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マテリア・プリマ 〜島と美術と錬金術〜

作者: 近衛モモ 

 


 この物語はフィクションです。

 登場する地名・人物名・団体名等は、実在のものと一切関係ありません。



   ☆★☆




 この世の中に、『錬金術』なんてものを知っている人がいれば挙手。


 言葉くらいは聞いたことがあるかもしれない。なんだったか、そういうタイトルの漫画も流行ったことあるし。

 『金』とか『不死の薬』とか、そういうものが欲しくて頑張っていた人達というイメージが、一般的か。



 だが、それだけじゃない。

 錬金術とは、物質の生態ついて深く知ること、その目的のために、外の世界との関係を完全に断ち切ることを本来の目的としている。


 らしい。

 

 そして外界と魂を断ち切った結果、より魂が研ぎ澄まされるのだそーで、錬金術の最終的な目的は、魂の霊的に高い段階への変化であるらしい。


 わからん。ところで。


 唐突に意味のわからん長文失礼。

こんな話しをしている俺自身が、錬金術師の生まれ変わりであると、比較的最近知ったばかりなのです。


   ☆★☆



 七月某日。

 なだらかな海上を、フェリーは進んでいた。

 振動はほとんどない。海に浮かぶ島々が流れるように動いているのを見て、かろうじて船が進んでいることがわかる。

 青い空に潮の香り。

 この船は今、島に向かっている。

 島には大小あるが、全部で七島。今そこで、『国際芸術祭』なるものが催されている。

 百を超える芸術作品の数々が、七つの島やそこに向かう港、特設展示場なんかに展示され、公開されている。

 島に活力を取り戻し、かつ国際的交流もしようという、一石二鳥の企画だ。島にある作品の中には、海外の芸術家が手がけた作品も多くあり、鑑賞客にも海外からの来場が目立つ。

 異文化理解でも、国際交流でも、国際恋愛でも、し放題だ。

 こういうオープンで平和的な催しが開催されているご近所で、核ミサイルが飛び交っているというのは、どういうことなんだろうな。

 ちなみに鑑賞費用は三千円程度で、フェリーの船賃を足すと五千円を少し超える。

「はーあぁ。」

 高校生の俺には痛い出費よ。

 財布を見つめて、ため息をつく。俺の名前は風見優雅。芸術には全く縁のない男子高校生だ。

 それでも小遣いをはたいて俺がフェリーに乗り込んだのにはワケがある。

 始まりは一ヶ月ほど前だった。



   ☆★☆


 学校から帰ってくると、机の上には見慣れない小包が置かれていた。

 差出人の名前も、会社のロゴらしきものもなく、シンプルすぎる真っ白なパッケージだった。大きさは国語辞典くらいか。ちょっと分厚い。

 何事だろうと、しばし悩む。

 このシンプルすぎる真っ白な包装は、中身がわからなくしてあるのかな? 

 ひょっとして、エッチ系か?

 いやいや、買ってないよ。濡れ衣だよ。俺の部屋に運んだのは誰だ。父さんのじゃないのか。

 と、しばしアタフタ。

 詐欺的なものである場合、開封済みだと返品できないとか言われて、そのまま金をふんだくられそうだからな。

 しかし、考えている俺の目の前で、


 ズボッ!


 と音をたて、何かが内側から包みを破く。

 まさかの俺の許可無く自主的に包みの中身が出てくるパティーン。

 そして小包から現れたのは、見たこともない一匹の鳥だった。

 包みを突き破ったのは嘴で、破いた部分からヨタヨタと這い出してくる。小さい。

 雀くらいの大きさだ。体は全体的に、鉛のような鈍い銀。作りもののように見えるが、羽を広げてキチンと飛んだ。

「わあ、まさかの生き物が入ってるオチだよ。てゆーか、これ何? ハト? とりあえず窓閉めといてよかった。」

 とかいう言葉が思考を過る。

 しかし生き物を小包で送っていいのか。そもそもこの包み、本当に送られてきたのか?

