カーシュでいい
この十日ほど、わたしは毎夜襲撃に遭っている。襲撃といっても命の危険はもちろん貞操の危機すらないのだけれど、来るなと言っているのに来るものを訪問なんて言葉で片付けてしまうのは業腹だ。
そんな招かれざる客はわたしのもとに訪れて、誰を殺せばいいのかなんて物騒な話をして去っていくということを飽きもせずに毎日続けている。はっきり言って非常に迷惑である。
来るなという言葉は聞かず、話も思考も物騒で、なんとか彼の存在を無視しようとしてもこちらをじっと見つめ続けるので眠れもしない。本人いわく“気配は消しているから邪魔にはなっていない”そうだが、不審者が傍にいることがわかっている状態で就寝できるほどわたしは図太くなかった。はっきり言って非常に、ものすごく迷惑である。
五日目に自棄になって手土産くらいないのかと言ってしまったせいでそれ以来食べ物を持ってくるのも困る。ちょっと助かっている面があるから。
手土産を要求した初日に、そんなことを言われるとは思っておらず何も持って来ていなかったらしい男が渡してきたのは硬い団子みたいな食べ物だった。実際に口にすると恐ろしく硬いそれは、長期保存が可能で見た目以上にお腹が膨れる優れものらしい――賢明なわたしは何が入っているのかは聞かなかった――が、びっくりするほど美味しくなかった。本当にびっくりするほどまずかった。食べ物じゃないのではと疑ってしまったくらいだ。
口に入れた瞬間顔を顰めたわたしの様子に口に合わなかったことを察したらしく、男は翌日から果物や焼き菓子を持ってくるようになった。
正直、とても助かっている。いつ彼が来なくなるか知れないので、毎日食べるなんて贅沢はせずに非常食として置いておきたいという思いはあるのだが、もし万が一他の奴隷にでも見つかったらと思うと置いておくことなんてできない。見つかったら盗られるに決まっているし、どこで手に入れたのかという話になっても厄介だ。
ということで、臨時収入はその場で美味しくいただいている。
何度目からか、名前も知らない暗殺者の訪れを楽しみにしている自分がいて、それがちょっと嫌だった。
彼はわたしに悪意を持っていない珍しい相手で、物騒なことを言うけどそれをわたしに向けないからあまり危険も感じなくて、夜に訊ねてくるだけの付き合いだから意外と話しやすい。わたしの睡眠の邪魔をしてぼーっと突っ立ているのだから愚痴くらい聞いていけと言ってから、大人しく愚痴を聞いてくれている。
絆されそうで、嫌だ。情を持つべきではない相手に情を抱きかけているのは、存外わたしが単純だからだろうか。……それとも人恋しさから? 寂しいなんて思わないようにしていたのに。
「アンタがやったんじゃないの?」
後宮で何か問題が起こったとき、一番初めに疑われるのはわたしで。
「やっぱり罪人の子は罪人ね。手癖が悪いったら」
そんなのはもう慣れっこで。なんとも思わないはずだったのに、諦めていたのに。
「違います。わたしじゃない」
否定の言葉は思いのほか強く響いた。
わたしが言い返したことに驚いて間抜けな顔を晒す彼女たちを心のなかで笑ってやる。いつもの意地の悪さを取り繕うような澄まし顔よりよほどお似合いだ。
「下手な言い訳なんてしない方がいいわよ?」
「さっさと白状しちゃいなさいよ。罰が重くなってもいいの?」
後宮に住まう妃のうちの一人の持ち物がなくなったという話をわたしが聞いたのは今朝のことだった。噂によると、なんでもその妃が“この後宮にいる奴隷たちのなかに罪人の娘がいると聞いた。その娘がやったのではないか”と言い出したらしい。後宮から物が消えるとだいたいわたしのせいにされる、という法則を知っているから心構えはしていたのだけれど、やはりこの理不尽さには腹が立つ。
怒りに任せて言い返しても事態は好転しない。なくなった物が見つかるなり犯人が見つかるなりすればわたしの疑いは晴れるが、そうなったって周囲の悪意が消えるわけではなく、下手をしたら嫌がらせが増える。
言い返して、言い合いになって、ちょっとした騒ぎになって。
よくて、気に食わない相手と一緒に食事抜き。悪かったら一人で食事抜き。監督官の機嫌が悪いと鞭打ちが待っている。
今日は監督官の機嫌は悪くなかったらしく、実はわたしに命を救われている五人組もいつもより度を超していたのでわたしと仲良く夕食抜きに収まった。ざまあみろ。
また夜になったらわたしには男がやって来るはずなので、この食事抜きの罰が堪えるのは彼女たちだけだ。
悔しそうな顔でわたしを見る彼女たちを鼻で笑ってやりたいのをこらえて、ちょっとだけ自嘲する。
いつ来なくなるとも知れないと思いながら、昨日去り際に“明日も来る”と言った彼の言葉を今日も信じているわたしは少し危ういのかもしれない。
