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幼き日の優しい思い出



 川沿いの土手を歩いていると、土手の下の河原で、こちら側に背を向けた格好で幼い子供がうずくまっていた。

 その子の事が気になって、河原まで降りてみると、その子はすすり泣いていた。


「君、どうしたの?」


 声かけると、ビクリとその子は反応し、恐る恐るこちらを振り向いた。知らない顔だ。

 振り向いたその子の眼は赤く充血し、瞼は腫れていた。おそらく、随分長く泣いていたのだろう。

 その子はこちらと目が合うやいなや、右袖でグシグシと目を擦り、涙をぬぐったと思うと、こちらから顔を背けてしまった。


「なんで、泣いているの?」

「……」


 こちらの問いかけにその子は何も答えず、またグシグシと袖で目を擦っている。

 こちらを向かないので、前に回り込んでみると、その子の前に段ボール箱が置かれていた。

 段ボール箱は開いていた。その中身に目を向けると、そこには茶色い毛並みをした子犬が入っていた。

 子犬はジッと泣いているその子のことを見ている。


「君が飼っているの?」

「……」


 その子は、こちらの問いかけに言葉を返すことがなかったが、微かに左右に首を振った。


「じゃあ、どうしたの?」

「……」


 また何も話してくれない。こう黙られると困ってしまう。年頃は同じぐらいなんだから、そんなに警戒しなくてもいいのに。シャイな子なんだろうか。

 もう一度段ボールの中の子犬に視線を落とす。そこで、この子犬が何なのか理解できてしまった。


「……もしかして、拾ったの?」

「……」


 その子は黙ったままだったけれど、小さく頷いていたのが見えた。

 そうか、捨て犬だったのか。けれど、それだけではこの子が泣いている理由が分からない。

 だから、もう一度尋ねてみることにした。


「なんで、泣いているの?」

「……」


 再度の問い掛けに、その子は先程と同じようにグシグシと袖で目を擦るだけだった。

 埒があかない。そう思って、質問を変えることにした。


「この子、名前はあるの?」


 子犬を指差しながら、問いかける。


「……チビ」

「チビ? そっか、チビって言うんだね」


 やっと声が聴けた、と安堵した。

 鼻声だけど、澄んだ綺麗な声をしていた。


「うん……小さいからチビって付けた」

「付けた? 君が名前を付けたの?」


 こちらの質問にその子は頷いた。


「そっか、君が名付け親なんだね。それじゃあ、君が飼うの?」


 そう尋ねた途端、その子は先程とは違って大きく首を左右に振った。


「え、飼わないの? じゃあ……」


 この子はここで何をしているのだろう?


「……ママが」

「……え?」


 聞き逃してしまいそうなほど小さな声だった。


「ママが、飼っちゃ、ダメって。ウチじゃ、飼えない、からって……」

「……そっか。捨ててきなさいって言われたんだね?」

「……うん」


 いまにも声を出して大泣きしてしまいそうな顔で、その子は頷く。


「じゃあ、捨てちゃうの?」

「……いや。かわいそう」

「じゃあ、飼うの?」

「……だめ。ママにおこられちゃう」

「じゃあ……どうしたいの?」

「うぅ……」


 その子はまた泣き出してしまった。

 まいったな。泣かせるつもりじゃなかったのに。どうしたらいいのだろう?

 少し思案してみる。

 この子は何をそんなに悲しんでいるんだろう? 何が辛いんだろう?

 この子犬を飼えないことだろうか? それは多分違う気がする。飼えないことも辛いだろうけど、それだったら、ママの前で泣いて駄々をこねていればいいと思う。こんな所で泣いている必要はない。

