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20.近況報告

ヴァイオレットの初陣。

 長い石段を下りて、深い水を潜り、彼に会いに行く。


 「やあ、やっと来たな」


 天井からぶら下がる、たくさんの小さな星が、魔法陣の中で待っている人を淡く照らしている。彼はどうやら、ご機嫌斜めらしい。


 「今日は何があった? 君ときたら、何か無いと、僕を思い出してもくれない」

 「十日に一度っていうから、肝心な時に会えないと困ると思って、我慢してるの」


 アストルの恨み言に、私は言い返した。

 今夜は前回から十六日目だ。少し間が空いている。私だって、許されるなら、毎晩でも会いたい。


 「そんなこと、って、え? その髪はどうしたんだ」


 何か言い返されるかと思ったのに、彼の目は私の頭に釘付けだ。

 そういえば、髪を切られてから、ここに来るのは初めてだった。

 ここでは嘘をつけないと、以前にアストルが言っていたが、かつらの持ち込みも駄目だったのか。


 「切られちゃったの。でも、また伸びるし」


 何でもないふりをしたけど、出た声は情けない。

 こんなみっともない姿は、見せたくなかった。好きな人には、ちょっとでも綺麗なところを見てほしいのに。


 気を取り直して、インチキ行者の騒ぎの説明をする。


 「……どうして僕は、こんなところにいるんだろう。ずっと一緒にいられたら、そんなことさせないのに」


 アストルはしょんぼりしてしまった。


 「すぐ伸びるわ」


 空元気で繰り返す。


 「あのね、劇場の人から、かつらを貸してもらってるの。だから、普段は困らないんだけど、ここは嘘がつけないから」

 「でも、怖かっただろう」

 「怖いより、腹が立ってたわ」


 それでも少し、ほんの少しだけなんだけど、怖かったのは、内緒だ。


 「無茶はしないでくれよ。何かあれば、君に預けた、あいつを呼んでくれ。必ず何とかする。……それにしても、君、変な名前を付けたね」

 「付けた私もびっくりしてるの。どうして水銀にしちゃったかしら」

 「錬金術の三原質の一つではあるけどなあ」


 アストルは苦笑している。

 

 「人の名前ではないわよね。でも、あの人には、本当にお世話になってます」

 「そう言ってもらえると、作ったかいがあったね」


 作った? 作ったか。錬金術師だから?


 「ね、フェデリコさんやカテリーナさんは人間よね?」

 「人間だよ。……そうか、彼らに会ったんだね。どうだった?」


 どうと言われても、馬鹿をさらしただけだ。


 「行き届いた良い方々だと思ったわ。それなのに、大事な坊ちゃんをたぶらかしてごめんなさいともね」

 「僕がたぶらかしたつもりだったんだけどなあ」


 そう言ってから、アストルは真顔になった。


 「それで? 今日はどうしたんだ?」

 「どうしたってほどではないの。……そうね、久々に外に出たわ。うちの店にいた、ヴァイオレットって、ルビカのモデルをしてくれた子。あの子の、初舞台を観に行ったの」


  *


 中年女性の姿をした水銀に付き添われ、辻馬車で劇場へ向かった。

 ヴァイオレットが出演する、ヴァーグノル座という劇場は、川の南側にある。イザベルと通っていた教会の傍だ。

 ダルビエ座には及びもつかないが、脅かされていたような、場末の小屋でもない。


 私と水銀の席は、一階正面の後方。

 ここや、二階、ボックス席辺りは、裕福そうな客ばかりだ。もっとも、ダルビエ座のような、夜会服の面々はいない。上位貴族も来ているかもしれないが、身分をひけらかすような豪華な服装は、ヴァーグノル座ではかえって野暮に見える。普段着より、少しおめかし、くらいがドレスコードだろう。