「この部屋には昇華の器具もなんにもない。」

 という声がして、ドクンと心臓が跳ねた。

 銀色の鳥は、翼を懸命に動かして、俺の頭の上を旋回している。聴こえた声は少ししゃがれた、お爺さんみたいな声だ。

 合唱コンクールの練習した後の俺の妹も、こんな感じの声を出すけど。

「そして、これが今の器。実に貧弱そうだ。」

 また声がした。

 包みから出てきた銀の鳥は、まるで俺を観察するかのように、旋回をやめない。嫌な予感がした。

「もしかして、喋っているのって、この鳥か…?」

 こんなことを口にしている時点で、高校生として大丈夫かと疑われそうだが。しかし、俺のその言葉に、空中の鳥はニヤリと笑ったのだ。



   ☆★☆



 結果、俺の嫌な予感はあたっていたわけだが。

 フェリーは風に押されて、快調に波の上を滑っていた。

 俺はため息と共に視線を手元へ落とす。左手の薬指には、ひったりと銀の指輪がはまっていた。

 これが全ての元凶となった、あの箱に入っていた物質だ。

 つまりあの箱に入っていた変な鳥。それが今は指輪の姿で、俺の指にからみついている。

「簡単に信じられる話しじゃない…よな。」

 この指輪…もといこの『物質』の名前は銀。

 正確には『ARGENT』と書いてアージェントと読むらしいのだが、生憎と俺は横文字になれてないので、『銀』と呼んでいる。

 銀は喋れるらしく、姿形も自在に変えられる。…らしい。

 それは随分と昔に生きていた錬金術師に関係があるとかで、俺がその錬金術師の生まれ変わりであるとかで、そのせいで俺のもとに銀が魔法の小包で届いてしまった。…らしい。

 どこから届くんだろうな、魔法の小包って。

 そして俺は銀の願いにより、俺の前世である錬金術師『マリア・プロフェティサ』さんの後任として、銀をより『高次』な物質に作り変えてあげなければならない…らしい。

 その為にはたくさんの道具や能力者を集めなくてはいけない…らしい。

 その道具の中の一つが、この『国際芸術祭』に出品されている…らしい。


 …らしい、のだ。


 ホントなのかね。

 しかし、実際に銀は俺の部屋に届き、喋ったり、あれこれ姿を変えている。

 それをこの目で目撃しているので、疑ってかかっても仕方ないのか。かくして俺は、今月の小遣いをすり減らしてフェリーで揺られているわけだから。

「優雅」

 名前を呼ばれて、反射的に指輪を押さえた。

 あたりを見回す、幸い傍には誰もいなかった。風の強い甲板には、そもそもあまり人がいない。

 ぽつぽつと姿を見る人達も、家族や恋人と海上のゆりかごを楽しんでいる。

 俺はそっと押さえていた手を離し、同時に小さな声で言った。

「人がいるところでは、いきなり喋るなって言っただろ。」

 すると指輪がムクムク膨らみ、それはやがて複雑な形状をとり始めた。熱されたかのようにグニャッと形が崩れたかと思うと、一つのまとまりに突起ができる。

 やがてそれは、ヤモリの形に落ち着いた。

「そうは言ってもな、優雅。」

 とヤモリは口をパクパク。

「形を保つのにも体力が必要なんだよ。」

「それ、どうにかならないか?」

「これが、どうにもならない。」

「あらそう。」

 全体的に鉛のような銀色のヤモリは、尻尾をズリズリ引き摺りながら、俺の手をつたって転落防止の手すりへ渡った。

 手すりの向こうは船がたてる白い波。こんな小さなヤモリなんか、あそこに落ちたら探しようがない。

「気をつけろよ。」

「なぁ、優雅。島まであとどのくらいだ。」

 人の忠告くらい聞けよと思いつつ、パスポートを取り出して開く。

 手帳より一回り小さいサイズの紙には、島の簡単な地図や作品一覧、フェリーの時間帯などの情報が載っている。

「港から島まで約一時間。もうすぐ着く。」

 と言ってやれば、銀は短く返事をして、波を見つめていた。落ちないといいんだが。

 銀曰く、俺は錬金術師の生まれ変わりらしいが、果たして何ができるものなのか。真偽はともかく、生まれ変わりとかいうチートな設定を後付けするのなら、能力も何かつけてくれたらいいのに。

 生まれた時から俺は、運動嫌いで、勉強も中の下という、一般的なモブでした。せめて英雄だったり勇者だったりしないのか。

 今時、村人でも魔物でも主人公しているご時世なのに。

「そういえば、銀。この『国際芸術祭』に出品されているとかいう道具って、具体的にどういうものなんだ。」

 いずれにしろ、どうせ退屈しているだけの高校生活なので、俺は銀に言われた通りに行動している。

 銀という物質を、さらに『高次』な物質にする、というミッション。具体的にはどうしたらいいのか、全く見当はついていない。

 銀を一回溶かしちゃって、鉄とかアルミとか混ぜればいいのかな。

 あるいは、銀をコストにして何か召喚するという手もあるが。

「『アルデル』という、陶器の小瓶だ。錬金術の処理工程において使われていた。」

 とマトモな返事がくる。声だけ聴くと、銀はだいぶお爺さんのようだ。

 やっぱり、錬金術師なんてものが存在している時代の人だから、結構なお歳なのか。

 いや、人じゃないけど。

「『アルデル』ねぇ……。」

 小瓶となると、予想とは随分違う。仰々しいものが来るよりはいいが、特徴がないと探しにくい。

 ともかくも再びパンフレットを開き、作品一覧のところを確認する。季節が悪いのか、フェリーの甲板は風が強い。

 海風に暴れる小さな紙を押さえながら確認するのは一苦労だ。

「陶器…陶器…」

 パンフレットに目を落としている間にも、銀の説明が降ってくる。

「お前の前の魂の持ち主マリアが、特別な造形士に作らせた物だ。美術的な価値も高い。」

 この芸術祭に出展されるのは、近代に作られた新しい作品ばかりじゃない。中には美術館やら博物館やらにあった、いつ誰が作ったものだかわからないものも出品されている。

 その『アルデル』とやらの所有者が誰であるのかわからないが、この芸術祭に出品されている可能性があるらしい。

「アルデル…アルデル…」

 タイトルしか載っていないとはいえ、どれもこれも字面から理解が追いつかない。やっぱり俺に芸術は理解できそうに無いな。

「アルデルなんて作品はないぞ。」

 というか、題名しか載っていないので、どれが小瓶やらわからない。

「最終処理工程『凝華』に使われていた器具だ。別名『賢者の卵』とも呼ばれている。」

「…なんだって?」

「『賢者の卵』」

 銀の返事を聞き終わった直後、俺はパンフレットをヤモリの鼻先に持っていった。

「……あった。」

 作品一覧の一番下の欄に、「蓮戸美術館出品」の文字とともに、明朝体で『賢者の卵』と書かれていた。

「なぁ、銀。」

「なんだい。」

「俺、今思わずゾクッときた。」

 自分が錬金術師の生まれ変わりだったとかいう話しは、未だに信じきれないけれど。

 それでも、こうしてパズルのピースが合うかのように、銀に言われた手掛かりが繋がる瞬間に立ち会うと、ゾクゾクする。

 俺の中の何かが沸き立つ。これが好奇心てやつなのか。

「好奇心は錬金術に必要な着火材だ。」

 と銀がボソリと口にした。

 その時、船の中に到着を告げる放送が入った。

 目前に島の港が見えてくる。『国際芸術祭』の赤いポスターに彩られた港は華やかで、港にはすでにたくさんの人が集まっていた。

 フェリー乗り場には、荷物を積んだトラックや観光バスが何台も停まっている。バスごと船で運ばれてくるのだ。

 とても海に浮かぶ孤島とは思えない賑わいになっている。

「おりるぞ。」

 甲板をおりる俺の横を、手すりをつたってヤモリがチョコチョコとついてくる。客室の脇を通り過ぎるところで、ヤモリはぴょんと俺の腕に飛びついた。

 尻尾を器用に丸めて俺の腕に巻きつくと、瞬く間に銀の腕輪に姿を変える。

 便利な体だ。



   ☆★☆


 

