お前を殺しにきた
この作品には、ヒロインが他人から嫌がらせを受けるシーンがあります。ぬるいけど。
気になる方はご注意ください。
八歳のとき、わたしは何もかもを失った。
王都一と謳われる絢爛豪華な屋敷も、贅を凝らした綺麗なドレスも、お気に入りの人形も、誰もが羨む大貴族の令嬢という立場もすべて。
それはわたしの父親であり、由緒正しい大貴族・ロタの当主であるアラーロイスル・ロタが罪を犯したせい。宰相であった父は国王ですら無視できないほどの権勢を誇っていた。けれど、愚かな父はそれだけでは満足できなかったのだ。
偉大なる国王を呪術などという怪しげな術で己の思うがままに操り、絶対的な権力を手にした強欲な男。悪政で民を苦しめ、利を貪り、最後には王という地位すら己のものにしようとした大罪人――それがわたしの父だ。
過ぎた欲は身を滅ぼす。その言葉を体現するように愚かな男の罪は当時の王太子の手によって暴かれ、父は破滅した。
父の罪は彼一人で贖うには重すぎる。ロタの一族はほとんどが処刑され、生を許されたのはわたしを含む幼い子どもだけだった。優秀でお優しい王太子の慈悲によってロタの子たちは家族も財産も何もかもを奪われ、奴隷として生かされている。
奴隷に落ちてからは辛く苦しい生だった。それまでが恵まれたものであったぶん余計に。
それでも、あのとき――冷たい眼をした王太子から父親と共に処刑されるか奴隷として生き延びるか選べと告げられたとき、生きることを選んだことをわたしは後悔していない。
処刑され、城門に晒された父の首。
物言わぬそれを罵倒し、唾を吐きかけ、石を投げつける人々の姿が今もまだわたしの目に焼き付いている。
死んだらコレになるのかとただ漠然と思った。悲しみや怒りなんて湧いてこない。死してなおこんなみじめな姿を晒すくらいなら奴隷として生きた方がマシだ。心の底からそう思っていた。
奴隷になってから一年後、どうにも耐えきれなくなって逃げ出したことがある。
後宮から出てすぐに奴隷だとバレた。運悪くわたしの顔を知っていたひとがいて、大罪人の娘だと追いかけられたのだ。石を投げられ、足を止めたら袋叩きに遭って――後宮に連れ戻された後も厳しい罰を受けた。正直、あれで死ななかったのは奇跡だと思っている。
逃げ出してみてわかったのは、救いなんてどこにもないということ。
奴隷の焼き印とともに罪人の娘という烙印はこれから先もずっとわたしに付きまとうのだ。同じ奴隷からも蔑まれ、ロタの生き残りからはお前の父親のせいだと詰られる。
広い屋敷は狭くてかび臭い部屋に、綺麗なドレスは襤褸に、羨望の視線は軽蔑に。
そんな生でも手放したくないと思うわたしは、やっぱりあの強欲な父の娘なのだろう。
◇◇◇
目を覚ますと辺りはまだ真っ暗だった。
奴隷生活も早十年。たとえ固い床が寝台代わりだろうと朝までぐっすり眠れるようになったはずだが、今日はさすがに夢見が悪かったらしい。父が死んだ日と、後宮から逃げ出して連れ戻された日と――人生で一、二を争う思い出したくない嫌な出来事をいっぺんに夢に見るなんて。
「あら?」
ふと頬に風を感じた。
窓を閉め忘れていたのだろうか。いつも寝る前に確認するようにしているが、今日はいつになく疲れていたので忘れていたのかもしれない。
今は何時なのだろう、と確かめる術もないのに考えながら身を起こして――思わずぎょっとした。咄嗟に上げそうになった悲鳴を必死で呑み込む。
視界には、微動だにしない一つの影。暗くてよく見えないけれど、窓辺に誰かが立っていた。
「アルニールイスタ・ロタ」
影が口を開く。男の声だ。特別高くも低くもない声にどうしてか肩が震えた。
わたしはもう貴族じゃない。後宮で働く大勢の奴隷のうちの一人で、ただのアルニールイスタだ。
ロタという家名はとっくの昔に失われたはずで、それでもわたしを以前の名で呼ぶのはどういう意図があってのことだろう。
