Complex2-2 凶つ呪言1
その豪邸は直たちの間で、『桜井忍の家』と称されてはいるが、実際は彼女の実家である桜井家が、いくつか所有する物件の一つであり、彼女自身は現在、学園の寮住まいである。そしてこの家は近年、古い日本家屋を改修したものらしい。
詳細は不明だが、彼女の祖父に当たる人物が『療養』の際に使用していたのだが、忍の弟の春馬が、今年から通っている学園の校舎が、この近辺にあったことから、急遽、彼の平日の住居として当てがわれたのだという。
東京の外れとは言え、その広大な敷地は、一般市民では到底手の届かないものであった。
居間に通された後、春馬を呼びに行くと言った忍に断りをいれて、御影直、織部単、そして六道刹那の三人が部屋を出て、家屋の軽い下見をしていると、
「おウチがいくつもあるとか、楽しそうだよね。こう、週替わりで住むとかって飽きないし」
単が庭に面した廊下で、友人の家にでも遊びに来たような、のほほんとした感想を漏らす。実際、元々単と忍は友誼を結んでおり、それなりに互いの状況を把握している。そう言った意味では緊張感を喪ってしまうのも仕方がないのかもしれない。しかし、その後ろを歩いていた直は、単の言葉を聞きつけると半眼になって、黒い意見を垂れ流す。
「いや、そもそも土地のない日本で住みもしない『住居』って無駄以外の何物でもないやろ?」
「えっ? でもここ、春馬君が住んでるよ?」
直の嫌味を、きょとんとした顔でスルーする単。悪意の欠片もない年上の少女の返答に、直は大仰に嘆息する。
「ん? 直太君お疲れ? それとも車酔いが治ってないのかな。動く物に乗る時って逆向きって良くないものね。帰りはワタシがそっちに座るよ」
それは確かに、先ほど車内で思った事で、とてもありがたい申し出ではある。あるのだが、直の心情は全く読めていない。それゆえに直は苛立ちを込めて、言葉を吐き出す。
「それはそれで、ありがたく受けておきます。けど、それよりもっと重要な事があるやろ」
人生すべからくポジティブシンキング、のアンタに嫌味とか理解できないやろうしな、と心の中で付け足すことも忘れない。
最も、愚痴や嫌味よりも重要な事柄というのは本当にあるので、できれば、そちらの方に意識を向けて貰いたい、と言うのも本音ではあった。
ちらりと後ろを見やれば、相も変わらず漆黒のセーラー服が直の影にその身を沈めている。
(コイツ、さっきから何を考えているや? ボクの影のある場所に立つなんざ自殺行為やって分かっている筈なのに)
けれど、長い前髪に隠されたその顔からは、なんの表情も窺うことはできず、直の中で苛立ちだけが募る。
「直太君、そんなに刹那ちゃんにキツく当たらないの。ワタシ、直太君と刹那ちゃんって仲良くできると思うんだよね。だって……」
直情的で感情的。思った事を、思ったように実行する単が、途中で口を閉じる。それから、ちょっと困ったように直の顔を覗き込むが、直は敢えてそれを無視して廊下を進む。
(分かって……いるんや。アイツは、ボクと同じや。ある特定の条件下で、自分に深いかかわりのある人を……)
その思考は、記憶の底に封じ込め、固く蓋をすることで普段は忘れた振りをしている悪夢。去年の夏、単と出会った事件の結末。直の人生を、決定的に歪めたあの日。
夜明け前の埠頭。暗い海を背後に立つ人影。直の言葉に小さな笑みを返しつつも、直を殺すために、その手から放たれた魔術。
フラッシュバックする、その光景。目眩を起こしそうになるが、直自身の身体はしっかりと歩みを進めてしまう。分割思考を流用した複数の『傀儡』の多重起動を得意とする、御影の魔術師である彼女には、そんなことができてしまうのだ。
「直さん、お姉さま。春馬を連れてまいりました」
折よく、忍が近くの襖を開けて声をかけてきたのを利用して、動揺を押し隠したまま単を追い越して、直は居間へと脚を向ける。
三人が初めに案内された場所でもあるそこは、それだけで二十畳はあるであろう純和室であった。床の間には、直の目から見ても質の良い掛け軸が掛かっており、卓袱台ですら漆塗りの高級品である。
直は入って直ぐに、上座に当たる場所で行儀よく座る少年を見て、軽く会釈をする。一応、忍を通して数回、顔を合わせていたことがあったので、春馬も軽く頭を下げてくる。
直の後ろに続いていた単も春馬の事は見知っているらしく、満面の笑みと共に軽く手を振る。
「や、春馬君。久しぶり。なんだか大変だったみたいだね」
「お久しぶりです。織部さん。姉がいつもお世話になっております」
軽めの挨拶にきちんとした言葉遣いで返す少年に、単は面映ゆそうな笑みを浮かべて、「そんなことないよ」と返す。
(つか、単さんはホンマ人と仲良くなるの上手やな)
常々見習おうとは思うが、直はどうにも人付き合いが苦手で、他人との距離感に苦労している。結局のところ、彼女にできたのは口をへの字に曲げて、目を逸らすことだけだった。
するとそこに、自分に以上に人付き合いが下手そうな人物を認め、なんとなく安堵のため息をつく。
(上ばかりでなく、下を見るのも時には重要やね。うん)
そしてその動作につられたのか、春馬は刹那の方に顔を向けると、一度立ち上がり、座布団を降りて正座し直すと、深々と頭を下げる。
「六堂刹那さん。先日は命を救っていただきありがとうございました」
その態度に、直は思わず舌打ちしそうになって、思いとどまる。彼女にとって六堂刹那は好意を持てない人間でも、春馬にとっては命の恩人である。彼がこの魔術師にどのような対応を取ろうと、直に文句を言う資格はないのだ。
「いい……別に……気まぐれ、だったし……勘違いもあった、から……私が、狙われたのかと……だから、筋違い…お礼は」
このぼそぼそとまとまりのない体言止めを多様する喋り方は、刹那の特徴であり、直と合わない理由の一つでもある。
基本的に直情的なくせに、色々思い悩んでしまう直にとっては、刹那のようなきちんと喋らない人間は同族嫌悪的な意味で苛立ちの対象にしかならない。そう言った意味で、単のように打てば響く様な返事を返してくれる人物は好意的に扱ってしまうのだ。
「それでも、貴女が僕の命を救ってくださった事に変わりはありません。だから、こうしてお礼を申し上げるのは当然のことです。しかし、それを快く思われないと言うのであれば、これ以上しつこく言うのは逆に失礼でしょうね。なので、これで終わりにします」
春馬は言うなり、もう一度頭を下げる。
「春馬君の気が済んだところで……先週襲われた時のこと、君の口から聞かせて貰っていいかな?」
それまで黙って見ていた単が片手を上げながら言うと、春馬も気持ちを切り替えたのか幾分顔つきを変えて頷いた。