Complex2 549さん1
御影直は寄宿舎でも仲の良い友人である桜井忍の発言を聞き違えたのかと思って、コーヒー牛乳のストローから口を離した。そして、目の前でニコニコと笑みを浮かべる和風美人の顔を、まじまじと見つめる。
たっぷり五秒以上の時間をおいてから、直はざっくりとマジックで書いたような、その少年的な容貌に怪訝そうな表情を浮かべて見せる。
忍はその仕草を見て意図を悟ったらしく、再度その口を開いた。
「ゴシックさんってご存知ですか?」
直はたまに町で見かける、真っ黒なフリフリドレスを頭に思い浮かべながら鸚鵡返しに答える。
「ごっしくさん?」
「いえ、その発音ではカタカナにも聞こえませんわね。数字の5、4、9で『ゴシックさん』ですわ」
人差し指をゆらゆらと振りながら説明をする忍に、直は顔を顰めて反論する。
「発音悪いんは仕方ないやん。
ボク、関西育ちやもん」
だが、忍は直のそんな関西人を貶めるような発言に、溜め息を吐いて首を振る。それは暗に発音が悪いのは地域性の問題ではなく、直の勉強不足にある事を指摘するものであった。
その意図には気付いたものの、直はあえて、それを無視して会話の続きを促す。
「それで、その『549さん』ってなんや? こっくりさんの親戚かい」
桜としては、直の成績の話に関して、もっと色々言いたい事があるのだが、自分から振った話題だけに続きを促されては、無視する訳にもいかない。小さく溜め息を付いて、忍は渋々と『549さん』について語り始める。
『549さん』は、虐められていた少女が自殺して生まれた妖怪である。
元々は、ゴスロリと呼ばれる服が似合う美しい少女だったのだが、心無いクラスメイトたちに、ただ綺麗というだけでイジメの標的にされ、数年間を過ごしたという。その内容は、聞くに堪えないようなものばかりで、少女の自殺後に作成された警察の事情聴取の担当官が、その残酷さに青ざめたとまで言われている。
その後、程なくして、少女の事件が忘れ去れようとした頃、彼女を虐めていたクラスメイトの一人が殺害されるという事件が起きた。全身を鋭い刃物でズタズタに切り裂かれ、細切れの肉片の中心に傷一つ無い少女の顔がポツンと置かれていて、側の壁には少女の血で書いたと思われる文字があった。
『あと、八人』。
『549さん』を虐めていた少女たちの数は、九人。殺された少女を除いた、その人数を示した言葉。それが何を意味しているのかは、明白だった。しかも、殺害に行われた凶器というのが、実は『549さん』が発作的に自殺した時に使用した、学校の草刈用の鎌だったというのだ。
残された少女たちは恐怖した。彼女たちには恐れるだけの理由があった。
だが、どれほど気をつけていようとも『549さん』の復讐を避ける事は出来なかった。一人殺され、二人殺され、殺人が続くうちに、少女たちは迫りくる殺意の予感に、次々と転校してしまった。
結局、『549さん』に殺されたのは五人。残りは四人。九人全員殺すまで彼女は諦めない。諦めることなどありえない。
だから、彼女は『549さん』。
そして、『549さん』は復讐のため、逃げた少女たちを追って全国の学校を彷徨い続けている。
要約すれば、こんな感じのよくある怪談話を長々と聞かされ、直はうんざりとした顔で言葉を放る。
「んで、結局それが何やの?」
しかし、忍は直の態度と言葉に、怪訝そうな顔をして首を傾げて問う。
「あら、直さんはこういったお話、お嫌いでしたか?」
「嫌いやないけど、脈絡が無いやんか。
食事時の話ちゃうで」
口をへの字に曲げる直に、忍はちょこんと頭を下げ、
「そうですわね、ごめんなさい」
と謝罪する。それを聞いた直も大人気ない事をしたかな、と思って頷いてみせる。
「でも、私、少しでも単お姉さまのお役に立てればと思っただけですの。悪気があった訳ではありませんのよ」
しかし、続けて発せられた忍の言葉に、またか、と直は頭を抱えたくなった。
単とは、彼女たちの一学年上に当たる織部単のことだ。そして、直にとっては、知り合ってからの期間は短い癖に、腐れ縁とも言えるような関係になってしまった友人でもある。
昨年、直がまだ高校受験に追われていた夏休みのある日、とある事情で彼女は直の故郷にやって来た。あの邂逅が、自分の人生に如何なる意味を持っていたのか。未だに直は結論を出せないでいる。
苦くて、辛くて、せつなくて、痛い。あの夏の数日間は、直にとって決して振り返りたくない禁忌だ。そんな直の複雑な思いと裏腹に、単の方はいたく直がお気にめしたらしく、その後もちょくちょくと連絡を入れてきた。色々と紆余曲折あったが、こうして東京の同じ学園に通うようになったため、一緒に行動する事が多かったりする。
そのお陰で、自分と単がデキていると言う噂が流れ、単とお近づきになりたいというお嬢さん方に絡まれたり、言い寄られたりとかしている訳で……非常に迷惑千万を被っている。
「つまり、単さんに伝えろと?」
正確に自分の思いを理解してくれた友人に、
「くれぐれも、よろしくお伝えくださいね」
と忍はにっこりと微笑を浮かべる。その笑顔に内包された逆らいがたい圧力に押されるように、直は思わず席を立つ。それを見た忍が、嬉しそうに笑みを深めるが、直は冷たく、
「ゴミを捨てに行くだけやで」
と捨て台詞を吐いて教室の前方隅にあるゴミ箱へと向かう。
そして紙パックをその真上に持っていった時、直ぐ真横の教室の扉が勢いよく引き開けられ、そこから現れた一人の少女が、目の前にいた直を見つけて満面の笑顔で話しかけてくる。
「あ、直太君! ねえねえ、『549さん』って知ってる?」
件の人物、織部単は至極あっさりと、直の儚い抵抗を空の彼方へと吹き飛ばす。
何とも言えない無力感に苛まれながら脱力した直の手から、紙パックが落ち、ゴミ箱の中でゴトリと音を立てた。