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虹を抱くフリーク

作者: 扉園

「彼女は世界一醜い女性として名を馳せていました。顔には黒い斑点が浮かび、横に裂けた唇は膨れ上がり、眼は落ち窪み、鼻は潰れている。手足は捻くれ、指一本に至るまで曲がっていたのです」

 穏やかな老女は両手を膝に添えながら静かに話した。

「道化衣装を着た彼女が表情を動かすと、おぞましい結果を引き起こしました。その容姿に恐れおののき、苦情を述べる者もおりました。もしくは彼女を見た後、自らの様相を思い浮かべ、聴衆はほっと胸を撫で下ろしました。――彼女みたいにならなくて、良かった、と。人々は彼女の事を〝時代錯誤のフリーク(アナクロニスティック フリーク)〟として呼びました。奇形者に対する風当たりは緩和されてきたとはいえ、二十一世紀初頭は偏見が残っていたのです」

「そう。彼女が問題提起してくれたのにも関わらず、今でもそれは解決していません」

 畏まった若い男性の声。灰色の背広を着ており、小柄な身体をしゃんと伸ばしている。黒髪を横に撫で付け、ラテン系の鋭角の鼻と顎、薄い唇を引き結び、神経質そうに正面を見据えている。

 シックな色合いに統一され、感じの良い印象を受ける部屋。落ち着いた重厚感のある調度品。カーペットは短毛の茶。南側に正方形の窓があり、レースのカーテンが掛かっている。それらは由緒正しいものではないものの、粗悪ではない。一世紀前程前に主流だったデザインの物ばかりだ。

 二人は机を介して椅子に座っていた。机上には二つのティーカップと、小型の録音機が置かれている。和やかに微笑む老女は、醜い女性――マリアに対する唯一の証言者であった。老女の父親が彼女の知り合いだったのだ。男性はそれとなく左手の棚上にあるデジタルフォトを見た。初老の男性と端整な顔をした女性、髪を束ねた淑やかな女性の三人が映っている。眼前にいる老女の両親と本人だ。婦人は彼の目線に気付き、手元にあった操作盤をスライドさせた。写真がすっと変化する。

「見た事はおありでしょう」

 カラフルな衣装に身を包む酷く歪んだ姿。両腕を持ち上げて足を交差させ、半分崩れた容姿で小首を傾げて微笑んでいる。男性は軽く身震いをした。

「――ええ。彼女は至る所に足跡を残しています。教えてください。彼女に対する断片的な文献はある。だが、情報は何も語らず、素性は何も分かりません。一九世紀のカスパー・ハウザーのように謎に包まれているのです。このままでは二十一世紀の不可解の代名詞、フリークスの象徴です」

 七十歳を超える婦人は父の意向により、永遠に口を閉ざすつもりでいた。慎重に言葉を紡いだ。

「私としても多くを知りません。それに、彼女は永遠の未知性、不可解性を望んでいました。私が語る事は神秘の欠如を意味します」

「語れる範囲で構いません。どうか教えてください」

 女性は彼の瞳の奥をじっと覗き込み、悪戯心のこもった笑みを浮かべ、机にある地味な機械を指し示す。

「伝説は記憶で継がれるものよ」

 男性はすぐに録音機のスイッチを切った。鞄にそれを仕舞い、背筋を正して相手を見据える。女性は暖かい紅茶を一口飲み、真実の扉を開ける事に決めた。

「――本心を隠そうと、別人になろうと被る仮面。人はそれを身に付けます。彼女は仮面そのものでした。いえ、顔と同一化した仮面でしょうか。彼女は表裏一体であり、その隙間でした。マリアが生まれた地は分かりません。フランスの何処かと予想されるものの、確かな事は不明です。人種はゲルマン寄りだと思われます。彼女はフランスのフュブレーヌにある孤児院で育てられました。これは父の推測ですが――その容姿の為、両親が孤児院に託したのでしょう。先天的に醜い彼女は生まれながらの道化でした。小さい頃から自らの特性に気付き、存分に利用していました。彼女はアルレッキーノやプルチネッラ、ヘルメス、ロキや神話的タブーを犯す女性らと類似しています。神威的なトリックスター性を有していると思うのです」