 たぶん、この子は子犬を捨ててしまうこと自体が嫌なのではないだろうか。


「……あ」


 そこまで考えて、この子が泣いている理由がやっと分かった。この子は――


「君、優しいね」


 思った通りに口にすると、その子は呆然とこちらを見た後、顔を恥ずかしそうに伏せてしまった。

 この子は、子犬を捨てなければいけない状況に泣いているのだ。捨てられる子犬が可哀想で、それが辛くて泣いているのだ。

 本当は飼ってあげたい。けれど、親の言いつけは守らなければいけない。その板挟みの中で、悩み、苦しんでいる。

 それはなんて優しくて純粋な心なんだろう。

 何とかしてこの子の悩みを、苦しみを取り除いてあげたいと思った。

 だから、その方法を考えた。考えてすぐに一番簡単な方法を思いついたから、それを提案してみることにした。


「じゃあ、ボクが飼っちゃダメかな?」

「……!」


 その子は目を見開いて驚いていた。けれど、こちらの意図に気づけたのか、すぐに表情がぱあっと明るくなった。


「い、いいの!?」

「うん。ボクのウチはペットが飼えるから。だから、問題ないよ」

「じゃ、じゃあ……あ、でも……」


 けれど、その子はすぐに暗い顔に戻ってしまった。


「どうしたの?」

「……チビ、寂しくないかな?」

「え?」

「せっかく仲良くなれたのに、お別れして寂しくないかな? 辛くないかな? 不安じゃ、ないかな……?」


 不安そうな表情でこちらに尋ねてくる。

 正直、驚いた。年頃は同じはずなのに、そこまで子犬のことを考えられるこの子のことを純粋に凄いと思った。


「君は本当に優しいね。だから……」


 だから、この子の前なら見せてもいいと思えた。


「だから、訊いてあげるね!」

「え……訊く?」

「うん、訊くんだよ。これからチビに」

「チビにって……チビは……」


 しゃべれないよと言いたげな表情のその子。その顔がおかしくて思わず笑ってしまう。


「大丈夫。ボクにまかせて」


 そう言った後、視線を子犬に移し、そのままジッと子犬を見つめた。

 すると、子犬もこちらに気づき、ジッと見つめ返してきた。

 しばらくそのまま、子犬と見つめ合った。そして――


「……うん、ありがとう」


 そう言って、子犬の頭を撫でる。子犬は嬉しそうに尻尾を振った。


「……どうしたの?」


 その様子にその子は不思議そうに尋ねてくる。


「うん? いまね、チビとお話してたの」

「お話!? チビと?」

「うん。ボクは動物とお話ができるからね」

「す、すごい!」


 その子はあっさりと気持ちいいほどこちらの言ったことを信じてくれた。

 本当に純粋な子なんだと思えて、嬉しくなる。話してみて正解だった。


「チビはなんて?」

「うん。チビは君にお礼言っていたよ。拾ってくれて、ありがとうって。短い間だけだけど、お世話してくれて、仲良くしてくれて、嬉しかったよって」

「うん、うん」


 その子はこちらの話を涙ながら聞いている。それは先程まで見せていた涙とは意味合いが違う。


「それから、君のことを心配してたよ。自分がいることで君を困らせてしまって申し訳ないって。お別れは辛いけど、新しいお友達は優しい人だから心配いらないよって。だから、もう泣かないでって」

「うん、うん……ありがとう、チビ!」


 その子は感極まったのか、子犬を抱き上げ、抱きしめて泣き出してしまった。よほど嬉しかったのだろう。

 ひとしきり泣き明かした後、その子から段ボールごと子犬を受け取った。


「ねえ、君は何者なの?」


 不意にその子はそんなことを尋ねてきた。

 少し思案した後、こう答えた。


「ボクはね、魔法使いなんだよ」


 そんな風に返すと、その子はぱあっと眼を輝かせ、「すごい」と言って、


「ありがとう、魔法使いさん!」


 その澄んだ綺麗な声で、それまで聞いたどの声よりも大きな声でお礼を言ってくれた。

 それが堪らなく嬉しかった。


      ◇


 わん、わんと鳴き声が聞こえてくる。


「ん……」


 夢うつつから、その鳴き声で覚醒していく。


「んん……朝、か……」


 目を開けてすぐに手で目を覆う。目覚めて、最初に飛び込んできたのは朝日だった。


「まぶし……」


 朝日の光から逃げるように、頭は横にすると、そこには見慣れた犬の顔があった。


「……おはよ、チビ」


 わん、と朝の挨拶を返してくるチビ。その頭を撫でた後、ゆっくりとベッドから抜け出す。


「ふぁ……」


 伸びと欠伸を同時にする。

 その足元をチビがいったり来たりと駆けている。時刻は6時。散歩の時間だ。きっと待ちきれないのだろう。

 そんなチビを見て、今日見た夢の事を思い出す。

 チビと最初に出会った時の夢。まだ、自分のことを『ボク』なんて言っていた頃の、幼くて未熟で愚かだった頃の過去の記憶だ。

 けれど、あれは自分にとってかけがえのない記憶でもある。


「……ん?」


 足に何か触れる感触に現実に引き戻される。見ると、チビが心配そうな目をして寄り添っていた。


「ごめんごめん、大丈夫だ。心配はいらないよ」


 そう言って、頭を撫でてやると、安心したのか、気持ちよさそうにしている。


 着替えを済ませ、袋とスコップを持つと、チビにリードを付ける。


「よし、それじゃあ行こうか、チビ!」


 わん、と元気のいい返事が返ってきた。



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