2/俺はエスパー
食堂では既に多くの学生がいてワイワイと賑わっていた。
俺は注文したラーメンをトレーに乗せて、運よく空いていた二人掛けテーブルの席に腰を下ろした。
菊池の方と言えば、弁当を持ってきており、真向いに座って、テーブルの上に弁当を広げている。中身はのり弁で、色とりどりの野菜におかずが入っている。バランスの良さそうな弁当だ。
「ちなみに聞くけど、それ、あんたの手作り?」
「無論だ。それがどうかしたか?」
「いや、なんでもない」
やっぱり真面目くんはどこまでも真面目だった。同じ人種とは到底思えん。
「じゃ、いただくか」
「うむ、いただこう。いただきます」
菊池は律儀に目を閉じ、手をキッチリと合わせいる。それを尻目に俺はさっさとラーメンを啜る。
「そんじゃあ、食いながらでいいから話してくれよ」
「相分かった。実はだな、僕はある人に告白したいと思っているのだ」
「は? 告白!?」
「そうだ。告白だ」
これはまた驚いた。この如何にも優等生な委員長さんが、告白なんて単語を口にするとは思わなかった。と言うか、似合ってない。こいつ、本気か……?
「それでな……」
「ちょっと待ってくれ」
菊池に手の平を向けて言葉を遮る。
「どうしたのだ?」
「すまん。眼鏡が曇った」
ラーメンを啜っている内に曇った眼鏡を外し、テーブルの上に置く。
そして、菊池を見据えると、途端に菊池の背後に菊池と瓜二つの人間の姿が現れた。
これで準備よし。さて、ここからが本番だ。
「すまん。続けてくれ」
「それで、その人の気持ちを知りたいと思っている」
「気持ちを知りたいだって?」
「そうだ。自分がその人にどうのように思われているのか、知りたいのだ」
「そんなの知ってどうするんだよ?」
「無論、こちらにも好意を抱いてくれているなら、僕の方から告白する。そうでないなら、諦めようと思う」
「それまた殊勝なこって……」
殊勝とういうか、ずるい、だな。自分が傷つきたくないという気持ちも分からんではないが、相手の気持ちを知った上での行動なんてずるいとしか言いようがない。
尤も――俺がそんな事を言える立場ではないが。
しかし、だ。背後の菊池に変化がないところを見ると菊池の奴、これを本気で言ってやがる。こいつ、結構策士だな。
「で、俺にその人の気持ちを確認してこいってのか?」
「いや、それはダメだ。できれば、本人には感づかれたくない。本人に尋ねるのはご法度でお願いしたい」
「な、にぃ!? それでどうやって、そいつの気持ちを知れってんだ?」
「無理は承知だ。だが、君はこれまで様々な恋愛相談にも乗ってきたと聞いている。こういった情報にも精通しているのではないかと思っていたのが……」
人の気持ちを情報と言いますか、こいつは。呆れた奴だ。
確かに、女子達にとってあの子は誰が好きだとか、誰と誰が付き合っている等のガールズトークはどこにでもあるものだ。それに聞き耳を立てることも難しいことではない。そういった意味では情報だろう。
だが、本当のところで本人がどう思っているかは別だ。誰しも本心は隠して会話をしているものだろう。
それを本人に確認せずに、知りたいというのは、無理難題だ。きっとどこを探してもそんな事ができる奴はいない。俺以外には……。
「分かった。そこはなんとかしよう」
「おお、やってくれるか! 恩にきる!」
「まあ、待て。まだ大切なことが聞けていない。その相手ってのは誰なんだ?」
「う、うむ、そうであった。その子の名は、有沢茉依と言う。先程、僕を君のところに案内してくれたクラス委員長だ」
「はあ!? あ、あいつなの?」
「う、うむ……だからというわけではないが、彼女をからかうの止めてもらいたい。冗談でも〝地味子〟などと呼ぶのはいかがなものかと思う」
「お、おう……そ、それは、すまん」
微妙に怖い顔で睨んでくる菊池。けれどもその頬は微妙に赤く染まっている。
これも本気なのね。はいはい、ごちそうさま。
しかし、これまた意外な人物の名があがってきたものだ。あの結構地味なクラス委員長を好きだという奴が現れるとは……。人それぞれの好みという奴なのだろうけどさ。
「ふぅん……なるほどね。それで教室だと話ができなかったわけか」
「うむ。こんな話、本人に聞かれるわけにはいかないのでな」
「ま、こんな話、本人に聞かれなくても、他の奴の耳に入っただけでも騒がれかねないもんな」
「うむ。だから君だけに話したかった。それでどうなのだろう?」