 男の緊張した肩がぴくりと動いた。一字一句聞き漏らすまいといった態度だ。老女はリラックスした声音で先を続けた。

「彼女は面白がって、フランス語、イタリアやドイツ、英語をまぜこぜに喋っていました。孤児院には様々な人種がいた事と、その蔵書が豊富だった事が要因と考えられます。孤児院の問題を彼女は解決しました。子供達の喧嘩をおどけて仲裁したり、飼っていたインコの怪我を介抱したり。けれど、それより多くの問題を彼女は持ち込みました。嘘を付き、友達を泣かし、物をくすねました。一番の問題事は火の不始末を起こした事。それにより孤児院は一時経営困難にさらされました。マリアは孤児院で肯定と否定という二つの態度に出会いました。肯定者は哀れがり、手術と真っ当な生活を勧め、否定者は気味悪がり、束縛と追放を勧めました。どちらも彼女にとっては余計なお世話でした。マリアはこの世全てが煌き、歪み、反射し、まだら模様に見えたのかもしれません」

 老女は膝にかけたブランケットをつまみ、少し持ち上げた。それは格子模様をしていた。

「道化師と出会ったのはマリアが十五歳の時。孤児院に慰安の為にやってきた。その滑稽さ、衣装、仕草、口調、芸当、表情に魅力を感じ、きらきら輝いて見えた。と彼女は語っていたそうです」

 相槌を「ほう」と打つ男性。気持ち身を乗り出し、真剣に話を聞いている。

「持っていた僅かな資産を投げ打ってマリアはパリへ飛び、一人で興行をしました。孤児院との関係は希薄で無かったものの、全く未練は無かったようです。彼女は人や場所に執着しませんでしたから。――二十世紀初頭のカーニバルで現れる道化の衣装に身を包み、ジャグリングをしたり、おどけて見せたり、様々な芸当を行いました。楽器にも堪能でした。ラッパやスネアドラム、タンバリン、カスタネットなどで節を付け、台詞の合間にそれらを鳴らしました。まるで道具に意思があるかのように、それは上手に行うのです。失敗さえ彼女にとっては芸であり、愉快さの元でした。指や足が曲がっていたので、技を操るのは相当骨が折れるようにみえます。血の滲むような努力が裏にあったのだろうと最初は考えておりました。ですが、彼女はそれを天性として行いました。貴方は彼女のパフォーマンスを見た事がおあり?」

 男性は「ええ」と頷き、マリアがミラノで興行をしている場面を動画で見た事を伝えた。足元には楽器や小道具が散らばっている。曲がった身体からは想像もできないしなやかな動き。彼女が動く度、多色な衣装が煌くのだ。滑稽で、不気味で、優雅なパフォーマンス。男性は声を潜めて言った。

「彼女の動きは独特で、魅力的でした。古代と現代の踊りが融合している。古代の演劇の動きと、モダン・ダンスを感じさせます」

「上手い表現ね。――でも、最初は上手くいかなかったのですよ。醜い容姿の女性の道化。舞台やイベントに出演できるはずもない。路肩や公園、駅前でパフォーマンスを行っていました。野次馬が見に来ても賞賛の声など上がらず、冷ややかさと批判、同情のミックスされた声があがりました。奇形者の見世物小屋は二十世紀には廃止となっております。彼等にとって、フリークの道化は毒物のようなものでした。テレビで障害者が紹介されただけで、差別と感じる民衆。彼女の存在は過去の忌わしい見世物のように映ったのです。批判の声が周囲から上がりました。子供の影響に悪い。誰にやらされているかは知らないが、こんな古臭い事は止めろ、と。こんな事をせずに、整形手術をして顔を直せばいいではないか。今の技術なら真面な顔に治せるはずだ。という一方的な同情の声もありました。心底の善意で言ったとしても、彼女にとっては偽善の風でしかなかったでしょう。彼女はおどけた笑みを浮かべて聴衆に言ったそうです。『私は自らの欲望に忠実です。貴方たちのように洗練されておりませんから。止めようと思った事はありません。どうか容姿に驚き、この道化師を笑ってください。ただし、哀れんだり否定したりするのはお断りです』と」

