Complex2-3 凶つ呪言2
僕の通う学園では6月にオリエンテーションがあり、とある山間部の施設に二泊三日することになっています。
ごく普通に、何の問題もなく二日間を過ごして、帰宅するだけの最終日のことでした。
オリエンテーションの慣例に従って、施設の軽い清掃を命じられた僕等は、班ごとに分かれて周辺を掃除することになっていました。
正直、面倒だなという気持ちはあったけれど、オリエンテーション中にお世話になった宿を綺麗にしておくのも当然といえば、当然です。そう思ってしまえば、後は実行に移すだけでした。
小一時間ほど、友人たちと一緒に箒を手に掃除をしていた時でした。
集めたゴミの山の一部が、くるくると渦を巻いて浮き上がり始めたんです。
天気が崩れるのかと思い、空を見上げましたが、全くの快晴で、雲ひとつない青空が広がっているだけでした。
「おいおい。せっかく集めたのに散らかっちまうじゃないか」
そう言って、友人の一人が箒で旋風を振り払おうとした時、その箒の先が弾け飛びました。
明らかに自然現象とはかけ離れた、見えない動物にでも噛み砕かれたかのような不自然な損壊だったので、友人も頬を引き攣らせて、慌てて渦から身を引きました。
僕も、箒を壊してなお、速度を速めるそれが薄気味悪くて、思わず動きを止めてしまいました。
何か、良くないことが起きる。それは、どこか確信を持った予感でした。
「ちょと、やだ、こっち来る!」
同じ班の女子が悲鳴を上げて後退りすると、旋風はその子を追いかけるように動いたんです。
「こ、来ないで!」
悲鳴を上げながら、彼女は手にした箒で旋風を払おうとしたのでしょう。しかし、そもそもが非力で武道の心得もない女子が振るう箒など、それにとっては何の脅威でもなかったんです。
僕等は次の瞬間、自分の目を疑いました。竹を束ねた箒の先が鋭い爪のようなもので踏みつけられ、音を立てて引き千切られ、柄が見えない牙で砕かれ、折れるなんてモノを目撃したんですから。
そしてその見えない何かの動きに、箒を持っていたその子は、バランスを崩して地面に転がってしまったんです。
直ぐに、まずいと思いました。見えない何かの正体が何であれ、あんな無防備に転がる獲物を、獣が放っておくだろうか、と。
その予想通りに、旋風は獲物を狙う肉食獣のように力を溜めるかのような間をおいて、彼女に襲い掛かりました。
「やだぁぁっ!」
けれど、クラスメイトの少女の悲鳴が響いたその瞬間、その喉元へと迫っていた風の動きが唐突にとまり、何かに迷うように、ふらふらとその足元を旋回し始めました。
「えっ……?」
全員が何が起きたのかさえ理解できず、思わず顔を見合わせて、そのまま気を緩めそうになった時、旋風が再び勢いを増し始めたんです。先ほどとは比べ物にならないほどの、それこそ動物の唸り声のように音を立てるそれから、僕は僕に向けられる何かを感じて、咄嗟に左手に持った箒を槍のように旋風の中に突き込みました。案の定、箒は一瞬でその穂先を喪い、周囲にばら撒かれてしまいました。その時は何も考えられませんでしたが、せっかく集めたゴミを、自分でばら撒くなんて間抜けでしたね。
それはともかく、僕は動きの止まった旋風に対して、右手に握った鉄製箱型の塵取りを叩きつけました。
ぎょいん、といういささか間抜けな音と共に塵取りが歪んで、手が痺れました。
クリーンヒットしたはずです。そうでもないと、右手の痛みが報われない。そう思いながら、身体は何かに急かされるように、その場から飛びのいていました。
事実、それは正解でした。
僕がいたはずの地面に、穴が開きました。直径十㎝、深さは二㎝程。
何をどうすると、こんな風に、まるで機械で切り取ったような穴が開くのでしょう。少なくとも、自然現象で開くなんてありえません。その光景に正直、身体が竦んで動かなくなりました。
だって、あんなものが身体にかすりでもしたら、確実にそこには大穴が開くか抉れて、それこそ向こう側が覗けるようになってしまうじゃないですか。
そして、その恐怖を、この不可思議な現象が見逃してくれる筈もなく。
「ちょっと、ま……」
思わず、言い訳が口を衝いて出そうになりながらも、辛くも一歩だけ後退できたんですが、それが限界でした。もう次の一歩を踏み出すには何もかも遅すぎたんです。
渦を巻く旋風が迫りくるのをただ、認識することだけが、僕にできた最後の抵抗でした。
「惨劇に響け怨嗟」
けれど、どこからかそう呟く声が耳に届いた瞬間、目の前の旋風と同じくらいの突風が、僕の背後から奔りました。驚いたことに、その風は旋風に直撃するとその勢いをそぎ落とし、後退までさせたんです。
「なっ……」
旋風に突風がブチ当たるなどいう、怪奇極まる出来事を目の当たりにして、再び硬直する僕の背後から今度はハッキリと声がしました。
「惨劇に沈め」
瞬間、巨大な何かが僕の肩越しに伸びてきて、視界を覆い隠しました。思わず、仰け反ってその正体を確かめたんですが、それは先ほど以上に信じられない光景でした。
牙を生やした巨大な獣の顎。そうとしか言いようのない何かが、長い舌で旋風を絡め取り、一呑みにしてしまったんです。
「惨劇をその身に刻め」
ぐびり、と言う音がやけに寂しく耳に届くと同時に、顎はその姿を変え、縮まり、同時にその陰から、一体の影法師が姿を現しました。
それが、六堂刹那さんに救われた経緯です。