「何がだ?」
「この件、本当に引き受けてくれると思ってよいのか?」
「ああ、いいよ。謝礼については、ケイジの方から連絡させる。まあ、単なる恋愛相談だから、明日の放課後には決着がつく。金でも大した額にはならないはずだ」
「な、なんと!? そんなに早くに分かるのか?」
「ああ、任せろ。こう見えても俺はリサーチの天才だ。どんな事でもすぐに調べ上げてみせる」
「分かった。その言葉、信じよう」
これで菊池からの依頼は引き受けることになった。後はこっちの仕事だ。
テーブルの上の器からも丁度ラーメンがなくなったところだ。これでここにいる理由はなくなった。
「それじゃあ、先に行くな」
「うむ。貴重な昼休みの時間を使わせて、すまぬ。宜しく頼む」
頭を下げる菊池。どこまでも真面目で律儀な奴だ。
「ああ、任せろ」
俺はテーブルの上に置いておいた眼鏡を右手に、トレーを左手に持って立ち上がって、去ろうとした。だが、ふと思い当たって、菊池の方へ振り返った。
「最後に一つだけ訊いていいか?」
「何だ?」
「お前、あんな相談を俺にすること、嫌じゃなかったのか? 相談された側として、こんなこと言うとあれだが、さっき知り合ったばかりの奴にする相談じゃないだろ?」
「……うむ、それには心配及ばん。君のことを信じているからな」
『当たり前だ。できれば相談などしたくなかった。あの人にお願いされなければ、誰がこんな相談するものか。まったく、沢近さんは何故こんな男に興味を示すのか……』
菊池とは別に菊池の背後にいるもう一人の菊池が裏腹な言葉を喋り出す。
やっと本音が聞けた。菊池の本音が。
唐突ではあるが、俺はエスパーだ。人の心、思考が視える。
人は誰しも本心を隠して、相手と会話をするものだ。その内容が自分にとって都合の悪いものであれば、意識的にしろ、無意識にしろ、嘘をついてしまう。それが人間というものだ。
けれど、俺の眼はその本心を見抜いてしまう。眼鏡を外し、裸眼で視ることで、先程の菊池のような本心が視えてしまうのだ。
見え方は様々だ。さっきのような会話ならば、背後に本人と瓜二つの姿が現れる。俺はあれを【本心体】と呼んでいる。【本心体】は本人が心にもないことを言った場合に、本心の方を喋ってくれる。
他にも、本人がイメージしたものを視ることができる。本人が強く想像したものをイメージ映像として、本人の周りに投影できたりしてしまうのだ。
どれも俺にしか見えない幻影なのだが、間違いなく視た対象の心や思考を映し出したものだ。
実は、俺がいままで相談者の悩みを解決してこれたのは、この眼の力によるところが大きい。つまるところ、俺はズルをしているのだ。
話を菊池の方に戻そう。
菊池はやはり俺に自分の恋愛事情について本当は相談したくなかったようだ。だが、そうせざるを得ない事情ができた。それがどうも【本心体】の方が口にした〝沢近さん〟に関係があるらしい。
さて、どうしたものか。単なる恋愛相談だと思っていたが、なにやらきな臭くなってきた。
「伊達君、どうかしたか?」
菊池をじっと見ていたことに気づかれてしまった。菊池は訝しげな表情でこちらを見ている。このままこうしていると怪しまれるだけだろう。
〝沢近さん〟については気になるところだが、それについて訊くわけにはいかない。そんな事を菊池に訊けば、何故分かったと騒がれかねない。こちらとしてもそういった問題を起こしたくないから、これ以上突っ込んで訊くわけにもいかない。
「なんでもない。それじゃあ、明日の放課後にな。まあ、大船に乗ったつもりでいてくれ」
菊池にそう言い添えて、俺は教室に戻った。
教室に戻ると、ケイジが餌を待つ飼い犬のような顔で待っていた。
「お! 帰ってきた帰ってきた! んで、どうだったのさ?」
「あ? 何がだよ?」
「何がって……決まってるだろ? 依頼だよ、依頼! 菊池からの相談事って、どんな内容だったんだよ?」
「……」
ケイジのお馬鹿な発言に溜息をついて頭を振りたくなる。プライベートな事なんだから話せる訳ないだろうに。
「なんだよ? 黙ってこっち見つめんなよ。て、照れちゃうだろ? ……は! ま、まさか、お前ってそっちの気が――うぎゃ!」
「だまれ、今すぐその口を閉じろ!」
くだらない事を大声で口走りそうになったケイジに右手でアイアンクローをかます。しかも結構強めに。
「痛い痛い! いや、おま、これ、ちょ、マジで痛いって!」