「障害を持つ者にも自由はある。一般者に溶け込ませようとするのは間違いだと僕は思います。民衆は異形を面白がるのに、自らの普遍性を振り上げてそれを塗り潰そうとする」

「私もそう思うわ。――彼女はパフォーマンスをし続けました。周囲から注がれるのは偏見と侮蔑、同情と賞賛。同じ文句を浴びながら、彼女は列車や船舶、時には航空機を使って世界をめぐり、自らの容姿を晒してまわり、様々な人々や文化に触れました。そして彼女の意向を察し、支える者が現れるようになったのです。父もその一人でした」

 デジタルフォトに映る快活な男性を一瞥し、老女は両指を組んで椅子にもたれた。

「父が彼女と会ったのは、今から八十三年前、父が二十六歳の時。マリアは二十歳くらいだったと思います。父はその不可思議な存在に心を打たれ、興行を手伝おうとしましたが、彼女は断ったと言います。――しかし、数年後に父は彼女のパトロンとなりました。マリアはよく話し、よく笑いました。外見は世間の基準では酷く醜い姿でした。しかし、それ以上に魅力的な女性でした。掴みどころがなく、神秘的で、時に人を欺き、時に信頼を寄せる。あらゆるものを嘲り、あらゆるものに優しくする。旅とパフォーマンスと芸術をこよなく愛し、彼女の話しぶりは多くの者を惹きつけました。大胆な彼女は時にナイーブになりました。自らの人生に対する嘆きではなく、もっと些細な事――食事が不味かった、此処は暑苦しい、服に染みが付いたなどと愚痴を零すのです。神の奴隷は大変なの、と彼女は小首を傾げました。一つの場所に決していない、言うこと成すことがころころと変わる、目まぐるしい人だった、と父は言っていました。プラスとマイナスの中間に漂う存在。彼女は人々に大きな驚きを与え、大きな輝く粒を残しました」

 過去を見る目となり、女性は紅茶を一口飲み、ブランケットを腰当たりまで引き上げた。

「ある日、マリアは放送局の取材を受けました。一切素性を語りませんでしたが、そのパフォーマンスと容姿は全国に放送されました。彼女は一躍有名になり、無理解が飛び交い、興味が突き刺しました。彼女を知らない人は殆どいなくなりました。ただ、放送局が民衆に攻撃されました。彼女の醜い姿は余りにも刺激的だったのです。テレビ関係者は謝罪し、大きな打撃を被りました。しかしそれにより、彼女の仕事はずっと増え、パフォーマンスはインターネット上で瞬く間に広がりました。彼女は一気に時の人となり、雑誌やネットの記事で取りざたされ、一目見よう、愛を伝えようと遠方から興味本位を抱えた多くの者が押しかけました。有名俳優と精通している、という根も葉もない醜聞もあり、根拠の無い様々な噂が立ちました。もちろん、それらを彼女は相手にしませんでした」

「放送に関しての文献がありました。彼女への無理解さから、それらの噂は全て現実であるかのように書かれていました」

 老女は困ったように微笑んで「悲しい事ね」と呟き、言葉を紡いだ。

「他の障害者から批判が上がりました。一般者に溶け込もうと努力している者もみえます。自分は普通だ、と暗示をかけています。彼女は奇形の逸脱性、特異性を浮き彫りにさせ、世間の異常に対する警戒を強めてしまうのです。彼女は障害を抱える人の敵意を一心に浴びる形となりました」

「これこそ悲しい事です。障害を取り払おうとする社会に適応するには、瘤を取り払わなければならない」

「ええ。しかし、彼女は数日間で得た資金の全額を、異常を持って生まれた者の支援として使ったそうです。まだ遺伝子異常の解明が進んでいなかったから、多くの者が救われたと思いますよ」