◇◇◇
今日来なかったら考え直せたのに、男は昨日の言葉通りに今夜もわたしのもとに訪れた。
「アルニールイスタ・ロタ」
そういえば、この名でわたしを呼ぶのは彼だけだ。わたしはもうロタを名乗れないから当然のことなのだけれど。
「それ、いい加減に止めてくれる?」
「……それ? なんのことだ?」
「わたしを家名付きで呼ぶこと、よ。だいたい、わたしはもうアルニールイスタ・ロタじゃなくてただのアルニールイスタだし」
「………………」
「なに、そんなに家名付きで呼びたいの? そういう性癖? 変わってるわね」
「違う」
からかい混じりに告げると即座に否定が返ってくる。
言い方がいつもよりやや苦い。変態扱いはお気に召さなかったらしい。
男と会うのはいつも暗いなかだから、今日で十一日の付き合いになる彼がどんな顔をしているかをわたしは知らない。表情もわからない。
でも、わりと男の感情は読みやすい気がする。表情こそわからないものの、声や発する空気にそれが現れている。意外に男の感情表現が豊かなのか、それとも暗闇がわたしの感覚を鋭敏にしているのかはわからないけれど、今の彼がちょっとムッとしているのは顔を見られない状態でもわかった。
「では、なんて呼べばいいんだ」
「好きに呼んだら?」
「アルニールイスタ・ロタ」
「それは駄目」
「…………アルニールイスタ」
すごい小声で言われた。なにやら恥ずかしがっているようだ。彼の羞恥を感じる部分がいまいちよくわからない。
「長いならイスタって呼んでもいいけど」
「………………」
「嫌なら無理には――」
「イスタ」
愛称で呼ばれるのもずいぶん久しぶりだ。家族や友人にしか呼ばれなかったから、もしかすると十年ぶりかもしれない。言い出したのはわたしだが、早まった気もする。なんとなく面映ゆい気持ちになった。
「俺はハジュカーシュだ。カーシュでいい」
「ハジュカーシュね。あんまりにも名乗らないから名無しかと思ってたわ」
「カーシュでいい」
「ハジュカーシュって、結構いい名前じゃない。もっと早く名乗ればよかったのに」
「カーシュ」
「…………呼んでほしいの?」
「ああ」
たぶん、この男は――カーシュは馬鹿なんだと思う。そうじゃなければ、やっぱり頭がおかしいのだ。花が咲いているかネジが数本飛んでいるに違いない。
注文通りに“カーシュ”と呼んでやると嬉しそうな空気を漂わせる。そんな男にわたしは心を許しかけていて、それがなんだかとっても癪だったから近くにあった包みを投げつけてやった。
「なんだ、今日はいらなかったのか」
「いる! 今のは間違えたの!」
投げつけた包みが今日の貢物だったことを思い出し、わたしは慌てて手を伸ばす。取り上げる気はないらしく、ぽんっと包みが手のひらに置かれた。彼の気が変わっても取られないように大切に胸に抱え込む。
包みからして焼き菓子だと思うのだけれど、中身は大丈夫だろうか。わたしはお腹に入ればみな一緒と食べ物の見た目はあまり気にしない性質だが、わざわざぐちゃぐちゃにして食べる趣味もない。投げたのはわたしだという事実は忘れよう。
「普通、名前を名乗るなら初めて会ったときに名乗るものじゃない? てっきりあなたは名乗りたくないんだと思ってたわ」
「カーシュ」
うるさいな、こいつ。
「……カーシュは名乗りたくないんだと思ってたわ」
面倒だったが言い直してやる。包みから美味しそうな匂いがしているのが悪い。
「名乗る習慣がなかったからな。聞かれれば答えた」
「ふーん。毎日来るけど暇なの?」
「仕事はしている。内容については言えないが。知って消されたくはないだろう、イスタ?」
仄暗いことをさらりと言って、わたしの名を呼ぶのに緊張を覗かせる。
きっと彼はたいしたことのない暗殺者なんだろう。こんなにわかりやすい男が凄腕なわけがない。……理解不能な発言をすることもあるけれど。
「ハジュカーシュ」
もしかしたら、わたしが彼を呼ぶ声も緊張しているのかもしれない。そうだったら嫌だな。なんか嫌だ。引きずられているみたいで、嫌。
「………………」
「どきっとした?」
「いきなりなんなんだ。それに、カーシュでいいと言った」
「愛称って基本的に親しい相手にしか呼ばれないから特別な気がするけど、たまに普通に名前で呼ばれるとどきっとしない?」
「どきっと……」
呟いた後、カーシュは黙り込んだ。
どうやらどきっとするかどうかを考えているようだ。そんなに長く考え込むようなことでもないし、からかい半分に言った手前、そう真面目に取られると悪いことをした気になる。
