2/イケメン教師は腹黒い
またも久々の更新となってしました。
今後はあまり間をあけずに更新していきたいと思います。
俺は沢近と共に職員室の前までやってきていた。無論、水瀬の【本心体】が語っていた陣内先生に話を訊くためだ。
とはいえ、俺はその陣内先生の事はまるで分からない。名を聞いたのも初めてなので顔すら知らない。
「なあ、陣内先生ってどんな人なんだ?」
「ん? ……ああ、そうか。陣内先生は一年のクラスを受け持っていなかったな。彼は昨年の秋に赴任してきた男性教師でな。まだ二十代後半ではあるが、物腰柔らかで気立てが良く、教師、生徒共に信頼が厚い。特にその容貌から女子生徒には大人気だ」
「ふうん。要はイケメン教師ってわけね」
沢近は「そんなところだろうさ」と他人事のように呟く。その声から特別な感情というものは読み取れない。きっとコイツはその女子生徒から大人気な陣内先生とやらの事をなんとも思っていないのだろう。
ご本人と対面する前に頭の中でどんな人物なのか想像する。
女子生徒から大人気のイケメン教師。きっと爽やかな感じで微笑むと口元がキラリと光る、そんな少女漫画とかに出てくるイケメン面なんだろう。
うん。想像するだけでもゲンナリだ。どうせ〝視る〟なら美人教師の方が断然いい。
そう、例えば――。
「おい、なにをぼさっとしている。中に入るぞ。さっさと眼鏡を外せ」
「へいへい。仰せのままに」
沢近から急かされる形で俺は思考を打ち切り、眼鏡を外す。
本当は余計なものを見ない為にも本人を目の前にしてから外したいところなのだが、それはもうしないことにした。あまり不審な行動は得策ではない。沢近の一件で俺はそれを学んだ。
沢近は俺が眼鏡を外したことを確認すると、職員室のドアを無遠慮に開ける。
彼女は躊躇うことなく「失礼します」と挨拶をし、中へと入っていく。俺もその後小声で挨拶してから沢近に付いていった。
沢近は椅子に座っているある男子教師のもとへと迷う様子を微塵も見せずに近づいた。
「失礼します、陣内先生。少しお時間よろしいでしょうか?」
「やあ、沢近さんじゃないか。ああ、うん。大丈夫だよ。どうしたのかな?」
男子教師は爽やかな笑顔で挨拶すると共に椅子に座ったまま沢近に向き合う。
ああ、やっぱり思った通りの爽やか系イケメンだ。
「はい。陣内先生に少しお話したいことがありまして……」
「おっと、もしかして相談事か何かかな? だったら、場所を変えようか?」
「あ、はい。そうして頂けると助かります」
ニッコリと微笑む沢近。その横顔は、俺には見せたことのない女性らしい笑顔だった。口調だって女の子らしくしおらしい。
なんだよ……興味なさそうにしておいて、結局お前も他の女子生徒と変わらないじゃないか。
俺はドン引きしつつ、沢近と陣内先生の様子を眺める。
「それじゃあ、少し移動しようか」
そう言うと、陣内先生は椅子から腰を上げる。そして、ちらりと困った顔で俺の方を見てきた。
「……えっと、そっちの君も僕に用があるのかな?」
「え……あ、俺は……」
「あ、陣内先生。できれば彼も一緒にお願いできますか?」
「え……彼も……?」
「はい。彼にも聞いて欲しい話なんです」
「そ、そうか……」
「ダメ、ですか?」
「い、いや。そんな事はないよ」
なんだ? この先生、一瞬残念そうな顔をしたような気がしたけど……。
俺は視線をずらし、陣内先生の背後を見る。
『ちっ。男付きか。それにしても、沢近に男がいるなんて聞いた事はなかったが。……ああ、そうか。沢近にこき使われてる男子がいると聞いた事があるな。それがコイツか。じゃあ、相談事にも期待できないな。つまらん』
「……」
沢近の時以上にドン引きである。
コイツ、表面上は爽やか系イケメンでいい人っぽく演じてはいるが、心の中は真っ黒じゃないか。おまけに、生徒の沢近に対して下心まであるとは……教師の風上にも置けない野郎だ。
「えっと、キミ、どうかしたかい?」
「え、いや、なんでもないです!」
「……そうか。じゃあ、二人共、僕に付いておいで」
陣内は俺と沢近に付いてくるように言い添えてから歩き出す。
危ない危ない。そりゃあ、誰だって流石にジッと見てこられたら怪しむよな。気を付けないと。
その後、俺と沢近は陣内に案内されて、『生徒指導室』とプラカードが掲げられた個室に入った。
「さて。それじゃあ、お昼休みも限られているから、早速どんな事を僕に話したいのかな?」
陣内は個室の中央に置かれている長机に備え付けられている椅子に座ると、そう切り出してきた。
それに対して、机を挟んで陣内と面と向かいに座った沢近が答える。
「はい。実は先生が担任のクラス、2年5組のことで風紀の乱れがあると報告がありまして。それを先生にお尋ねしたいのです」
「風紀の、乱れ? それはまさか、橘の――」
陣内は言い掛けて、手で口を押える。そして、俺の方を気まずそうに見てきた。きっと橘香織の件について口を滑らしそうになったからだろう。