 時折、やけに着飾った若い女が、男の腕にしがみついている。おそらく、経験不足の娼婦だろう。堅気の娘だとしたら、親の見識が疑われる奴だ。


 演目は「ステイグとエルジーナ姫」。この劇場では数年に一度はかかる、定番の演目らしい。もちろん、私には初めて観る芝居だ。


 発端は、王位争い。エルジーナ姫の継承権を賭けて、許婚でもある騎士ステイグは神前で決闘を行う。ステイグは勝利を得たが、味方のふりをした黒幕である、姫の叔父の呪いを受けて錯乱。敵味方区別なく斬りかかり、都を追放される。放浪するステイグを、魔女アビニアが救う。ステイグは魔女の誘惑を受け、魔女と、魔女の力で地獄から呼び戻された伝説・歴史上の美女たちとの歓楽に溺れる。一方のエルジーナ姫は、ステイグの帰還を信じて、神に祈り続けていた。やがて、祈りが届くと、呪いが解ける。解けた呪いによって、叔父は破滅し、ステイグは縋る魔女を倒し都へ帰り、姫と結ばれる。


 ヴァイオレットの役は、地獄から呼び戻された美女の一人。版画、そしてそこからとられた芸名と同じ、ルビカだった。その衣装はといえば、裸と見まごう薄い肉襦袢に、花飾りと、透き通るような薄い生地がひらひらとまとわりついているだけ。ひらひらの裾は、膝にも届かない。同じような格好の他の美女たちとともに、艶めかしく歌い踊り、騎士を誘惑する。ほんの一節の独唱があるものの、数分の出番だった。

 たったこれだけのために、一晩金貨一枚の借金を重ねるのか。

 暗澹とした気分になったのは、ヴァイオレットの身の上のことばかりではない。芝居の内容が悲しすぎた。

 姫なんか、叔父に騙されっぱなしで、ただ泣きながら祈っていただけだ。魔女は、騎士を介抱したばかりか、騎士の歓心をえるために、あらゆるものを差し出している。それなのに、どんな贅沢も手練手管も、真心さえも、清らかな姫君の祈りには勝てない。

 魔女側の人間にとっては、やりきれない結末だった。


 救いといえば、舞台上のヴァイオレットが、きらきらしていたこと。

 声量が頼りなかったけど、歌はまあまあだった。歌声も甘く可憐だ。踊りだって、他の女優達に見劣りしていなかったと思う。

 彼女の独唱には、天井桟敷から「ルビカ!」の声が飛んでいた。それも、一人二人ではない。

 他の女優の時にも、それぞれのファンが声をかけていたが、ヴァイオレットは初舞台だ。店の客を集めたのか。その答えはじきに知れた。


 「師匠!」


 幕が下りた後のロビーの人ごみの中に、アドリエンヌ師匠がいた。背後に死んだ目をした、記者のリカルドを従えている。


 「ごきげんよう、サラ」


 扇子を手に、アドリエンヌは今夜も優雅だ。

 経験を積んだ彼女は、悪目立ちしない程度に着飾っている。瞳の色と同じくすんだ水色の、露出の無いドレス。銀線をレースのように編んだ、大ぶりのイヤリング。髪は品よくまとめている。

 でも、なぜだろうか。服装通りの、堅気の若妻には見えない。


 「ごきげんよう、アドリエンヌ。来ていたのね」

 「ええ。連れてきていただいたわ」


 アドリエンヌは視線でリカルドを示した。

 店の抱え妓を連れ出すには、当然お金がかかる。リカルドが熱愛しているのはイザベルだが、何か大きな力が働いて、師匠が来たのだろう。

 ため息交じりに、リカルドが言う。


 「俺はイザベルを誘ったんすよ」

 「でしょうね」


 それでも、そこにいるのはアドリエンヌ師匠なのだ。仕方ない、仕方ない。

 