「イスタといるときはいつも気分が高揚しているから、名前を呼ばれたからといって大きな変化はない。ただ、親しい相手しか呼ばないという愛称でお前を呼べることは嬉しいし、イスタに愛称で呼ばれるのは確かに特別な気がする」
「………………」
今度はわたしが黙り込む番だった。
「口説いてるの? ――って、その“口説くって何?”みたいな雰囲気出すの止めてくれる? わたしが馬鹿みたいじゃない」
「イスタは愚かではないと思うが」
「そうね、あなた……カーシュほどじゃないわ」
恋はひとを愚かにするという。それが本当ならば、わたしはちょっとしか愚かじゃない。
でも、彼は間違いなく愚かだ。馬鹿になっている。まあ、元からかもしれないけれど。
「そろそろ寝たいから帰ってくれる?」
おかしくなった空気を変えるために――といっても、その空気を感じているのはわたしだけかもしれないが――ここ数日でお決まりになった台詞を吐く。
カーシュのおかげで睡眠不足は継続中だ。目の下の隈が消えなくなったら呪ってやる。
「眠いなら寝ればいい。寝ているイスタに何かしたりはしない」
「わたしが嫌なの! 何度も言ってるけど男に見られながら寝る趣味ないから。それに、他人に寝顔を見られたいわけないでしょ」
「寝ているときの人間というのは無防備でだらしのない顔をしている者も多いが、イスタの寝顔は綺麗だと――」
食べ物を粗末にするわけにはいかないので一番手近にあった投げられる物、靴を投げつけてやった。相変わらず避けないで受け止めるところが憎らしい。
「わたしの寝顔なんていつ見たのよ、この変態」
「………………」
「あなた、実は帰った振りして戻って来てるでしょ? サイテー」
軽蔑の視線を向ける。暗いから伝わっていないかもしれないが、カーシュから決まり悪げな空気を感じた。悪いと思ってはいるらしい。
開き直られたらもう片方の靴を投げようと思っていたけれど、これの出番はないようだ。
わたしは手にしていた靴を床に下ろした。しばらくしてその隣に片割れが返ってくる。
カーシュは闇のなかでも色々と見えているのだろう。近づいて来ていたはずなのに足音もしなかったし、動く気配もなかった辺りに彼の職を感じさせる。
「そんなに怒ると思わなかった――すまない」
「もうしない?」
「………………」
正直な男である。素直と言ってもいい。
「ハジュカーシュ、もうしないわよね?」
念押しするように言うと、ややあってからカーシュはやっと頷いた。その後もわたしが黙ったままでいると“しない”という答えが返ってくる。
今度はどきっとさせるために名前を呼んだのではないことくらいは、空気を読む能力に乏しい彼にもわかったのだろう。常識と同じくらい空気を読めないと思っていたが、認識を改める必要がありそうだ。カーシュは常識の方がない。
「………………」
「………………」
そう長くはないが短くもない沈黙が続く。
「仕方ないわね。許してあげるから、今日は愚痴ぐらい聞いて行きなさいよ」
実のところ“今日も”と言った方が正しい。
許す代わりに今日はさっさと帰れと言えばよかったと気づいたのは、妃の持ち物盗難事件という名の冤罪事件についてさんざん愚痴を言った後だった。明日も寝不足決定だけど、色々と日頃の鬱憤もろとも吐き出してすっきりしたからまあいいかと思ってしまう。
「――ってこと。本当に今日は最悪な一日だったわ」
愚痴の終わりをそう締めくくった。
言葉にした後で、最悪というのはいささか言いすぎたかもしれないと思い直す。あの性根の悪い五人組に一泡吹かせてやったことを思うとそこまでではなかった。彼女たちに普段からされていることに対して、一食抜きなんて仕返しにもならない気もするけれど。
「それで、つまり……勝手に物を紛失したくせにイスタを疑った妃とやらを殺せばいいのか?」
「いや、そういう話じゃない」
「ん? ならば、やはりあの五人か」
「それも違う」
たとえ見当違いでも、わたしのために何かしたいという彼の言葉に少しだけ救われているなんて――そんなことはない、はず。
カーシュのことは嫌いじゃない。不審者だとは思っているけれど、食べ物をくれるし愚痴を聞いてくれるので今のところどこかに突き出す予定はない。来なくなったら寂しくなるだろうとも思う。
でも、それでも。
とんちんかんな暗殺理由を携えてやって来た暗殺者に救われるほど、わたしは落ちぶれていない。彼の存在は単なる慰めでしかなくて、昔持っていた人形みたいな物だ。わたしのものじゃないから失う心配はないけれど。
これでも元は高貴な身分なのだ。お菓子くらいで餌付けされたり話を聞いてくれるくらいで絆されたりはしないぞと、カーシュの物騒な発言を否定しながら彼が持って来た手土産を摘まんだ。……うん、甘くて美味しい。




