あたくちは眠いのでちゅわ
なるほど街には大きな神殿がありました。とはいえエルジェベトちゃんは神殿なんて見たことがないので、何なのかはよく分かりません。生まれてすぐママから引き離されて、狭い檻でしばらく過ごし、チモシーとペレットを食べて、回し車をぐるぐる回していました。飼い主の元に来てからは、お家が広くなって、庭と言っても十分なスペースが与えられ、たくさんのチモシーが食べ放題で、回し車も大きくて、何よりお部屋のカーペットの寝心地がいいこと! それに飼い主はたまに乾燥したリンゴもくれるし、顎の下も撫でてくれたりと、いたれりつくせりの生活でした。そのお家より大きなところに住んでるなんて、エルジェベトちゃんには信じがたかったのです。
ミロンは大きなお部屋の奥まで、エルジェベトちゃんを連れて行きました。
「ところで名前はなんと呼ぶ?」
エルジェベトちゃんは首を傾げました。
「名前が無いのかね。これは不便じゃのう」
ミロンは顎を擦ります。横にいるデグーも困った顔。
「今までどんなところにいたのです?」
エルジェベトちゃんはしばらく考え
「お家でちゅわ」
と答えました。
「他には誰かいなかったのかね?」
「かいぬちちゃまがいまちたわ」
ミロンは頭を掻きます。
「その『かいぬちちゃま』はそなたにどう声を掛けてた?」
エルジェベトちゃんは首を左右に傾げています。
「色々でちゅわ。『エルちゃん』『エルちゃま』『ちゃま』『ちゃまこ』『エルちゃにんぐ』『エルちゃりん』『エルちゃんちゃんこ』『ちゃんこ』『ちゃんこなべ』『エルジェベトちゃん』『エルりんちょ』『エル姫』」
「もうよい。多いわ」
ミロンは少しげんなりして止めました。そしてぐるぐるとその場を回ると、エルジェベトちゃんに
「恐らく今の話からいくと『エルジェベト』ってのが名前っぽいが、どのみち我々はそなたを『賢者様』と呼ぶことになろう」
と、身も蓋もないことを口にしました。
「……それ聞いた意味ありまちゅの?」
ミロンはごほんと咳払いをしました。
「さて、そなたをここにお連れしたのは他でもない。実はこの世界は、天敵に脅かされておる」
「天敵?」
またもやエルジェベトちゃんには馴染みのない言葉です。お家の飼い主はエルジェベトちゃんを溺愛する余り、エルジェベトちゃんには虫一匹近づかないようにと、あの手この手で対策を施していたのです。それこそ
『エルちゃんを傷つける輩はメッタ刺しする』
と言われているぐらいに。なのでエルジェベトちゃんは「敵」というものが分かりません。
「北のドブネズミ一族が野蛮にも我々デグー一族を脅かしているのじゃ。奴らの目的は、オクトドン世界の征服。それに対抗するため、わしらは古の預言を信じ、賢者様の来訪を心待ちにしていたのじゃが……」
エルジェベトちゃんは退屈になり、半目でしゃがみこんでしまいました。
「これ寝るでない。そなたこそ待望の賢者様。これより賢者様には長い旅に出てもらわねばならん。必ずやドブネズミ一族を撃退していただかねば」
「あたくちはちゃわゆすな乙女でちゅのよ。旅だかカビだか分かりまちぇんけど、難ちいお話は嫌でちゅわ」
ミロンはぶつぶつ何かを言っています。
「全く、異世界の動物は話が通じにくい……」