 船をおりてすぐ、港の前の道路を一本渡る。混みあった港を離れてから、地図のついたパスポートを取り出した。

 たった今おりた港を基準に、地図の向きをあわせる。

 この島の道は迷いそうな場所が多い。道自体は複雑に絡みあっていないのだが、細くて小さい道が多いのだ。しかも道かと思って入っていくと、家と家の間だったりする。

「目印になる建物を常に見つけておいた方がいいかもな…」

 とか考えながら、地図に視線を落としていた時だった。

「ユーガ!」

 後ろから聞き覚えのある声がした。

 振り返ると、そこに立っているのはサクラだ。

 紹介しておかねば。刃麻サクラは俺の中学時代の数少ないトモダチの一人だ。

 短い前髪、明るい茶髪。着ているのは黒い和服に足下は涼やかな下駄。相変わらず、独自のファッションセンスを貫いている。

「サクラ。」

「久しぶりだね、ユーガ。」

 変わりなく屈託ない彼女の笑顔。

 その隣にはもう一人。二歩ほど引いた位置に立つ、同じく俺の数少ないトモダチ。

 不機嫌な顔に学生服。太陽の下でギラギラと自己主張する数々のアクセサリ。こちらも中学の頃から変わらず、貴金属に囲まれている。

「美島も一緒か。」

 美島警護。サクラと並んで立っているなんて、今日はなんだ、同窓会なのか。

「久しぶりだな、美島。」

「あぁ。」

 と短く返ってくる。

 口数少ないところも、変わってないようだ。二人共、会うのは中学二年で別れて以来。随分久しぶりに思う。

 太陽は斜め左上にあった。

「なんで二人ともここにいるんだ。」

「なんでって、住んでるからだよ。中二で別れたから、三年ぶりくらいだね。」

 中二でサクラは引っ越したんだ。

 美島も知らないうちにいなかったというか、美島はそもそも学校にあまり来ないというか。

 確かサクラが先にいなくなってしまって、後を追うように美島も姿を消したような気がする。しかしまさか、同じ場所にいたとは。

「ユーガはこんなところで何してるの? 観光?」

「そんなとこかな。」

「芸術祭なんかに興味あったんだねぇ。」

 サクラが物珍し気に言うのも無理はなく、俺は昔から美術の成績は悪かった。何をすれば褒められたものなのか、芸術の点数基準はよくわからなくてな。

 他の教科もまんべんなく成績が悪かったので、これまで気にしたこともなかったが。

「今日は、ちょっと探しものだよ。」

 とりもつように口にすれば、今度は後ろで美島が反応した。

「探しもの?」

 と問い返してくるので、頷いて返す。美島が反応するとは珍しい。アクセサリ以外に興味を持つところなんか、はじめて見たぞ。

 都合よく心地良い風が吹くので、三人並び、背中を押されて歩きだす。腕輪をコツコツ叩いて、サクラたちの同行を銀に合図した。



 島の空は快晴だった。

 坂道をダラダラ歩く。どこにいっても観光客が多い。

 波が堤防に当たって砕ける音が聴こえていた。海が近い。歩き始めてすぐは、三年越しの懐かしさで、サクラとあれやこれやと昔話をした。

 そんな俺達の後ろを、美島が黙って着いてくる。なんかこの感じ、実家に帰ったような安心感がある。

「この『国際芸術祭』、随分前から頑張って準備してたんだ。」

 そういえば、サクラの親は美術関係の仕事をしているとか、聞いた事あったような。今日まで忘れていた。

「サクラは今、何をしてるんだ?」

「観光案内とか、親の仕事手伝ったりとか、かな。なかなか楽しいよ。海外から来場されるお客様とかもいて、最近はジワジワと英語も勉強中。」

「なんか、サクラが立派に見えてきたよ。」

「興味本位でやってみてるだけだよ。あ、それと、ケーゴは美術館で夜勤バイトだよね。」

 クルッと振り返ってサクラが後ろ歩き。少し遅れて歩いてくる美島に声をかける。

 と、一つコクンと頷き無言の肯定。

「美術館で夜間警備だって。」

「向いてそー。」

 と言ってみたものの、美島の有事の際の行動力がいかほどのものか、俺は全く知らないが。顔怖いから、美島はそれだけで威嚇力ありそうよ。

 本人は眠いだけだろうけど。

 しかし、こうして同じ年のはずの二人がしっかりと自分の思うように生きていることを見せられると、内心焦らずにはいられない。

 俺はなりたい職業どころか進学も就職も、そんなのは先の話だと蔑ろにして生きている。成り行きというか、その時になったら何か決まるように世の中なっているのでしょうと。

 だって、そうでなければ、どうすんだ?

 俺みたいに何もない奴は。

「それで、ユーガの探し物ってなに?」

 とサクラに問われ、ふいに話しが戻ってくる。

 そうだ。

 今日の本題はそっちだった。

「えーと、訳あってある美術品を探していてな。『賢者の卵』っていうらしいんだけど……たぶん、陶器の小瓶だと思うんだ。」

「それなら、マテリアルシアターかなぁ。」

「マテリアルシアター?」

 サクラが俺の手から地図を抜き取る。

「シアターは島の端の、一番高いところにあるんだ。」

 とサクラの細い指が紙面をなぞる。確かに島の端には建物のマークがついていた。

 ここに銀の探しているものがあるのか?

「ホントは、そこまでバスが出てるんだけどね。有料だし、せっかく久しぶりの三人一緒だから、歩いていこうか。」

 と、サクラが軽快に言うので。

 てっきり近いのかと思って二言返事をした。



 実際はかなり遠い上に坂は急。

 しかも激坂が螺旋で上がっていくというもので、ひたすら前かがみになって俺は歩かされたのだった。



 島の坂道ナメてた。

「しかも崖の下はすぐに海だし、潮風気持ちいいけど怖かった。」

 と俺が銀に報告したのは、マテリアルシアターと名のつく美術館をサクラや美島と見学し、ホテルに帰ってきた後だった。

 マテリアルシアター。

 島歩きに慣れたサクラや美島の後をついて坂道を登っていくと、やがて建物が減る代わりに木々が増え、林のような場所に入っていく。

 その頂上にあるのがマテリアルシアター。サクラ曰く、材質にこだわって作られた美術品だけを集めた美術館らしい。

 事実、置かれているのは絵画ではなく、彫刻や造形品がメイン。陶器もガラスも大理石も、もちろん木造りのものもあった。

 国際芸術祭にはこういった、それぞれテーマを持った美術館が点在しているらしく、美術館の中だけではなく、道端にもそこかしこに美術品が並べられている。

 ので、道端の美術品には見えない妙なオブジェも作品だったりするらしく、迂闊に形を損なえない。

 あ、失言か?

