださってありがとうございます。

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