 「宣伝だって、頑張ったんすよ。売り子さんに、ヴァイオレットが出るって、一声添えてもらったりして」


 なるほど。

 興味を持ちそうな人に、直接伝えていたわけだ。地道だけど、確実だ。

 版画を買ってくれた人と、実際に店に来る人の間には、大きな溝がある。

 本体を買おうとしたら、最低でも版画の三十二倍は支払わなくてはならない。肖像画でのお見合いみたいに、版画を見て店に来たら、似ても似つかない妓が出てくる心配もある。

 その点、舞台だったら実物を確かめられる。切符の値段も、天井桟敷なら、版画二、三枚分だろう。版画一枚が、パンと牛乳の朝食代だとしたら、天井桟敷の切符は、パンに肉とスープのついた昼定食といったところか。だいぶ手頃だ。

 ここから、どのくらい店に来てくれるのかは分からない。


 「そうだ。例の版画、無事に第二弾が出ました。凄え売れてます。初刷二百五十枚が、早いので三日、遅いのでも五日で売り切れました」


 良い話だろうに、リカルドは嫌そうな顔をしている。


 「あの、姐さん、立ち話もなんですから、これから一杯どうすか? 割り勘で」


 何やら鬱憤が溜まっているらしい。


 「私はかまわないけど……」


 背後にいる水銀に目をやると、短く「どうぞ」と言われた。

 けれど、師匠が音を立てて扇子を閉じる。


 「いいえ、帰ります」


 典雅に微笑んで、アドリエンヌは私に背を向けた。リカルドが慌てて彼女を追う。

 師匠に距離を置かれたようだ。おそらくは、やっぱり堅気の若妻には見えない私を、歓楽街から切り離すために。


  *


 「……本当はね、リカルドが気を悪くしてる原因は分かってたの」

 「イザベルの代わりに、師匠さんが来たことではなさそうだな」


 なんだかんだ言いながら、アストルは話を聞いてくれる。優しい。好き。


 「例の版画ね、絵師を代えて売り出したの。絵師二人、三枚ずつ。ところがね、二人とも女の子を綺麗に描いてくれなかったのよ。ポーズもぱっとしないし。しかもね、してる時、不細工になっちゃう時があるでしょ? 一人はわざわざそういう顔ばかり描いてね。もう一人は無理やりされる場面ばかり」


 実は、発売日に水銀に買ってきてもらっていた。


 「リカルドは、仕事柄、お姐さんたちに顔が広いし、可愛がられているから。モデルをした妓がひどい扱いを受けたことが許せないのよ。きっと、変な顔を描かれた人は、版画なんか見るのも嫌になったわ」


 無理やりの方のモデルは、きっともっとひどい。


 「君のモデルは機嫌よくしてたみたいだから、次に選ばれた人も、店の人も、そのつもりだっただろうね」

 「そうかも。でもね、新しいほうが売れてるんですって。……そういえば、以前に偽物が出た時も、私の絵よりも偽物の方が劣情を刺激するって言われたわ」


 れつじょうをしげきする、と、オウム返しにアストルが呟く。


 「売れてないなら、絵描きに文句も言えるんだろうけど、売れちゃってるから、何も言えないのよね」

 「でも、そんなことなら、次のモデルは誰もやりたがらないだろうね。それに、そんな絵にれつじょうをしげきされて買いに来られても、怖いだろう」

 「確かに、嫌だわ」


 なんだかひどいことをされそうで、とても怖い。


 「あとね、君はいつも可愛いから」


 そう言ったアストルは、とても良い笑顔だ。

 している時の話だと気づいて、顔が熱くなる。あんな商売だったし、今更だけど。今更なんだけど。


 「意地悪」


 どうにか言い返す。

 笑顔が一転して、アストルが長い溜息をついた。


 「あああ。帰りたい。君を抱きしめたい」

 「私も、会いたい」


 どうしようもないから、私たちは魔法陣の透明な壁越しにキスをした。

「ルビカ」は別に悪いことをしていませんが、異教の神の妻なので、地獄にいるはずということになってます。融通の利かない話です。


読んでくださってありがとうございます。

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