 その話に、驚いた表情を浮かべる男性。

「知りませんでした」

「匿名で医療機関へと送っていたようですから。マリアにしては珍しいでしょう?」

 老女はそこで思い出し笑いをした。

「そうかと思えば興行で得た収入を恵んでください、と言ったホームレスを拒んだり、父から借りたお金を返さなかったりしたそうです。ある時は貨幣をばらまき、こう歌ったそうです。お金とワルツを踊ろう。泣き、笑い、怒り、右往左往しましょう。絆も愛も紙の上。互いの手足を縛り、ぴょんぴょんと跳ねて転ぶ。さぁ、お金とワルツを踊ろう。――とね。大混乱が起こったのは言うまでもありません。彼女にとって、財産も道化の一部であったのでしょう」

 男性は苦笑いし「その光景を見てみたかったです」とぼやいた。少し考え、思い付いたように老女は続けた。

「聖母の名と同じなど名が汚れる、という声が上がった時にはマリアは大笑いをし、夫ヨセフと釣り合いがとれるでしょう、と冗談を零して聖書の一節を口ずさみました。一部の民衆は怒り狂ったのは想像に難くないでしょう?」

「寝取られ男と聖人は紙一重ですね」

 そうコメントした後、男性は愉快そうな声を出した。

「そう、僕はパンドラに扮した彼女がパフォーマンスを行う動画を見ました。カラフルな色彩をしたトーガを纏い、彼女は神話の一節を歌いながら、箱を持ってくるくると踊っていました。物語が最高潮に達し、パンドラは神からの贈り物を開ける。箱から出てきたのは――」

「十数匹の蛙!」

 若者と老女は揃って笑い声をたてた。それから女性は知っている限りの逸話を彼に話した。男性はどれも興味深そうに、楽しそうに聞いた。ひとしきり逸話を終え、彼女は紅茶を飲む彼を見つめ、ゆっくりと口を開けた。

「今までに沢山の方が醜い女性として蔑まれてきました。一九世紀にはジュリア・パストラーナという者が世界で一番醜い女性と呼ばれていました。彼女は容姿こそ崩れていたものの、性格は非常に穏やかで社交的、博識で器量良し、趣味はダンスであったと言われています。それ故に人気が高かったそう。グレイス・マクダニエルズという女性も同様のタイトルを持っていました。二十世紀には小人や巨人、奇形の女性が多く世に出てきました。――しかし、マリア以上に称えられ、批判された女性はいないでしょう。彼女は二十世紀初頭に生きていたらフリーク・ショウの看板的存在に、もう少し遡っていたら核心を突く立派な王の従者に、更に遡っていたら魔女裁判の犠牲者になっていたのかしらね? 紅茶のおかわりは?」

 ありがとう、結構です。との返答だったので、老女は話を先に進める事にした。

「世間には廃れというものが付きものです。あっという間に流行りは終わり、彼女は注目されなくなりました。異形の女性は時代錯誤から時代遅れのレッテルを背負わされました。その事を彼女は気にも止めていなかったようです。雑多なものが減って残ったものは輝く存在ばかり。砂を洗ったら金の粒を見つけた気分! そう言って、逆に喜びの素振りさえ見せました。彼女は変わらずに全国を周り、パフォーマンスを行いました」

 男性は一度身震いをして、感嘆の声を上げた。

「視点が素晴らしいですね」

「そう。辛辣な批判を受けても、彼女はこれを利用して道化の種にしていました。世間に忠実になる事はなく、潔く裏切ってくれます。風刺(カリカチュア)精神を存分に発揮し、彼女は様々なものを道化に取り込みました。金の粒――確かにマリアは正しい。父と一部の者達は彼女を支持し続けました。それがあって彼女は世界の旅を続けられたのです」

 老女は眉根を潜め、複雑な表情を浮かべた。

「マリアが三十歳になった頃――父はオパールのネックレスを渡したそうです。彼女はそれをとても喜んだと言います。オーストラリアのライトニングリッジで彼女の消息が知れなくなったのは程なくしてから」