 失敬、俺は芸術はよくわからんよ。

 まるで違う世界に迷い込んだみたいに、何もかもがオモチャのように見えた。遊び心を詰め込んだような島だ。

「いい部屋だ。」

 とホテルでくつろぐ銀の腕輪。

 今はベッドに投げ出してある。

「お前、くつろいでいる場合か?」

 シャワーを浴びて出てきたばかりの俺は、タオル片手にその腕輪に話しかけた。スーパーシュール。

「俺の腕に引っかかっていただけだけど、ちゃんと見てたのか?『賢者の卵』、確かにあったぞ。」

 サクラに連れられやってきたシアター。

 一階は、入って左手に巨大な魚のオブジェ。

 針金で作られていたそれは、高さ三メートルほどで、その横には作品を見ながら上がっていけるよう、一段一段に作品が飾られた階段。

 二階は部屋一面に無数の台座が整列し、その上に作品が展示されていた。壺も花瓶も、お皿もある。お面も、オブジェも。

 一つ一つがケースに入れられ、作品名を書いたプレートがつけられていた。

 その中の一つに、確かに『賢者の卵』はあった。

 芸術がわからない俺に言わせて見れば、「品のいい醤油差し」とでも言えばいいのか。ガラスケースにしっぽりとおさまった、薬瓶ほどの大きさの小瓶。

 梨型をした瓶の側面には、びっしりと細かい記号が彫ってある。一体何を書いてあるのやらさっぱり読めないが、紀元三世紀に錬金術に使われていたというのは確かなのだろうか。