「ご心配なく、陣内先生。橘さんのことでしたら、彼も知っています」
「なんだって? だが、彼はうちのクラスの生徒では……いや、それ以前に君は誰かな?」
尤もな疑問だ。俺も陣内とはきっと初対面に等しい。
俺は陣内に自分の名前とクラスを名乗り、沢近との関係については風紀員の仕事に興味があって彼女の手伝いをしているとか適当な事を言ってお茶を濁した。
陣内は疑う様子もなく俺の言う事をすぐに信じた。【本心体】が『やっぱりか』と告げたあたり予想していたのだろう。
「なるほどね。伊達君は沢近さんから橘さんの事を聞いたわけか。しかし、沢近さん。いくら君が風紀委員長とはいえ、彼女の件を無関係の生徒に話すのは感心しないな」
「すみません。行き当たり上、教えておかない訳にはいかなかったので」
沢近はしおらしく本当に申し訳なさそうな声で謝りながら、頭を下げる。
それを見て、陣内は慌てて「頭を上げてくれ」と言った。
「別に君を責めてのことじゃない。大人には色々と事情ってものがあるんだ。それは、分かるだろう?」
「……はい。以後、気を付けます」
「うん。分かってくれればいいんだ。それで……君達の話とは、やはり橘さんの件についてなのかな?」
「いえ、そうではありません。お話したいのは、クラスの内情についてです」
「クラスの内情、だって?」
予想とは違った事を切り出されたからか、陣内は小首を傾げて、やや困惑した表情を浮かべた。
沢近はそんな陣内の様子を気にすることなく会話を続ける。
「はい。先程も言いましたが、あのクラスには風紀の乱れについて報告があがってきています。そこで差し出がましいのですが、こちらで調べさせてもらいました。その過程で分かったのですが、少々あのクラスには問題があるようです」
「……と、言うと?」
陣内は真剣な顔で尋ねてくる。その声は先程よりもややトーンダウンしていた。
その内心は、やはり穏やかではない。
当たり前か。たかが生徒、しかも他所のクラスの生徒に自分が担当しているクラスに問題があると言われれば、教師としては気を悪くする。
そんな事に気づけるのも【本心体】を視ているからなのだが、視ることの出来ない沢近は気付けるはずもなく、またも平然とした顔で続ける。
「あのクラスは、現在、ある一人の生徒によって、互いを監視し合うように先導されている節があります。そのせいで、クラスの雰囲気は悪くなる一方。今では生徒間のコミュニケーションにも支障が出てきているようです」
「そ、そんな事が……」
「……お気づきになられていなかったのですか?」
「あ、ああ……僕の目にはそんな風に映った事は一度もない。いつも明るく仲がよいクラスで。とてもそんな風には……」
「そうですか。だとしたら、先生の前でそう見えるように彼らは演じていたのでしょう」
「そ、そんな……彼らが……?」
陣内は辛そうに顔を歪める。
その表情を見た沢近はチラリと俺の方を見てきた。俺はそれに首を振って答える。
陣内の内心は焦燥感と失望感に満たされている。彼は本当にクラスで起こっていた事を知らなかったようだ。
「先生。その先導している生徒なんですが、こちらで調べた限り、水瀬さんのようなんです」
「水瀬が!? な、なんで彼女が……いや、どうして彼女はそんな事を……」
「それは……」
沢近はそこで一旦言葉を切った。それは刹那ほどの時間だったが、これから投下する爆弾をさらに効果的にするには十分な溜めだ。
「それは、きっと橘さんの自殺未遂と関係があるのだと思います」
「な、なんだって!?」
案の定、陣内は驚愕の声を漏らした。
食いつきは十分。内心の動揺は既に表層まで出ている。これなら水瀬の時と同様、口には出さなくても、考えなくてもいい事を考えてくれるに違いない。
沢近もそれを確信し、陣内の目を盗んで一瞬だったがその口元は吊り上がっていた。相変わらず、最悪な性根だ。恐ろしいったらありゃしない。
「水瀬さんは、きっと橘さんの自殺未遂の事件になんらかの形で関わっていたか、彼女が自殺しようとした理由を知っているのだと思います。そして、それを2年5組の生徒の大半が知っていた。だから、彼女は口止めさせる為にクラスメイト同士を監視させているのだと思います」
「ば、馬鹿な……あの水瀬が、そんな……」
『ば、馬鹿な……あの水瀬が、そんな――余計な事を』
――なんだ? 今の【本心体】の声は……。
沢近の推論に反応する形で聞こえてきた陣内の心の声。あれは、どこかおかしい。あれではまるで……。
「……先生?」
「え!? な、何かな沢近さん」
「大丈夫ですか? 顔色があまり良くないようですが……」
「あ、ああ。君の話が少し衝撃的すぎたせいだね、きっと。でも大丈夫だ。話の続きを聞こう」
違う。衝撃的だったとは何かが違う。あれはむしろ動揺や焦燥に近い。
この男、何かを……隠している?