 彼は驚きの表情を浮かべて「そうなのですか」と囁いた。

「ええ。父は土地中を周り、彼女の軌跡を探しました。異常な姿をした女性が切り立った岩谷に入っていった、という情報もありました。その付近を虱潰しに捜索しましたが、有力な話は得られず、彼女がどうなったのか父にも分からず仕舞でした。彼女は風船が弾けたように、掻き消えてしまったのです。父はマリアの行方を最期まで気にかけていました。垣根を飛び越え、異界へ興行しに行ったのだろう、と寂しげに冗談を言っておりました。――私が知っているのは、此処まで。格子模様のカラフルな服を着た、曲がった身体の気紛れな女性は、いつまでも神秘のヴェールに包まれているのです」

 老女は冷えてしまった紅茶を口に含んだ。それから台所からポットを持ってきて温かい紅茶を注ぎ、強ばった身体で椅子に座り直した。男性は丁寧に感謝の意を伝え、フォトフレームの中で飄々とするマリアを今一度見た。その目には羨望の光が煌めいている。

「僕も、彼女のような魅力的な方に会ってみたかった」

 老女は柔らかに微笑んだ。

「貴方はアルレッキーノ役ですよね」

 男は大きく目を見開き、やがて小さく溜息をついておどけるように肩を竦めた。

「ばれてしまいましたか」

「あら、分からないと思って? 私は貴方のファンなのですよ。先月上演したコンメディア・デラルテを拝見しました」

 再び心からの礼を伝えてから、彼はこう続けた。

「彼女のようにはとてもなれません。僕は演じないと道化になれないのです。舞台の上に立てば僕は道化。だが、顔に道化の仮面を被っているだけ。そのシフトに酔っているだけのように感じます。彼女はその境目を容易に行き来している。醜悪と美、愚と叡智、単純と複雑、現実と異界の境目の住人なのです」

「オパールになってくださいね」

 不思議そうな表情を浮かべる男性。軽い笑い声を立てて、老女は言葉を残した。

「父はよく言ったものです。彼女は遊色性がある美しいオパールのようだ、とね」


 



 長い長い年月を経て、大氷河期がおとずれた母星は寒気に覆われた。

 水の惑星と言われた面影はもはや無く、凍てついた空気は乾燥し、大地は荒涼としている。海面は急激に下降し、むき出した大陸の多くが氷に包まれた。また、太陽が膨張し、有害な宇宙放射線が雨のように降り注いだ。そこら中で火山爆発が起き、地震が頻発した。人類は地球に住む事を諦め、月や火星や木星、金星、ガニメデなど様々な星にコロニーを作り、四方へ飛び散った。中には太陽惑星外へ飛び立ち、不通になった者もいる。人類が宇宙の何処まで進出したかを把握できる者はいない。

 極めて少数の者は地球の地下に残ったものの、大多数の人類が母星を手放した今、新たな生態系が根付いていた。氷と宇宙放射線に苛まれた過酷な世界で適応し、懸命に生きようとする命は、最早人間から離れた存在だった。だが、見捨てられた地球に降り立とうする者もいた。丁度、簡易宇宙船の搭乗口から出てくる二名の男性もそうだった。

「畜生、オリクト。相変わらずだな。味気なさに寒気がするぜ。うおっ……!」

 強烈な突風が吹き付け、二人は氷に這いつくばった。耳元でごうごうと灰色の空気が叫ぶ。

「安物の宇宙服が機能停止しないかヒヤヒヤするよ」

「モノトーンから輝く代物を見つけなきゃあ。そうすれば最高級の宇宙服が買えるぜ」

「その前に酒に消えるだろうが。マアデンさんよ?」

「少しくらいは余るだろう。その分で仕事着を工面しようや」

 二人は大笑いをした。彼等はフリーの宝石採掘師であり、博物館や市場に売って生計を立てている。南半球にあるオセアニア大陸と呼ばれていた場所あたりはライバルの縄張りも無く、自由に採掘ができた。

