Complex4 549さん3
自分のロッカーが不審者に荒らされるという、この非常事態に、普段と変わらずおっとりとしたままの年上の少女に、直が恐る恐る衝撃の事実を口にする。すると、単は深々と溜め息を吐いて首を振る。
正直、直は単が怒りに任せてイキナリ暴走すると思っていたのだが、予想とかけ離れた、あまりの落ち着きっぷりに逆に不安を覚える。
「単さん、その正気ですよね? 怒りのあまりぶっ壊れてたり、しませんよね」
単は疲れたように少女の方に向き直ると、予測どおりだから平気、と答えてゆっくりと歩き始める。
「予測通りって……自分のロッカーが荒されるって判ってたってことですかい」
訳が判らず思わず聞き返す直に、単は重々しく頷くと、
「さっき、ネットオークションの購買者に会ったって言ったでしょう。相手が会ってくれた理由、判る?」
と逆に質問してくる。暫し、虚空に視線を向け思考を働かせるが、特殊な趣味の持ち主のオツムの構造など想像もつかないし、知りたくもなかった。こんな事でいちいち時間を潰すのも勿体無いので、さっさと正解を求めて、単に降参の意を伝える。
「答えは簡単。その人が買った制服には着用者の顔写真が付いていたの。ぶっちゃけちゃうと、わたしの体育の授業のやつ」
随分な話で、と相槌を打ちながら、直は人事で良かったと内心、無い胸を撫で下ろした。ついでに、単の制服を購入したという兵に哀悼を捧げる。きっと、今頃は病院で後悔していることだろう。
「それでね、その時に今度は体操着が欲しいってメールを出して貰ったの。だから、わたしのロッカーを荒らすだろう事は予測済みだった訳」
単の体操着が欲しいというのは、きっと購入者本人の嘘偽り無い本音だったはずだから、嘘はついていない。万が一、体操着が手に入ったとしても、本人は受け取れないという但し書きがつくだけの話だ。
「はは、なるほど。それでこの間、ジャージで早退してたワケが判りましたわ。そんで……まさかと思うけど取り返した制服、着てたりしてませんやろな」
ふと、思いついたことを口にした瞬間、凄まじい目で睨みつけられ、直は顔を引き攣らせながら両手を合せて頭を下げる。
「勿体無いけど、捨てたよ。クリーニングに出したとしても、正直な話、指一本触れたくなかったし」
どうにも堪え切れなくなったらしく、単は怒りに肩を震わせながら虚空で両手を蠢かせる。
そんな単を諌めながら階段を登りきると、その角から廊下を覗き込む。
廊下の先、教室の前に置かれたボックス式のロッカーの一つの中身を漁る黒い影。
それは、直の頭の中に浮かんでいた光景と全く同じであった。
「ああ、やっぱり倉田先生だ。聞いてた容貌からして間違いないとは思ってたんだけど」
直に続いて角を覗き込んだ単は、影の正体を看破して呟く。しかし一方で、直の方はと言えば、単ほど影の正体とは接点が無いので、顔に見覚えがあるなぁ、程度でその名前までは咄嗟に思い出せなかったが。
「ええと、確か……離婚したとかでモメてるお人やったな」
記憶の片隅から、友人の忍が言っていた情報を引っ張り出すと、直は傍らの単に見やる。それ気付いた単は、賠償金の事で生活が苦しいらしいよ、と付け加える。つまりは、金に困った教師がせっぱ詰って生徒の持ち物に手を出したと言うのが、この学園における『549さん』の噂の正体だったらしい。
しょうもない、と思いつつ直は再び視線をロッカーの前へと戻す。
単の所有物なら何でも金になると踏んだのだろう。本人の持ち物と確認の取れなさそうなものまで、倉田の足元に積み上げられている。
『痛』からの視覚情報もある直には、そこにある全てのものがはっきりと視認できていた。
「単さん。判ってたんなら、替えの『座布団』くらいは持って帰ってください」
ジト目で突っ込む相棒に、涙目になりながら、作戦だもん、と答える単。
「だって、昨日まで必要だったんだもん。あの人たちそれも知ってて、それも欲しいって言ってたんだもん。不自然に思われないようにしただけだもん」
嘘がつけないと言っても、こういう時ぐらいは融通を利かせればいいものを、と直は密かに溜め息を吐く。
何にしろ、これ以上被害を拡大されると後が大変である。別段、こういった事で単が愚痴を言ったりする事はないが、落ち込んだ単を見た他の学生たちに勘繰られ、ネチネチイビられるのはゴメンである。
「サクっと片付けて、『549さん』に備えますか」
落ち込む単に声を掛けると、直は『痛』の視覚情報を切り離す。その上で、校舎の上で待機していた『鳴陰』を呼び寄せようとした時、唐突に精神融合を解いた筈の『痛』から強制割り込みがかけられ、警告メッセージが送りつけられる。
同時に、『鳴陰』からも要警戒を促す鳴き声が発せられ、直の頭の中でいくつもの赤色灯を思わせるイメージが暴れ回り、一瞬よろめく。
「直太君、あれ見て!」
単がよろめいた直の腕を掴んで支えと、ロッカーの前に立つ男の向こう側に澱む暗がりに浮かぶ黒い染みを指差して声を鋭くする。
急激に収束してゆく魔素の気配。この世界に在らざる法則を顕現する、触れられざる禁忌。それは人が扱う術を持って行使すれば、魔術と呼ばれる物の源になる、因果律でもある。
「思ったより、強そうですなぁ。負けるとは思わんけど、楽勝って訳にも行かなさそうですよ」
頭痛を堪えるように囁く直を壁に寄りかからせると、単は廊下に飛び出し、ロッカー前の倉田に向かって疾走する。
「先生、逃げて‼」
最早、姿を隠す意味など無いとばかりに大声で警告をしながら、黒い服を纏った青年を廊下に突き倒す。
同時に黒い澱みの中から一条の煌きが走り、つい先ほどまで倉田の頭部があった空間を薙ぐ。
その軌跡を辛うじて捉えた単の瞳が再び澱みの中心点へと向けられた時、それは柔らかな輪郭を闇の中に浮かび上がらせ、漆黒のドレスを纏った少女の姿へと変貌した。
ゴシックロリータと呼ばれる喪服のように黒い、されど華美に彩られた人形の如き衣服。それを華麗に翻して、少女の姿をした『何か』は片手に持った鎌に視線を向けると微かに首を傾げる。
確実に切り裂くはずだった獲物の手応えを感じなかった事が『人』ではない存在に『人間』らしい行動を取らせているのだとしたら、それはあまりにも滑稽で冒涜的だった。だが、それは同時にこの怪異たる存在が確固たる『存在』としてこの世界に根付きつつある証拠でもあった。
「もしそうなら、コイツはアカン。
ホントに現界してしまったら、手の付けられへん殺人鬼になるで」
僅かに歪む視界の中で単の目の前に出現した『殺人鬼になる存在』に薄ら寒い予感を感じて、直の背中に冷たい汗が流れる。
そして、彼女が次の行動に移るその前に『549さん』は自分の足元に転がる二人に向かって再び鎌を振り下ろす。
ぬめりを帯びた銀光が、薄暗い空間を鋭く切り裂く。その死線から、自身と倉田を守るために単は手近に転がっていたスケッチブックを拾い上げげると両手で頭上に翳す。
いくら表紙が硬いとは言え、しょせんは只の紙の束でしかないスケッチブック等で大上段から振り下ろされる鎌を受けきれる訳がない。そんな事まで『549さん』が考えたかは定かではないが、勢いを緩める事無く腕が振り抜かれた。