Complex2-8 凶つ呪言7
式神の放った一撃が、髪の長い少女の身体を捉える。
これまで幾つもの斬撃をかわされ、いなされてきたが、ようやく、その華奢な胴体に大剣が食い込み吹き飛ばす。
その手ごたえを、魔術的繋がりから我が身に感じて、男は思わず拳を握る。あの少女が魔術師だったことには、少々驚かされたが、使っていたのは身体強化の魔術だけ。精々、見習いか何かだったのだろう。
(運の悪いやつだ。才能もないのに、こんなところにくるからだ)
そう思い、式神の視線を少女の吹き飛ばれた方向へ向ける。
「さて。あれだけの勢いでぶつかったんだ。ミンチだろうよ」
自らの式神の破壊力に興奮気味の男は、その成果を微塵も疑っていなかった。しかし、男は式神を通じて見えた光景に、思わず声を漏らす。
「嘘だろう」
つい一瞬前まであった歓喜は失われ、何か冷たい感覚が背筋を這い上り始める。
先ほど、切り殺したはずの少女が立ちあがっていた。全身濡れ鼠で、纏っている制服の一部が切り裂かれているが、その下にある肌には傷一つどころか、痣すら見受けられない。
信じられなかった。石灯籠を壊すほどの勢いで叩きつけられた人体が、全くの無傷などと言う事がありうるのか。いや、ない。どう考えても、たとえ魔力で強化していたとしてもあり得ることではない。
悪夢のような光景に、裏社会で生きる男ですら思わず、ただ立ち尽くす。
その時、呆然とする男のポケットから微かな振動が発せられ、思わずびくりと身体を震わせる。それは携帯電話の着信を知らせるものであった。男が慌てて通話ボタンを押すと同時に
「いよう。お前、トンデモナイ貧乏くじを引いたな。そこにいる、黒髪の美少女ってのは、織部の後継者だってよ」
止まっていた思考に続いて、息まで一瞬止まる。
「そこから芋蔓式に出てきた情報なんだが、もう一人の餓鬼。お前、男だって言っていたな?」
電話先の相手は、何が面白いのか男の沈黙を無視して言葉を垂れ流す。
「お前のターゲットな。姉貴がいたよな? その学校の生徒会長さんが織部なんだと。で、笑える事にその友達って言うのが、その餓鬼なんだと」
「そ、れが何だって……」
言いながら、気付く。ターゲットの、桜井春馬の姉、忍が通う学園は中高一貫制の女子校だと言う事に。
「つまり、あの餓鬼が女だと?」
だが、良く解らない。それが何だと言うのか。
「最近、織部と一緒によく吊るんでいる相手、知っているか」
電話の相手は嗤っているようだった。彼の不運を嘲笑うかのように、声は続く。
「御影直。日本どころか、世界にも轟く、『傀儡師』の次期後継者様だとよ」
直後、男は電話を切り、逃走する事に思考を切り替える。
(勝てる筈がない。見つかれば、殺される)
冗談ではない。『影繰り』の二つ名を持つ魔術師を相手に、自分程度が太刀打ち出来る訳がない。
後ろ髪敷かれるが、今、あの場にいる式神は捨て駒にして、逃げる方法を考えなくては。
少しでも情報を得ようと式神の感覚に同調した時、それまで縁側で、ターゲットの姉の隣を動かなかったツンツン頭が唇をくいと上げて、笑う。
「見ぃつけた。今から、そっちに真っ黒黒介送るさかい、首洗うて待っとけや」
男は唇を噛みしめて、逃げられぬことを悟ったのだった。
「単さん! あっちの竹林の中や。真っ黒黒介連れてさっさと片付けてきて」
直は見つけた敵の位置情報を指示しながら、二階にいる筈の刹那を使うように言う。
「いいけど、この子はどうするの?」
鎧武者を殴り飛ばしながら首を傾げる単に、直はふてぶてしい笑みを浮かべながら答える。
「ボクが相手するさかい、心配は御無用や」
ゆらりと立ちあがると同時に、その肩越しに何かが飛び、鎧武者に突き刺さる。それはどこからともなく放たれた一本の矢であった。
「透利射っちゅうてな。御影の人形の中では遠距離からの奇襲に重宝されとる人形や。ちなみに本体はこの奥におるで。能力は見ての通り、障害物を透り抜けて放たれる弓矢ってとこやね」
傍らの忍に説明をしながら、直は背後に置いてあったトランクに視線を送る。その瞬間、トランクの内部から鍵が開けられ、一体の人影が立ち上がる。一見すると、単が闘っている相手と同じようにも見える鎧武者。
しかし、こちらは兜や具足周りに西洋甲冑的な要素が足されており、どこかチグハグな印象を受ける。
だが、そのどこか歪な人形は鈍重そうな外見とは裏腹に、軽快なフットワークで単と鎧武者の間に割り込むと、鍔迫り合いに持ち込むと力業で単から引きはがしてしまう。
「そいつは風飽違武。見ての通り、意外と身の軽い戦闘用人形や。あと、な。術者さん。アンタを見つけたんは、お空にいる鷹型の鳴陰やで」
こちらを見ているであろう敵の魔術師に、こちらも見えていることを告げる。
その指摘と同時に、式神の武者人形の姿がぶれ、鎧の隙間から黒い影のようなものが滲み出す。
その影を風飽違武が掴もうと手を伸ばす。しかし、影はその手をすり抜けると、凄まじい速度で一気に忍へと殺到し、その姿をなかば、覆い尽くしてしまう。
だが、それを見ても何ら動じることなく、直の笑みは皮肉の色を強める。
「はい。外れ。ボクが友達を危険に晒す訳ないやろ。忍もこれで危ないって解ったやろ」