 古めかしく、こぢんまりとして目立たない。他の作品のように、造形手が浮かんで来ないのだ。生気がない。

「あれは、本当に銀の探していた小瓶だったのか。」

 と問えば、

「間違いない。」

 と返ってくる。

 こいつは人の腕に巻き付いていただけだが、ホントに見ていたのか。

「仮に美術館の人に頼んだって、譲ってもらえないと思うけどなー。」

 他人事のように口にしてみれば、銀は唐突に黙りこむ。

 銀曰く。

 俺は錬金術師の生まれ変わりらしく、銀に物質的な変化をもたらしてやらねばならないらしい。

 だが高校生にできる限界はたかが知れている。子供のように振る舞う訳にはいかないが、大人のような責任能力もない。

 実際に形を変えたり喋ったりする物質というものを目にしてしまったので、言われるまま、銀に付き合ってここまで来てみたけれど。

 とはいえ、俺にできるのはここまでかな。

「あの瓶はどうしても必要なのか?」

 と今度は別の質問を投げる。

「ああ。」

 と短く肯定。

 俺もベッドの片隅に座った。

「銀は俺に『より高次な物質』に作り変えろとかいうけど、それって本来、俺に生まれ変わる前の人…が、やるべきことだったんだろ。」

 その人がもう亡くなっているのだから、諦めたらいいのに。

 平成に錬金術を求めるなよ。

「彼女がやるべきことというよりは、彼女との約束だ。」

「ん?」

「姿形を変えるだけではなく、『物質』そのものを変える錬金術。その完成は、彼女と交わした最後の約束だ。」

 お爺ちゃんみたいな声なので。

 銀が話しているだけで、長い昔話を聞いているような気にさせられる。

 約束。

 ということは、彼女が亡くなった今も、銀は彼女が成せなかったことを、やり遂げたいのだろう。

 冷静に考えたら錬金術が流行っていたのは随分昔なのだろうし、その頃からずっと約束を忘れないでいた銀は、相当に律儀だ。

 想いの強さを感じる。

 銀はただの物質ではなく、生きているということだ。

「……なんだかなぁ。」

 そんな話しをされると、なんとかしてやりたいような、モヤモヤモヤ。

 あの瓶を、3Dコピー機的なもので量産するのではダメなのか。

「優雅。」

 ややあって、銀がおもむろに口を開いた。

「あの瓶は錬金術に欠かせない道具だ。なにより、この先、必ず必要になる。優雅がとってきてくれないか。」

「とってくるとは、具体的にどうするんだ。」

「人のいない時間に入って、気づかれないようにとってくる。」

「あぁ、とってくるというか、盗ってくるのね?」

 それ犯罪。

「できるわけないだろ、だいたい、すぐにバレるし。」

「優雅は自分が変幻自在の『マテリア・プリマ』の所持者であるということを、忘れているだろう。」

 と言って銀の腕輪はグニャンと形を崩した。フライパンの上のバターのように、まずは溶けて形を崩す。

 それから大きく三つの膨らみができて、それぞれ羽と頭になった。

 初めて銀と会った時に見た形。鳥だ。全体が鈍い銀色をした鳥。

「侵入も逃走も空からだ。大丈夫、誰も気がつかない。」

 鳥の姿になった銀がそういった。

 なるほど銀は変幻自在。なんとなれば、美術館の扉を開ける鍵にもなれたりするのかな。

 それなら証拠を残さず、必要な物だけを盗って来られるか。とはいえ銀には説得力があっても、俺の方には行動力がない。

「そう言われましても。」

 と言いよどむ。

 ホテルの一室は、しばし沈黙した。



   ☆★☆



 結局。

 断りきれなかった。

 すんません。

「ホントに空から行くのかよ。」

 眼下には島の起伏や建物が、シルエットで見えている。

 俺達からも地上がよく見えない高さなので、おそらく地上の人々からも俺達のことは明確には見えていないはずだ。

 酸素はあります。

 目立たないように黒いシャツとボトムスに着替えた俺は、銀に後ろ襟をくわえられ、空中ライドしていた。

 足の下には何もない。

「さんむい。」

 ガクブル。上空は風が強い。

 銀が何も言わないので、それは一人言に終わった。銀は今、俺を口にくわえているので喋れないのだ。

 そして懸命に羽をばたつかせ、ホテルから昼に訪れたマテリアルシアターまでの道のりを辿っている。

 なんの都合が悪かったのか、ふいに銀が俺をくわえたまま急上昇。夜闇の中、星にぶつかりそうな位置に飛びあがった。


 雄大だ。

 芸術祭の開かれているこの一帯は、何も広大な大海原という訳じゃない。島に周囲を囲まれた中にある海だ。内海だ。

 だが、夜空から見下ろすと美しい。広い海に浮かぶ島々。それがここから一望できた。


 黒い海に、月明かりを照らし返す光が、スパンコールのように瞬いている。海の黒より一段階濃い黒のシルエットで、点在する大小の島々。


 俺もサクラに聞くまで知らなかったけど、どんなに小さな、地図に載らないような島々にさえ、全てに名前がついているらしい。

 およそ地元民が見かけでつけた名前だそうだが、言い変えればここに浮かぶ島は一つ残らず、島民に愛され、島民の暮らしに密接に関わっているということになる。

 

 世界中のどこを探してもここにしかない、内海の多島美。

 限られた海の中に、気ままに浮かぶ島の光景。

 それがここにあった。


(綺麗だ。)

 木の部分は一番濃い黒で、島の大地は、それよりほんの少し薄い黒。誰かこの夜景を鉛筆画で表現してくれないかな。

 無理か。

 何はともあれ、再び銀が高度を下げて、気が付くとマテリアルシアターの真上に来ていた。

 この島は七島の中でも特に形状に特徴があるらしい。故に坂が多い。

(ホントに来ちゃった。)

 銀に同情したといえば、そうだし。

 自分の前世云々に対する好奇心といっても、そうだ。

 ただ、心臓だけは冷静に「道を誤りかけている」と認識していて、呼吸の調子が悪くなってくる。

 息苦しい。この辺で引き返しておかないと、戻れなくなると察している。

 気分よくない。あぁ、空中ライドに酔ったのか?

「銀、降ろすなら屋根の中央に頼む。斜めになっているところはちょっと。」

 とか銀に指示を出している自分とかいて、怖い怖い。なんで俺も乗り気だよ。

 しかし屋根なんか乗るの普通に初めてだな。

「案外に早く着いたよ。」

 と銀が口にした時、ちゃんと俺を屋根の中央あたり、一番高い位置に降ろしてくれていた。四角く平らになった部分があるお陰で、足下が傾かなくて何より。

 昼間に見て覚えていた通り、屋根は一部硝子張りだった。

 そこから中を覗き込む。結構な高さだ。美術館二階のフロアが見渡せる。

 閉館後の美術館を見るというのも、変な気分だ。

 月明かりが差し込んでいるお陰で、どうにか目当ての物までは辿り着けそうだが。

「銀、ここからはどうする?」

 空から来たので、なんとなく屋根に降りてみたけども。

 とかなんとか言っているうちに、傍らで羽ばたいていた銀がハンマーに姿を変えて、硝子の上に落下した。


 ガシャーン!


 と派手な音。

「エエェェ!?」

 いきなり派手にいったな。

 銀が屋根の硝子を割った。侵入口を作ってくれたようだ。

 しかし何故、唐突に突き破ったかな。

 大きな音の後はややあってから、下の方で硝子が床に落ちる音がした。硝子とともに落ちたはずの銀だけが、また鳥の姿になって帰ってくる。

「なんで、いきなり硝子割っちゃうの。びっくりしただろ。しかも銀さん、これじゃあ、証拠残るよ。」

「物質なら修正がきく。」

「そーなのか。」

 つまり割った窓を塞げるということか。

 やっていることは犯罪だ。

 だが、その事実とウラハラに、内心盛り上がってくる。

(悪いことして盛り上がるなんて、悪い子。)