「お前を殺しにきた」
静かな男の一言に、ひゅっと喉が鳴った。悲鳴を堪えた自分を誉めたい。叫んでいたらきっと殺されていた。目の前の男は危険な相手だと本能が告げている。
「どうして……?」
この状況で口にするにはあまりに間抜けな問いだった。彼の言葉が真実でわたしを殺すためにここに来たのだとしたら、そんな物騒な目的を持つ人間が質問に答えてくれるわけがない。
そう考えると同時に、彼が告げた目的を訝しくも思う。
貴族だった頃ならともかく、今のわたしはただの奴隷。暗殺される理由なんて思いつかない。何せ、わざわざ暗殺者など送り込まなくても気まぐれで殺したとしても咎められない身分なのだから。
ならば、私怨か何かだろうか。さっき男はロタの名を口にしていた。世紀の悪人と呼ばれる父に恨みを持つ者はいまだ多い。その恨みを娘のわたしにぶつけようという人間がいてもおかしくはないけれど……今さら、という気もする。
「あなたは何を理由にわたしを殺すと言うの?」
精一杯の虚勢を張ったが、声は無様なほどに震えていた。
「俺はお前を助けてやりたい」
「? どういう意味?」
「貴族から奴隷に落ち、周囲から虐げられる。罪人奴隷でなければ救われる道もあるものを、罪深い父親のせいでそれも叶わない――可哀相に。死んだ方が楽だろう」
思ってもみないことを言われた。
可哀相? 死んだ方が楽だと判断したから殺す? ……この男はいったいどういう思考回路をしているのか。この短い時間で常識が通じない相手だということだけはわかった。
驚きで言葉もないわたしをどう見たのか、影が揺らめく。次にわたしの耳に届いた声はひどく穏やかに聞こえた。
「安心しろ、これでも殺しは本業だ。痛みなんて感じないまま楽にしてやる」
いつの間にか吐息が触れるほど近くにいた男の手がわたしの首へと伸びる。
「止めて」
わたしは払い退けたい気持ちをなんとか堪え、男の手が首に触れる直前で両手で彼の手を取った。筋張った男の手がぴくりとわずかに反応して止まる。
「なぜ」
「死にたくないからよ」
「生きていて辛くないのか?」
辛くないわけがない。けれど、死にたいとも思わない。
決して救われることがないとしても、辛いことしかなくてもわたしは生きていたいのだ。
「死んだ方が楽だから殺してやる、なんて大きなお世話。どこでわたしを知ってどうして同情してくれたのかは知らないけれど、わたしは明日も早いの。さっさと帰ってちょうだい」
「………………」
沈黙が返ってくる。
まずい、怒らせてしまっただろうか。物騒なことを言うわりに悪意を感じなかったから強く言いすぎてしまった。これから起こり得ることを色々と想像して身構える。
「俺は、お前のために何ができる?」
男はまたおかしなことを尋ねてきた。きっと頭がおかしいひとなのだろう。悪い想像が大きく外れたのは良かったけれど、夜中にやってきたおかしな男に絡まれている現実は変わらない。
「今すぐここから出て行って」
おそらく男が侵入に使ったと思われる窓を指差して告げると、また沈黙で返された。
わたしのために何かしてくれると言うならわたしの睡眠を邪魔せずに早く帰ってほしい。あと、金輪際わたしに関わらないでくれると嬉しい。暗殺者なんて物騒な知り合いはいらないし、そもそも後宮に男が入ってきていいわけがない。誰かに見られてわたしが招き込んだと誤解されたら困る。
暗くてよくわからない闇の中、わたしは男の方を瞬きもせずに睨みつけた。
「……わかった」
しばらくしてやっと返ってきた答えはその意に反してなんだか嫌そうだ。不承不承という言葉が似つかわしい。
それでも了承の返事が返ってきたことにほっとして気を緩めると、その隙をついたように目の前の影が掻き消えた。
「また来る」
――そんな不吉な言葉を残して。