その台詞が終わると当時に、忍の姿は掻き消え、そこには球体に細長い棒状の腕を付けただけのような不可思議な物体が浮かんでいた。そして主人の口上に合わせるように、部屋のやや離れた位置にいる本物の忍から、隠し身の魔術を解いてみせる。そして同時に、その球体に纏わりついていた影がはじけ飛ぶ。
「死繰司。もうお分かりの通り、幻術を操る人形や。んで、影を飛ばしたんはボクの風の魔術というわけや。っと、どうやらそっちも着いたみたいやし、あとは任せるわ」
暫し、時間は遡る。
鍔迫り合いを始めた二体の武者を尻目に、単は一っ飛びで一階部分の屋根にあがると、目の前の窓を開けながら声を掛ける。
「刹那ちゃん。準備はOK?」
その声に答えるように部屋の隅に踞っていた漆黒のセーラー服の少女が立ち上がると、緩慢な仕草で手にした魔術書を肩の位置に掲げる。
「よっし。じゃあ決着付けに行こうか」
単が魔術書に触れると同時に、その手の甲に紋章が浮き上がり、強化の魔力が流し込まれる。織部単が望むまま、六堂刹那の魔術書が、その力をありえないほど増幅させているのだ。
魔術書のページが独りでにめくれ、パタパタと音を立てる。そして、一拍の間をおいて、
「惨劇の舞台裏へ」
刹那の囁きのような詠唱と共に、二人の姿は掻き消える。
一瞬の、目眩にも似たバランスの喪失感ののち、最初に知覚されたのは、饐えた土の匂いとひんやりとした空気だっただった。
「な? 何だ、貴様ら、どこから?」
だらりとしたサマーコートを纏った男は、唐突に現れた二人の少女を驚愕と共に睨みつける。
「あの……屋敷から」
ごく素直に口にする刹那に、男は眼を見開いて叫ぶ。
「そんなバカな! この長距離を跳ぶような空間跳躍魔術など、あるわけが……」
「うん。ないけど」
さらりと答える単に、男は思わず絶句してしまう。
つい、今しがた、実行してみせたくぜに、それを否定する。
今がどういう状況であるのか、解っていても、魔術師として、その理由を知りたいと思ってしまう。其の性に彼は打ち勝てなかったのだ。
「ワタシが刹那ちゃんの魔術を強化しました」
えっへんと豊かな胸を張って反らす。と、その直後に身を震わせて小さくも可愛らしいくしゃみをする少女を、男は信じられないモノを見るような目でみやる。
「う、嘘だ! そんな、そんな事をできる筈が……」
他人の魔術を強化する。そんなことが可能なはずがない。そんなことが可能なら、この少女の一族の魔術はもっと発展していた筈だし、そもそも滅びる事はなかった筈だ。
「ウソじゃないですぅ。だってワタシ、ウソ付けないもん!」
唇を尖らせて、全く見当違いな怒りをぶつけてくる単に、男は更なる質問を返してしまう。このやり取りが致命的であると、解りながら、止める事ができない。
「ふざけるな! 嘘を付けない人間なんぞいるか! なら、貴様の魔術の弱点を言ってみろ!」
次の瞬間、単は大きく口を開けてから、すぐに唇をへの字になるまで力強く閉じると同時に、目までしっかりと閉じて、両手を握りしめる。
その光景に、一瞬男は茫然と仕掛け、直ぐにこれを勝機に変えるべく動いた。すなわち、桜井邸にいる最も弱い存在、忍を人質にしようとしたのだ。
だが、それは失敗に終わった。切り札の一つをあっさりとかわされた。しかも、どう足掻いても勝てはしないと、実力の差を突き付けられる形で、だ。
ならば、こちらはどうなのか。この間抜けな少女ならば出し抜いて、逃げ切れるのではないか。
そんな希望的な観測の通り、未だに単は目を閉じままプルプルと震えている。
全力で逃げる。それが、もっとも有効な手段だと気付いた男だったが、それは一足遅かった。
何故なら、この場に来てから一言しか発していなかった刹那が、感情の薄い声でその行動を遮ったからだ。
「無駄……なていこ、うは……しな、いで」
ゆらゆらと軸のない動きで歩み寄る漆黒の少女に、男は例えようのない嫌悪感と怒りを露わに、怒鳴りつける。
「きっ、貴様さえいなければぁっ!」
そう。全ての発端はこの少女。この少女さえいなければ、こんな事にもならなかったのだ。桜井春馬を殺して、今頃は次の仕事に取り掛かっていた筈なのに。
「飢餓の中で死した獣の怨霊よ! 疾く来りて贄を喰らえ!」
予め召喚しておいた犬神を模した式を解き放ち、刹那へと襲いかからせる。
「こら、ワタシとの会話中に何してるの」
だが、それは至極あっさりと、横合いから出てきた単の拳の一振りで簡単に受け止められて、その動きを封じられてしまう。
「思い、ついた……」
唐突な一言は、いつの間にか男の直ぐ目の前に来ていた刹那の口から発せられたものだった。
これまでの緩慢な動作が信じられないほど、素早く刹那の腕が魔術書を掲げ、告げる。
「惨劇に奔れ魔犬」
魔術書のページが勝手にめくれ、一気に中央近くまで開かれると、そこに記されていた文字が浮き上がり旋風を巻き始める。
そこから零れ落ちる魔力の残滓に、男は喉を引き攣らせ、更なる憎悪を迸らせる。
「六堂~っ! それは俺のっ!」
「そう……あ、なた……術。だった…モノ」
刹那の呟きと共に人を殺す為の呪詛は、産み手へと襲いかかった。