 ここまでやったら、もう掴まるワケにはいかない。万が一にもそんなことになれば、サクラにも迷惑がかかるんだ。

 自分に強く言い聞かせた。

 銀に再び鳥の姿になってもらって、館の底までゆっくりと下りることにする。

 硝子を割ったところから、月明かりが落ちていた。さすがに二階部分全体とはいかないが、丁度よく『賢者の卵』がおさまったガラスケースを照らし出していた。

「すごい壮観。」

 ゆっくりと建物の中へ降りる、再び空中ライドだ。高さがあって、余計に怖い。

 不思議なことに、そこが美術館には見えない景色だった。

 月明かりに照らされ影は青い。床には無数の台座が整然と並び、その上に作品が飾られている。

 まるで海底の珊瑚礁だ。

 赤や紫も見えるが、全体的に青みが強い。

「まるで、海の底に沈んでいくみたいだ。」

 銀の嘴にくわえられジワジワと下降しながら、そんなことを口にした。

 丁度、割れた硝子あたりが水面だとして、その上には真っ黒な夜空が見える。

「金属の滑らかな表面の光沢は、月明かりでより艶めくよ。」

 と銀がシワシワした声でいった。

 さすがに銀は物質に詳しい。

 銀が懸命に羽を動かし、真っ直ぐ直線的に降りてきたのだ。地面に足をつくと、すぐに駆け出して展示ケースに近寄る。

「人が来る前に、『賢者の卵』を回収しないと。」

 所詮は下調べも何もしていない、衝動的な犯行だ。全ては運と、銀の能力と、俺の行動力にかかっている。

 これでも過去に校内ドロケイ大会で三位だった実力なんだが、何か経験を活かせるだろうか。

 目の前の台座、高さは俺の腰辺り。その上に小さな小瓶が乗せられ、鍵付きケースで保護されている。

 鍵あるのね、やはり。

「これ、叩き割ったら警報とか鳴るんでないか?」

「おや。手がかかった仕掛けだ。」

 銀がまたグニャッと鳥から姿を変えた。細長い棒状のものが、俺の掌に落ちてくる。それにはとても見覚えがあった。

 というか、日常的に使っている。

「タッチペン?」

 DSとかスマホとかで使うやつ。

 あぁ、いや、鈍銀なのでそう見えてしまっただけで、タッチペンではないのか。銀がタッチペンを知っている時代の人とは思えん。

 てか、人じゃねえ。

「ペン。」

 と無難なところで解答すると、ペンがカクンと腰を折った。あってたようだ。

 そしてペンが自ら握れと言うので、そこからはペンの言う通りに動く。

「ケースに、あるシンボルを描きつける。」

 と言われてペンをケースに押し付ける。

 ローマ字のZによく似たマーク。銀曰く、実際に錬金術に使われていた印とのことだが。

「こうか?」

 言われた通りにペンを動かし、どうにかそれらしい印が描けた。ペン先をケースから離す際、インクが溜まったような、「ぎゅぽん」という音がする。

「溶解」

 銀が、というか、タッチペンが喋った。

 そして自ら、たった今描いた印の真ん中へ、再びペン先を押し付ける。少し、俺の腕が引っ張られたようになった。

 次の瞬間。

 ガラスケースが俺の目の前でジュワーと溶けた。シンボルを描いたところを中心に、液状化して垂れ下がるという具合だ。

「溶けた……!」

 溶け方、エライ気持ち悪いな。

 なんだが、漫画でよくあるような、毒で建物が溶けたりするようなシーンに似ている。ケースが溶けたことで、今や遮るものはなく、クリアに『賢者の卵』が見えた。


 なんかガラス溶かしたんですが?


「銀、こんなこともできるのか。」

 すごいじゃなーい。何故、最初に言わない。

「当然だ。銀は全ての物質の形無き原子の姿。様々な物質へと姿を顕在化させる変幻自在の『マテリア・プリマ』だ。」

 お爺ちゃん、わかりません。

「それに、銀は月の象徴でもある。」

「月?」

 上を見上げた。

 月明かりが大地を突き刺すように降りている。今となっては溶けてなくなったガラスケースに代わって、『賢者の卵』を包み込むようだ。

「……あぁ、月のエナジーで元気満タンで、それですごいこと出来ちゃった、てわけ?」

 とザックリ解釈すれば、

「月下にあらば、いつでも力を発揮できる。今のは錬金術を応用した魔術だ。」

 と返ってくる。

わからないので、とりあえず頷いておこう。魔術と錬金術って言葉似てるけど、意味違うんだな。

「わからんけど、便利だから、まぁいいや。」

 剥き出しとなった小瓶に触れる。冷たくてなめらかな表面。まるで月を撫でているようだ。

 薄暗いので細部まで見えないが、文字が彫られている部分は凹凸でわかる。

 ボトムスのポケットにねじ込んだ。

「よし、帰ろう!」

 撤収しようか!

 速やかにな!

 天井のガラスを割った時に、銀は「物質なら修正がきく」と言っていた。今みたいな魔術があるなら、開けた穴は塞いで証拠隠滅できるということか。

 だとしたらもう、チャッチャカやって、サクサク帰ろうか。

 人がきたら面倒になる。

 と。

 思っていたら。


 コツ、コツ、……


 と靴音が、廊下の向こうから近付いてきた。

「あ、やば…。」

 身を翻し、『賢者の卵』が置かれていた台座の裏へと隠れる。

 俺に続いて銀も、タッチペンから鳥に姿を変えて、数回羽ばたき俺の肩にとまった。

 それとほぼ同時に、展示室の入り口あたりで足音は止まる。

「誰かいるのか?」

 聞き覚えのある声。

 話し声が聴こえてしまっていたらしい。懐中電灯の明かりが、キョロキョロと室内を見回す。

 警備だ。

 台座の裏で懸命に息を止める。背中に嫌な汗が流れた。

 そっと台座から顔を覗かせてみるも、何しろ相手は懐中電灯を持っているので、眩しくて顔がハッキリ見えない。

「気のせいか?」

 だが、わかる。この声は美島だ。

 さすがに友人の声を聞き間違えたりはしない。今から数時間前、昼間に聴いていた声だからな。

「まずいぞ、美島だ。ど、ど、どうする。」

 そういえば、警護が警備の仕事をしてどーとかこーとか、昼間にサクラと話していたっけ。いずれにしろ美島が相手では、顔出しただけで即アウトだな。

「空へ逃げるかい。」

「待て待て待て。飛んでるとこを見られたらアウトでしょ。」

「では、どうするかね。」

「それを俺が聞いてる。」

 という不毛な問答の最中に、美島はついに五メートル先まで迫ってきていた。

 そして、どうやら溶けたケースに気が付いたようだ。

「うわ、マジかっ。」

 と結構、素な反応をする。可愛いな。

 しかしそれもそのはず、ケースの中の展示物が一つ、失くなっていることは明白だ。

 広い展示室とはいえ、いつ見つかってもおかしくはない、この状況。ガッツリ小瓶も持っているし、何より美島に突き詰められたら、白状せずにいられないだろう。

 いきなり、ピンチ!

「銀、なんとか逃げないと…」

 ここで逃げないと。俺の後の人生まで、メチャクチャになるだろう。

 そんな嫌な想像が頭をよぎった。

 俺が警察のお世話になって、悲しむ両親や妹。だとか、やだ、リアルな想像をしてしまう。

「そこに、誰かいるのか?」

 そんな想像をしているうちに、ついに迷走していたライトの明かりが、ピカッと俺の顔を照らした。

 台座の真下にいたから見つかるのも無理はない。というか、この場で見つかるなという方が無理か。

「まぶし。」

 と片腕で目を覆う。

 おかけで顔は半分隠れていたはずだし、昼間とは服装も違う。それでも、やはり美島には目ざとくバレた。

「ん?」

 ん?

「ユーガ?」

 そうだよ?