 歴史や考古学、人類学、地質学などの学者、採掘師やアーティストといった自由人、器物投棄者や生物の密輸者などの不法に近い者だけが、地球を訪れる。彼等は各々の貴重品を掘り当てている。金や銀、宝石であったり、化石やデータの一部という歴史的財産であったりする。それらは非常に高値で取引されている。

母星に戻ってコロニーを形成する計画も出されているものの、当面採用されないだろう。白く褪せた死の世界と化した地球は、既に遺品の採掘場となっており、厳しい環境が彼等の行く手を阻んでいるのだから。

「さてと、仕事を始めるとしますか」

 マアデンは大型のレーザーカッターを肩に背負い、眼前の断崖を眺めた。

 約五百万年前の地層。この頃はあらゆる技術が未発達で、人はあらゆる苦しみを背負って地べたに這いずっているしかなかった時代。車と列車は排気物を吐き出し、航空機は欠陥だらけ、事故も珍しくない。渋滞が萬栄し、人々はすし詰めで顔を付き合わせる。宇宙へ行くのは命懸けで、月へ向かうにも恐ろしい年月を有する。医学も科学も殆ど解明できておらず、不治の病が時に地を席巻し、遺伝子欠陥も治せない。

 全く、不便でしょうがない時代だ。

 二人は大型のレーザーカッターと掘削機を使って慎重に岩を切り崩していく。化石と宇宙服は非常にデリケートだ。それらが傷付けば値打ちが下がる上に、命を失う。二人はその危険性に酔っている節があった。慣らされた惑星には無い、危険な作業。採掘ロボットや大型重機を奮発して買わない理由もそこにあったのだろう。

 しばらくの間、二人は仕事を続けながら取り留めもなく喋っていると、何か輝くものがオリクトの目に入った。瓦礫を払い、目を凝らす。

「オパールだ」

 慣れた手つきで機器を使用して周囲の石を取り払った。滑らかな丸いブラックオパール。指の第一関節くらいの大きさで、青と緑に黄の斑点が付いている。加工された痕があるので、装飾品として使われたのだろう。金属部分は残っていない。炭素年代測定を試してみたところ、約一億六万年前にできたオパール。白亜紀だ。加工されたのはおそらく五百万年前と予想される。質はまずまずであっても、相当な年代物なので裕福な連中は我先にと飛びつくだろう。いい物を見つけた。二人は目配せをしてにやりと笑い、黙々と掘削作業を進めた。簡単な昼休憩を済ませ、オリクトが大きな欠伸をした時、マアデンは何かに気付いた。

「おい」

 相棒を招き、問題の箇所を親指で示す。そこに、つるりとした表面がある。人の頭蓋骨の化石のようだ。二人は化石部分を傷つけないよう、慎重に掘り進めていく。双方の緊張はいやに高まり、時間だけが過ぎていく。マアデンは頭蓋部から、他方は足先の検討を付けて採掘を続ける。過酷な環境下での作業は骨が折れたが、やがて全身が現れた。

 二人は息を呑んだ。化石となった人骨は背を軽く丸めて蹲った形をしており、両足は交差している。両腕は胸に当てられていて、ちょうど心臓部となる場所がオパール化していた。偶然ケイ素が入り込んだ事によって、人骨の胸部が宝石となったのだ。オリクトは慎重にオパールの表面を磨く。光の屈折によって様々な色――赤をベースにオレンジ、黄色、緑、青が踊っている。色褪せた地球には眼の冴える程鮮やかな色彩。

「綺麗だな」

 目利きの二人は希少価値が最上のオパールだと気付いた。古代にはヴァージン・レインボーと名付けられていた宝石。この古代人の化石の値打ちは計り知れなかった。マアデンは分析器を人骨に照らした。口笛を吹き、「女性だ」と呟く。オリクトは滑らかな頬部分を優しく撫で、微笑みを浮かべた。


「虹を胸に秘めているとは、彼女は目も眩む程の美人だったに違いない」



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