「……これはあくまで私の推論なのですが、水瀬さんは橘さんをイジメていたのではないでしょうか。それで……」
「それで橘は自殺したと言いたいのかい? 妊娠が原因ではなく、イジメが原因だったと?」
「はい。それで、どうなのでしょう? 橘さんと水瀬さんの当時の関係は。悪かったのでしょうか?」
「そんな事は……なかったはずだ。橘が水瀬からイジメられる理由もあったように思えない。それに、だ。橘の妊娠は確かなものだった。そんな彼女がイジメに屈し、身籠なまま自殺しようとしたなど、僕は考えたくないな」
「……そうですか。そうですよね。実は私もそんな気がしていたんです。いえ、私もそうであって欲しいと思っていました。大変失礼な発言でした。申し訳ございません」
沢近は深々と頭を下げる。
「いや、気にすることはない。君も君の職務を全うしようとしてことだ。気にしないでくれ」
陣内はそうは言いつつも、複雑そうな顔をしている。
『まったく……教師とは面倒なものだ。こんな時でも教師としての体面を保たなければならないなんて……。いっそ、このまま水瀬のせいに出来たらどれだけ楽か……』
「――」
コイツ、やっぱり何かを知っている。
橘香織の自殺理由をコイツは知っているんじゃないのか?
知っていて黙っている。
でも、どうして?
黙っている理由はなんだ?
何かコイツに不都合な事でもあるのか?
「先生、今日はお時間を取って頂き、ありがとうございました。おかげで少しスッキリしました」
沢近は突然立ち上がって、陣内にお礼を述べる。
そろそろ時間切れだ。それに、これ以上踏み込んで出来る質問もない。沢近はそう判断したのだろう。
「いや、こちらも把握していなかったクラスの状況が分かって良かったよ。ありがとう、沢近さん」
「いえ、これも風紀員の仕事ですから。その……できれば今回の件、先生の方でもお気づきになるような事があれば、教えてもらえますか?」
「ああ、承知した。きっと伝えるよ。橘の件もあるからね」
「はい、お願いします」
沢近はもう一度陣内に頭を下げてから、俺に「行きましょう」と声を掛ける。
俺はそれに従って立ち上がった。
その刹那――陣内の【本心体】が笑みを零したのを俺は見逃さなかった。
『ハッ――。〝鉄拳〟の風紀委員長と呼ばれていたから、どれほどの手腕かと思ったが、やはりガキはガキだな。これでまた――元通り、だ』
その本心を聞いて、確信する。
コイツは、絶対に、〝クロ〟だと。
「どうかしたかな? 伊達君」
陣内をまたジッと見ていたせいだろう。陣内は俺を見て、不思議そうな顔で尋ねてきた。
「――いえ、なんでもありません」
俺は何も告げず、沢近に続いて生徒指導室から出た。
「それじゃあ、また何かあれば」
そう言って、陣内は何食わぬ顔で俺達の前から去っていく。
その背中を見送りながら、沢近は俺に小声で尋ねてきた。
「それで? どうだったかな、エスパー君?」
「……なあ、沢近」
「なんだ? そんな怖い顔して……」
怖い顔をしているつもりなど毛頭なかったが、知らずの内に表情に出ていたらしい。
「ちょっと訊きたいんだが――」
「あら? やっぱり沢近さんと伊達君じゃない!」
言い掛けている途中で突然背後から名前を呼ばれた。
驚いた俺達が振り向くと、そこには一人の女性教師が立っていた。