 そうだよ。ユーガだよ。


 くああああああああ。

 見 つ か っ た。


「あ……、あの、美島…」

 とりあえず、見つかったので立ちます。ゆっくりと、震える子鹿のように立つ。

 美島にはどう映っているのだろうな。真夜中の美術館で、展示物を物色していた、俺。

 なんでよりにもよって美島がいるんだ。

 ツイてないにもほどがある。

 警備の制服に身を包んでいても貴金属だらけな美島が、俺と目を合わせた。

「ユーガ…。お前が、ここにあった展示品を?」

 尋問するような美島の声や口調に、心臓が瞬間冷却される。

 出しかけていた弁解の言葉が、ヒュウッと喉の奥に沈んだ。

「あ、いや…」

 掠れて声が出ない。俺のこの喉の調子の悪さは、とめどない罪悪感からくる。

 これ。

 なんて言い訳したらいいの。よりにもよって、中学時代のお友達相手だぞ。

「ちが、その、訳があって……」

 言い淀んだ俺に、しかし美島は意外な反応を見せた。ふいに先程までの驚愕の表情が消え去り、平静な色を取り戻す。

「そうか。」

 と口を開く。

「ユーガは覚醒したか。」

 なんだか、親戚の引っ越しの話を聞いたかのような程度のリアクションだ。言葉の意味はわからないが、美島は動揺などしてないない風に見える。

 知り合いが美術品泥棒を働いている現場を、目の当たりにした直後の、この瞬間にだ。

「覚醒…?」

「つまり、『マテリア・プリマ』を受け取り、錬金術師としての自覚が出たんだろ。」

 と言われて。

 一拍。

「ええええええ!?」

 そんな普通に知ってるんかーい!

 俺が錬金術師の生まれ変わり云々の噂って、広がっているのか。

 てゆーか、そんな一般的に錬金術って知られてるのか?

 扱いが安いな。

「み……しま、それ、知ってたの?」

 俺の呆けた顔が面白かったのか、美島が今度は笑いだす。

 あれっ。こいつ、笑えたの。

「ごめんごめん、だいぶ前から……俺は、知ってたよ。見ればわかるし。」

「そうなの?」

 俺の肩の上で、銀が落ち着きなく羽ばたいた。そして俺の頭の後ろに隠れるような動きをする。

「彼は錬金術師の血族だ。」

 銀のシワシワした声が、耳元で聴こえる。

 すると、美島の目が銀を捉えた。

「それがユーガの相棒か。確か『アージェント』は変幻自在だったな。『マテリア・プリマ』という特別な名を冠する唯一の物質だ。」

 とスラスラ美島の口から頭良さそうな発言が溢れる。

 なんなの?

 お前、実は頭いいの?

 てゆーか、血族いるなら、そっちに銀が届くべきだったのでは?

「知ってたなら訳を聞いて欲しいんたけど、諸々の事情でこの小瓶が必要なので、見逃してくれまいか。」

 と、美島に、ちょっと期待して言ってみれば。

 ふいにすぐ傍まで迫った美島に、頭にポンと手を置かれた。並ぶと美島の方が背が高いのです。

「ダメです。」

 と現実的な響きを持った言葉が来る。

 天窓を割ってしまったので、さすがに駄目か。

「ユーガがいつか『アルデル』を盗みに来るかなとは思ってたけど。それを止めるのが、俺の仕事だ。」

「それは警備の仕事の話しなのか、それとも、錬金術に関わりのあるお前が、個人的な用事で見逃してくれないのか。」

「両方です。」

 両方か。

 うん、それは困った。

「美島は錬金術師の血族とか、本気で言ってるのか。」

「俺は昔から家がそんな感じだったからね。ユーガを巻き込みたくないから、しばらく黙ってたけど、銀はやっぱりそっちに届いたか。なら俺達は今日から、敵同士だ。」

 あまりにもアッサリ言うから、本気かどうか判断し損ねた。

 美島が軽く腕を振ると、美島の手首にはまっていた腕輪が、勝手にスポンと抜けて宙に浮く。

 なんか日頃、色んな姿で動き回る銀を見ているので、驚き損ねる。腕輪勝手に動いてるよ、美島くん。

「ユーガ、逃げる準備を。」

 こんな時に銀が喋るから、何を言われたのか聞き逃す。

「なんだって?」

「彼は魔術を使う気だ。彼の方が持っている物質もはるかに多い。ここは引くのが懸命だ。」

 物質? 

 抽象的なその表現に、美島が持っている大量のアクセサリのことだと理解する。

 美島がずっと錬金術に対する知識を持っていたのだとすれば、ジャラジャラつけているあのアクセたちは、単なる飾りじゃないのか。

 アクセサリとしてではなく、魔術に使う『物質』として集めていたなら、確かに数ではかなり負けている。

 とか、そんな考えがよぎった。

「精製」

 今度は美島が何か口にして、手で何か描くように動かす。すると美島の腕を勝手に離れた腕輪の方が、クルクル回転し始めた。

 闇に浮かび上がる、光る矢印のような記号。美島が指で虚空に描きつける通りに、空中に図形として浮かびあがる。

 それはおそらく魔術で、さっき俺がガラスケースを溶かしたのと同じで、もっと言うと美島はそれを、ペン無しでできるということだ。

「美島……?」

 ひとまずは、後退して距離をとった。銀は俺の肩から羽ばたいて、空中をバタバタする。

 やがて、宙に浮く美島の腕輪から風が突然、吹き出してきた。その風圧に押し倒されそうになったくらいだ。

「銀、これってなんか、まずいのでは、」

 美島が俺の知ってる美島じゃないぞ?