「当たり前だろ? 結構マジでやってんだから。え? なに? もっと強くしてくれた方が良いって? うわぁ……お前、マゾ気質だったのね、ドン引きだわー」
「いやいや、僕そんな事一言も――いたたたたっ!」
有無を言わさず右手に力を込める。
すると、周りからヒソヒソと声が聞こえ始める。主に女子の辺りから。
「え、なに? 前田ってそうだったの?」
「うそぉ……不良っぽく見せて、ホントは変態だったんだ?」
「ドン引きー」
「前田君は伊達君の下僕でマゾ……」
周りから聞こえてくるケイジを蔑む女子の声。つーか、最後のは明らかに有沢のだったな。……あいつ、まだあんな冗談信じてたのか……。
「もう、やめて……お願いだから……謝るから……ぐす……」
女子の声が聞こえていたのだろう。ケイジは涙を流しながら、懇願してきている。
「分かればいいんだ、分かれば。ほら、言うことあるなら、さっさと言えよ?」
「……ごめんなさい……」
ケイジからの謝罪を受け取り、顔から手を離す。
途端、ケイジはその場で泣き崩れた。
「えぐ……ひ、酷い……もうお嫁に行けない……」
いや、大袈裟だし。お前、男だし。
「はあ……次、ふざけた事言ったら、今度の分け前は無しだからな?」
「わ、分かったよ……って、分け前? え、なに? 菊池からの依頼、受けることにしたの?」
ケイジは意外そうな顔をして訊ねてくる。
「ああ、そうだ。なんか問題あるか?」
「いや、そんな事ないけどさ。でも、受けるってことは、今回は普通に相談事だったってわけ?」
「それは……」
普通に相談事……それは傍から聞いていれば、おかしな言い回しだ。
俺がケイジにマネージャーをしてもらう事になった際に、ケイジが「伊達覚はリサーチの天才! どんな悩み事も解決できます!」なんてトンデモな触れ込みをしてしまった。
そのせいでちょっと厄介なことになってしまった。
それは、持ち込まれる相談事に嘘や高校生には解決できないようなもの、つまりは冷やかしが含まれるようになってしまったのだ。たまにいるのだ。俺の噂を聞きつけて、そういう冷やかしをする奴が。
そこで俺は、その冷やかしをブロックするためにケイジにある事をさせることにした。
それは、俺に持ち込まれてくる相談事が本当の相談事なら、普通に謝礼交渉してもらう。だが、その相談事が冷やかしならば、謝礼をぼったくりじゃないかと思うぐらいに多額をふっかける。
俺は嘘を見抜けるから、その相談事が冷やかしかどうか分かってしまう。けれど、それを指摘はできない。指摘すれば、何故そんな事が分かったのかと追及されてしまう。
だから、そんな面倒事を避けるために敢えてそういう連中には多額の謝礼を突きつけて、諦めさせるのだ。
話を今回の事に戻そう。
菊池の心を視た時、アイツは嘘をついていなかった。つまり、菊池の相談事は決して冷やかしなどではないと言うことだ。
けれど、裏がある。菊池は俺に相談したくもないのに、相談してきた。それはきっと、アイツの【本心体】が喋った〝沢近さん〟が関係しているのは、明らかだ。
裏で良くわからない人間が手を引いている。そう言うと大袈裟に聞こえるかもしれないが、これ以上、俺の高校生活に波風を立てないためにも警戒するにこしたことはない。
本来なら、この依頼は受けるべきではないのかもしれない。だが、菊池の依頼を断ったところで、何か解決するかと言われると、たぶん違う。その〝沢近さん〟がどういった企みでいるのか分からないのに、菊池の依頼を断ったところで事態が好転するとも思えない。ならば、敢えて相手の策に乗って、様子を見てみた方がいいだろう。
「おい、なんだよ? 難しい顔して黙りこくって……」
「え? ああ、すまん、何でもない。依頼の話だったよな? ああ、菊池の奴の相談事は真っ当なものだったよ。簡単な依頼だったから、最短で片付く。謝礼も最低額で問題ない」
「なーんだ、最低ランクの相談事か……」
ケイジはつまらないと言いたげに吐き捨てる。
なんだかなぁ。人の悩み事につまらないもくそもないんだが。コイツはこういう所で性格の難がある。けどまあ、そういう事も臆面もなく口にしてしまうところがコイツのいい所でもあるのだけれど……。
「とにかく、ちゃんと謝礼交渉しとけよ?」
「りょーかい。任せてよ! 今日の放課後にでも話を付けてくるよ!」
ケイジの気前のいい返事が聞こえてくると同時に、退屈な午後の授業の始まりを告げるチャイムが聞こえてきた。