 と喋っている最中に、周囲の台座がギシギシ軋む。ガラスが細かく割れて散らばった。

 腕輪からでてくる風はいっそう強まり、風の流れが白い煙のような帯になって見える。

「精製は精霊を作り出す魔術。これは風の精霊だ。」

 冷静な銀の説明。

 台座に飾られている作品が、ガタガタ揺れている。そのせいか陶器などが触れ合うようなカチャカチャいう音がうるさい。

 服が風に叩かれて揺れる音。風の唸り声。

 局地的強風だ。

 腕輪から出てきたのは、『暴風』だった。

「風ー!」

 風の中で風と叫ぶ。

 銀が風の精霊を美島が精製したとか言っていたが、精霊といってもゲームにでてくるような露出過多なお姉さんではないようだ。

 空中でクルクルしている美島の腕輪。そこから流れ出ている強い風。やがてその風が展示室の中央付近で竜巻のようなものを作り出す。

 その竜巻の上の方には黒い影があり、なんとなく目や口に見えなくもない。精霊というか、竜巻そのものだな。

「ユーガ、後ろに。」

 銀が盾に姿を変えて立ってくれるが、風は全方向から叩きつけてくるので防ぎきれない。

「美島が容赦ないの。」

 ケースごとガタガタ揺れている作品たちは大丈夫なのか。いや、今心配すべきは自分のことか。風圧にさらされ、まともに立っていられない。

「ユーガ。動けないなら、その『作品』は返してもらおうか。」

 五メートルほど先に大きな竜巻。さらにその後ろには美島が立っている。昼間まで普通の友達だったのに。

 なんだ、このアニメみたいな展開。

 ゆっくりと、靴音を響かせて美島が迫ってくる。盗んだ小瓶を奪うつもりだ。

 あ、いや、あくまで盗品なので、取り返そうとする美島が正しいのだけど。

 俺はどうするの。

「銀、この風で飛べるか。」

 あっ、今気が付いた。

 強風という攻撃の真意は、銀を飛べなくして俺を逃さないためか。ひい。美島なんなの。頭よかったのお前。

「やってみよう。」

 盾からパッと姿を変えて、銀は俺の後ろ襟首をくわえて飛び立った。風圧で目が開けられない。体が風に遊ばれてグラグラ揺れる。

 さぞ運びにくいことだろう。

 ごめんな銀、俺が食べるだけ食べて重たいばっかりに。

「最初に割った窓から外へ!」

 とか、銀に指示だけだす俺。役立たず!

 床から離れていくと、風が空気を切る音が遠ざかっていく。

 行儀よく並んでいた展示ケースをまた上から見下ろす形になった。風がおこした竜巻の大きさに、改めて驚く。

 銀が懸命に羽ばたいて天井近くまできたが、竜巻はいっこうに頭が見えない。

「美島…」

 竜巻の傍らに立つ美島。こちらを見上げて微笑んでいる。

 美島が錬金術についての知識を持っていたことだとか、簡単そうに竜巻とか召喚しちゃったりとか。

 驚かされることばかりだけど、今何よりも驚いているのは、俺が彼のことを何も知らなかったってことだ。

 遠くなっていく美島の立ち姿が、微笑みが、目に焼き付いた。




 外に出ると、体に触れる空気の温度が変わる。

 上空から見下ろすマテリアルシアターは、外見からは何事もないように映った。

 まさか室内で暴風が吹き荒れているとは思えないな。

「銀、そのまま港に向かってくれ。」

 なんか、もう疲れたよ。



   ☆☆☆



 夜の港は静かだった。

 上空から見ても、地上におりても、海はどこまでも真っ黒だ。今の俺の心を、そっくり写したみたいに。

 なんて、ちょっと詩人。

「びっ………くりしたぁ。」

 タメた。

 港の傍らにつく砂浜へ降りる。人気がなく、静かな世界だ。波の音がここでも近い。

 島に来てからというもの、どこにいても海が近くに感じる。

 あの風が吹き荒れる音は、今ではもう遠い。

「…はあ。」

 ため息。

 見上げると星が綺麗に見えた。空気が澄んでいる。

 俺の頭の上を数回旋回してから、銀が肩に降りてきた。

「周りに人はいないようだ。」

「そうか。」

「小瓶はどうした?」

 言われて思い出し、ポケットから引っ張り出す。あの騒ぎで落として来たりしてなくてよかった。

 梨型の小瓶には傷一つなく、無事に手の中におさまっている。銀が望むものを手に入れることはできた。

 なんか色々と大冒険でしたが。

「喜べ銀、無事なようだ。」

 と言って肩に乗る鳥にそれを見えるよう掲げる。

 と、シワシワしたしゃがれ声で、

「ありがとう、優雅。」

 と返ってきた。

「苦労したぜ。」

 なんか、友達の思いがけない一面を見てしまった気がする。

 美島は俺の数少ない友達。なのに、今まで美島が竜巻を呼ぶ男だったとは、全然知らなかったぞ。

(すごく近くにいる存在でも、知らないことってあるんだなぁ。)

 今日はそれを痛感する日でした。

 そして。

 友達が関わっているというなら、俺も錬金術に関する件、引きたくはなくなってきた。美島の能力のことも、今日この島に来なければわからなかったことだ。

「新しいことを始めると、今まで見えなかった、知らないものが見えたりするんだな。…なんとなく、銀につきあうのも悪くないよ。」

「賢明だ。」

「美島が明日、なんて言うかなぁ…。明日から逃亡生活だったら、お前どうするの。」

「彼は何も語らないさ。錬金術のことも。」

「……あぁ。」

 まさか自分が竜巻を呼んで泥棒を撃退しました、とは美島も言わないよな。うまく誤魔化すんだろうか。

 なんか、アイツ頭いいらしいし。

 ザンッと、波が岸に当たって砕けた。白い泡になって、また海へと帰っていく。

「よし、帰ろうか。」

 引き際は肝心だ。

「明日、サクラや美島に会ったら、どんな顔していいかわからないけど。もう帰ろう。」

 と提案すると、

「優雅はそれでいいのかい」

 と返ってくる。

 いいんだ。

 俺は、とりあえず。

「銀に教えてもらって、もう少し錬金術やら魔術やらを、勉強しようかなって思ってる。」

 悔しいけれど、美島の方が俺よりも早く錬金術について知り、俺より強かったのは確かだ。

 俺も負けていられない。

「向上心も、錬金術には必要だ。」

 と銀が言って、同時にまた波が砕ける音がした。

 好奇心と向上心があればいいなら、どうにかなりそうだ。それなら、余すほどある。




 たった一つの小瓶をめぐって、今日は大変な一日だった。

 あとはこの小瓶を使って銀を何にデュアライズしてやるかだが。

 それはもう少しあとに考えよう。


 これが俺の、錬金術を追い求める、長い冒険と青春の始まり。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公が警備員に見つかった時に、主人公の出自や相棒について説明されるとは思いませんでした。主人公が錬金術師だと言っていたのがアージェントだけだったので、主人公を担いでいるとも考えていました…
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